「なのはにとまれ」青木 和

(PDFバージョン:nanohanitomare_aokikazu
 友達のヒロコが死んだ。
 ひどい死に方だった。
 死んだのはあの子の部屋で、ベッドの中。寒かったのか毛布の下にエマージェンシーブランケットっていうの? アルミホイルみたいな奴。あれでぐるぐる巻きになって横たわってた。
 原因は分からない。突然死みたいな感じらしい。
 信じられなかった。だってヒロコはあたしと同い年でまだ二十代だ。フリーターで、働いたりやめたりしていたのは病気だからじゃなくて、あの子の性格みたいなものだったし。最近失恋して落ち込んでたけど体壊すほどじゃなかったし。
 何か思い当たるようなことはありませんか? って警察の人が聞くから、ダイエットしてたみたいですけど──とか答えたら、納得されてしまった。素人が自己流で無茶なダイエットして、栄養バランスが悪くなって、痩せる前に突然死んじゃう、なんてこと、結構あるらしい。
 で、何がひどかったかっていうと、ヒロコはアパートに一人暮らしだったのね。ちょうどアルバイトをやめてたときで、誰もヒロコが死んだことに気がつかなかった。あたしが、ヒロコが三週間もなんにも連絡してこないことに気がついてあの子の部屋へ行ったときには……ってわけ。
 そう、あたしがヒロコを見つけたの。ブランケットをめくって。
 あの光景は目の奥に焼きついちゃって忘れられない。ヒロコの体は真っ黒で、粘土みたいにどろどろになってて、それがところどころ赤くって黄色くって紫色で、もう……!
 臭いだってすごかった。部屋に入ったときになんだか変だなって思ったのに、どうしてめくっちゃったんだろう。いまだに全然ものが食べられないんだもん。
 なんとか水分だけはとれてるから、大丈夫、生きてるけどね。あのお茶だけは飲めるのよね。柑橘系の香りがさわやかで、そのせいかな。胸の底からウッ、てくるあの感じがしない。ヒロコにもらったお茶だから、なんだか皮肉な話なんだけどさあ。
 でもヒロコのことで、しみじみ考えちゃった。
 ヒロコってば、実家の両親とほとんど連絡を取り合ってなかった。もともと喧嘩するとすぐ音信不通になっちゃう子だったけど、実家相手にもそれをやってて、だからご両親も三週間くらい連絡がつかないのはあたりまえで、まさか死んでるなんて思わなかったらしい。もちろん友達は言わずもがな。
 そんなことしてなけりゃ、あんなになる前に見つけてもらえたのになあ、って。
 それで自分のことも考えたのね。あたしも一人暮らしだし。もしあたしが突然死んだら、誰か見つけてくれる……?
 家族や友達とのつながりは、大事にしなくちゃ。
 今のところあたしには、そういう人が何人かはいる。この間インフルで寝込んだら、友達や会社の同僚から何通もメールが入った。心配して訪ねてきてくれた子もいた。持つべきものは友ってか。

