(PDFバージョン:interview_tujimasaki)
「はじめまして。……さっそくですが、インタビューをお願いできますでしょうか?」
日本SF作家クラブの総会で、この「公式ネットマガジンPW」の創刊が承認された時のことだ。会議が終わるやいなや、私・宮野は向かい側の席にいらっしゃった辻真先先生のもとへ走った。1961年生まれの宮野にとって「辻真先」は神様のひとりである。辻先生はその場で手帳をお開きになって、日時の設定をして下さった。
「しかし、辻先生のお仕事は膨大ですから、何かテーマを考える必要がありますね」
「では、初期のSFをめぐる状況について、話しましょうか」
そんなわけで、宮野と同じ世代に属する作家の井上剛さまと一緒にお話を伺った。
それが、このインタビューである。
辻真先先生、お忙しいところを、どうも有難うございました。
—— 辻真先さまとSFと言えば、まず、NHKにお勤めだった時に、手塚治虫原作の『ふしぎな少年』をTVドラマ化(1961年4月〜1962年3月)していらっしゃいますね。
辻「はい。時間を自由にできる少年が登場する『新世界ルルー』という作品を、もともとはやるつもりだったんですよ。そうしたら、手塚さんが「せっかくやるんだったら新作を描くから」とおっしゃって、〈少年クラブ〉に新たに描いて下さったんです。それが『ふしぎな少年』です。新作はとてももらえないと思っていたから、有難かったです」
—— 当時、「時間よ、止まれ」というセリフが流行語になるほどの人気だったと伺っています。NHKテレビがそういったSF的なドラマを扱ったのは、それが初めてですか?
辻「はじめてですね。そもそも、そのころのNHKでは、SFという言葉が通じませんでした。〈SFマガジン〉は既にあったんですけれどもね」
—— 〈SFマガジン〉の創刊は、1959(昭和34)年12月ですね。
辻「そう。ちょうど僕がNHKに勤めていた時ですね。初めて〈SFマガジン〉を見たのは、御徒町の書店でしたよ。でも、SFという言葉は一般にはほとんど知られていませんでした。ほら、SF作家クラブが旅館を予約したら「サン・フランシスコ サッカークラブ」と書かれていたという話があるでしょう? そんなようなものだったと思いますよ(笑)。だから、「時間が止まる」ということを説明するのには苦労しました」
—— SFという言葉も、SF的な概念も、まだ人々に認知されていないわけですね。
辻「そうです。ですから、まず、当時のNHKの上の方の人たちにわかってもらうのが大変でした。OKをもらうまでに半年か一年かかりましたよ。OKをもらってから手塚さんに話を持っていったわけですが。「時間が止まる」ということについて、竹内時雄とかガモフとかの本を示して、4次元の説明からしました」
—— 理論で納得してもらったんですか?
辻「映像という点では、ジャン・コクト—の『オルフェ』なんかも引き合いに出しました。黄泉の国に入る直前に郵便受けに入れた手紙が、黄泉の国で時間を過ごして戻って来ると、丁度郵便受けの底に落ちる音がする、これは「時間が止まる」ということだ。……そのように説明したら、「ジャン・コクトーがやっているなら、いいだろう」ということになりました。要するに外圧をかけたわけなんです(笑)。これは当時、よくやった手でね、日本の人、たとえば「斎藤寅次郎がやっている」ではダメなんです。…ドタバタギャグの神様なんだけどね」
—— もとの「『新世界ルル—』を読んでくれ」ではダメだったんですか?
辻「あ、それは無理です。読めないですよ。例えば『のらくろ上等兵』なんかお読みになるとわかるけれども、コマにナンバーが打ってあってありますよね。その順番で読め、と。手塚治虫以降というのは感覚で読みますでしょう? そんなものを読んだことがない50歳・60歳の人に、今さら読むことはできませんよ。だから、『読んでくれ』とは言いませんでした。読めば、「バカバカしい」と言うに決まっているから」
—— マンガに対する読解力……いわば、マンガ・リテラシーがなかったんですね。
辻「映像文化に浸っていませんからね。皆さん、活字文化ですから。TVドラマだって最初の撮影の時は「舞台」があったんですから。映画ではなく芝居なんです。その舞台を外すのに一年かかった、そういう時代です。…… 何でも初めてというのは、やってみなければわからないんですよ。たとえばCMだって、いきなり本編の違うものを流したら日本人は怒るんじゃないかという心配がされたんです。実際にやってみたら、パッと切り替えてくれたんですけどね」
—— でも、活字でもSFはありますよね、海野十三とか。NHKの上層部の方はそれも読んでいらっしゃらなかったんですか?
