「悪魔」井上剛

(PDFバージョン:akuma_inouetuyosi
「好きな願いを一つだけ叶えてやろう」
 悪魔が俺のところへやって来てそう言った。
「どうせ、死後に魂を奪うとか言うんだろ?」
「ま、それは当然だな。あと、『不老不死』と『願いの数を増やす』は禁止だからな」
 前者は魂を奪えなくなるし、後者は有名な〈禁じ手〉らしい。
 死んだ後に魂がどうなろうがその時はその時だ。それより、何を願おうか。俺は悩んだ。
 失業の挙句ホームレスになり、野垂れ死にを待つだけの俺だ。一生食えるだけの金がいいか。それとも、法外な営業ノルマを課してきて、俺が達成できないとそれを理由にリストラしやがった上司や会社に地獄のような復讐を味わわせてやるか。
 考えれば考えるほど一つに絞り込めないでいると、悪魔が神妙な顔つきで言った。
「提案だが、『悪魔になる』ってのはどうだ」
「そんな願いが可能なのか?」
「ああ。悪魔は不老不死ではないが、それに近い。悪魔の力は便利だぞ。人間の姿で現世の生活を送ることも許可されているしな」
 成程、と俺は膝を打った。申し分なしだ。
「いいアイデアだ。よし、それで頼む」
「じゃあ、この契約書に血判を押してくれ」
 悪魔はナイフと書類を俺に手渡した。俺は言われた通り、親指を切って拇印を押した。
「結構。これで君は立派な〈こあくま〉だ」
「小悪魔? まるで女の子みたいだな」
 俺が首を傾げると、悪魔は唇をすぼめた。
「違う違う、子悪魔だよ。君から見れば、私は親悪魔ということさ。やれやれ、やっとノルマ達成だ。まさか三百年もかかるとはね」
 俺は契約書を見直した。小さな文字で『霊魂剥奪連鎖講加盟契約書』と書かれている。担保として自分の魂を預ける義務があり、人間の魂を集めて上納せねばならない、とある。
「大丈夫だよ、ノルマ通りに子悪魔を増やせば、座ってても儲かるようになるからさ」
 親悪魔は意地悪く笑って俺の肩を叩いた。

井上剛プロフィール


井上剛既刊
『死なないで』