【竹内博氏追悼エッセイ】「竹内博 ― 怪獣少年とゴジラ」藤元登四郎

(PDFバージョン:takeutihirosi-kaijyuushounenntogojira_fujimototousirou
 謹んで竹内博先生のご霊前に哀悼の意を表します。私は、竹内博先生と直接の関係はありませんでしたが、先生のご著書の愛読者で、偉大なご業績を尊敬しております。

香山滋全集
 私が竹内博(敬称略)を知ったのは、香山滋全集(全14巻、別巻1)(1)の責任編集者としてであった。竹内は、この全集について、「スタートしてから五年かかって、体がもつかどうか心配したが、なんとか無事に完成にこぎつけた」と書いている。この全集は、彼の努力なしには日の目を見ることはなかっただろう。この全集によって、香山滋は確固とした地位を得たといっても過言ではない。
 全集の各巻には竹内の解題が掲載されている(第一から十一巻まで。十二から十四巻の少年ものを除く)。彼の解題は、作品の読みどころが簡潔に要約されていて、読むだけでも面白かった。私はまずこの解題を見てから、それから逆に興味深い作品を選んで読んだ。私が竹内の解題にひかれた大きな理由は、短い要約の中にも香山作品に対する熱狂的な愛着が感じられたからである。
 香山滋全集の巻頭には、様々な書影がアート紙に掲載されている。竹内は、香山作品のコレクターとして有名な人であるから、おそらくその中から優れたものを選んで掲載したのであろう。これらの書影を見るだけでもこの全集は十分楽しめる。
 竹内の業績の圧巻は、何といっても、全集の別巻に掲載されている「香山滋書誌」である。この書誌には、著書はもちろん、香山滋の短歌(昭和12年)から、昭和22年にデビューして以来の雑誌に掲載された作品まで、さらに、発表紙誌・年月不明作品、紙型流用雑誌作品目録、映画・ラジオ・テレビ化作品目録、そして漫画化作品目録まで網羅されている。最後には参考文献目録までも付いている。
 この驚嘆すべき書誌は、横田順彌氏を始めとする25名の専門家の資料、国立国会図書館、大宅壮一文庫、日本近代文学館、北海道新聞社、東宝株式会社、その他多数の古書展などの資料をもとにして作成された。しかし、竹内によれば、この書誌も完璧ではなく、特に少年ものが多く抜け落ちているという。この書誌から、竹内の香山滋にかける愛着と執念と、強迫的とでもいえるような几帳面な性格が伝わってくる。おそらく今後、これ以上の書誌は発表されることはないだろう。

香山滋との遭遇
 香山滋の著書が古書として高価な値段がついていることは有名である。うわさによれば、古書展では香山滋のコレクターが早くから開店を待ち受け、それと同時にどっとなだれ込んで奪い合いが起こったという。それにしても、香山滋の古書価が高いということは根拠がある。香山作品の大多数は、戦後のカストリ雑誌に奇怪でエロチックで幻想的な挿絵とともに掲載されたのだが、作品の内容と挿絵のかもし出す総合的な雰囲気には、何ともいえぬ味わいがある。すなわち、香山滋の作品は極めてヴィジュアルである。そこから発散するエネルギーはおそらく、戦前の厳しい検閲から解放されて、エロチックな表現や挿絵が可能になった喜びが反映されているのだろう。香山滋の愛読者が万金を積んでも、その時代の魔力のこもったオリジナルの感動を求めるというのも、十分理解できることである。
 竹内博が香山滋にひかれるきっかけとなったのは怪獣を介してであった(2、160頁)。竹内が少年の頃は、ちょうど怪獣ブームであった。しかし彼は、怪獣特集の少年雑誌を定価で買うことができなかったので、古本屋回りをして買い集めた。そのとき、竹内少年は、香山滋の「妖蝶記」の掲載してある「宝石」を見つけて五十円で買った。今からすれば、信じられないような値段である。それ以来、竹内は香山滋の作品にとりつかれ、古本を収集するようになった。当時は、まだカストリ雑誌や倶楽部雑誌が一冊二百円から五百円で買えた時代であった。
 それから香山滋の古書が高騰することになるのだが、この背景には、竹内のコレクターとしての活躍があることは間違いない。竹内は、香山滋の掲載誌を八百八十冊ほどコレクションしたという。現在、古書価にすればおそらく、天文学的数字になるだろう。
 私が驚くのは、竹内少年が香山滋の価値を見抜いた眼力である。それまで、香山滋は、カストリ雑誌に書いていたという単純な理由だけでカストリ作家に分類される傾向があった。一般にいうカストリ作家とは、怪獣や怪奇やエロ小説など扇情的なことを取り扱っている低俗な人々である。しかしこのような固定観念こそ、社会に飼いならされた条件反射的思考に基づいているといえる。

