「ordinary contact~よく有る接触」庄司卓

「あの、ちょっとよろしいですか?」

 駅前の大手チェーン書店で、毎月購入している科学雑誌や天文雑誌数冊とSF関係の書籍を数冊購入した直後、突然、背後から声を掛けられた。
 振り返ると見知った顔が目に入る。中年、いやもう壮年か。50歳くらいの男性が、人なつこい笑みを浮かべて立っていた。
 名前は知らないが顔見知り程度の面識はある。かれこれ一年ほど前に、導入されたばかりの無人レジで難渋していた所を助けた時が初対面だ。その時、男性も俺と同じ科学雑誌や天文雑誌を小脇に抱えており、『趣味が合いますね』と言葉を交わした覚えがある。
 最近、科学雑誌や天文雑誌を店頭で購入する客は多くない。雑誌の方も誌面でさかんに、定期購読を勧めている。俺はちょっとした事情でクレジットカードが使えないので、毎月書店で購入しているが、その度にこの男性も同じ雑誌を購入しているのだ。
 顔が合うと会釈はしているが、無人レジの件を除けば会話らしい会話はした事がない。 半年ほど前に男性が、珍しく国際政治と歴史の本を手に、迷ってるような表情を浮かべていたのを見かけた時、俺から「それ、著者が陰謀論者ですよ。ちゃんとした知見を得たいのなら、止めておいた方が無難です」と注意した事があるくらいか。
 その時も男性は「そうですか。有り難うございます」と丁寧な挨拶を返して、手に取った怪しげな本を書棚に戻した。著者には良い迷惑だろうが、こういう人が妙な陰謀論にはまるのは見ていてつらい。俺にして見れば当然の対応だった。

「あぁ……。何か?」
 俺が抱えている雑誌や本をさっと一瞥して、男性は笑顔のまま言った。
「以前から気になっていたのですが……。趣味以外でも宇宙関係のお仕事を就いておられる、あるいはそういう業務に就いている方にお知り合いがいらっしゃるのでしょうか?」
 質問の意図が見えない。俺はちょっと警戒心を抱いて返答を曖昧に誤魔化す。
「ええ、まぁ。趣味といえば趣味だし、仕事に関係あると言えばそうだし……」
 男性は俺の警戒心を感じ取ったようだ。一度頭を下げた。
「いえ、これは不躾(ぶしつけ)でした。お詫びいたします」
 そして頭を上げると続けた。
「実は折り入ってご相談といいますか、天文宇宙関係の知識がある方に、ご意見を伺いたい事がありまして……」
「俺に? 宇宙や天文関係なら、専門家に聞いた方が早いでしょ?」
「ええ、それはそうなのですが……。専門家以外の一般天文ファン、宇宙ファンのご意見なども伺えればと思いまして」
「変な宗教ではないですよね?」
 俺は苦笑して釘を刺した。
「ええ、それはもう。しかしいささか奇矯なお話と思われるかも知れません。お気に召さないようでしたら、その場で切り上げてくださって構いませんので」
 ちょっと興味が出て来た。しかしここは本屋の店頭だ。長話という訳にもいかない。
「場所を変えてもいいですか? 座って離せる場所にしましょう」
「はい、それはもう。あなた様にお任せします」
 そして男性は如才ない笑みで付け加えた。
「但しまだ日も高いので、食事や飲酒などは……」
「分かってますよ」
 俺はそう言うと、男性を店外に促した。