 友達が死んだのにこんなこと言ってるなんて、なんだかあたしすっごく冷たいみたいに聞こえるかもね。でも本当のところ、ヒロコが死んで悲しいかどうかっていうと、よく分からない。
 ショックだったのは確か。ヒロコの遺体の様子や、同い年なのに急死とか。でも悲しいというのとはちょっと違う。あたしとヒロコは、なんていうか、とりあえず友達、っていうような間柄だった。
 ヒロコとは、高校と大学が同じだった。でも友達グループはいつも別々で、仲よしだったわけじゃない。卒業後、実家を出て同じ町に住むことになったのもただの偶然。
 最初は二人とも初めての町で、知った人もいないからしょっちゅう合ってた。一緒に飲みに行ったり、お茶したり、お互いの部屋を訪ねたり。だけど本当に仲よくなれる相手なら、学校時代にとっくに友達になってるよね。
 あたしとヒロコは色々違っていた。あたしは小さい会社だけど一応正社員で、昼間働いている。ヒロコはショップ店員とか居酒屋とか色々なバイトを渡り歩いている。
 ヒロコは占いと人気のタレントが出てるテレビドラマが大好きで、あたしはそのどっちも嫌い。
 あたしは、好きな人が現れないんだから恋人なしでもいいやって考えだったけど、ヒロコはクリスマスやバレンタインに一人なんてあり得ないって考える。
 何もかもがそんな感じ。
 それでも決定的に嫌いになる理由はなくて、なんとなくつきあいを続けていた。
 そのつきあいがちょっとウザくなったのは、ヒロコが失恋してからだ。
 ヒロコの元彼をあたしは知らないけど、ヒロコは完全にその彼と結婚するつもりで、彼の部屋に行ったり自分の部屋でかいがいしく手料理をふるまったり、尽くしまくってた。だけど彼はサイテーの男で、最初からほかの女と二股かけてたらしい。
 別れるまでの修羅場についてはヒロコからさんざん聞かされた。毎晩のように電話で、メールで、時には本人が訪ねてきて、泣きながらぐずぐず愚痴を言って、その繰り返し。最初のうちは真面目に慰めてたけど、だんだん面倒くさくなってきたのよね。あたしが残業でくたくたでも、おなかぺこぺこでも、次の日が早出でも、ヒロコはお構いなし。それでウザくなったって、あたしが冷たいとばかり言えないよね?
 そんなわけであたしが嘘の用事をつくったり、電話に出なかったりするうちに、ヒロコはあの人に出会った。
 あの人──〈アゲハの会〉の会長さん。

