(PDFバージョン:korunukopia3_yamagutiyuu)
未来世界、なのだろうか?
青い、青い空の下、灰白色の巨大な建造物がいくつも天空に向かって伸びている。その姿は異様で、さながら蟻塚のようだ。が、細部を良く見てみると、均整の取れた直線と曲線から成り立っており、人工物だと分かる。細部は人工物のように均整が取れているが、全体のデザインが成っていないために、遠目には歪と映るもののようだ。
そこを行き交う人々は、一応、人間に見える。一応、というのは、皆、全身をすっぽり覆うスリムな宇宙服のようなものを身につけており、顔面は黒いフェイスプレートで覆われているからだ。だから、ここにいる人々について確かなことが言えるとすれば、それは、人間と同じような形をしている、ということだけだ。
だが、きちんと人間のような姿が見て取れる者もいる。現代とは異なるが、ちゃんと頭の露出した服のようなものを着て、男、女などの性別も判別できる。が、彼等、彼女らは、いるとしても僅かで、皆、一様に、宇宙服のようなものを着た、人間かどうか判別できない者たちに付き従っている。その人間様(よう)の者たちの割合は、全体のおよそ一割に満たないだろう。
「nvoae, fah ajg, nobvah sreth fgogb wtn. vpbgarva foaqry」
不意に、そんな言葉が聞こえた。いや、意味が分からない言葉だから、私にとっては言葉ではなく単なる音だ。けれど、私は、はっと振り向く。
いや、振り向いたのは私ではない。私は誰かの夢か記憶の中にいて、その「誰か」が振り向いたのだ。
そこには、やはりスリムな宇宙服のようなものを着た、人間とは判別できない者がいた。
その者に対し、この視界の主である「誰か」は深々とお辞儀する。服従の印のようだ。とすると、この宇宙服の個体は、「誰か」の主人なのか。
「vnaoifgtl valnor ghnlnv fgogbar. fgofbarva, lsdf;a oajrmoi ajg lnws lgthy wtnar」
主人は、そう告げた。その瞬間、「誰か」は深い悲しみに包まれたようだ。
「valnor ghnlnvar novae wtn」
「誰か」はそう答えた。それを聞いて、宇宙服に包まれた主人は、何の感慨も感情も見せない仕草のまま、くるりと振り向き、去って行った。
いや。「残念だよ」、という意味の仕草らしきものは見えた。それは感情の表象と言ってもいいのかもしれない。だが、そこには何ら葛藤は見られず、故に豊かな感情とは言いがたい。
「誰か」は、ふらふらと力が抜けたように、その場にへたり込んだ――ようだ。そして、呆然としたまま、周りを見渡す。その視界の端に、ショウウィンドウがあった。いや、そうやって使われるものだろうと、その透明な板の向こうに陳列された商品らしきものたちから、私が推測しているだけだが。
その透明な板に、「誰か」の姿が映り込んでいた。
それは、ピアだった。
私ははっとして、目を覚ます。
いったいこれは何だったのだ。ピアの記憶?
とすると、あの世界はピアの生まれた世界なのだろうか……?
