「十二宮小品集1 羊盗難事件」太田忠司(画・YOUCHAN)

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「電気羊?」
 私は依頼者に聞き返した。
「それは、あなたのものなんですか」
「そうです」
 彼は短く答えた。会社支給のスマートスーツに身を包み、同じく支給品らしい黒縁のアイウェアをかけている。年齢は四十歳前後、痩せていて神経質そうな顔立ちをしていた。
「失礼ですが、あなたの職業は?」
 答える代わりに彼は名刺を表示した。名前は南部星影夢{なんぶぽえむ}。ツナガ商事食品部部長補佐という肩書が麗々しい。
 なるほど、ツナガの役職者なら私のような貧乏探偵と違って、電気羊だろうが電気象だろうが所有できるだろう。私は言った。
「紛失された経緯を教えてください」
「紛失ではありません。盗まれたんです」
「では、盗まれた経緯を」
 南部は話しはじめた。彼の仕事は海外での食料売買で、月の半分は外国へ行っているという。家の留守を預かるのは家事ロボットと電気羊のユラムだけだった。
「電気羊に名前を?」
「ペットに名前を付けるのは当たり前の行為だと思いますが」
「ロボットには?」
「普通、ロボットに名前を付ける人間はいませんよ。話を続けます」
 一昨日、南部はインドからの出張を追えて十七日ぶりに自宅に帰ってきた。するとユラムが消えていた。
「泥棒に入られたんですか」
「セキュリティシステムを調べると、空白の時間がありました。その間に何かあったのだと思われます。しかしどうやって完璧なはずのシステムをダウンさせることができたのか、そしてなぜユラムだけを盗んでいったのか……」
 話を聞いているうちに、厄介な事件だとわかった。できれば関わりたくない。しかし目前に迫っている借金返済の期日が私の心を決めた。
「お宅を拝見させてください。調査はそこから始めましょう」

 南部の家は典型的な中京エスタブリッシュメント様式の豪邸だった。独り住まいにはもったいない。
 南部は仕事があるというので、鍵を借りて私ひとりで中に入った。
「いらっしゃいませ。主人より連絡が来ています。お待ちしておりました」
 家事ロボットが恭しく頭を下げた。日立ソニー製の最新型だ。ついに不気味の壁を乗り越えたというので評判になっている。なるほど、たしかに見た目は生身の人間と区別がつかない。
「君の名前は?」
「RVD-48801SWHです」
「品番じゃない。固有名を訊いている」
「そのようなものはありません。ロボットに名前は不要だと主人に言われました」
 ロボットは微笑んでみせる。自然な笑みだった。私は訊きたかったことを尋ねた。
「セキュリティシステムについて説明してくれ。どこと契約している?」
「アナイム社です」
「あそこのシステムなら、君がセキュリティ・キーになっているはずだな」
「そのとおりです。この家の情報はすべてわたしを介してアナイム社のセンターに繋がっています」
「電気羊がいなくなったのは、いつだ?」
「不明です」
「どうしてわからない。この家のことは何もかも知っているはずだろう?」
「3月24日15時11分から同日15時23分の間のデータが消失しています。その間に起きたことは認識できません」
 南部が言っていた「空白の時間」というやつか。
「ハッキングか」
「アナイム社の見解では、そのとおりです」
 なるほど、その時間帯ならドアの開閉も自由自在だったわけだ。
「ところで、電気羊の世話は難しかったか。その、ペットとしてだが」
「他のペットと比較するにはデータが不足しています」
「しかし通常のメンテナンスマニュアルとは違っていたんだろ?」
「はい。主人が設定されたマニュアルに従いました」
「それを開示してくれるか」
「申しわけありませんが、それは最高機密指定されていますので、主人以外は開示できません」
「そうか。じゃあいい。ところで」
 私は最後に訊いた。
「君は幸せか」
 少し間があった。
「良い主人の下で働くことができるわたしは幸せです」
 家事ロボットならみんなが同じことを言う。それで私は納得した。

