「ハノークは死んでいた」牧野修(画・YOUCHAN)

(コラム「怖くないとは言ってない」第十回記念作品)

(PDFバージョン:hanooku_makinoosamu

 おばけは捨てられ寂れ朽ちた庭が大好きです。
 廃園の夜は深く、月の光に誘われた人が重い闇に溺れてしまうからです。溺れた人は、おばけの良い遊び相手になります。だからおばけは捨てられ寂れ朽ちた庭が大好きなのです。
 夜に溺れるのは気持ちが良いのだと、ハノークのお母さんは失踪間際に家人へ告白しました。そして愛しい息子の名前を呼びながら夜の廃園を徘徊して五日目。夜に溺れてしまったのでしょう。彼女は姿を消したのです。その日の闇は格別深く、シロップのように濃く甘かったといいます。
 そうそう、ハノークの話ですね。
 ハノークはおばけの王です。彼がおばけの王になったのは何故か、ご存じですか。ああ、そうですね。そのことをお訊きにらっしゃったんですね。
 ハノークは信じられないほどに愛らしい子供でした。両親はハノークのことを、よく砂糖菓子に喩えました。確かに彼の愛らしさはひたすら儚く、触れれば溶け、当たれば折れるように思えました。
 ハノークを愛する両親には、ほんのわずかでも息子が傷つくことを耐えられませんでした。
 傷つきやすいものがどれほど傷つきやすいのかを知りたければ、それを一度傷つけてみなければなりません。傷つけることなく傷つきやすいのかどうか知ることは出来ません。
 もしかしたらどう見えようとお子さんは野犬のようにたくましいかもしれませんよ。
 助言のつもりでそう言った知人は、翌日厳しい口調で絶交を告げる手紙が送られてきて驚きました。
 ハノークの両親は、彼らがそうであるように、すべてのものにハノークが溺愛されることを望んでいました。何故溺愛されなければならないのか。それは彼がお湯に落とした一片の砂糖粒のように儚い存在であるからです。傷つきやすさこそが、ハノークを溺愛せねばならない理由なのです。
 いわゆるドグマですね、と知ったような口調でハノークの母親に告げた家庭教師は、知らぬ間にお茶の時間に出る紅茶の等級が三つ格下にされていました。そしてそんなことも気がつかない教師の見識のなさを笑われていました。
 そうです。ハノークのことに触れるのであれば、ただただ平伏すようにその愛らしさを語らねばならなかったのです。
 いや確かにハノークお坊ちゃまは奇跡のように愛らしいお子様だったのですよ、とかつての乳母は口元を緩め語ります。
 彼女の胸をまさぐり、あふれる乳をエルトベーアトルテに添えられた一匙のイチゴソースのような唇で求めるとき、その愛らしさに本気で食べてしまいたいと思いました。
 乳母は秘め事を語ったかのようにそう言うと頬を赤らめるのでした。
 その庭園も両親がハノークのために求めたものでした。いずれ装飾的剪定(トピアリー)を施し様々な動物の形になった庭木の間で、息子と一緒にかくれんぼすることを楽しみにしていたのです。
 傷つける可能性があるあらゆるものを遠ざけることに成功した両親でしたが、たった一つどうしようもなかったものがありました。
 時間です。
 時はハノークを変えていきます。特に子供は見る間に変わっていきます。子供の一日は大人の千日にも等しいのです。今日のハノークは明日のハノークとは別人なのでした。
 這い回っていたハノークが危なっかしい足運びで歩き出したとき。意味のない声が言葉となったとき。乳から離れ少しずつ大人の食事へと近づいて行くとき。そして歯が抜け替わるとき。
 今日あったかけがえのない何かが、翌日朝日に晒された霜柱のように消えていく。
 でも、それが成長というものなのです。
 そんな当たり前のことを忠告できる人は、その頃夫婦の周りに一人もいなくなっていました。
 もう変わって欲しくない。
 息子の愛らしさは永遠であって欲しい。