「ご不快なものを見せてしまったでしょうか?」
不意に傍らで声がする。
私のベッドの、布団の中から、もそりとピアが起き上がってきた。
「な……あんたどこで寝てんのよ!」
しかもいつも着用しているメイド服は着用に及んでおらず、ベビードールのようなものを着ているだけだ。
「……あなたが……寂しそうにしていたから……こうやって添い寝することをお望みかな……と思ったものですから」
「却下。男ならともかく」
つい口をついてそんな言葉が出てしまう。しまった、「男ならともかく」なんて余分だ。
「ならば、男になりましょうか? それをお望みとは、あまり気付かなくて……」
ピアが申し訳なさそうな顔で、すぐにでも姿を変えそうな素振りだったので、私は慌てて言った。
「なし! それはなし!」
「では、女のままで?」
上目遣いに私の表情を見つめる。必死に、私の願望或いは欲望を読み取ろうとするように。
「私はそういう嗜好は持ってない、却下」
「はあ……そうですか……」
ピアは残念そうにため息をつく。
「それよりも……さっきの、私が見た夢……やっぱりあんたの記憶なの?」
ピアは確かに、『ご不快なものを見せてしまった』と言った。普通なら、記憶を共有するなんてフィクションの話でしかないが、ピア絡みだとどんなフィクションもノンフィクションに成り得るから困る。
ピアは顔を背けた。いつも明るく振る舞い、まっすぐに私を見つめてくるピアにしては、異常とも言える仕草。
「そうです」
そっと、呟くように言う。
「あれは、どこなの……?」
「あなた方と同じように、人類種が覇権を握ったDブレーン世界における太陽系第三惑星です。あそこでは、その惑星は、地球ではなく、ghuurv、と呼ばれてましたけど」
「Dブレーンが複数あるモデルは有り得るとして、そこにも太陽系があるっていうのはよく分からないわ」
「Dブレーンというのはソリトンの一種ですから、何かの拍子に枝分かれすることもあるんです。結構頻繁に起こってますよ。恒常的な分岐はそれほど頻繁ではないですけれど」
ソリトンの卑近な一例は水面の波だ。構成要素は水分子で、次々に移り変わるが、それ自体が一様の形を持って存在する。ソリトンは、構成要素によっては、宇宙になったりもする――一部の学説では。とはいえ、波が何かの拍子にその形を保ったまま分岐するのは受け入れるとして、宇宙もそうだというのは論理の飛躍に聞こえる。が、ピアの「実力」をいやというほど見せつけられている私は、それを否定することもできない。
「刺激的な理論ね」
だから、私はそう一言皮肉を言った後、話題を矮小な方向に戻すことにした。
「で、その分岐したっていうDブレーンの中での話だけど……。あなた、なんだか、主人に暇を出されたメイドみたいだった」
「まさにそのとおりです……あのとき、私のご主人様は言いました。『私はもう充分に満足しているから、お前は要らない』と」
「『充分に満足しているから、要らない』……」
「そうです」
屈辱のような感情を、ピアの顔は帯びた。
「尤も、意識してそう仰ったのではないでしょうけれど。ご主人様の肉体の生存にとって、もはや私のような者は不要になった、そういうことでしょう」
「意識?」
「ああ……簡単なことですよ。あなた方のような人類種にせよ、他の種族にせよ、知的生命体が、あなた方が『意識』と呼ぶような神経系上の機構を進化の過程で備える理由はいつも一つです。従来以上に複雑な状況に対応し、生存し続けること。知的生命体の社会が一定以上の複雑さを帯びるとそういう機構が共通して現れるようです」
「意識、ね……」
私はピアの言葉を反芻するように繰り返す。
「でも、あの社会は非常に高度に見えたけど? 意識はまだなかったの?」
「いいえ。まだなかった、のではなく、一度持っていたそれを再び失っただけです」
「再び、失った……なぜ……!」
それは、私にとっては全く関わりないであろう世界のことではあったが、衝撃だった。意識とは、私そのものだ。人間と動物の区別がつかないような古代にそれがなかったのは簡単に受け入れられるが、あんな高度な文明でそれがなくなったなんて、信じられない。
「理由は簡単ですよ。……私たちが居たからです。あの世界の人々にとって、社会には何ら複雑なことはありませんでした。意識せずに生存し得るほどに。意識しなくても、全ての本能を充足できるほどに。だから徐々に退化していったのです、意識という機構が」
全ての願望を叶えるコルヌコピア・タイプのロボットたち。私に対して示したように、このロボットは、人間の言葉ではなく表情だけでその願望を読み取り得る。そんなロボットに囲まれていては、意識を要するような複雑なことは何もなくなっていくだろう。意識を持たずに言語を操るというのは奇異に聞こえるが、赤ん坊やひどい酔っ払いはその例と言えるかも知れない。ピアの話を受け入れるとして、だが。
