(PDFバージョン:kanachoro_takahasikiriya)
長い雨があがって、久しぶりによく晴れた春の日のことです。
かなちょろが一匹、草地のはじっこの平たい石の上でひなたぼっこしていました。
かなちょろは小さなトカゲです。トカゲは、寒くなると体が冷えてしまうので、こんなよいお天気の日には、かならず体をあたために出てくるのでした。
おひさまにてらされて、ちょうどいいぐあいにじんわりあたたかくなった石に、おなかをぺったりおしつけ、かなちょろはぬくぬくと目を閉じていました。
それを、じっとねらっているものがいました。草地のケヤキの木にとまったカラスです。
カラスは、ねらいをさだめると、一直線にまいおりました。
おどろいたのはかなちょろです。突然の黒い影に、あわててしっぽを切って逃げました。
切りはなされたしっぽは、しばらくぴちぴちと飛びはねていました。それがしっぽの役割です。しっぽが生きもののように動いて、敵の目をあざむいているうちに本体が逃げる、それがかなちょろのような小さな小さなトカゲの作戦でした。
けれど場所が悪かったのです。
しっぽは切りはなされると同時に、平たい石の上からすべりおち、草と石のあいだにはまってしまったのです。
かなちょろの本体が逃げたことをしっぽは知りません。自分の役割をはたそうと、精一杯、ぴちぴちと動いていました。
やがて、しっぽは、動くのをやめました。
そしてそっとあたりをうかがいました。カラスは行ってしまいました。かなちょろもいません。
「ぶじに、逃げたのかな?」
しっぽは思いました。
それなら、しっぽの役割はおしまいです。
でも本当のしっぽの役割は、かなちょろの本体のかわりに食べられることなのです。もうカラスはいません。
どうしよう、と思いました。
しっぽは、ただのしっぽですから、歩けません。いつも、体のあとにくっついて、ゆらゆらゆれたり、くるっと丸まったり、長くのびたりしていただけでした。
しっぽは、急に、心細くなりました。
なんだか、自分が自分でないような気持ちになりました。
今までは頭からしっぽまであって、かなちょろだったのですから。今はただのしっぽです。かなちょろが、ただの「ちょろ」になってしまったようなものでした。
さて、どうしよう、と思いました。
草と石の間にはさまったまま、考えました。
見上げると、春のあたたかい日ざしがまぶしい、いいお天気です。
水色の空の遠くには白い雲も見えます。すぐそこに黄色いタンポポがゆれています。
しっぽはついさっきまで、いつもかなちょろの足の後ろがわばかり見ていました。前を見たくても、体がじゃまで見えませんでした。でもその体は、もうありません。
見はらしはよくなったのに、心は晴れません。
思い浮かぶのは、かなちょろの体のことばかりです。
もしかして、しっぽが草と石の間にはまっていた間にカラスに食べられてしまったのかもしれないと思い、それからすぐに、いややっぱりきっと逃げたのにちがいない、と思いました。
逃げていたら、今ごろ、どこか別の石の上で、またひなたぼっこしているでしょう。同じ空を見上げて、しっぽのことを思い出しているかもしれません。
かなちょろの体も、ちょろが取れて、ただの「かな」になってしまったような、心細さを感じているのでしょうか。
取れてしまったしっぽのことを思い出すこともあるのでしょうか。
あるといいような、ないほうがいいような、なんともいえない気持ちになりました。
そのうちに、切りくちが、ちくんちくんと痛くなってきました。
ぴちぴちはねていたときは夢中でしたから、痛さを感じるよゆうもありませんでした。
トカゲがしっぽを切っても血はでません。血も出ず、痛みもないように、ぽろりと取れるようになっているのです。
それでも、ほんとうはちょっとは痛いのです。
かなちょろの体も、しっぽの取れたところが、ちくんちくん痛むのでしょうか。
そう思ったら、たまらなくなりました。
かなちょろの体がどうしているのか、気になって気になって、じっとしていられません。
「だれか、だれかいませんか!」
しっぽは、ひかえめに、呼んでみましたが、誰もこたえません。
タンポポの上をぶんぶん飛んでいたハチが、ちらとしっぽを見おろしました。しっぽは、ハチにたずねました。
「さっき、カラスが来たのを見ましたか?」
ハチは、花のみつを集めるのにいそがしそうです。
「かなちょろを見ませんでしたか?」