「人埜《じんの》宇宙《たかひろ》さん」
 男性から渡された名刺にある名前を読み上げた。肩書きや職業、部署は書いていない。連絡先だけフリーメールアドレスで書いてあるだけだ。
 あの後すぐ近くのファミレスへ入った。書店で本や雑誌を購入した後、俺がよく寄る店だ。午後三時過ぎ、そして季節柄、店内では勉強している学生も目に付く。何組か幼児を連れた子供連れも居て、お世辞にも静かとは言えない。もっとも俺はこの賑やかさが気に入っており、またこれだけ人目があれば何かあった時にも逃げやすい。いざとなれば店員や他の客が警察を呼んでくれるのも期待できる。
「宇宙と書いて、たかひろなんですね。珍しい」
「ははは、いわゆるキラキラネームですね」
「子供の時はからかわれたでしょう?」
 俺がそう水を向けても、人埜氏はぎこちない笑みのまま答えなかった。
「ドリンクバーでいいですよね。何か持ってきましょうか?」
 俺は店舗備え付けのタブレット端末を操作してそう尋ねた。
「水でも良いのですが、ただで場所だけ借りるという訳にもいきませんからねえ。私の分は自分で取ってきますよ」
 俺はアメリカンコーヒーを、人埜さんは炭酸水をコップに注いでテーブルに戻る。コーラやソーダ類ならともかく、ドリンクバーでただの炭酸水も珍しいなと思っていると、やにわに人埜さんの方から切り出した。
「先ほども言った通り、ここから先は、かなり奇矯と言いますが、にわかには信じがたいお話になります。なのであくまでフィクション、仮定のお話として聞いた上、ご意見を伺いたく存じます」
 妙に慎重な言い回しに、俺はまた警戒感を強めた。そんな俺に人埜さんは切り出した。
「私、実は宇宙人なんです」
「……はぁ」
 そうとしか言いようが無い。そんな俺の白けた反応に、人埜さんは慌てて言った。
「いや、ですから。そういう設定だと思って下さい。あくまでフィクション、仮定だと思って下さい。その上で、私が宇宙人だと知ったら、まず何を質問しますか?」
「ええと……。宇宙人というとグレイみたいなのとか、レプティリアンみたいな爬虫類人間を想像すると思うのですが」
 人埜さんは笑みを浮かべたままで答えた。
「それは最近ですね。もうちょっと前は、もっと人間、地球人に近い宇宙人、異星人が想像されていたと思います」
 俺は人埜さんの出で立ちをよく観察してみた。ブルーグレイのスーツ姿。外回り営業中のサラリーマン以外なにものでもない。
「異星人が何の装備も無しに、まったく環境の違う惑星で行動できるのですか?」
 俺の問いに人埜さんはテーブルの上に両手を置いた。
「じゃあちょっと私の手に触れて下さい。指先だけでも良いですよ」
 にこやかに笑いながらそう言った。俺はおそるおそる人埜さんの手の甲に指先で触れてみた。
 うん、なんだ。これ? 壮年男性の皮膚の感触ではない。壮年男性の皮膚は大抵、少し乾いてかさついている物だ。だからといって若い人のようにしっとりしている訳でもない。
 感触は食品用ラップフィルムのそれだ。ぴたりと張り付くような感触がある。そしてその向こうは少し冷たい。年齢を考えても人間の体温としては低すぎるだろう。
 えっ? と思い手のひら全体で触れてみたが、異様な感触は変わらない。さらにはスーツにも奇妙な点があった。布地のように見えるが布ではない。ビニール表面を布っぽく加工した素材があるが、ちょうどそんな感じだ。およそ着心地が良いとは思えない。そして何よりそんな素材をわざわざ服にする理由がない。
 俺は驚いて手を引っ込めた。そんな俺を笑顔で見つめながら人埜さんは言った。
「一種の防護服です。これで地球の細菌や有害物質から身を守れます」
「良く出来てますね」
 俺は曖昧に笑いながら手を引っ込めた。
「その……。失礼ですが、お姿もそのままなのですか?」
「肌や瞳の色、髪や皮膚の質感は多少変えています。光学的な欺瞞(ぎまん)効果です。しかし体形は概ねそのままです。所謂(いわゆる)収斂進化というものですね」
 本当なのか? 混乱しながらも人埜さんに重ねて尋ねた。
「それじゃあ……。どの星から来たんですか?」
 これでシリウスとかM78星雲とか言ったら、即座に突っ込むつもりだった。人埜さんは相変わらずつかみ所の無い笑みで答えた。
「この恒星系から6000リーウほど離れた……、いえこちらの名前で言った方が早いですね。貴方がたが鯨座タウと呼んでいる恒星系の第2惑星です」
 これはまた……。微妙にリアルな線で来たな。鯨座タウ。十光年くらいだったか? スマホを取り出して検索してみると、最新の観測結果では11.9光年。地球と同じ岩石質からなる惑星が複数存在すると予想されている。
 しかしまぁこの程度なら、天文マニアならすらすら出てくる知識だ。怪訝な俺の顔に人埜さんは続けた。
「私が来た惑星は、まだ地球人には発見されていません。この星系と違い、生命が存在する惑星は複数あります。その幾つかは地球人によって存在が知られているようですね」
「ええと、鯨座タウは11.9光年離れてますね。地球までどうやって来たんですか? ワープですか。どれくらい時間がかかったんですか?」
 俺の言葉に人埜さんは笑顔のまま頭を振る。
「いえいえ、超光速飛行なんて便利なものはありませんよ。我々の技術はこの惑星よりせいぜい百数十年から二百年くらいしか進んでいません。私たちがこの恒星系に到達するまで地球時間換算で約80年掛かっています。移動手段は核融合パルスロケットと母星からの照射によるレーザー推進です」
「ははは、リアルな設定ですね。しかし80年というとコールドスリープなどを併用しているとか?」
「近い技術は使っていますが、地球の人類とは違い我々はもともと冬眠の習慣というか習性がありまして。ちょっとした薬物投与などで長期間冬眠状態になる事が出来るんです。私も航路の半分以上をその状態で過ごしました。それに我々の寿命は地球の人類の2.5倍から3倍なんです」
 これがSFアニメや映画の設定なら、かなりリアル路線だな。俺はちょっと好奇心を刺激された。
「面白いですね。その設定に乗ってみましょう。探査船はどれくらいの規模で、どういう行程で地球まで来たんですか?」
 俺の問いに人埜さんは立て板に水の勢いで話し始めた。

