「バタイユ・クトゥルー・ロックンロール」吉川良太郎

(PDFバージョン:bataiyukuturu_yosikawaryoutarou

「Eye Baloon」(The Museum of Modern Art, New York)
オディロン・ルドン(Odilon Redon, 1840-1916)

 えー。今回はジョルジュ・バタイユの話をします。
と言ったところで「お、ついにバタイユの話か!」と喜ぶ人がどれだけいるのかと書き始めてから思い至り、もう三行目でなにやってんのぼくはとまたしても自問せざるを得ないのですが。しかもそれを問うとバタイユ研究に費やしたぼくの青春が全否定されてじっと手を見てしまうのですが(あ、生命線も短いよ!)
しかし「知らないことを知りたい」という知的好奇心、これこそ現代の読書界から、特に若者の読書体験から失われて久しいものではないのか。本や映画の感想を聞かれて「深く考えさせられる内容だった」と人が言うときはたいてい深く考えてなんかいない。賭けてもいいが一年いや半年もしたら覚えていない。大体は「すでに知っている」こと、つまり「あなたがすでに持っている人間観・世界観を再肯定して安心させてくれる内容」がほとんどだからだ。さらに言えばそれは「多くの人が認めている=だから安心」なものだったりもするので、「○○サイコ―!」と映画館ロビーでお客がインタビューに答えるCMにイラッとする映画ファンは多いそうだが、しかしあれは実は大変に正しいのである。安心と快楽がないところに誰が金と時間を費やすのだ。お客様は神様であり、神は無謬である。
しかし、ぼくは問いたい。
読者に未知の世界を示し、そうした硬直した思考をブチ壊し、新鮮な風が吹き抜ける風穴を開ける。みなが分別と勘違いしている思考停止を揺るがし、退屈で窮屈な常識の檻から解き放つ。それがSFの、センス・オブ・ワンダーの力ではなかったのか!? なかったのか! そうか! やめよう!!!!

気を取り直して続けよう。ジョルジュ・バタイユとは誰か。
二十世紀初頭から半ばにかけて活躍したフランスの思想家である。
と紹介したいところだが、またしても迷ってしまう。なんで迷うのかというと、この先生、なんでもやってたからだ。
本職は国立図書館の司書(フランスではエリート公務員)であり、業績を見れば思想家、小説家、詩人、編集者、宗教家。文芸評論を書き、経済学を論じ、考古学を論じ、社会学研究会なるサークルを作り反ファシズム運動を展開し、哲学者や芸術家を集めて「神なき宗教」を模索する秘密結社『アセファル』を主宰した(余談だがパリ留学時代の若き岡本太郎も参加していた。バタイユの思想は「太陽の塔」にも影響を与えているという)。
ちなみに小説の処女作であり代表作とされている作品『眼球譚』は別名義で発表したポルノ小説で、ノイローゼの治療のため医師に勧められて書いたものだ(あまりに難解な作品でいわゆるポルノの用は成してない気もするが)このころからフロイト流の精神分析にも興味を示す。
と並べてみても、つながりがあるような、ないような。
結局あなたなんなのよと最初の問いに戻ってしまう。
いったい彼はなにを探していたんだろう。なにを探しているのか自体がわからなかったのか? いや、違う。彼の問いが描く軌跡をなぞってみよう。すると彼の抱えた謎の輪郭が浮かび上がってくる。
哲学、宗教学、考古学、経済学、社会学、精神分析学。そして文学。
すべてがこの問いでつながる。すなわち――
「人間とは何者か」

