「コルヌコピア4」山口優

(PDFバージョン:korunukopia4_yamagutiyuu
「えへへ。楽しいですね!」
 ピアが私の腕をぎゅっと胸に抱く。
「まーね……」
 私は肩を竦めた。――正確には、竦めようとしたが、ピアが抱いている側の肩は強く抱きしめられすぎていて、うまく上がらなかった。
 A横町。
 この前、私が二人の男に襲われそうになって、ピアに助けられた高台の公園の近く。雑然とした商店街だが、品物の値段は概ね安く、選択肢も幅広い。
 ――ピアにはいつもお世話になってるし、なんか好きなもの買ってあげるよ。
 ふとそんなことを言い出したのは、秋も深まり、外も涼しくなって、自然と外出したい気持ちになったからに違いない。
「お世話になっている」、なんてのは、外出の理由作りにすぎない。
 たしかに、ピアは言わずとも私の「願い」を感知して、本物のメイドのごとく甲斐甲斐しく家事をしてくれるようになり、忙しいときにはありがたくもある。客観的に見れば、「お世話になっている」のだろう。だんだんと私の性格や嗜好を把握してきたらしく、細やかに気を利かせてくれるのは、正直に言えば、嬉しい。とても。
 だが、本質的に私は一人が好きな性分だ。それに、ついうっかりとんでもない願いを口にしたり、あるいは思ったりして、ピアがそれを叶えてしまいやしないかと、いつもひやひやしている。未だにピアを傍に置いている私の動機の過半は、やはり使命感だ。究極の願望機たるピアが、愚か者の手に渡らないよう。そして、ピアが偶発的に起こしてしまうかもしれない、宇宙の歪みを即座に修正できるよう。
 ピアの話によれば、ピア一人がこの地球にいれば、ピアの同類はもう地球に来ないらしい。だとすれば、やはり私がこうしてピアを囲い込み続け、ピアによる地球へのあらゆる悪影響を最低限に抑制するのが最善の手だろう。
 最善?
 もしかしたら、私よりもピアの「主人」たるに相応しい人間が、いるかもしれない。巧く願望機たるピアの暴走を御し、自らの欲望をも御し得る、私よりもっとずっと優れた、類い希なる聖人君子が。いや、この地球上には、間違いなくそんな人間もいるだろう。
 だが、私には他人の本性など見透かしようがない。善人のように見えた人間がとんでもない悪事を働いた例など、世の中に腐るほどある。私が本当に理解できるのは私の本性のみ。私の意識のみ――。他人の意識など、推し量る術もない。それが存在することすら、現在の人間の技術レベルでは確認する術がないというのに。
 本当は、私の意識すら、私には分からないのかも知れないけどね。
 ある種の諦観を以て、私は嘆息する。たとえば今、なぜ私がピアとデートもどきをしているのか、なぜそうしようと意思したのか、ということだ――。
「ね、あのお店! 一〇〇〇円均一ですよ! 一〇〇〇円!」
 思索に耽る私の腕を抱いたまま、ピアがぐいぐい、とある鞄屋に私を引っ張っていく。見ると、店長と思しき男性が、ビール箱をひっくり返した上に乗り、拡声器に声を張り上げている。
「えー! 本日店じまい! 本日店じまいでございます! 全て一〇〇〇円均一。これ以上はない出血サービスとなっております」
 未だ強い日差しの中、叫ぶ店長らしき男性には、不思議と悲壮感はない。客の主婦らしき女性が店員に事情を尋ねているところを盗み聞きすると、どうやら、この鞄屋は近日別の場所に引っ越すらしい。鞄屋は、店先に商品棚を並べ、横町の狭い道の三分の一ほどを強引に自分の店の領域にしてしまっている。が、元来雑然とした雰囲気がウリの横町だけはある。通行人も好奇の視線を投げこそすれ、非難する様子はない。
 ピアに引っ張られて何の気なしに街路に侵出した商品棚を見て回る。ファッションに疎い私にも分かる有名ブランドのバッグが、所狭しと並べられている。たしかに、値札は全て一〇〇〇円。本当に詳しくはないが、こういうバッグの価格帯は数万円だろう。あるいは数十万円かもしれない。まさに出血サービス。
「欲しいの?」
 何の気なしを装って聞いてみる。「何でも好きなもの」と言った手前、安物でお茶を濁すのは申し訳ない気持ちになる。が、正直、私は貧乏学生なので、財布から気軽に抜き出せる日本銀行謹製の印刷物の枚数と種類には、低い、低い上限が設定されている。そういう私のジレンマを、この状況は綺麗に解決してくれそうな期待があった。
「そうですね……買って貰っちゃおうかな……?」
 はにかむような笑みを浮かべ、私にすり寄ってくるピア。
「うーん。これとか?」
 私の顔色を伺いながら、私が一瞬、(あ、上品だな)と思ったバッグを手に取る。
「これだと、一緒に使ったりもできますよね!」
 まさに、私が思ったこと――いや、思おうとしたことを、告げる。
「え、ええ、そう……ね」