なぜ怪獣に引き付けられるか
 現在では、当時有名なメインストリームの作家たちはかき消えてしまったが、逆にカストリ雑誌の作家であった香山滋はますます輝きを加えている。いったいなぜだろうか。このことは、また、なぜ竹内博がこれほど香山滋にひかれたのかという問題と重なる。
 竹内の怪獣映画の初体験は、昭和三十七年の小学一年生の頃で、「キングコング対ゴジラ」であった。それから竹内少年は怪獣にやみつきになった。竹内はその理由を書いている。
 「・・・やはり私の育った家庭環境に因るところが大きかったと思う。ゆとりどころか毎日の生活にも困るような生活状況のなかで、親子でも兄弟でも手の内は見せたくないという緊張した空気があり、そういった異形のものの世界が子供の私が憩える唯一のオアシスだった。そんな私の世界を分かってくれるものが、この怪獣映画にはあった。この運命的な出合いをきっかけとして、私の人生の歯車が回り始めた」(2、11頁)。
 この率直な文章を私なりに解釈すると次のようになる。本来、少年の心は自由であり形を持っていない。すなわち現実的ではないのである。少年のまなざしは、現実の出来事も非現実的な出来事も平等に受け入れる。魔術的な幻影は実際の知覚に結び付いている。しかしこのような自由な心は、家庭環境や社会環境や教育の中で抑圧され鋳型にはめ込まれていく。少年の知覚は次第に、非現実的な出来事に対して反応しなくなり、社会の中に存在するものしか感じられない一方的なものにゆがめられる。
 竹内の場合は、親子、兄弟が秘密を持つという家庭環境に耐えられなかった。すなわち、秘密を持ちながら、秘密がないかのようなふりをして生活することに耐えられなかったのである。しかし、夫婦の秘密を持たないで家庭が成立するだろうか。結局、竹内には人間関係の基本になる虚偽に対して、耐えがたい悲しみを感じた。そこで彼は自分を慰めるために、人間を越えたものを求めた。怪獣は人間よりも巨大で強くしかも嘘をつかない。怪獣に比べれば、人間は、微小で取るに足りない弱い存在に過ぎない。怪獣は人間を蹂躙する。しかし、竹内少年だけは襲ってこない。なぜならば彼は怪獣の友であるからである。そもそも怪獣は彼自身の抑圧された自由な魂の影である。(一般にこのような少年の怪獣愛は、成長するにつれて次第に消えていく。こうして怪獣少年は、いつの間にか「怪獣なんていないんだよ」とまことしやかに子どもに教える大人になっている。大人の怪獣に対する軽蔑は、自己の本性、すなわち無意識の中に生きている原始人の心を抑圧したという勝利感に基づいている。その時大人は文明の奴隷であり、そのことにすら気がつかなくなっている)。竹内少年は怪獣と対話して孤独を慰められ、魔術的な知覚を失わないまま成長したのであった。
 しかし、この社会心理学的な説明だけでは十分ではないだろう。そこには生まれながらの才能という問題も絡んでくる。単純化して説明するために、ワーグナーの楽劇を例にあげよう。ワグネリアンは「ニーベルンゲンの指輪」を涙を流して聴くが、他の人々には騒音に過ぎない。ワグネリアンはワーグナーを聴くことによって音楽家になる、いわばワーグナーの秘密の世界に入る鍵を持っている。それが才能というものである。ワーグナーの音楽ばかりではない、人それぞれは自分の好きな音楽に対して入り込む鍵、あるいは才能を持っている。これと同様に竹内には、怪獣と共感する才能があり、その世界に入る鍵を持っていたのである。世の中にはそのような人々がいて、香山滋の作品は彼らに、いわば秘儀のように開かれるのである。