もういちどたずねてみましたが、ハチは何にも答えず、飛んでいってしまいました。
しっぽは、くやしくてくねくね動こうとして、はっとしました。
さっきより動けなくなっています。
ためしにぴちぴち飛びはねてみましたが、のたのた動いただけでした。
そのうちに固まって動けなくなってしまうでしょう。そのまえに、こんな草と石の間にはさまっていたのでは、かなちょろがここにもどってきても気づかないで通り過ぎてしまうかもしれません。
しっぽは、ひっしに動きました。生きのいい動きに見えるよう、一生懸命飛びはねました。こうしていれば誰かが気づいてくれるでしょう。
もうくたくたになるほど動いたころ、一羽の若いモズが平たい石の上にまいおりました。
しっぽは動くのをやめて、モズを見上げました。
「お願いがあるんです」
モズは、びっくりした顔でしっぽを見おろしました。しっぽは最後の力をふりしぼってたのみました。
「かなちょろを見ませんでしたか?」
モズは、首を振りました。
「いや、見ませんでしたよ」
「そうですか」
その声があまりにがっかりとしずんでいたからでしょう。モズは、一歩近づき、そろそろと問いかけました。
「どうかしたんですか?」
「はぐれてしまったんです」としっぽは、モズにうったえました。
「カラスにねらわれて、ほらこのとおり、体とわかれたんですが、かんじんの体がぶじかどうか確かめないことには、わたしはもう死んでも死にきれないんです」
切々としたうったえに、心を動かされたのでしょう。モズは、もう一歩近づいて、
「そうですか。それはお気の毒に」
と、丸い黒い目で、しっぽをじっとながめました。
見られてしっぽは、なぜかむずむずとしましたが、がまんしていました。
ふと、モズが、にっこりとほほえみました。
「いいことを思いつきました」
「なんでしょうか」
「あなたは、かなちょろの体をさがしたいのでしょう? でもそんなところにはまっていたのでは、いつまでたっても見つかりっこありません。だったら、高いところからさがせばいいんです。わたしたち鳥のように、空の高いところから見おろせば、かなちょろなんて、どこにかくれても丸見えです」
「それはいい」と喜んだのもつかのま、しっぽははたと気づきました。
「どうやって高いところに行けばいけばいいんでしょうか」
「あんじることはありません。わたしが連れて行ってあげましょう」
「ああ、ありがとうございます」
しっぽは涙をながさんばかりに喜びました。
モズは、そっとしっぽをくわえると、さっと飛び立ちました。
はじめて飛ぶ空に、しっぽは気が遠くなりそうになるのを、ひっしにがまんしました。
モズは、草地のケヤキの木の枝に止まりました。
しっぽを口にくわえたまま、たずねます。
「ただ置いたのでは落ちてしまいますから、ちょっとさしておきますよ。大丈夫ですか」
「はい、どうぞ」
木の枝にさされて、ちくりと痛んで、またかなちょろの体のことを思い出しました。
モズは、少し離れた枝に止まって、しっぽをながめました。
「ほら、下を見てごらんなさい。よく見えるでしょう」
「わあ! ほんとうだ!」
草地のぜんぶがすっかり見えました。ひなたぼっこをした平たい石も、ここから見ればなるほど丸見えです。
いつもよくさんぽしていた土手までよく見えます。どこかにかなちょろがいるかもしれません。
夢中になってさがしているうちに、いつのまにかモズはいなくなっていました。
しっぽは毎日、草地のすみからすみまで目をこらして、かなちょろをさがしました。
平たい石の上も。草のすきまも。土手のさんぽ道も。
晴れの日も。くもりの日も、雨の日も。……くもりの日や雨の日は、体が冷えてしまうので、かなちょろのようなトカゲはあまり出歩かないものなのですが。
長い雨の日が続き、それから暑い夏がやってきました。
草地にも、こぼれた種から、ひまわりが咲きました。
ケヤキの木は緑の葉をどんどんいっぱいにしげらせていきました。そのうちにしっぽも、すっかり葉っぱにかこまれてしまいました。固くなってしまったしっぽはもう動けませんでしたが、それでも精一杯のびて、葉っぱのかげから草地を見ていました。
ちょろりとうごく姿に、かなちょろだと思ったら、よく見ると、ちいさな草ヘビでした。トノサマガエルは、ぴょんと飛ぶので最初から違うとわかります。おんぶバッタに、こおろぎ。ハタネズミ。
ときどき、イヌがやってきて、あちこちくんくんかいでいきます。