私は内面で一応、そのように納得をし、話題を本筋に戻す。正直、ピアの話に興味があった。
「じゃあ、暇を出されたのは……」
「もう要らない、と主人の無意識が判断したんでしょう。あの社会においては、本能的な願望は既に完全に充たされていました。ごくごく小数のコルヌコピアが存在するだけで、全構成員の本能的な願望を充足することは容易です……。それ以上の願望が存在し得るとしたら、それは生存のような本能的な願望とは何ら関わりの無い……飽くなき知識欲や冒険欲、好奇心……そんなものに成らざるを得ません……すべて、意識がなければ生まれ得ないものです」
「それで、用済みになった……と」
「そうです……」
ピアはため息をついた。ため息……ロボットには必要ないものだろうが、おそらく表情豊かに見せるためにそうしているのだろう。願望が充足されないことに対する渇きと、それを主人である私に見せなくてはならないという屈辱。そうした葛藤が垣間見えるような、実に感情豊かなため息だ。
そう言えば、私と出会ってから、ピアは細かい仕草や表情、感情の示し方がどんどん豊かになっている。私がそれを望んだからだろうか。つまり共に暮らす存在が無機質なものではなく、感情豊かであれと、無意識に望んだからだろうか。
或いは、ピアはもともと豊かな感情を持っているのかも知れない。ピアの言うところを借りれば、本能的な欲望が充足しないことが意識を持つ条件だ。そして、ピアは到底、本能的な欲望――つまりは人間の願望を叶えること――に充足しているようには見えない。ならばピアが意識や、願望や、それらに起因する豊かな感情を持っていたとして、何ら不思議はないだろう。
「あたしたちコルヌコピア・タイプのロボットにとって、願望を持つ存在は貴重です。ですがそれは、知的生命体の文明進化の過程のほんの一時期にしか現れないのです。社会が複雑になって以後から、あたしたちのような存在を創造する以前の、その、ほんの僅かな間にしか。だから、そういうタイミングにある文明には、挙(こぞ)ってあたしたちのような存在がやってきます。あの世界、ghuurvは、そうやって、早期に意識を喪失した一例です……本来なら、あと数百年は、意識を保ったままだったはずなのですが……。あたしたちはそれをひどく悔い、それからは、一つの文明世界に集中しすぎないように互いに取り決めました。この世界には、あたしがやってきたから、もう他のコルヌコピアはやってこないはずです。他の子は他の子で、自分の世界を見出すでしょう」
「何せ、一〇〇兆ぐらいいるんだもんね、あんたたちが到達可能な世界に、そういう知的生命体は」
最初に出会った頃のピアの言葉を思い出し、私は言った。ピアは肩を竦める。
「一〇〇兆を、多いとお思いですか……? そうした文明世界の基本的な構成員は、少なくとも一〇〇億ぐらいはいます。だから文明世界の数に直せば一〇〇〇個にしかならない。一方で、コルヌコピア・タイプのロボットがどれだけいると思います? 成熟した諸文明から『用無し』のレッテルを貼られてあぶれ、放浪しているあたしたちのようなロボットが?」
「もしかして、無数にいるの?」
「数え切れないほど」
ピアはゆっくりと四つん這いなって、私の方へ這い寄ってきた。そして、私の腰にしがみつく。
これは、私は望んでいない。とすればピアの望み?
私はじっとピアを見つめながら、疑問を抱く。
「お願いです……どうか、欲望を失わないで……あたしからあなたにお願いをするのはルール違反ですが……どうか……これからもあたしに願望をぶつけてください……たくさんの願望を……」
「じゃあまずは離れようか、私から」
私は醒めた表情で命じる。
「は、はい! 喜んで!」
ぎこちない笑顔で離れるピアの頭に、私は手を置いた。艶やかな髪の感触が心地良い。
「それと、ありがとう」
「はい?」
「また私の願望を読み取ってくれたんでしょう? あんたの正体が知りたい、っていう。話すの嫌だったでしょうに」
「いえ、そんな……。ご主人様のお望みですから。お気に召しましたか?」
首を傾げ、慎ましやかに尋ねる。
「アンケートの答えは③よ」
そう優しく教えてやりながらも、やはりこいつらは悪魔だという考えは消せない。一つの文明世界から、人間の意識をそっくり消し去るような存在を、悪魔でなくて何と呼べば良いのだろう。
けれど、儚くかわいそうな悪魔ではあるのかもしれない、と思い始めていた。
山口優既刊
『シンギュラリティ・コンクェスト
女神の誓約(ちかひ)』