「自動車泥棒の噂」片理誠

(PDFバージョン:jidoushadorobou_hennrimakoto
「あ、ないッ!」
 市場の近くに停めておいた愛車が忽然と消えたことに気づいた俺は、左右それぞれの手に大きな紙袋を抱えたまま、大慌てで周囲を見回した。
 ない! ない、ない、どこにもないッ! 俺の車がどこにもない!
 元は体育館だったと言う大きな建物のすぐ横。駐車スペースには何台かの車があったが、どれも俺のではなかった。俺のはああいうリヤカーや馬車ではなく、歴とした自動車なのだ。しかも車体のあちこちにピンク色のハートマークがでっかくあしらわれているから、どうやったって見間違えようがない。「新婚のお前ぇにサービスだ」と親方が勝手に描いた奴だ。恥ずかしいからやめてくれと頼んだのだが、せっかちな親方は俺が言い終わる前に描き終えていた。
 で、とにかくその車がないのだ。嘘だろ。買ったばっかりだったのに!
 どうすればいいのか分からず同じ場所で右往左往を繰り返していると、市場から出てきた顔見知りのおっちゃんに話しかけられた。
「よう、どうした、ィオタ。忘れ物かい? おいおい、落ち着きなよ、人参やら茄子やらがこぼれちまってるぜ。そうキョロキョロしなさんな」
 それどころじゃないんだ、という事情を説明すると、相手は俺がこぼした野菜を拾いながら「ああ、そりゃぁ自動車泥棒にやられたな」と言った。拾ったものを袋に戻してくれる。このおっちゃんは雑貨屋をしていて、所帯を持った関係で俺も色々と彼のところで買い物をしているから、今ではすっかり懇意なのだ。
「ジドウシャドロボウ?」
「ああ、車ばっかし盗んでく悪い奴がいるらしい。だが誰も見たことがねぇんだ。よっぽどすばしっこいんだろうな」
「そ、そんな。自動車なんか盗んでどうすんのさ?」
「さぁなぁ。泥棒の考えることは分からん。一応、自警団に届けておいた方がいいと思うぜ。まぁ、戻っちゃこねぇだろうけどな。何しろ消えた車を見た奴は誰もいねぇんだ。いつだって消えたっきりなのさ」
「そんな馬鹿な。あんなでかいものをどうやって隠しておくのさ」
「まったくだよなぁ。不思議なこともあるもんさ。……一個、もらっとくぜ。これは消費税だ」
 俺のだった完熟トマトをかじりながら、おっちゃんが悪戯っぽくにやり、と笑った。落とした拍子に半分つぶれちまってるからそんなのは別に惜しくも何ともないが、「ショウヒゼイ」という言葉が俺の心に引っかかった。
「何だい、それ」
「まぁ何だ、ちょっとした“おまけ”みてぇなもんさ。昔、そういう税金があったらしい。俺の爺さんがよく言ってたよ。物々交換のいいところは消費税がかからねぇとこさ、ってな。もっとも、爺さんも爺さんの爺さんから聞いたらしいが」
「ゼイキン?」
「んー、まぁ何だ、自警団や村長への差し入れみたいなもんさ。ィオタだってやってるだろ?」
 あぅ、とうつむく。
「そりゃ、持ってってるけどさ。かえって、もらっちまうことの方が多いくらいで。何しろまだ芋と豆くらいしか作れないから。肩身が狭いよ。俺も早く麦や米を作れるようになりてぇな」
「ま、そう焦るなって。その内できるようになるさ。何事も一歩ずつだ」
 おっちゃんは親切にも「俺の馬に乗せてってやろうか?」と言ってくれたが、大丈夫だからと断って俺は駆けだした。自警団の事務所ならすぐそばだ。

