【小松左京氏追悼エッセイ】「小松左京さんの思い出」新井素子

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 知の巨人なんて言葉があるけれど、小松さんに対する私の認識は、そんなものではない。あの人は……知の化け物ではないのか。
 小松さんとお話をしたことは何回もあるんだけれど、一番印象的だったのは、何人かでトゥールダルジャンで鴨をご馳走になった時のこと。おい、トゥールダルジャンの鴨だぞ、凄いな、こんなの、小松さんがご馳走してくださるんじゃなきゃ、まず食べられないぞ。(というか、複数の人間をトゥールダルジャンで奢ってくださるって……別の意味で、小松さん、凄い。)そう思ったのに、私は、「御飯大好き、おいしい御飯は人生の意義だっ!」って思っている人間なのに……なのに、不思議な程、この時の鴨の味は覚えていない。それ以上に、この時の小松さんが凄すぎたのだ。
 食事の時の話題は縦横無尽で、でも、科学や文化や哲学や歴史について、小松さんがお詳しいことは私も納得、とはいえ、けど。
 具体的に何だったのかは覚えていないけれど、当時の若者(って、その時私はまだ二十代でした)のはやり言葉や流行、とてもマイナーな話題まで、全部、小松さん、ご存じなの!
 ……何でこの人、こんなことまで知っているんだ? どんな話題でも必ず小松さんが主導権とって、主導権とれる程そんなことに詳しくて、だから、何でこの人、こんなことまで知っているんだ?
 これはもう。教養があるというレベルを超えてる。というか、この小松さんの知識は、すでに『教養』レベルではないっ!(つーか、いらない教養だと思う。そんなもの知っていても何の意味もない雑学を、とにかくやたらと、どこをほじくりかえしても、それでも御存知だったのだ、小松さん。)
 ここまで、何でも、知っている。
 ここまで、何でも、知らないことがない。
 これはもう……一種の、化け物ではないのか。
 『知の巨人』じゃなくて、『知の化け物』。
               ☆
 同時に、もの凄く「情」がある人でもあったと思うのだ。
 私は、星新一さんにみいだしてもらって、作家になった。星新一さんは、私の恩人だ。
 そして、星さんは、同時に、小松さんの盟友でもあった。

 その、星さんが亡くなった時。
 星さんを偲んで、『星ヅルの日』というイベントを開催し、私がその実行委員長を勤めたのだけれど……実は、これ、実質的には、ほとんど小松左京プロデュースだったのだ。
 勿論、私をはじめ、星さんにみいだしてもらったすべての作家は、星さんを偲びたかった。何かやりたかった。でも、できる実力がなかった。そんで、それを許さなかったのが、小松さん。
 『星ヅルの日実行委員会』の実務や会合は、小松左京事務所である『イオ』でやらせていただいて、実際に会場を借りるだの何だのは、みんな、イオや『コマ研(小松左京研究会)』の仕切りである。
 これはもう。どう感謝していいのか判らない。そして、多分小松さんは、感謝されるつもりもまったくなかっただろうと思うのだ。
 ただ、御自分が、盟友である星新一さんを悼みたかっただけ。
 どんだけ。
 どんだけ私は、小松さんに感謝したらいいんだろう。
 どれ程感謝したって、それは、足りないんじゃないかって、私は、思う。
               ☆
 小松左京さん。
 ありがとうございました。
 そして。
 どうか、安らかに、お休みくださいますよう。

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