「ゴジラ」
 竹内は「『ゴジラ』の誕生」(3、66-93頁)で、「ゴジラ」の企画から完成までの経過や製作費や当時の評判まできめ細かく調査している。これは香山滋書誌と同様に、今では貴重な資料となっている。これを見ると、「ゴジラ」は東宝映画のスタッフの総合力によって誕生したことがわかる。香山滋は原作者とはいっても、多くの意見をまとめて作品化したにすぎない。しかしこれほどの作品になると、多くの意見をまとめ上げる力が重要であり、香山滋のヴィジュアルな才能はそれにぴったりであった。さらに、理由は最後に述べるが、香山滋がゴジラの誕生を人類の誕生と同時であると設定したことは最も重要な功績である。結局、竹内によれば、香山滋は、「ゴジラ」の原作者という栄光を受けるに値する。
 さて、竹内は「ゴジラ」(1954年封切り)について次のように書いている。
 「地方では観客が捌ききれないで交通整理の警察まで出る騒ぎで、日劇では一週間の興行で十八万七千人を動員し、二千五百万円の興収を上げた。ゴジラ映画シリーズは海外からも日本映画では際立って引き合いが多く、世界五十数か国に進出し、四百億円に近い稼ぎを上げている。映画の原点である娯楽性が、フルに発揮されている点が、評価されているのであろう。無論日本のどんなスター、人間よりもゴジラは海外で有名である」(4、244-253頁)。
 ところが、当時の「ゴジラ」に対する専門家の評価はあきれるほどにひどかった。竹内は、固定観念を抜け切れない映画評論家に対して怒っている。
 また、竹内は次のようにも書いている。
「暴論と受けとられるかもしれないが、私は日本には怪獣映画しかない、と思っている。日本の特撮映像文化だけが世界に通用する文化で、極端に言うと『ゴジラ』しかないという考え方だ。初めてアメリカ全土で一斉公開された日本映画は『ゴジラ』で・・・全米の一流劇場で一斉公開され、日本を代表するキャラクターとして受け入れられた」(2、280頁)
 これは暴論ではない。なぜならば、「ゴジラ」は人類の未来を暗示する、とてつもない重要な意味を持っているからである。特に、未来の映像文化は「ゴジラ」の示す恐怖を表現する方向へ向かって進むだろう。実際、中子真治は、「アメリカのSFXピープルはいかにして円谷特撮を娯楽したか」で、円谷特撮がハリウッドのSFXの作品に与えた大きな影響について解説している(3、109頁)。

ゴジラと人類の恐怖
 竹内の指摘したように、ゴジラが人類と同時に誕生したという香山滋の設定は極めて重要である。ゴジラについての香山滋の言葉を引用しよう。
「・・・この物語の主人公『ゴジラ』は想像上の大怪獣であって、じっさいには地球上のどこにもおりません。しかしゴジラに姿をかりている原・水爆は、じっさいに作られていて、いつなんどき戦争に使われるかもしれません。そうなったら、東京、大阪、どころではなく、地球全体が破滅してしまうでしょう」(2、257頁)
 ゴジラは人間の誕生以来影のように寄り添って巨大化してきた。人間は、科学が進歩して理想的な社会が実現することを夢見て努力してきた。現在、原子力や遺伝子操作など、先端科学はバラ色の未来を描いている。しかし、そのような理想的な世界は単なる自閉的な自己愛に過ぎないだろう。なぜならば、進歩にはそれと同等の危険を伴っているからである。そのことを本能的に感じ取っているのは、人間の無意識にひそむ原始人の情動である。ゴジラは科学の暗い陰、その象徴である。
 「ゴジラ」が世界五十数か国で上映されるほど人気が出たことは、人類の共通する太古の記憶を呼び起こしたからであろう。人類の文化の象徴である都市を容赦なく破壊するゴジラの恐るべき力は、科学の発達に対する恐怖の表現である。世界の人々は、ゴジラの力に、偉大な宇宙の力と同時に人間の限界を本能的に感じとったのである。
 ゴジラの特徴は死なないということである。そもそも怪獣とは、死なないことがその定義である。怪獣は死んだように見えても必ず復活する。ゴジラが本当に死ぬときは人類もともに滅びるだろう。こういうわけで、今後も科学が発達する限り、怪獣ゴジラの概念は生き続け、CGや3Dの技術を駆使したSFXなどを通じて新しい形で登場するだろう。そして科学的進歩にあわせてさらに巨大化して、さらに強力な恐怖の炎を吐くだろう。

 竹内は「元祖怪獣少年の日本特撮映画研究四十年」を、「怪獣少年の夢は、怪獣を研究するのではなく、それを作った作り手を調べるのが王道だと思う」と結んでいる。彼は、少年の純な心で、怪獣を探している人の心、すなわち精神の奥深い太古の層に分け入った。こうして彼は香山滋のゴジラという太古の怪獣に行き当たったのである。香山滋の作品はすでに述べたように、ヴィジュアルで新しい時代を予告するものであった。この発見は竹内の偉大な業績の一つである。彼は怪獣少年の心を失わず、香山滋と同様に怪獣の世界に入る鍵を持ったまれな才能の持ち主であった。しかも彼は、香山滋の作品の読解において、それをさらに豊かなものにした。その情熱と才能はただうらやまれるばかりである。ここに永遠の怪獣少年、竹内博の偉大な業績に対して重ねて敬意を表するものである。

参照文献
(1)「香山滋全集」(全14巻、別巻1)、三一書房、1993-1997。
(2)竹内博「元祖怪獣少年の日本特撮映画研究四十年」、実業之日本社、2001。
(3)竹内博、山本慎吾編「完全・増補版 『円谷英二の映像世界』」、実業之日本社、2001。
(4)竹内博「映画『ゴジラ』と香山滋」、「完全復刻ゴジラ/ゴジラの逆襲」、奇想天外社、1976。 

藤元登四郎プロフィール


竹内博既刊
『特撮をめぐる人々 日本映画昭和の時代』
『定本円谷英二随筆評論集成』