 ああ、そりゃ戻ってこないわねぇ、と自警団のおばちゃんが言った。やっぱり、と俺。おっちゃんの予想どおりだ。
 元は役所だったという、古すぎて半分崩れかけている建物のだだっ広い一階には彼女が一人いるだけだった。男どもは全員出払っているのだろう。あちこちがどんどん崩壊してゆくこの村では、人手は足りないのが常だ。
 照明はないが開けっ放しの、と言うか壊れっぱなしの、窓からは初夏の日差しが差し込んでいる。
 その恰幅の良い窓口役の中年女性は俺を見つけるやいなや、やっと話し相手にありついたとばかりにこちらの腕をむんずと掴んで俺をソファーの上に放り投げ、自分もその正面に素早く陣取ったのだった。
「ホント、不思議よねぇ、誰も見たことがないのよ、自動車泥棒が盗むトコ。それから盗まれた自動車もね。たまに誰も乗ってないのに走ってるなんて通報もあるんだけど、アレでしょ、自動運転て奴。前、親方が自慢してたわ、命令するだけで車が勝手にそこまで走ってくんだって。そんなことに何の意味があんのか知らないけどさ。そうそう、本当は親方が盗んでんじゃないのって聞いたら、あの人、血相変えて怒っちゃって。でもよく考えたらそんなことする意味ないわよね、親方のトコには車の残骸なんて山ほどあるんだし。え? 泥棒? 噂だと黒い帽子に黒いコートの、小さな子供だって話よ。もの凄く素早いんですって。ほら、ミュータントっての? あたしらが瞬きする間に村の端から端まで行って帰ってこれるとか。でもどうかしらね、だって誰も見たことないんだから分からないじゃない? そもそも車なんて要らないだろうしね、そんなに足が速いんならさ。ところで、どう? 奥さんは元気? ヒヨコたちは? そう。そりゃ良かった。あと半年もすれば卵を産むようになるよ。毎日、芋と豆ばっかりじゃ飽きちまうだろ。卵ってのは体にいいんだ。そうだ、幾つか持ってっておあげ。遠慮なんか要らないんだよ、家に帰れば食べきれないほどあるんだから。ま、今回は災難だったけどさ、オムレツでも食べて元気出してよ。奥さんにもよろしくね。ところで奥さんと言ったらさ、知ってる? 村長の奥さん、昔、親方とつきあってたことがあるらしいのよ、ホントかどうかは知らないけどさ。あ、これ、内緒だからね。それで噂によると――」
 おばちゃんの話は日没近くまで続いた。

 翌日、先月もらったばかりのカミさんにこっぴどく叱られた俺は、村中を歩き回って自分の車を探す羽目になった。
 日の出とともに家を出て、もう随分とあちこちを歩いたのに、あの恥ずかしいピンク色のハートマークはどこにも見当たらない。
 麦わら帽子の鍔をひょいと持ち上げてみれば、もう既に日が高い。今日も暑くなりそうだ。それにしても参ったな。昼までには見つけるつもりだったのに、手がかりすらゼロだ。
 この辺りも元は高い建物が沢山建っていたらしいが、今じゃそのほとんどは崩れて、雑草に覆われた瓦礫の山と化している。おかげで見晴らしは随分と良い。中央交差点から斜めに生えている電信柱の天辺まで登れば、村のほとんどを見渡せるほどに。
 背の高い木はまばらにしか生えてないし、市場や自警団事務所のような、まだかろうじて原形を止めている大きな構造物は幾つもない。住民たちの家はどれも平屋ばかりだし、その奥に広がる畑や田んぼの中にもあの目印は見当たらなかった。
 だいたいそんな人通りのあるところになんか、隠せるはずもないのだ。あのピンクはとにかく目立つ。
「ねぇなぁ」と歩きながらぼやく。
 どこかの物陰に転がってやしないかと思って、主立った通りを適当にぶらついてみたのだが、案の定と言うべきか、俺の車はどこにもない。すれ違う知り合いたちに「次は馬にしときなよ」と笑われただけだ。馬かぁ、と俺。そりゃ欲しいけど、俺の開墾した土地はまだまだ狭いので、牧草なんてとてもとても。馬だの牛だのは当分の間は無理だ。
「しょうがねぇなぁ」
 俺は仕方なく、郊外へと足を向けた。

