「犯罪のない街」宮野由梨香

(PDFバージョン:hannzainonaimati_miyanoyurika
「引っ越してきたばかりだなんて、そんなこと、理由になりませんよ。この街にお住まいになる以上は、この街の条例に従っていただかないと」
と、やってきた警官は言った。
「まず、玄関には、五つ以上のカギをかけて下さい」
「五つの鍵を毎日かけるんですか?」
「慣れれば、どうということはありませんよ。そして、家の中は、ドアごとに三つ。これも必ずお願いします。……今まで全くやっていなかったんですか?」
「トイレ以外に、鍵をかけたことなんかありません」
「困りますね。あ、トイレと風呂は玄関と同じく五つ以上です。無防備になる場所ですからね」
「入るごとに五つの鍵を開けたり閉めたりするんですか?」
「もちろんです。街の条例ですから」
 善人(よしひと)はあきれた。
 この街には、昨日、引っ越してきたのだが、一晩眠って、目覚めてみたら、荷物の中からいろいろなものが消えていた。鞄の中の財布はもちろん、洗濯機まで運び去られていた。
 あわてて一一〇番をしたら、やってきた警官に「条例違反」を指摘されたのだ。
「それって、あまりにも煩雑じゃありませんか。ウチには小学生の子供もいるんですよ」
「そうですか。それは、きちんと躾けていただきたいですね」
「トイレや風呂に入るごとに、五つの鍵を開けたりかけたりしろと、躾けるんですか?」
「もちろんです。お子さんはつい怠りがちですからね。居間から出る時にも、子供部屋に入る時にも、必ず鍵を開け閉めさせて下さい」
「それって、無理じゃないですか!」
「この条例は、皆さまの安全な生活を守るためにあるのですよ。安全な生活を送りたかったら、条例を守って下さい。現に、条例をきちんと守らないから、寝ている間に泥棒に入られたりするんですよ」
 悪いのはお前だと言わんばかりの警官の態度に、善人はつい声を荒げてしまう。 
「だったら、この家には、どうして、もともとそういった鍵が付いていなかったんですか? 前の持ち主も条例違反をしていたんですか?」
 警官はこともなげに答えた。
「いや、ちょうど半年目だったんでしょう」
「はい?」
「鍵は全部、半年に一度、取り換えないと、条例違反になりますからね」
「部屋の鍵も全部ですか?」
「もちろん、全部です」
       〇
 犯罪発生率ゼロを誇る平和な街……そう聞いていた。その街で、引っ越しそうそう、こんな目に遭おうとは!
 なんて運が悪いんだろうと思っていた。朝、目を覚まして、犯罪にあったことを発見したときは「これで、この街の犯罪発生率はゼロではなくなったと考えた。
 だが、それは、大きな間違いだったのだ。
       〇
「洗濯機が持ち去られたですって?」
 警官は、あきれたように叫んだ。
「この街に洗濯機は持ち込み禁止ですよ。ご存知なかったんですか?」
 開いた口がふさがらないのはこっちだと、善人は思った。
「どうして、持ち込み禁止なんですか?」
「電気製品は、ほぼすべて、持ち込み禁止ですよ。漏電したりすると危ないですし、環境汚染のもとですし、どれも無くては生活できないことはないものでしょう? 」
「この街では、みんなが洗濯板でも使って、洗濯しているんですか?」
「いや、すべてクリーニングに出したっていいんですよ」
 善人は絶句した。
「トータルすると、かなりの額になりますね。今は現金をお持ちでないでしょうから、後で振り込んで下さいね」
 警官は書類を差し出した。六ケタの数字が並んでいる。
「何ですか、これは?」
「条例違反金ですよ」
「はい?」
「まだ、一回目ですから、この程度で済んでいます。二回目からは、この三倍くらいになりますよ」
       〇
 多分、こうして、被害に遭っても誰も届けなくなったのだ。「犯罪被害者」と認定されるためには、いっさい条例違反をしていてはならない。条例違反をしている者が被害に遭うのは本人の「落ち度」である。だから、「犯罪」はない。
 たとえば、「空き巣」に入られた場合、「被害」を認定されるには、家の中のすべての鍵を半年以内に取り換えたという証明書が必要である。そして、その日、全部の鍵をすべてかけたことを証明する人間が、家族以外に二人必要である。もちろん、家の中に「条例違反」の物があってはならない。
       〇
 善人はこの街が「犯罪発生率ゼロ」となったいきさつを調べてみた。
 十年ほど前に、街が独自に「条例設定」ができることになったのは、誰でもが知っている。その当時は、日本国憲法の内容と矛盾する内容の解釈をめぐって裁判沙汰になったりもしたのだが、地方自治の観点から、最高裁が「街の条例」を多く認める判決を出した頃から、流れが変わった。
 この街は、早くから「成果主義」を導入し「数値目標」を定めた。それは、毎年、更新されなくてはならない。犯罪率の低下を目指す数値目標はついにゼロとなり、そうなってからは、それを保つように努力するしかなくなった。
 結果、街は「無法地帯」と化した。
 この街では、殺人だって日常的に起こっている。もちろん、それは、殺される方の落ち度の結果であるから仕方がないのである。
                            (おわり)

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