イモリや、ヤモリも見かけましたが、かなちょろは見かけませんでした。
やがて、秋が来て、ケヤキの葉も、はらはらと舞い落ちていきました。
空気が冷たくすきとおり、空の青さがいっそう深くなっていきました。
すっかり葉を落としたケヤキの木の枝で、しっぽは、まだかなちょろをさがしていました。
一日ごとに、寒くなっていきます。虫やヘビやいろいろな生き物がいた草地も、茶色にかれて、動くものも見かけなくなっていました。
ヘビやカエルはもう冬眠してしまったのでしょう。
死んでカラカラになったコオロギが、北風に吹かれて、平たい石の上をころころ転がっていきました。
ある晴れた冬の日、鳥の羽ばたきがして、気づくと、モズがしっぽを見ていました。
「かなちょろは見つかりましたか?」
言われるまで、あのモズだと気づきませんでした。若いモズは、ひと夏をすぎて、すっかり大きくたくましくなっていたのでした。
「いえ。それがまだなんです」
その答えを聞いたモズはがっかりと肩をおとしました。しっぽはあわてて付けくわえました。
「でも、もうすぐ見つかると思います。夏は葉っぱがしげって見えなかったんです。でも今はほら、こんなによく見えますから」
「そうですよね。きっと見つかりますよね」
モズはなぜか恥ずかしそうに笑いました。
それからは、ときどき、モズがやってきました。
「かなちょろは見つかりましたか?」
「いえ、まだですが、すぐ見つかるはずです」
広場には雪がつもって、一面真っ白になりました。
雪の上をイヌがあるいて、足あとが点々とつきました。それからまた雪がふり、足あとを消しました。
またモズがやってきました。
「かなちょろは見つかりましたか?」
いつのまにかモズの様子はずいぶん変わっていました。げっそりやせていました。美しく生えそろった羽はつやをなくし、たくましく引きしまった体は、骨と皮しかないくらいやせこけていました。
「いえ……」とこたえようとしたしっぽは、ようやく気づきました。
かなちょろの体とわかれていらい、ずっと何か途中のままのような気がしていました。
でも、かなちょろが生きていれば、いまごろ、もうとうに、新しいしっぽが生えているはず。切り口の痛みは、しばらくすれば、新しく生えてくるむずむず感にかわります。きりくちに新しく生えたしっぽは、もうすっかりもとのしっぽより大きくなっているでしょう。
しっぽは自分を見ました。
からからでしわしわの干からびた、しっぽでした。
かなちょろとわかれたしっぽに、何かできることがあるのでしょうか。
しっぽは、モズに向き直りました。
「とうとうかなちょろに会えました」
モズは、「そうですか」とつぶやき、目をそらしました。
かなちょろは、「モズさん」と呼びかけました。
「ありがとうございます。今日まで待ってくれてありがとうございました」
モズは、ちらと顔を上げました。するどいくちばしがカチカチとなりました。
かなちょろは、ちょっとだけこわくなりました。
「できるだけ痛くないようにおねがいしますよ」
モズは、大きくうなずきました。
「ええ、ひと飲みで、ひと飲みですから」
モズは、からからに固くなったしっぽをくわえると、木の枝から外し、大きく口をあけて、飲みこみました。
モズにとっては二週間ぶりの食事でした。
初めて冬をむかえる若いモズは、雪がつもってから一度もえものをつかまえることができないでいました。今日、何も食べられなかったら、うえ死にするところでした。
モズの腹のなかで、かたいしっぽがふやけてとけて、じんわりあたたかくなりました。
モズは、そういえばずっと昔に同じ味のなにかを食べたような、と思いました。
でもそれは、とかげでも、かなちょろでもない、なにかでした。
そうです。しっぽのないかなちょろは、一見、かなちょろには見えないのでした。
春の晴れた日、カラスから逃げたかなちょろは、そのあとすぐに、若いモズにつかまって腹の中におさまったのでした。
しっぽは、同じ腹の中で、かなちょろの体に会えました。
そんなことも知らず、モズは、小さくつぶやきました。
「ああ、助かった」
そして満足そうにほほえみました。
「あせって食べずに待っていてよかった」
お礼を言ったしっぽのうれしそうな姿を思い出し、ほんとうに、待ってよかったと思ったのでした。
了
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