 ここから先ちょっと難解かもしれないので、面倒な人は読み飛ばしていただきたい。
ジョルジュ・バタイユ。「バタイユ」はフランス語の一般名詞では「戦争」を意味する。フランスではさほど珍しい姓ではないし、たぶん遠い御先祖が軍人だったとかいうだけの話だろうと思うが、彼の人生と思索が常に戦争とともにあったことを考えると暗示的だ。
バタイユが物心つくころ、すでに重度の梅毒が進行していた父親が全身不随になり、やがて発狂する。十六歳のころ、第一次世界大戦が勃発。幼い彼に強烈なトラウマを残した父の発狂、またこのとき戦火の迫る故郷に病んだ父を置き去りにした経験が、彼の心に強く刻印されたことは後に書く小説『眼球譚』からうかがわれる。
十九で従軍。復員後、廃墟と化した故郷ランスに焼け残ったノートルダム大聖堂(ちなみにジャンヌ・ダルクがシャルル六世を戴冠させた史跡だ)を前にある種の見神体験をし、信仰によってフランスの若者たちを鼓舞するパンフレット『ランスの大聖堂』を自費出版する。
パリ国立図書館に就職。そのころから精神を病み、狂ったように飲む打つ買うにのめりこむ。それは快楽よりほとんど破滅の衝動に近かった。精神科医の勧めで処女小説『眼球譚』を執筆。やがて棄教。特異な思想家としてのキャリアをスタートする。
(四十代で第二次大戦を経験。これも彼の思想を深化させる要素なのだが今回は割愛する)

ヨーロッパ人にとって第一次大戦は重大な意味を持つ。それは、近代の行き着いた果てのその戦争によって、十八世紀の啓蒙の時代以来ずっと信じてきた「理性と科学への信頼」が一挙に崩壊した大事件だったからだ。
いや正確に言えば壊れたのは「世界観」だろうか。近代が営々と築いてきた理性的科学的世界観。あるいは科学という思想。いずれ科学は世界を知り尽くし支配できる。ユートピアだって実現できる。今にして思えば無邪気で素朴なその信頼は、一度完全に、徹底的に壊れたのだった。世界は(少なくともヨーロッパは、ひいては欧化した世界は)背骨をへし折られたも同然だった。
世界が、理性が壊れていく様を、バタイユはその目で二重に見た――父の発狂によって、大戦によって。
壊れてしまった世界を、彼はまず信仰で建て直そうとした。でもダメだった。
では、どうしたか?――その奥へ進んでみた。世界の、人間の深奥へ。
大戦が近代理性をぶっ壊して、巨大な狂気がその裂け目から姿をのぞかせた。しかし誰もが、一度見てしまったそれを見なかったことにして、世界の裂け目を縫い合わせようと右往左往していた。その裂け目にみずから踏み込んでいった人間はわずかながら存在するが、もっとも奥深くまで踏み込んだ人間はバタイユの他にぼくは知らない。文学で哲学で経済学で考古学で、あの手この手で。それは手探りでの探求だった。
バタイユ自身はその思想をしばしば「低い唯物論」と呼んだ。「低い」とは、うわべに隠された世界の深層を、あるいは精神分析でいう精神の奥底――無意識の世界を意味する。フロイトやユングが狂気の源泉と、同時に生命力の源と看破した、内なるマグマのような存在だ。
人間は古代から世界を、人間自身を理解しようとしてきた。古くは宗教、近代では理性や科学によって。しかしどんな宗教も思想も、そうした世界の深層を、人間の奥底を支配できない。たぶん永遠にできないのだろう。そこにあるのはマグマのような無秩序と狂気であり、それはあまりにも圧倒的な存在だから。

 さて、ここまで読んで何か気づかれないだろうか?
あるいは、ある人物を思い出さないだろうか?
 ついに人間には征服されざる世界。世界の奥底に潜む巨大で圧倒的な狂気……
 バタイユが処女作『眼球譚』を書いていた同時期(1926年ごろ)、海を越えたアメリカである作家も代表作となる作品を発表している。
 H・P・ラヴクラフト『クトゥルーの呼び声』(1928年)である。

 続くかもしれない。

吉川良太郎プロフィール


吉川良太郎既刊
『SF JACK』