 彼らは自分の惑星をヒークと呼んでいる。ヒークを出発した時、探査船の乗員は50人。しかし地球までの行程でその三分の一が事故や病気で亡くなった。簡単な薬物投与で長期の冬眠状態になれると言っていたが、それなりに危険性はあるようで、目覚めなかった乗員もいるそうだ。
 そして太陽系に接近、核融合パルスロケットの逆噴射と、電磁場により太陽風を受けて減速を掛けた。もともとこの太陽系に生存に適した惑星があるのは分かっていたそうで、往路でもさかんにドローンを送り調査していたらしい。
 太陽系に到着したのは20年ほど前。それから10年くらいはドローンで大気や海水の採集、そして人類の活動を知ってからは電波による情報収集を行っていた。そして10年前から満を持して人埜さんのように、地球人に紛れ込んで調査を始めたそうだ。

「探査船は今も地球の軌道上に?」
「ブースターは恒星系の外縁部にいます。探査機本体は、ちょっと離れた公転軌道にあります。帰還の際にはブースターと再合体します。我々は探査機と往還カプセルで行き来しておりますが、これも降下に失敗したり、探査機本船への帰還時にランデブーできずに死亡した乗員が10人ほどいます」
 なかなか過酷な任務だが、それを語る人埜さんは笑みを絶やさない。しかしいう通りだと、残った乗員は半分程か。
「地球側の……、ええと公的機関とは接触しないのですが?」
 俺がそう尋ねると人埜さんは身を乗り出した。
「貴方に相談したいというのは、まさにその事なんですよ」
 人埜さんが言うには、彼らはそろそろ帰還するのだそうだ。帰還には往路よりもっと時間が掛かる。大体地球時間で120年ほどかかるそうだ。
 なんでも太陽系外縁には地球人がまだ発見していない巨大ガス惑星があるという事で、帰還の際にはその重力場を利用して加速するそうだ。その巨大ガス惑星の位置が現在最適の位置にある。これを逃すと次の機会は約360年後らしい。
 さすがに彼らの寿命が地球人の2.5倍から3倍、長期冬眠が可能といっても、生きて帰還するにはぎりぎり。この機会を逃したら生還は不可能だろう。