 溺愛とはまさしく愛に溺れることです。夜に溺れるずっと前から、両親は既に溺れ死んでいたのです。
 生きている限り人は変わり続ける。つまりそれは、生きていない者こそが永遠であるということを意味する。
 それが両親の下した結論でした。
 そして両親は、可愛い息子が死んだことにしました。
 死んだのではありません。死んだことにしたのです。
 そして目の前で動き喋るハノークを、思い出なのだと思うことにしました。食事をし、眠り、遊び、学校へ行く。そんな目の前のハノークを、両親は懐かしい目で見て過ごしました。
 ハノークに関することはすべて過去形で話されます。使用人も知人も、親類も、皆このルールを守らねばなりませんでした。守れない者は関係を断たれました。
 ハノークはどうだったのでしょうか。死んだ者とされたハノークは、己のことを過去の者として語ったのでしょうか。まだまだ幼いハノークは、そんなことに耐えられたのでしょうか。 十三歳の誕生日をみんなで祝ったその夜、ハノークは消えました。
 両親は嘆き悲しみました。
 でも、街の人たちは「本当かしら」と心の底で思っていました。ハノークが消えた晩、彼が親を口汚く罵る声を聞いた者がいる。そんな噂が流れました。警察も同じ思いだったようで、夫婦は幾度も取り調べを受け、ついには庭園が掘り返されることになりました。何も見つけることは出来なかったのですが。
 お母さんは月の明るい夜、ハノークを探して夜の庭を徘徊するようになり、彼女もまた闇に沈みました。
 お父さんは家屋敷を売却し福祉施設に寄付した後、書斎の中で首をくくって亡くなりました。
 そして誰もいなくなった、はずでした。
 なかなか新しい買い手が現れず、家屋敷は長い間放置されました。もちろん庭園も手入れされることなく捨て置かれたのです。
 大喜びする息子のことを夢見て兎や象や獅子をかたどり刈り込まれた庭のイチイの木は、いつの間にか悪性の腫瘍のように枝葉を伸ばしグロテスクな怪物と化してしまいました。
 そんな緑の怪物たちが、満ちた月さえ消え入りそうに光る濃い闇の夜に廃園をうろつき回り、いかがわしい夜宴を開くようになりました。
 よほどそれが楽しそうに見えたのでしょうね。やがてハノークの死んだお父さんやお母さんも、そのおばけたちの饗宴に加わるようになりました
 かつて象だった何かに背後から突かれ、切ない声を上げるハノークのお母さんを、子犬を愛でるように自らの陰茎を撫でながら見ている全裸のお父さんの姿は、あなたもご覧になりましたよね。
 ハノークが可哀想、ですって?
 いいえ、これこそがハノークの望んでいた家族の姿でした。
 ハノークはおばけの王です。彼は今おばけの仲間たちと毎夜毎夜遊んでいます。今が一番幸せだと、ハノークはいつも言っているのです。
 彼が今どこにいるか、ですか。
 ハノークは廃園の土の底でゆっくりと腐っています。
 嘘ですよ。
 確かに腐敗と睡眠はそっくりだと、彼はいつも言っていますけどね。
 ハノークはご両親に殺されたのか、ですって。それは両親の名誉のために言っておきましょう。両親はそんなことをしておりません。出来るはずがないのです。だってハノークはとうの昔に死んでいたのですから。彼は生まれ落ちてすらいません。ハノークは生まれることなく死んだ者たちの夢です。語る舌さえ持つことのない者たちの語る物語です。
 だからハノークは、大事な者を失った者たちに優しいのです。両親の時を巻き戻し楽しい夢を与えたのも、彼が優しいからです。
 本当はあなたもこんなこととっくにご存じだったのでしょうね。でなければわざわざ夜に溺れるためにこんなところに来たりはしませんものね。
 さあ、こちらへどうぞ。
 ハノークが――おばけの王がお待ちしておりますよ。

牧野修プロフィール
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牧野修既刊
『呪禁官
百怪ト夜行ス』