 ヒロコは元彼と別れるときに(もしかしたら相手の女にも)ブスだって言われたらしくて、そのことをものすごく気にしてた。
「うんと綺麗になって見返してやるんだ。振って失敗したって思わせてやる」
 そういうときだけ泣き止んで、ぎりぎり歯を鳴らしてた。確かにヒロコは、言っちゃ悪いけどおたふく顔で美人じゃなかった。でもその執念みたいなのの方が怖かったよ。イッちゃってる感じで。
 そんなヒロコだから、会長さんの説にコロッとまいっちゃったのも、当然と言えば当然かも。会長さんの説っていうのは、
「女は誰でも遺伝子レベルで美しい」
というもの。〈アゲハの会〉はその美しい遺伝子を目覚めさせるお手伝いをするサークルなんだとか。
 うさんくさ、て思うでしょ。高い壺買わされたりするタイプの商売なんじゃないの?
 遠回しにそう言うと、ヒロコはものすごく怒った。なんでも会長さんて人も昔はヒロコと同じような経験をしたんだけど、一念発起して変身して、今はすごい美人なんだって。それをバカにするのかって。
 で、なんだかんだ言い合ってるうちに、じゃあ一度会の集まりに来てみろってことになっちゃった。
 まずいことになったなーって悩んだわよ。よくあるじゃない、宗教とかマルチの勧誘とかで。前後左右取り囲んで無理やり契約させたり高いもの買わせたりする奴。でも後へは引けないし、ヒロコがおかしなものに取り込まれてるならやっぱり放っておけないしね。
 当日はかーなり緊張して集まりに出かけていった。絶対負けるもんか、ってね。
 それで結果はどうだったかっていうと。
 拍子抜け。
 会場っていうのは会長さんが借りてるらしいマンションの一室で、高級なワンルームって感じの場所。そこに会のメンバーが集まってた。ヒロコのほかに五、六人いたかな。世話役みたいなちょっと年上の女の人が一人と、あとはあたしやヒロコと同じくらいの年の女の子。
 ヒロコがあたしをメンバーに紹介して、その後何か講習会でも始まるのかと思ったら、何もないの。お茶飲んでお菓子食べて、だべってるだけ。
 本当にそれだけ。
 世話役の人がファッションとメイクのレクチャーする時間が少しはあったけど、内容は雑誌に書いてあるようなことばっかりで、あれで目が覚めるような美女に変身できるとは思えない。来てる女の子たちも、普っ通ーの子たちだったしね。
 それらしいところといえば、会長さんのことみんなものすごく尊敬してるって感じがしたことかな。ほとんど崇拝みたいな。
 会長さんは少し遅れて現れたんだけど、彼女が来たらみんな態度が変わったのよ。ほら、男の集団の中に美女が一人紛れ込んだような状態、って言ったら想像つく?
 ヒロコもほかの女の子たちも、うっとり熱い目になって、会長さんの手の上げ下ろしの一つ一つまで追っかけて舐めるように見つめてんの。会長さんが何か言うと、うんうんと溜息漏らしながらうなずいたりね。
 会長さんの美女ぶりについては、予想以上だった。お肌が白くてそのくせほんのり桜色で、鼻筋がすっとまっすぐで、唇がふっくらして、大きな目は少し灰色がかってて。ほんとにいるのよねー、あんなフェロモンが出てるような美女が。
 ヒロコたちがあんなにあがめちゃう気持ち、ちょっとだけ分かったような気がした。
 会長さんは、あたしが新顔だったからなのか、疑ってるのが表に出てたのか知らないけど、あたしに色々話しかけてくれて、会の趣旨を説明してくれた(あたしが話しかけられてる間の、ほかの女の子の目線が怖かったよーまじで)。
 そのときに、会長さんの昔の写真とやらも見せてくれた。こんなに変われるのよ、っていう意味で。
 ……うん、まあね。
 その写真見て目が覚めたよ、あたしは。
 それまで、ちょっとは会長さんにぼうっとなってたかもしれない。
 別人。あの写真、絶対別人。
 みんな絶対騙されてる。
 公平に言えば、写真の人には目鼻のちょっとした特徴なんかに会長さんと似たところがあって、まったくの他人じゃないと思う。姉妹とか従姉妹とか、そんなのかな。だから会長さんの説も完全にデタラメとは言い切れないかもしれないけど……。
 けど、根本的に解体して作り直さないと、ああは変わらないでしょ、ってくらい違う。
 だけどそんなこと言える雰囲気じゃない。言ったらまじ女の子たちに殺されそう。針みたいな視線がビンビン突き刺さってくる。冷や汗かいてすごいですねーって笑うしかなかった。
 そういうちょっとアレなところはあったけど、ヒロコを会から無理やり引き離すこともないか……とも思った。言ってることは怪しいけど、別にお金を巻き上げられてるふうもないし。やってることはお茶飲んでるだけだし。
 そうそう、お茶と言えばね、あたしがヒロコにもらったお茶、って言ったでしょ。柑橘系ののどごしの茶。ここで出たのがそれなの。ヒロコが会長さんにいっぱいもらってきて、あたしにも分けてくれた。ハーブティーなんだけど、美味しいのよね。
 このお茶をもらえるだけでも〈アゲハの会〉悪くないかなーって。
 それに……ヒロコが〈アゲハの会〉に夢中になっててくれたら、あたしが解放される──って、そんな思いもちょっとあった。ヒロコの愚痴攻撃にはほんとに疲れてたから。
 それで、放っとくことにしたの。
 その後もヒロコからは何度か──自分が綺麗になった気がするとか、ダイエットの効果とか、会へのお誘いとか、そんな内容のメールが来てたけど、みんなスルーした。
 後悔……してる。
 あたしが本当にヒロコの「友達」だったなら。
 あんな死に方させずにすんだかもしれない。