 俺の姿を認めるなり、そのひげ面の大男は相好を崩した。
「よぅ、ヨタ坊!」
 まったく、親方にはかなわない。
「俺の名前はヨタじゃない、ィオタだってば。何回も言っただろ、親方」
「そんな長ったらしい名前をいちいち呼んでられるかよ。日が暮れちまわぁ」
 ガッハッハ、と大笑いしている。いっつもこれだ。
「ところでどうよ、車の調子は? いいモンだろ。日にさえ当てておきゃぁお前、勝手に発電して勝手に充電すんだ。自動運転つってよ、勝手に走ったりもするらしいぜ。コンピウタってのが上手い具合に色々やんのさ。どうでぇ。世話なしだろうが。馬じゃこうはいかねぇ。ありゃぁお前、草は食うわ水は飲むわで」
「それなんだけどさ、親方」
 俺が事情を説明すると暑苦しかったひげ面が一瞬で物憂げなものへと変化した。
「……なんでぇ、ヨタ坊んトコもか」
 落胆した様子で、いじくり回していた機械の塊を脇に放り投げる。派手な音が、左右にうずたかく積み上げられた車両の山にぶつかって、幾度もこだました。
 ここは元々はゴミ捨て場で、ここら一帯の、壊れて使い物にならない邪魔なだけのガラクタが集められているところだ。錆やらオイルやらの臭いがひどいので、普段は誰も近づかない。この初老の大男だけが、ここに住み着いて、機械どもの修理に明け暮れている。まだ使えるパーツ同士を組み合わせて、役に立ちそうなマシンをこさえているのだ。
 本人曰く「これも長年の研究の成果」なんだそうで、その手柄を誇示するかのように、周囲に自分のことを「親方」と呼ばせている。かつては村一番の荒くれ者で、今でも筋骨隆々、丸太のような腕の持ち主だ。この体育会系オヤジが、ほんの一部とはいえ、かつてのテクノロジーを復活させたなんて今でもちょっと信じられない。
「参っちまうよなぁ」とぼやきながら、親方が錆の浮く車のボンネットに腰掛けた。
「自動車泥棒のせいで、こちとら商売上がったりでぃ」
 そのしょんぼりしている様には哀れを誘われるが、同情してもらいたいのは俺も一緒だ。盗まれたのは俺なのだから。
「おかげでカミさんにとんでもなく叱られちまったよ。どうにかして取り戻せないかな?」
「そりゃ、俺だってどうにかしてぇよ。何しろレストアしたそばから盗まれちまうんだ。営業妨害も甚だしい。もう誰も車を買いやしねぇ。やっと売れたと思ったら、ヨタ坊もたぁなぁ」
 でも変だよねぇ、と言いながら親方の隣に腰を下ろす。ズボンの尻が錆だらけになるだろうが構うものか、どうせ野良着だ。
「なんで車を盗むんだろ?」
「そりゃお前、価値があるからよ。何しろ馬と違って車は――」
「でもさ、せっかく盗んでも使えないんだよ? この村であんなモンを乗り回せば、絶対誰かに見つかるはずじゃないか」
 そこよ、と親方がにやりと笑う。
「つまり犯人はこの村の連中じゃぁねぇってことだ」
 俺は最初、親方が何を言っているのか理解できなかった。
「この村の連中じゃないって……この村以外に、村なんてないじゃないか」
 数秒間の沈黙の後、「俺ぁ、あると思ってるぜ」と呟いて親方は遠くを見つめた。
「大災害を生き延びたのが俺たちだけってこたぁねぇだろう。ここら以外にも、人間の住んでいる土地はきっとあるさ」
 そんなものがあるとは俺にはとても思えなかった。あの果てしない荒野の向こうから現れた者など、噂ですら聞いたことがない。
「とんでもねぇ大きさの放射能帯やらクレーター跡やらを幾つも越えてかい? わざわざ車を盗むためだけにやって来るの? あるはずないよ、そんなこと」
「だが、そう考えなきゃ辻褄が合わねぇだろうが。まさかお前ぇまで、ミュータントとか言うお化けを信じてるわけじゃねぇだろうな」
「……親方が誰かの怨みを買ってるってことはないのぉ?」と俺は流し目。
 う、と彼がうめく。
「たとえば、村長とか?」
 再び親方が、う、と言った。
 ごほん、とわざとらしく咳払いをしている。
「ま、まぁ、俺とあいつとの間には昔から浅からぬ因縁があってな。わけは聞くな。だがそうだな、ヒントはやろう。俺は昔から女にモテたが、あいつはちっともモテなかった」
 やれやれ、と俺。確かに村長なら色々な証拠だって握りつぶせるのかもしれない。だがもしそうなら、巻き込まれた俺はとんだとばっちりだ。
「でも車をどこに隠しているんだろう? 一台だけならともかく、何台もだなんて、いくら村長でも無理だよ」
「誰が盗んでいるのか、調べる必要があるな。よし。俺にいい考えがある」
 悪党じみた笑顔を俺に近寄せてくる。
「実はもう一台だけ、修理の終わった車がある。それをお前に格安で売ってやろう」
 え、と俺。
「本当かい? 何と交換する? また芋でいい? 今度は豆にしようか? ああ、じゃ、卵にしよう。卵は体にいいんだよ。半年ほど先になっちゃうけど」
 ああ、と彼。まぁ、それでいいや、と続けた。
「で! その代わりにお前は自動車泥棒の逮捕に協力するんだ」