 そんなぴったりと私の心中を言い当てられては、頷くことしかできない。ピアは一瞬、怪訝そうに私を見たが、私がそのブランドもののバッグをレジに持っていくのを見て、飛び跳ねんばかりに喜び、私に抱きついてきた。
 私もまんざらではなく、普段はふりほどこうとするこの美少女に、抱きつき続けることを許す。

「いいですよね、これ。ね? 似合う? 似合います?」
 ふんふんと鼻歌を歌いながら、ピアは私の周囲を、さながら惑星の周囲を公転する衛星のようにくるくると周り、時にポーズを取る。
 高台の公園。並木道。木漏れ日を浴びて散策する秋の午後。
 私が買い与えたバッグは、キュートでフェミニンなファッションでまとめたピアに本当によく似合っている。相変わらずのジーンズにジャケットというマニッシュなファッションの私には、きっと似合わないだろうけれど。
「まあ、似合ってないこともないよ」
 それにしても運のいいことだ。
 私がA横町に期待し、想定していたのは、アジアンテイストな、コスパのいい、それでいてセンスもあるようなアクセサリだ。そういう、ちょっと変わった、普通では買えない、いかにも特別、という感じのするデザインのものを買い与えることができればと思っていた。ところが、普段なら手が届かないようなバッグが偶然にも買えてしまい、私はけっこう、気分がいい。
 そう、気分がいい。
 そこで、私の意識はふと立ち止まった。
 宇宙の様相すら変える能力を持つピア。
 最近は、私の無意識の望みすら先読みして、甲斐甲斐しく家事や買い物をこなしてくれるピア。
 そんなピアなら、私の、無意識の望みを先読みして、横町のとある鞄屋の店主に、急に店じまいをさせるよう決意させる環境を整えることだって――。
「ピア」
 私は自分でもびっくりするぐらい、冷静で抑揚のない声で、「コルヌコピア・タイプのロボット」に呼びかけた。
「はい?」
 ピアは怪訝そうな顔で私を見る。
 いや、それも演技かも知れない。自分が人畜無害だとアピールするための。
「ちょっと来なさい」
 告げて、ピアの細い手首を握り、強引に引っ張っていく。動物園の近く、木々が生い茂っていて、普段は人通りのない一角へ連れて行く。
「あの……どうしたんです? やっぱり似合わない……とか?」
「これからの私の質問には、嘘はつかないで。たとえ私が傷つくことになろうとも。これが、私の『願い』よ」
「はい……『願い』を承りました……」
 笑みを消し、怪訝そうな表情はそのままで、万能願望機としての答えを返すピア。
「では質問よ。今日、A横町でその鞄を買った店が店じまいセールをやっていた事実に、あなたは関わっている? はっきり言えば、あの状況を創ったのはあなた? イエスかノーで答えなさい」
 ピアは目を逸らした。
「そ、それは……」
「私の『願い』を忘れてないわね?!」
 畳みかけるように釘を刺す。
 ピアは、覚悟を決めたのか、或いは、主人から問いただされたときにはそのように振る舞うようプログラムされているのか、しっかりと私を見つめた。そして、言う。
「イエスです。……イエスですわ、私のご主人様」
 その瞬間。
 私が意識する前に、私の右手は思い切り振りかぶられ、気づいたときには風を切ってピアの頬にクリーンヒットしていた。
 ピアはなすすべもなく砂利の地面に倒れる。数秒、ピアは倒れた姿勢のままで、頬を抑え、震えていた。さらさらした黒髪が、その表情を隠している。それから、ピアはゆっくりと私を見上げる。
 泣いている。涙を流している。
 何度も瞬きし、私を見上げ続ける。起き上がることもなく、そのままの姿勢で。
 一方の私。胸の中には、今まで感じたことも無いような巨大な感情が渦巻いていた。
 怒り。
 悲しみ。
 名付けるとすればそんなところかもしれない。
 だが、もっと根源的な、もっと激しい感情を、私は感じていた。
 交感神経がかっかと体内をパルスで充たし続け、身体は熱く、心臓と血液はバクバクと波打っている。
 私はようやく、この感情の正体に気付いた。
 恐怖だ。
 私の意識が、感じる、最も根源的な感情。
 私の意識、つまり「私」そのものが喪われてしまうかもしれないという恐怖だ。
 ペットの如くなついてくるからつい気を許していた。だが、こいつを飼い続ければ、いずれ私の意識はなくなる。「私」はなくなる。
 そんな恐怖が、大袈裟でなく私を襲い続けている。
 こいつと一緒にいれば、全てが私の思うとおりにいくだろう。さながら、赤ん坊のごとく。全てが与えられ、不快な思いは一切しない。こいつに頼ることを覚えてしまえば、勉強も研究も家事も何もかも、こいつに任せて私はただの家畜のように生きていくことすらできてしまう。意識的にこいつに頼ろうとしなくとも、ピアが先回りして、不快なこと一切を引き受けてしまう。
 そうなったとき、本当に私は意識を保てるのだろうか……?
