【竹内博氏追悼エッセイ】「竹内君の思い出」井口健二

(PDFバージョン:takeutikunnnoomoide_igutikennji
 怪獣映画研究の第1人者であり、個人的には長く友人として付き合わせて貰った竹内博君が亡くなった。2年ほど前から入院して病気はその後も進行したのだろうが、一昨年12月に会ったのが彼の顔を見た最後だった。
 互いに故大伴昌司氏の弟子という立場だった彼と僕だったが、実は大伴氏の生前は顔を会わせたことはなく、初対面は氏の告別式の時だったと思う。突然少年が僕の前に現れて挨拶をされたが、思えば彼はまだ10代半ばの頃で、その割には礼儀正しく丁寧な挨拶だった記憶がある。
 ただし大伴氏からは生前に一度だけ、「井口君は怪獣に余り興味が無いようだから、そちらの方面をやってくれる若い人に手伝って貰うことにした」という話を聞かされたことがあり、多分それが彼のことだったのだろう。
 そんな彼は大伴氏の伝もあって円谷プロに入り怪獣作品のプランナーとしても活躍して行くことになるが、現実的には大伴氏という後ろ楯もなしにそれを行った彼の努力も計り知れないものだ。
 その頃には僕も何度か円谷プロの片隅に在った彼の住まいを訪ねたりもし、さらに映写室での鑑賞会などの案内も受けて、親交も深まっていった。そして彼が怪獣倶楽部を立ち上げたときには、先輩として参加させても貰った。その怪獣倶楽部では、彼は若い人たちの纏め役としても良い仕事をしてくれた。
 その後の彼は、『ゴジラ』→香山滋、『海底軍艦』→押川春浪、そして海野十三など日本の古典SF研究の一角も担って行くことになるが、それは目先の動きに左右されず、過去しっかり見つめた素晴らしい仕事であった。そしてその間も常に僕に対しては先輩として付き合ってくれたことも、彼ならではの心遣いであったと思う。
 僕自身にとっては、彼を含めてこれで自分より若い仲間を4人先に失ったことになる。TOKON7の実行メムバーで後に翻訳家として素晴らしい業績を残した佐久間弘(黒丸尚)、一の日会の仲間でNW-SF翻訳家の野口幸男、小松左京研究会を立ち上げ映画『さよならジュピター』のCG画像を手掛けた土屋裕。そして竹内博。
 彼らは何れも大きな業績を残し逝った人たちだが、年上の僕からすれば皆、この世を去るのが早すぎた人たちだ。今生きていればより大きな業績を残せたはずだし、さらに未来にも多くを成しえた人たちだ。
 そんな彼らが早く去ったことが悔しいし寂しい。それに何より彼らともっと話していたかった。竹内君と、そして彼らの冥福を祈る。

井口健二プロフィール


竹内博既刊
『特撮をめぐる人々 日本映画昭和の時代』
『定本円谷英二随筆評論集成』