「帝国よりも大きくゆるやかに」伊野隆之

(PDFバージョン:teikokuyorimo_inotakayuki
 6月5日更新のprologue Waveから、エクリプス・フェイズというRPGの世界で小説を書くという企画が始まっており、その中に、「ザイオン・イン・アン・オクトモーフ」という作品で参加している。僕の「ザイオン」は、岡和田晃さんの紹介とともに、6月20日の更新で公開されているので、是非、読んで欲しい。
 ところで、この「エクリプス・フェイズ」企画のスタートと同時に「NEOについて」というページができている。NEO(Next Entertainment Order:次世代娯楽騎士団)とは、そのページにも書かれているとおり、「日本SF新人賞+小松左京賞の新人賞組で、SFを盛り上げよう!」というグループだ。
 NEOは、二年ほど前に、先代のSF作家クラブ事務局長の井上雅彦さんと、面倒見がよく機動力のある片理誠さんの話から始まった。新人賞の休止に対する危機感が一つの動機にもなっているようで、このあたりは、片理誠さんのコラム「Prologue Wave」にも触れられている。
 当時、ぽっと出の新人だった(まあ、今もそうだが)僕は、右も左もわからない状態で、誰かの後ろについて行った方がいいに違いないという、ある種の生存本能に近い判断で、「参加させて下さい!」と手を挙げたものだった。最初の実質的なお披露目がTOKON10だったから、あれから二年、いろいろと楽しませて頂いたなぁ、という感じである。
 TOKON10でパネルをやるというキックオフで、客観的に言えば司会の荒巻先生に発破をかけられっぱなしだったかもしれないけれど、他の新人賞受賞者の人たちの考えに触れ、そんな中での自分の立ち位置を確認できたことに加え、荒巻、山野両重鎮のSFへの熱い想いを聞くだけでも貴重な体験だった。
 最初が派手?だったこともあり、「ところでNEOってなにやってるの?」というような話もあったようだ。たぶん、片理さんは、歯がゆい思いをしていたに違いない。いろいろとやっているのに、あまりはっきりと説明できない。そんな状況だったからである。
 結局、作家は最後は作家個人としての業績が残るのみであり、そこに至るまでNEOが介在しようがするまいが、読者や出版社にとってはどうでもいい。また、出口がはっきりしないまま、とりあえず走ってみよう、というようなときには、対外的になにも言えないということになる。そんなことが意外と多いから、「なにやってるの?」に答えることは、実は難しい状況だった。
 今回、「NEOについて」というページができたことは、NEOの活動を知らしめる意味で、大きな意味があると想う。現在、NEOのページには「エクリプス・フェイズ」と「BOX Air」が活動成果として掲載されている。「エクリプス」の方はシェアワールドのようなものであり、「BOX」は作家個人の参加である。NEOを媒介にして、多様なアウトプットが出てくるということで、いいサンプルになっているのではないかと思う。
 デビューしてみて気づいたことだが、表に出るまでのリードタイムが長く、出口が確定しなかったりする企画が、意外と多い印象である。SFに限らず、出版を巡る環境が変革期にあることも、こういった状況に拍車をかけているのかも知れない。NEOのプロジェクトは、こんな理由もあって、これから追加になるものもある予定なので、ご期待を乞いたい。
 もう一つ、「NEOについて」というページができた意味として、「誰がNEOなのか?」という問いへの答えという面がある。作家は、本来的に作家個人の実力勝負である。それに、自分の作品に長時間向き合うことが仕事の作家は、本質的には一匹狼であり、群でいることが好き/得意だとは思えない。だから、新人賞組ではあっても、NEOであることに違和感を覚える人もいたようなのだ。もともと、TOKON10の時に、物理的に参加できない人もいたし、全員に参加意思を確認というようなこともできなかったこともあって、「NEOforTOKON10」ということにしてあった。言ってみれば曖昧戦略である。つまり、「誰がNEOなのか?」については、「参加したらNEOでいいじゃん」というファジーな整理で始まったわけだが、一方で、自分で意図せずにNEOで一くくりにされることへの違和感に対しての配慮ができていない状態だった。今回のNEOのページには、全員が合意した上で名前が出ているので、「だれがNEOか?」については、「今のところ」という前提つきながら、ずいぶんすっきりした結果になっていると思う。
 ところで、「SF創作集団」といっても、必ず全員で何かをやるということではない。おもしろそうなプロジェクトがあり、それがNEOで共有され、手を挙げることでプロジェクト参加者が決まる感じだから、具体的なプロジェクトへの参加は、各個人の意志にゆだねられているし、プロジェクト自体がNEOのメンバー以外にも開かれていることもある。その意味で、NEOは、一つのチャンネルとして機能していると言えるだろう。
 NEOにはいろいろなメンバーがいる。小説書きが本質的に孤独な作業であると言っても、互いに刺激になるだろうし、予期せぬ相互作用もあるだろう。いろんな意味で情報交換ができるという面もある。そんな中から、互いに背景を共有する「エクリプス・フェイズ」ような企画も出てくる。英語圏のSFでは当たり前な合作や、テーマアンソロジーと言った展開も、将来的にはおもしろそうだ。これからのNEOがどうなるか、一参加者としても非常に楽しみなのである。
 ところで、作家が一人一人でそれぞれの小説世界という王国を持っているとしたら、その王国を束ねれば、帝国よりも大きくなるかも知れない。もちろん別々の王国だから、連合関係は緩やかなものになあるはずだ。ということで、この小文のタイトルが、「帝国よりも大きくゆるやかに」となったわけである。こじつけめいているが、NEOもまた、帝国よりも大きく、緩やかな連携を持って発展していけばいいと思う。
 気がついている人も多いと想うが、このタイトルは、僕のオリジナルではなく、ル=グインの短編小説のタイトルだ。ル=グインのハイニッシュユニヴァースを構成する多くの作品は、ひとつの宇宙に拡散した人類の多様性を見事に描き出した作品群である。

伊野隆之プロフィール


伊野隆之既刊
『樹環惑星
――ダイビング・オパリア――』