【小松左京氏追悼エッセイ】「とりとめもない思い出」石川喬司

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 今は亡き<怪獣博士>大伴昌司が言い出した<死券>ごっこという遊びがあります。<馬券>ごっこじゃありません。「SFの仲間のうち誰が一番最初に死ぬか?」 それを当てっこしよう、というブラックな遊びです。
 全員の一致した<本命>は、しょっちゅう飛行機で海外取材を続けている<デブで大食漢の小松さん>でした。万事に鷹揚な小松さんはまったく気にせず「バカヤロウ」と笑っていました。ところが最初に死んだのは、この遊びの発案者・大伴昌司でした。彼は新橋の中華料理店で行われた日本推理作家協会恒例の新年会の<犯人当てゲーム>の最中に持病の喘息発作に襲われ服薬して別室で安静中に急死したのです。その結果、彼の命日にはSFの仲間が鎌倉への墓参を兼ねて熱海へ一泊旅行に出かけることになり、皮肉なことにその命日が誕生日に当たっていた小松さんは「おかげで誕生パーティが開けない」とコボシながら旅館での徹夜麻雀を楽しんでいました。
 そんな旅のある日、星新一、手塚治虫、小松左京、石川喬司が相部屋になり、手塚、小松の両氏が先に部屋へ入り、半徹夜麻雀の石川、星が夜明けに部屋へ戻りました。襖を開けると、寝酒をやりながら議論していたらしい手塚、小松両氏が酔いつぶれて眠り込んでいるのが目に入りました。愛用のベレー帽を脱いだ手塚さんの頭のところに小松さんの口があり、小松さんが鼾をかくたびに赤ちゃんの産毛のような手塚さんの髪の毛が揺れて、なんともいえない眺めでした。小松さんはときどき外国語で寝言を洩らします。ドイツ語で自分に質問してフランス語で答えたり、考え込んだりしています。そんな二人の姿を星さんは腕組みして見下ろし、感に堪えぬように呟きました。「いい眺めだなあ。余所目にはダラシない飲んべ親父の醜態みたいだけど、頭の中では新しい傑作が生まれようとして、ミューズの女神が会話しているんだ」

 この回想を書きながら、小松さんに誘われて、大原まり子、笠井潔、高橋良平、巽孝之、森下一仁らと『SFへの遺言』(光文社)をテーマに話し合ったことなどを思い出し、「死券ごっこ」で先着された福島正美、半村良、光瀬龍、真鍋博、矢野徹、浅倉久志、柴野拓美‥‥‥‥‥など懐かしい仲間たちが隣に立っているのを感じたりしています。