(PDFバージョン:sirononakanootoko_ootatadasi)
雷鳴が聞こえた。
聳え立つ城は稲妻に照らされて一瞬その姿を露わにしたかと思うと、すぐ闇と雨の中に紛れ込んでしまう。だがその一瞬で、私は城の全容を脳裏に焼き付けた。
城門の跳ね橋は上げられている。
「城壁を登るか、それとも裏手に廻ってみるか」
金剛が言った。その名の元となっている黄金の金剛杖を手に城を見上げている。身の丈二メートルを越す偉丈夫だ。
「正面突破といきましょう」
応じたのはバーバチカ。黒いタンクトップとジーンズという軽装の女性だが、侮ってはいけない。小柄ではあるが充分に鍛えられた体は、あらゆる武道に精通している。
私はふたりの意見を検討し、結論した。
「堂々と正門から入ろう」
肩に止まっている鳥に手を伸ばした。
「迦楼羅、頼むぞ」
迦楼羅はチタンの羽を広げると、雨の中を飛び立った。
「あんな小鳥に任せて大丈夫か」
金剛が不満げに言ったのは、自分の意見が容れられなかったからだろうか。私は返事をせず、成果を待った。
程なく跳ね橋が下がりはじめた。
「行こうか」
我々は橋を渡って城に入った。入口付近に門を守っていたらしい兵の残骸が朽ちていた。どの胸にも迦楼羅が放った銀の矢が突き立っている。聖呪文を封じた矢は生ける屍を土塊へと変えていた。
「見ろ、大勢お出ましだ」
金剛が指差す先に亡者の群れが迫っていた。
「先に行かせてもらうぞ!」
身の丈と同じ長さの杖を振り回しながら、金剛は群れに突進していく。
「あたしの分、残しといてよ」
言いながらバーバチカは聖布を自分の拳に巻き付けた。私も刀の柄に手を置いた。
戦いは呆気なく終わった。百ほどもいたであろう亡者たちは、金剛の杖とバーバチカの拳、そして私の刀の前に塵と化した。
「体を温めるには、いい運動だったな」
金剛は杖を地面に突きたてた。
「次はいよいよ、大将ね」
バーバチカは聖布を巻きなおす。
私は稲妻に照らされる塔に眼を向けた。その頂上に、あいつはいるはずだ。
「行くぞ」
私たち三人は塔へと向かった。
途中、敵の攻撃はなかった。いささか拍子抜けするほどあっさりと、登りつめることができた。
そこは贅を尽くした部屋だった。世界中から集めたとおぼしい調度や装飾品が並べられている。その中に置かれた玉を散りばめた豪勢な椅子に、ひとりの男が腰掛けていた。チャコールグレーのスーツを着込み、髪はきっちり七三に分けている。メタルフレームの眼鏡にレジメンタルのネクタイ。いささか顔が青白いことを除けば、どこにでもいそうなサラリーマンだった。
「おまえが冥府の王と呼ばれた男か」
私は訝りながら尋ねた。男は片眉をかすかに上げて、
「冥府、ですか。いや、そのように呼ばれたことは、たしかにありますな。もっとも私は自分が住んでいた場所を、そのような名で呼んだことはありませんが。むしろあなたがたの住む世界のほうが冥府、幽界、あの世と呼んで差し支えない場所のように思われますね」
「御託を並べるな。この吸血鬼が!」
金剛が杖を突きつけた。
「貴様も今すぐ成敗してくれるわ」
「成敗とは穏やかではありませんね。私が何をしたと言うんです?」
「とぼけるな! 近隣の村を襲い、人々の血を吸って生ける亡者を次々と造り出したこと、忘れたとは言わせんぞ」
「そのことですか。たしかに私どもはあなたがたの精を吸収して力を得ています。また精を抜かれた者が死と生の狭間に堕ちてしまうことも否定はしません。しかしそれが滅ぼされなければならないほどの罪でしょうか。私どもはあなたがたとは違った形ではあっても、生を持っています。その生を長らえようとするのは自然の摂理でしょう。その過程で犠牲が生まれるのもまた、世の理というものです。あなたがたも他の生き物を殺して食料としている。同じことですよ」
「人間と他の生き物を一緒にしないでよ」
バーバチカが言った。
「あたしたちには運命に抗う力があるわ。あんたたち化け物と戦う力がね」
「おまえたちの跳梁によって、我等人間の歴史は一時、終わりかけた」
私は言った。
