(PDFバージョン:komatusakyousann_yamadamasaki)
小松左京さんがお亡くなりになったのをツィッターで知ったその日から『虚無回廊』の再読にとりかかった。その他にも再読したい、しなければならない作品が沢山あって、しばらくはそのことに追われそうだ。
悲しいか、と問われれば、悲しくないはずはないと答えるが、その悲しみも含めて、実り多い読書体験になるはずである。そのことは確信している。それに――私はもうしばらく小松さんと一緒にいたいのだ。
『虚無回廊』を未完のままで終えられてからすでに二十年近くが過ぎている。この期間、とうとう小松さんは一作もSFをお書きにならなかった。ご病気などもあり、やむをえなかったこととはいえ、そのことが日本のSF界にとって、いや、日本にとって、日本人にとって、どれほど大きな損失であったか、その失われたもののあまりの大きさに呆然とさせられる。私たちはいつの日かこれを補うことができるだろうか。
まだ小松さんのことを書く時期ではないと感じている。あらぬことを書いてしまいそうで怖いのだ。しばらくは自分に小松さんのことを書くのを封印しておきたいという思いがある。申し訳ないが、この原稿もここまでにとどめておきたい。
私は自分のことをついに小松さんから入門を許されなかった弟子だと考えている。その不肖の弟子がこんなことを言うのは口はばったいかもしれないが――小松先生、安らかにお眠りください、本当に本当にありがとうございました……。