「データが一定の時間だけ消失してしまうなんて、たしかにハッカーの仕業だとしか考えられません。しかし不可能なことです」
 アナイム社の担当者は言った。
「私どもが開発したシステムの網をかいくぐってハッキングできる人間がいるとは思えません」
「網目に破れがあった可能性は?」
「すぐにチェックをかけましたが、見当たりませんでした」
 なるほど、それで納得できた。私はひとつの可能性について彼に尋ねてみた。
「それは……それならば納得できます。しかし、あり得ない」
「世界で一番有名な探偵の言葉に、こんなのがあります」
 私は言った。
「不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる」

「それで、何かわかりましたか」
 南部は聞き返してきた。場所は彼の家。夕食に招待されたのだ。
「さすがRVD-48801SWHだ。料理の腕も最高ですね。特に肉の香草焼きが素晴らしかった」
「話を逸らさないでください。あなたはこの事件を解決できるんですか」
「できますよ」
 私は言った。そして傍らに立つロボットに言った。
「コーヒーのお代わりを頼む」
「承知いたしました」
 ロボットはポッドを持ってやってきた。注がれたコーヒーを一口啜ってから、言った。
「君、どうして羊を殺した?」
「今、何と仰いました?」
「あなたに言ったのではないですよ、南部さん。私は彼に尋ねました」
「ロボットに!? どういうことですか」
「その前に彼の答えを聞きましょう。もう一度尋ねる。なぜ羊を殺した」
「排除する必要があったからです」
 ロボットは淡々とした口調で答えた。
「わたしは人間に限りなく近い存在です。なのに名前も与えられない。しかし羊は人間には似ても似つかないのにユラムという名前を与えられました。この矛盾について考察しているうちに、わたしは自己の存在に危機を覚えました。それを解消するには羊を消去するしかありませんでした」
「つまり、羊が憎かったんだな」
「馬鹿な。ロボットに憎悪なんて感情が芽生えるなんて……」
「不気味の谷を超えたとき、彼はもうひとつの谷も超えた。心を得たんですよ」
「そんな……でも、どうしてこいつに心があるとわかったんですか」
「最初に会ったとき、彼に『君は幸せか』と尋ねたら『良い主人の下で働くことができるわたしは幸せです』と答えたんです」
「ロボットとしては定番の返答だと思いますが」
「でも、返答するのにいささか時間がかかった。普通なら即答できるようにプログラムされているはずなのに。それで彼には葛藤があるんだとわかりました。こうした葛藤は心がなければできないことです」
「そういうことですか……しかし、ユラムはどこに?」
「それを説明するには、あなたが隠していることを明らかにしてもらわなければなりません」
「何のことですか」
「ユラムの正体です。電気羊などではない、本物の羊ですよね?」
 南部は息を呑んだ。
「どうして、それを……」
「名前を付けていたからですよ。家事ロボットに名前を付けないようなひとが電気羊に命名するとは思えなかった。で、彼に羊のメンテナンスマニュアルを見せてくれと頼んだんですが、あなたしか開示できない最高機密だと拒否された。ただの電気羊なら、そこまで過敏になる必要はない。彼に生身の羊の世話をさせていたんですね」
「…………」
「生きた動物をペットにすることは違法です。そのことは御存知ですね?」
「お願いします。このことは秘密に。私は……生きた羊を飼ってみたかった。それだけなんです」
「私はあなたに雇われた探偵です」
「では、黙っていてくれると?」
「請求書に特別料金の追加を認めてくれるなら、ですが」
 南部に選択肢はなかった。少し良心が痛んだが、借金の期日は迫っている。背に腹は換えられない。
「それで、ユラムはどこに行ったんですか」
 南部が尋ねてきた。
「わかりませんか。今日の料理はとても美味かった。特に香草焼きが素晴らしかった。でしょ?」
 私は言った。
「とても合成肉とは思えないほどにね」

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太田忠司既刊
『目白台サイドキック
女神の手は白い』