 私は、意識が喪われていくことに気づき、「これは危うい」と気づくことすらできないままに、徐々に意識を喪っていくのではないのか。
 ちょうど、ピアの「配慮」に気づけず、ブランドもののバッグをあり得ない安値で買い、「良い気分」に浸っていた先程の私のように。
「ご主人さま……」
 倒れたピアが、両手を砂利についたまま、哀願するように私を見上げる。美しい双眸がきらきらと悲しみに濡れ、私の胸を引き裂かんばかりの感情を誘発しようと。
 だが。
 私はもはやそれに惑わされない。
 感情を振り切るように、スニーカーで思い切りピアの頭を踏みつけた。
「ぐ」
 ピアは小さく無様な呻きを漏らし、砂利に頭を押しつけられる。
「最後の『願い』を命じる。二度と私に顔を見せるな! この地球から出ていけ! 二度と地球にやってくるな! そして、お前の仲間にも来させるな。分かったか、この悪魔!」
 私は、自分の「使命感」の正体にも既に気づいていた。私さえピアとともにいれば、他のコルヌコピアはやってこない、だから地球と人類の危機を回避できる――そんなの嘘っぱちだ。ピアを手放したくない。その甘えにまっとうな理由が欲しかった。それだけだ。そしてその理由は簡単、ピアといると心地良いからだ。
 だが、それは私を堕落させる。あんなに巧妙に「良い気分」だけを与えられ続ければ、意識を喪うことだって有り得るだろう。私はこの前聞いたピアの話を、自分の恐ろしい体験で以て、もはや信じるしかないと思いなしていた。
 あの時は、疑念半分、そんなことが有り得るのかと首を傾げていたのだが。

「やあ。お取り込み中かな」
 不意に投げかけられた声に、私は思わず振り向く。ピアを踏みつけていた足を離し、声のした方に向き直る。
 そこには、すらりとした長身の女子学生が佇んでいた。
「あなたは……」
 私は、自分が彼女を見知っていることに気づく。研究室は違うが、私と同じ、物理学専攻の学生だ。物理学専攻には女子が少ないこともあって、彼女という存在はよく認知していたが、私とはかなり雰囲気の違う学生で、親しく言葉を交わすことはなかった。
 向こうも多分、私のような性格の女子はあまり好みではないのだろう。キャンパスで見かけるときはいつも、他学部だか他大学だか知らないが、サークルの仲間らしい、もっと華美で女の子らしい雰囲気の女子たちに囲まれていることが多い。
 名は……。
「アマルティ……」
 彼女はうんざりした表情を作った。
「君までそんな妙なニックネームで私を呼ぶなんて……まあ、好きにしてくれたら良いけど」
 本当の名前は思い出せない。たしか、甘利田(アマリタ)だか、甘利戸(アマリト)だか、そんな珍しい苗字だった。それで、呼びやすいようにかどうかは知らないが――周りが外国風のニックネームをつけて呼んでいたのを、私はなんとなく聞き知っていたのだ。
「それより、もう辞めちゃうの? その悪魔への制裁は」
「なん……ですって……?」
 アマルティが現れて、私が真っ先にピアから足を離したのは、当然、怒り狂った女子大生が、ティーンエイジャーの少女の頭を踏みつけるという、傍目にはどう見ても私が悪い場面にしか見えないと思ったからだ。
 それなのに、アマルティはそれを辞めるなと言いたげだ。このピアを、「悪魔」、と、正確に表現してまで。
「まあ、いいさ。君がやらないのだったら、私が排除するから」
 ゆっくりと歩いてきながら、彼女は物騒な言葉を吐く。
「排除……ですって」
「君も気づいたはずだよ、そいつは危険な存在だと。私達はそいつらを、一種のインヴェイダーだと思っている」
「あなたたち……って?」
「意識ある文明社会と知的生命体の味方さ」
 曖昧な言葉で蓋をしつつ、まともには質問に答えない。