「我々が予め地球へ公式に通信しなかったのは、知的生命体の存在は予想できても、それが友好的かどうか確信が持てなかった為です。そこで有人探査船を送り調査する事になったという訳です」
 所謂『暗黒森林』理論というものか。宇宙は敵対的な野獣が潜むかも知れない暗黒の森。だからうかつに自らの存在を知らしめる事は自殺行為という理論だ。
「地球の知的生命体が我々に敵対的と分かったら、即座に探査を切り上げて帰還する。場合によっては自爆して我々の存在を抹消せよと指示も出ていましたが、幸いそのような事はありませんでした」
「地球人類が友好的と判断されたのですか?」
 俺のその問いに人埜さんは笑みを浮かべたまま頭を振った。
「それ以前の問題です」
 うん、何となく分かる。
「友好的敵対的以前に、脅威となるレベルではなかったという訳ですか」
「はい、失礼ながら」
 一つ首肯すると人埜さんは続けた。
「先ほども言ったように、地球の人類は技術レベルで百数十年は遅れてます。この技術レベルで約十光年の距離は絶望的です。我々には敵対出来ないと判断しました」
「じゃあ安心ですね」
 俺は皮肉な笑みを浮かべた。
「ええ。そこで帰還する間際に、地球側の公的機関と接触できないかという話が出たんです」
「脅威にならないのなら、接触しようという訳ですか?」
「はい、でも地球側の技術レベルを極端に上げるような情報提供は出来ません」
 存在だけを誇示して、地球側への牽制とする訳か。なかなかしたたかだ。
「それで具体的にどこと接触を?」
 俺がそう尋ねると人埜さんは身を乗り出した。
「どこがいいと思いますか?」
「そりゃあ、アメリカとか……」
「今のアメリカに公式に接触して、まともな反応をしてくれると思いますか?」
「う~~ん……」
 俺は答えに窮した。
「他の国も大同小異です。それに私たちの存在を政治的に利用されるのは本意ではありません」
 そりゃそうだろうな。中露、欧州、そして日本だって大して反応は変わらないだろう。人埜さんは続けて言った。
「そもそもどう接触したらいいのかも分かりません。実はインターネット経由や電話などで政府側要人とも接触を試みたのですが、まともに取り合って貰えません。かと言って直接、接触する方法もありません」
「確かにネットで『私は宇宙人です』と言っても、そうなるでしょうねえ」
 俺は考えを巡らせた。彼らの技術を地球側に知られないよう、存在を誇示する方法はあるのか?
「探査船を降下させてデモンストレーションをするとか?」
「残念ながら我々の探査船には大気圏突入能力はありません。それにおそらく地球人が思うほど立派な宇宙船ではありません。母星とこの恒星系を往復するの精一杯のが性能です」
「人埜さんたちの母星、鯨座タウ第二惑星の、ええとヒークですか。そこと通信を取ってみるとか?」
「良い考えですね。でも返信があるまで地球時間で23年ほど掛かる計算になります。我々は帰還できません」
「直接の交流は出来ませんが、太陽系を離れる時に探査船の位置を通達して、そこを観測して貰うとかは? 核融合パルスロケットの噴射炎が観測できれば、納得してくれるかも知れません」
「ええ、それは私たちも考えました。しかし万が一、攻撃された場合、我々には対抗する手段がありません。私たちはあくまで学術調査が目的です。特に核攻撃だった場合、さすがに我々の探査船でもひとたまりもありません」
「う~~ん……」
 俺は頭を抱えた。人埜さんの言う事ももっともだが、いささか虫の良すぎる要望にも思えてきた。結局、率直に答える事にした。
「無理に接触する事は無いんじゃないですかねえ」
「はぁ、そうですか。そうですよね」
 人埜さんは意外とあっさり納得したようだ。
「ここまで来たのですから、そのまま帰還するのも心残りはあるでしょうけど、中途半端に接触して禍根を残すのは、お互いの為にはならないでしょう」
「ははは、その通りですね。実の所、そういう意見も出ていたのです。私個人もそうする方が適切かと考えていました」
 そう言うと人埜さんはコップの炭酸水を一口飲んで改めて頭を下げた。
「有り難うございます。参考になりました」
 そして思い出したように付け加えた。
「あ、今までの話はあくまでそういう架空の設定というお話ですので。もちろん、私が宇宙人というのもフィクションですから」
「分かってます。こんな話をしても誰も信じないでしょうし」
 そう言って人埜さんと俺は、曖昧な笑顔を交わし合った。そして俺たちはファミレスを出た。支払は人埜さんが現金で済ませた。
「それではまた何かご縁があれば」
 一つ会釈をすると、人埜さんは人混みの中へ消えていった。
 俺は人埜さんを見送ると、ファミレスの駐車場へ戻った。隅に置いてある灰皿の側に行く。周囲には誰も居ない。それを確認して俺は懐からそれを出した。
 カプセルトイくらいの球体。俺は隠されたスイッチを入れた。少し間を置いて『通信』は繋がった。俺は前置き無しに報告した。
「観測員3442です。例の未確認飛行物は我々やこの惑星とも違う、別の文明圏から送り込まれた探査船で間違いないと思います。今し方、その探査船でこの惑星へ来たという個体と接触しました。ええ、向こうは私の正体には気づいていないようです。彼らはベシクル113恒星系から来たと言ってました。技術レベルは我々よりもかなり低いようです。まもなく帰還するようです。え? 帰還する理由?」
 俺は答えた。
「我々と同じ理由のようです。地球側とどうコンタクトして良いのか分からない……」