「圧倒的な力の前に為す術もなく、滅亡の坂を転がり堕ちていくしかなかった。だが今、我等には力がある。おまえたちを滅ぼせるだけの力がな。それを今、見せてやる」
私は刀を抜いた。
「待て。ここは俺にやらせろ」
金剛が私を制した。そして杖を構え、にやりと笑む。
「覚悟せいや!」
一閃。金剛杖は男の脳天に振り下ろされた。
卵を割るように頭部が砕かれ、男は頽れていく。
「ふっ、呆気ないな」
金剛は唇の端で笑った。が、その笑みは不意に凍りついた。
頭の潰れた男が、身を起こしたのだ。
――やれやれ、いきなり頭を失くされてしまっては、ゆっくり喋ることもできないですね。
その声は、直接頭に飛び込んできた。
「貴様、生きているのか!?」
金剛は当惑している。その巨体の前にバーバチカが立った。
「なにドジなことしてるの。吸血鬼って言えば急所はひとつと決まってるでしょう」
そう言った次の瞬間、彼女の拳が一直線に男の胸――心臓を貫いた。
が、男は倒れなかった。胸に開いた穴を、男は確かめるように指でなぞる。
――これはまた盛大にやってくれましたね。おかげで大切なスーツが台無しだ。
「まさか……そんな」
バーバチカは後退った。私は彼女の前に立った。
「往生際の悪い奴め。引導を渡してやる」
刀を抜くと、一気に切り伏せた。男の体が斜めに切り裂かれ、どうと倒れる。すかさず刀を突きたて、床に縫いつけた。
さすがに男の体は動かなくなった。
「終わったな。これで奴らの時代も――」
――終わりませんよ。
声がした。
――我々の時代は、まだまだ続きます。あなた方と共にね。
「おまえ……まだ死なんのかっ!」
私は倒れている男の体を滅多刺しにした。
――無駄ですよ。器を壊しても私を殺したことにはならない。
「器、だと!? おまえの本体はこれではないというのか。どこだ、どこにいる?」
――我々はどこにでもいます。夜の闇、梢の震え、雨の滴、どこにでも。
「おまえたちは……何者だ?」
――難しい質問ですね。しかし、あえて単純明快に説明しましょう。我々は、あなたがたの天敵です。
「天敵?」
――そう、あなたがたは地上の秩序を破壊し生態系を崩壊させようとしている。それを阻止するため、使わされたのですよ。
「誰からだ?」
――それも難しいですね。でも、ざっくりと言えばあなたがたがかつて「神」と呼んでいた存在です。
「神だと? そんなものを信じろというのか」
――信じなくとも結構。あなたがどう思おうと私はここにいます。我々の使命は繁殖しすぎたあなたがたの個体数を減らすことです。ただ最近少しばかりやりすぎて、あなたがたを滅亡させそうになってしまった。なので「神」はあなたがたに、我々と対抗できる武器を与えた。それが聖呪文です。おかげで形成逆転。あなたのように、我々を狩ることを楽しみにするような者まで現れてしまった。しかしね、聖呪文は万能ではありません。私のような存在にはね。
「……では、人間はおまえたちに勝つことはできんというのか」
――言ったでしょう。我々はあなたがたの天敵だと。生態系において天敵は捕食するものより個体数が少なくなくてはならない。増えすぎた分は、あなたがたが狩ればいい。しかし、根絶やしにすることはできません。
床に倒れた男は自らを貫いている刀を抜き取ると、立ちあがった。傷はみるみる塞がり、潰れた頭部も元通りになる。
「さて、充分に楽しまれたでしょう。今日のところはお帰りなさい。それとも、私と再度戦って死と生の狭間に堕ちますか」
私は何も言えなかった。芽生えた恐怖を覆い隠すのに必死だった。金剛もバーバチカも、似たようなものらしい。身動きでできないでいる。聖呪文が通用しない今、私たちは無力だった。
「あなたがたが楽しみで戦えるような敵は、これからも生まれてきます。私が用意しますよ。それでせいぜい自分たちの生を楽しんでください。私はそんなあなたたちのことを好いているんですから。そう、あなたがたが自分の食料を愛でるようにね」
男は、私たちに一礼した。
「それでは、また。お帰りは、あちらです」
太田忠司既刊
『奇談蒐集家』