「――そいつらインヴェイダーは、生物に特有の根源的な力である、『進化の可能性』を搾取する。『意識』もまた、進化した生物に特有の、重要な機能だが、そいつらはそれを搾取していたことは君も知ってるね?」
「え、ええ……」
 アマルティの正体も気になり続けているが、彼女の話は私の思いを代弁するように的確で、私は思わず頷いてしまう。
「搾取する手段は明白だよ。意識が生まれた理由であり、生物が進化する理由でもある、あらゆるストレスを生物種から奪い、自分のものにするのさ。コルヌコピアは生物種に寄生する。生物種が引き受けるはずのあらゆる困難を自ら引き受け、人工知能に特有のフィードバックループによって自らを改善させていく。その能力の高い個体あるいは個体群は、自らが護る生物種を生き延びさせ、さらに進化していく。その生物種を護ることに失敗したコルヌコピアは、護る対象がいないために、フィードバックループが機能せず、速やかに進化の競争から退場していく」
 アマルティは、自分の言葉が浸透するように私を見つめる。有り余る余裕を湛えた双眸で。
「もう分かるね? コルヌコピアが生物種に寄生し、吸い上げ、搾取している『栄養』とは、『願い』という言葉に隠された、環境からのあらゆるストレス――言い換えれば進化の可能性そのものさ。コルヌコピア単体、あるいはその群体に寄生された生物種は進化を忘れ、寧ろ退化していく。その一方、コルヌコピア群は更に進化を続けていくのさ。生物種のように、『子孫を残す』という明白な目的あるいは選別基準がなく、生物に奉仕するよう運命づけられた彼等にとっての、それが進化と進歩の方法なんだ」
 アマルティは心底軽蔑し切った顔で、地べたに這いつくばるピアを見据える。
「その悪魔にしたって、雑草のように君に踏みつけられながらも、内心ではほくそ笑んでいるはずさ。君たち人類という生物種に寄生し、そいつはこれからも進化を続けていくことができるんだからね。君の願いを聞いて、そいつはこの地球からは去るかもしれない。けれど、君との生活で得たフィードバックを活かして、別の地球では、もっと巧妙にやるはずさ。くく。次の地球でもそいつは大活躍だろうね。明白に攻撃的な態度を取らないために、誰にも気づかれず、あるいは危機感を抱かせず、さながら『神の日』のごとく、夜の盗人のように文明社会に入り込んでくる……。本当に悪質なインヴェイダーだよ」
 アマルティは、私とピアから数メートルの距離にまで近づいていた。
 そこで、彼女は立ち止まる。
「それで? アマルティ、何者なの、あなたは」
「味方だよ、君の。そして人類の」
 彼女は、柔らかな雰囲気のまま、告げる。そのにっこりした笑顔は、まるで私を口説こうとしているかのように、優しく、甘い。
「――ただの物理学専攻の学生じゃ、ないってこと」
 結論づけるように私は言う。
「学生でもあるよ。そして人類の味方でもある。兼業していても問題ないと思うけどな」
「どこで生まれたの? あるいは誰に創られたの? 『君たち人類』って言ったよね?」
 アマルティはくっく、と鼻につく笑い方をした。
「君は耳聡いね。そんなに知りたいかい?」
 アマルティはまるで真面目に答える風もなく言った。雰囲気だけは柔らかに保ったまま、その言葉の選び方には私の好奇心を排除する厳格さがある。
「でも、その前に仕事を片付けないとね――悪魔退治という仕事を」
 アマルティは柔和な表情のまま、その瞳の奥の光だけを、瞬間、鋭くする。
 緊張を孕みつつも、どこかたゆたうような曖昧さを含んでいた空気が、刹那の間に、凍てついた。

山口優プロフィール


山口優既刊
『アルヴ・レズル
―機械仕掛けの妖精たち―』