 蛍光グリーンで描かれたあちこちの大きなハートマークさえ除けば、新しい車も悪くはなかった。なかなかスムーズな加速だし、コーナリングも滑らかだ。ブレーキを踏めばちゃんと止まるし。
 親方のところを出発してしばらくは細い道が続いたが、やがて大通りへと出た。右折して中央交差点を目指す。そこを左折して十数分も走れば市場だ。
 まずはコールタールを手に入れろ、が親方の第一の指令だった。手に入れた後は村中を乗り回して、この新しい車を村民の多くに見せびらかすんだ、というのが第二の指令。
 これらがすんだら親方のところに戻って、指定された場所に停車する。その後、二人で車の周囲にコールタールをまいておく。誰かが車を盗みにくれば、このねばねばしたタールに足を取られるという寸法だ。もし上手く逃げ出せたとしても足跡は残る。それを辿れば犯人のところにたどり着く。
 普通ならタールの強烈な臭いでバレてしまうだろうが、親方のねぐらの辺りは普段からケミカルな悪臭がプンプンしているから、多少の異臭程度で気づかれる心配はない。さっすが親方だ。頭がいいや。
 ピンクのハートマークの方を泥棒から取り返せたら、あっちは女房にやろうかと思っている。夫婦で二台の車を所有してるなんて、この村の中でもきっと俺たちだけだろう。そう考えると気分が高まる。なかなか乙な心持ちだ。
 だがしかし、ギャアギャアとうるさい電子音声が、俺のこの上なく高まったテンションにさっきから水を差してくる。
〈車両ナンバー、JDKT29047982201AX。当車は有明中央第二交通管制局所管の一般車両です。通信エラー発生。運転者の登録情報ならびに運転者の国民ID番号の照合処理ができませんでした。当車両に関する車検の有無を確認できませんでした。当車両に関する車庫証明の有無を確認できませんでした。当車両に関する中央交通制御システムの登録を――〉
 意味の分からないことを延々と喋り続けている。何なんだこいつは? スムーズに走るのはいいのだが、車ってのはどうしていつもこんなにうるさいのだろう。黙っていることはできないのだろうか。親方にどうにかしてくれと頼んだのだが、コンピウタの中身は彼にとってもブラックボックスなんだそうで、「動くだけでもありがたいと思え。馬だって鳴くじゃねぇか。少しくらい賑やかな方が、寂しくなくていいってもんよ」と言い負かされてしまった。
〈当車両に関する自動車重量税ならびに自動車税の納税記録を確認できませんでした。接収コマンドの実行を宣言いたします〉
 まだ言ってやがる。ああ、うるさい。
 市場横の駐車場に停めた後も、車は〈なお、滞納された各種税金のお支払いには、便利な自動振り込みサービスがお勧めです〉などと喋っていた。タイノウ? カクシュゼイキン? 何だそりゃ。さっぱり分からない。どうせ話すのなら、もう少し愉快なことを言ってくれりゃいいのに。
「おっと、いけない」
 もたもたしてたら親方にどやされてしまう。
 俺は市場の中に急ぐ。
 中はいつもの通り、様々な肉や魚、野菜に果物、色とりどりの花々に満ちあふれていたが、ずらりと並ぶそれらには目もくれず、俺は一番奥にある雑貨屋へと急いだ。
「よぅ、どうした、ィオタ。え? タール? おいおい、もう雨漏りすんのかい? お前ん家は、この前建てたばかりだろ。しょうがねぇな。よっしゃ、もう一缶、おまけしてやろう。え、ああ、いや、芋はもういいや。そうだ! 今度、馬小屋を拡張するからよ、そん時の手伝いを頼むわ。代金はそれでいい。忘れねぇでくれよ。忘れたらお前ん家の屋根を差し押さえに行くからな」
 そう言うとおっちゃんはケラケラと笑った。もちろん約束を忘れたりするつもりはないが、「サシオサエ」という言葉が俺の心に引っかかった。
「何だい、それ」
「まぁ何だ、支払うべきものを支払わなかった時に、その代わりとなるものを押収しちまうことのこったな」
「何のために?」
「そりゃ、約束を守らせるためさ。払うべきものを払わねぇ奴にはお仕置きと、昔から相場は決まってんのさ」
 なるほどね、どうもありがと、とおっちゃんに礼を言って、今度は出口へと走る。
 差し押さえ、か。昔の人も上手い仕組みを考えたもんだな。だがそれでいくと、おっちゃんが差し押さえるべきは俺ん家の屋根ではなくて、親方んトコの駐車スペースってことになるんだけどなぁ、本当は。そう考えるとおかしくてたまらない。だが、自動車泥棒を捕まえる話はまだ俺と親方だけの秘密なのだ。皆に気づかれてしまうわけにはいかない。
 コールタールの入った大きな缶を両手にぶら下げ、俺はこみ上げてくる笑いを必死にこらえながら市場を後にする。
 まだ第一の指令をこなしただけだ。急いで第二の指令に取りかからなくてはならない。
 誰も見たことすらない自動車泥棒を俺と親方とで捕まえる。その時、村のみんなはどんなに驚くだろう。きっとさぞかし見ものに違いないな。駄目だ、もう笑いをこらえることができない、腹がよじれそうだよアッハッハ!
 だが角を曲がって意気揚々と駐車場まで戻った俺は次の瞬間、絶叫していた。
「あ、ないッ!」

片理誠プロフィール


片理誠既刊
『ミスティックフロー・オンライン 第5話
 スパイラル・ダンスの収束学(3)』