(PDFバージョン:wagako_iinofumihiko)
井之妖彦が庭を掘り起こすと、地中から壺が出てきた。蓋を開けた途端、中から盛りのついたような泣き声がする。壺の中には赤ん坊がいた。
なぜこんなところに赤ん坊が――と驚かない訳がない。けれども、そのままにしておくこともできず、壺から赤ん坊を取りだした。何も身につけておらず、全身、紅を落とした柔らかい水飴のような液体でおおわれている。あたかもたった今、生まれ落ちたばかりのような有り様だった。
首からかけていたタオルで、小さな身体を包んでやった。赤ん坊は妖彦の腕の中で、さかんに泣きじゃくる。
困ったな。どうしよう。庭に立ち尽くしていると、泣き声が聞こえたらしい。母屋の玄関から、老母が出てきた。
「おやおや、純子さんもどったのかい」
純子というのは、初産を間近に控え、実家に戻っている妖彦の妻だった。そろそろ予定日も近いので、妖彦も出向こうと想っていたのである。
「まだ戻るわけないじゃないか。それより、この赤ん坊だけど――」
妖彦が言い終えるより先に、老母は妖彦の腕から赤ん坊を奪った。
「まあまあ目も鼻も、お前の生まれたときに瓜二つだよ」
「ちょっと、待ってよ。その赤ん坊は――」
だが老母は妖彦の言葉も聞かず、
「お父さん。初孫ですよ。お父さん」
と声をあげながら、赤ん坊を抱いたまま母屋に戻っていく。後を追おうとしたとき、妖彦の携帯が鳴った。純子の母親からだった。
「妖彦さん。赤ん坊が消えたの」
「消えたって?」
「それが……」
純子の陣痛が激しくなったので、タクシーで掛かり付けの産科に向かった。これは生まれる、と分娩室に入り、いよいよ出産というとき、忽然と赤ん坊が消えたというのだった。
なぜ、妻が出産というとき、妖彦が庭を掘ったかについても、ふれておく必要があるだろう。実は夢を見たのである。ここ掘れワンワンではないが、夢の中で白い犬が、古くから家の敷地内にあるバレーボール大の石の下を夢中で掘り返そうとしていた。
目が覚めても、その光景が妙に脳裏に残っていた。これは何かのお告げかもしれない、と想い、物置からスコップを取りだしてきて、穴を掘ったのだった。
妖彦の家は、実家の敷地内にある。純子と結婚したとき、畑だった場所に新居を建てたのだった。
◇ ◇
血液やらDNAやら細かく検査したところ、赤ん坊は妖彦と純子の子にまちがいないとなった。細かいことを言っても、仕方がない。それで医者と向こうの両親、妖彦と純子だけの秘密にした。
子はすくすくと育った。かわいい女の子だった。我が子のために、妖彦も懸命に仕事に励んだ。ところが娘が三つになって、七五三のお祝いに神社に行ったとき、ちょっと目を話した隙に道路に出て、走ってきたトラックに轢かれた。即死だった。
妖彦は仕事もせず、酒に溺れた。純子のほうが、立ち直りがはやく見えた。娘の一周忌を終えたとき、彼女のほうから離婚を切り出した。
「ぜったいに別れない」
妖彦は言った。妻は実家に身を寄せた。ひとりになった妖彦は、ますます酒に溺れた。飲みながらも、なぜこんなことになったのかばかり考えていた。
結論はひとつしかない。子供さえいれば何とかなる。子供さえいれば、自分は立ち直れる。そうすれば純子も戻ってくる。子供さえいれば――。
「そうだ。子供をつくろう」
妖彦はふらふらと家を出て、実家との間にある物置に向かった。奥に隠しておいた壺を取りだした。あのとき掘りだした壺である。
自慰して大量の精液を壺の中に放出した。蓋をすると、あの石の下を掘り返し、かつてそうであったように埋めたのだった。
◇ ◇
十月十日後、妖彦は壺を掘り起こした。
中に赤ん坊が居た。抱き上げ、かつてのように母に見せようとしたが、すでにこの世にいないことを想いだしてやめた。
「さて、どうしよう。まずはミルクだ。そうだミルクを買いに行こう」
赤ん坊を抱いて向かったスーパーからの通報で、妖彦は警察に保護された。
彼が抱いていた干からびた赤ん坊の遺体は、検査の結果、以前、純子が妊娠した双子のうちのひとりに間違いないとわかったのであった。
(了)
飯野文彦既刊
『オネアミスの翼
王立宇宙軍』