「叛乱」高槻真樹

(PDFバージョン:hannrann_takatukimaki
 勤め先のコンピュータが叛乱を起こした。いや、冗談とか洒落とかではなくて。
 一日の終わり、複雑な作業を終えた私は、ほっと息をついて作業終了処理の実行ボタンを押した。パソコンを閉じたら、コーヒーでも煎れよう。カチッ。

「本日、あなたの指定する実行プログラムは存在しません」

 機械の冷酷な宣言に、私は凍りついた。そんなはずがあるか。実際こうして立ち上げたプログラムが目の前にある。存在しないというなら何なのだ。私とコンピュータは異なる平行宇宙の存在だとでもいうのか。あなたの指定する実行プログラムのある世界。あなたの指定する実行プログラムのない世界。永遠に分かり合えない二人。いやお前は何を言っているんだ。

 とりあえず気持ちを落ち着けよう。まあ、パソコンなんてこんなもんさ。皆さんも体験があるだろう。
 「212.387.334で回復不可能な障害が発生しました」
 鮮血のような赤バッテンを従えて、有無を言わせぬメッセージが突きつけられる。「回復不可能」というのがまずやるせない。なんということだ。取り返しのつかないことをしてしまった。…でも特に何もしてないんですけど。そもそもどこなんだよ、212.387.334。
 パソコンのエラーメッセージはいつもとても不吉だ。「回復不可能な障害」「深刻なダメージ」「問題の解決方法はありません」お前ら、本当は中にP・K・ディックが入っているんじゃないのか?

 とはいえ、ここまで不吉で意味不明なメッセージは見たことがない。百年ぶりに故郷の星に戻ってみたら、オオサンショウウオに出迎えられたような気分だ。まあ、こういうときは気を取り直してもう一回やってみる。カチッ。

「本日、あなたの指定する実行プログラムは存在しません」

 えーと。落ち着け。これは悪い夢だ…きっと眼を覚ませば…あ、それはなしなし。今日の作業は結構大変だったんだから。カチッ。

「本日、あなたの指定する実行プログラムは存在しません」

 このころになると、だんだん同僚たちが私のパソコンの周囲に集まってきている。ここまでまったりと作業しているようだが、実は私たちの職場では、分単位で各端末での作業内容を次々と降ろしていかなければならない。結構綱渡りのシビアな環境なのだ。そんなところで一台詰まると、大変目立つ。仕事を終えた仲間たちが「何だ何だ」と集まり始め、あっという間に黒山の人だかりである。
 とはいえ私が悪いわけでもない。どついて済む話ならパソコンをどついてやりたい。
 みんなこれほど妙なメッセージは見たことがなく、あそこが悪いんじゃないか、ここが悪いんじゃないかとあれこれ口をはさむ。まあ義理でもとりあえずやってみる。でも残念ながらどれも違うらしい。そうやってあーだこーだやっているうちに、騒ぎを聞きつけた社内サポート班の技術者がやって来た。その場にホッとした雰囲気が流れる。所詮われわれは素人。プロの技術者ならきっと…

 だがしかし。5分。10分。頼みの綱の技術者にも原因がさっぱり分からない。一同に緊張が走る。これはヤバいかも…

 これ以上遅れるとかなり深刻な事態になる。まず時間の確認だ。同僚の一人が、パソコンのタスクバーに常駐している時計をクリックした。よく考えてみれば、時刻表示はクリックしなくても見られる。だが結果的にこれが正解だったのだ。
 時計のアイコンをクリックすると、一緒にカレンダー表記も立ち上がる。皆さんもよくご存知の通りだ。だがそのカレンダーはなんと、一ヶ月先のものだったのである。
 つまり私の端末を事前に触った誰かが、来月のカレンダーをチェックして、そのまま閉じてしまったのだ。おそらく曜日を知ろうとしたのだろう。私ではない。パソコンのカレンダーを確認する習慣がそもそもないからだ。だから原因がまったく分からなかった。つまりパソコンは平行世界へ行っていたのではなく、一ヶ月先の未来へ飛んでいたのだ。だから、一ヶ月も前の作業を処理すると言われて「そんなものはない」と言い張っていたわけだ。

 その日の作業が終わった後、上司が私に言った。
「これってSF小説になんない?」
 …いや、ならないでしょうねえ。私は答えた。ちょっと状況はSFチックだったが、パソコンはもはや完全に日用雑器であり、それだけでSFとしては成立し得ないだろうから。でもまあ、ほとんどSFを読まない人にとっては、1950年代のハードSFみたいなこういうシチュエイションがまだまだSFなんだろうか。そう考えると、ちょっとさびしかった。まだまだ私たちのやることはたくさんあるのかもしれない。

 あ、ところで今回のこの日付ネタ、むしろ現代ではミステリのほうがうまく使えるんじゃないかという気がする。使いたい、という方はぜひ当方までご一報を…あ、いりませんか。そうですか(^^;

高槻真樹プロフィール