 ヒロコが死んでから一か月くらいして、あたしは〈アゲハの会〉のマンションを訪ねた。
 ヒロコのお葬式に〈アゲハの会〉の人はだあれも来なかった。もしかしたらヒロコが死んじゃったことも知らないのかもしれない。
 あたしは〈アゲハの会〉の人に──会長さんに、ヒロコが死んだことを知らせたかった。ヒロコがあれだけ憧れてた会長さんに、せめてお線香の一本でも上げてほしい。そんな気持ちだった。
 だけどヒロコのことを少しでも思い出すと、一緒にあのひどい遺体のことも思い出して吐いてしまって、なかなか動けなかったのね。一か月もかかっちゃったのは、そのせい。
 本当は今でもちょっと……なんだけど。
 インターフォンを押すと、会長さん本人が出てきて、部屋に入れてくれた。この日は会の集まりはないらしくて、会長さん一人だった。
 あたしが事情を話すと会長さんは、ヒロコが死んだことは知ってたけど、実家の場所が分からなくてお葬式に行けなかったのだと言った。
「とっても可哀想なことをしたわ」
 会長さんはそう言って、大きな灰色の目からはらはらと涙をこぼした。
「あの子はわたしの言うことを一番よく聞いてくれた。あの子ならきっとそれは綺麗になれたのに。これからだったのに。可哀想に」
 会長さんの涙を見て、あたしはやっぱり知らせに来てよかったと思った。なんだか気持ちが盛り上がって、あたしも一緒に泣いちゃった。
 会長さんと、いつか一緒にヒロコにお線香を上げに行こうって約束をした。それからおいとましようとしたら、会長さんが突然あたしに尋ねてきた。
「そういえば、あなたご存じないかしら」
「何ですか?」
「お茶のことよ。ヒロコさんに二か月分くらい葉を預けてたんだけど、一か月前に亡くなられたのならずいぶん余ってるはずよね。ご実家へ持って帰られたのかしら」
 盛り上がってた気持ちが急に白けた。まさか返してほしいって言う気かしら。なんてセコい。
「それ、多分あたしが頂いちゃったんだと思います。ごめんなさい」
 会長さんはちょっと息を呑んで、びっくりしたみたいにあたしをまじまじと見つめた。あたしの言い方に険があったのかもしれない。しまったと思ったけど、会長さんが気にしたのはそこじゃなかった。
「頂いた、って……飲んだの? 全部?」
「はい。だからお返しはできませんけどお代は払います。おいくらですか」
「ああ、お代なんていいのよ。ただ……」
 会長さんは手を伸ばして、掌であたしの頬を撫でた。
 あたしはぎょっとして固まった。会長さんの手は、氷みたいに冷たかった。
「一か月、飲み続けたのね。じゃああなたも蛹になるかもね。ちゃんと羽化できることを祈るわ。くれぐれもヒロコさんみたいにならないように……」

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 あれから一週間たつ。
 まだ何も起きていない。起きるはずがない。
 なのに会長さんの言ったことが、気になって仕方がない。
 あの会の名は〈アゲハの会〉だった。アゲハチョウの幼虫は柑橘類の葉を食べて蛹になり、やがて羽化して蝶になる。冴えない芋虫の幼虫がまったく形の違う蝶に変身するのは不思議だけれど、蛹になっている間、幼虫はいったん体をドロドロに溶かして新たに作り直すんだそうだ。そんなことしてもきちんとあの羽のある蝶の形になれるように遺伝子で決まっている、らしい。
 遺伝子レベルで美しいと決まっている──会長さんの説。
 ドロドロに体を溶かして、また作り直して。
 ……ヒロコの死体。
 ああ、やめてよ。そんなことあるわけない。
 人間にチョウチョと同じことが起きるなんて。あんなお茶の葉のせいで。会長さんが言ったのは、きっと嫌がらせ。からかったのに違いない。
 だって、ばかばかしいじゃない?
 あたしが見つけたとき、ヒロコが実はまだ生きてたかもしれないなんて。
 あたしがブランケットを剥いだせいで死んでしまったかもしれないなんて。
 そんなこと考えるなんて、どうかしてる。

 あたしは寝る前に鏡をじっくり見るようになった。
 大丈夫。何にも変わってない。
 眠っている間に体が溶け出したりなんかしない。
 呪文みたいにそう呟いてから、ベッドに入る。
 会長さんみたいな美人になれるんなら、溶けたって構わない。けど。
 あたしには、倒れたら訪ねてきてくれる友達がいる。
 どうかどうか──あたしが溶けている間に誰かが訪ねてきたりしませんように。

〈了〉

青木和プロフィール


青木和既刊
『くもの厄介4
 鈴ヶ森慕情』