辻「あれはみんな子供のもので、ということがあったのと、それから、戦争が終わって、そういう熱血軍事空想科学冒険小説はダメだということになったんです」
—— 「軍事」の部分がひっかかるんですね。
辻「ええ。だから海野十三の『浮ぶ飛行島』なんて、……あれは、今にしてみると関西空港じゃないか。あれにエンジンがついただけじゃないか(笑)。……ああいうのもダメですよね」
—— 辻先生ご自身は、そういったものもよく読んでいらっしゃったわけですね。
辻「そうですね。海野十三でいいものといえば、『火星兵団』かな。あれは戦後、兵団という言葉が使えないので『火星魔』というタイトルになって、それを石ノ森章太郎さんがお読みになってSF好きになられたんですよ。『火星兵団』の火星人は植物人間なんですよ。それを隠しておいて、戦車につぶされても首を切られても生きている、いったいどういう敵なんだろうと、とても不思議な気がしましたね」
—— そういったものをお読みになられたのは、失礼ですが、お幾つくらいの時なんでしょうか?
辻「小学校の3、4年くらいですかね。もう、何でも読んでいましたね」
—— 当時、そういったSF的なものを読んでいる同世代の子どもたちはいらっしゃったんでしょうか?
辻「いないと思います。当時もマンガはあったんですけど、今のマンガとは全く違います。5銭の本と10銭の本があって、5銭のだと終わりがない(笑)。そこらへんの余った紙に適当に印刷して、ホッチキスで綴じただけの感じのものでした。10銭の本だと一応終わりがある。内容は、たいていアメリカのパクリでしたね。ディズニーのものとかもありました」
—— そういったものを、かなり恵まれて享受なさっていたんでしょうか?
辻「そうですね。名古屋のど真ん中にいましたから。家がおでん屋をやっていて、背中合わせで飛切堂という古本屋と中京堂という新刊の本屋があって、この両方だったら怒られないんです。親どうし知り合いですからね。あまりねばっていると「頼むから裏でそっと読んで」といわれるくらいで」
—— 商品を読んでしまう感じだったんですね(笑)。
辻「だから、あの頃の子供もののマンガは、ほぼ読み尽くしましたね。中村書店からSFものが多くでていました。小説では、海野十三『地球要塞』が記憶に残っています。オルガ姫というのが、綺麗な女の子なんだけどロボットで、闘う相手が金星人。それが四次元振動術で、アメリカのミズーリ号なんかを空中に持ち上げてポキッと折ったりするんです。四次元振動術とは何なのか、何の説明もなかったので、自分でいろいろ調べたりしました。あと、SF小説のほうでは、蘭郁二郎の『脳波操縦士』という作品が印象に残っています。自分の作り出したロボットの女性が友人に恋してしまったことに絶望した男が「π」というメッセージを残して自殺するんですよ。π=3. 1 4 1 5 9 2 6 5 3 5 8 9 7 9 3 2 3 8 4 6 ……だから、「みひとつよひとついくにむいみいわくなくみふみやよむ…(身一つ、世一つ、生くに無意味、曰くなく御文や読む…)という意味だったんですね」
—— それも、小学生でお読みになったんですか?
辻「小学5年生くらいかな。中学生になったら、もう学徒動員でゼロ戦をつくらなくてはなりませんでしたからね。名古屋は航空機の6割を造っていましたから、だから、もう、勉強どころじゃない。まず、本屋がなくなりました。古本屋も、全部、日本軍が来て潰していきました。名古屋のど真ん中でしたから、「強制疎開」させられたんです。だから、どの時期に何を読んだかというのは、明確です」
—— 小学生には、結構、難しい内容ですよね。
辻「あの頃は全部ふり仮名がついていましたから、大丈夫ですよ。だから、何でも読みました。春本も(笑)」
—— 大人に止められなかったんですか?
辻「それは本屋のものではなくて、親父の本棚の隅から(笑)。……何でも読んでおくものですよ。大人になってから「官能小説書いてくれ」と言われても、書けましたし」
—— 何事も経験…ですか。
辻「戦争中は、ずっとアメリカ映画もフランス映画もストップしていたんです。それが昭和20年代後半から怒涛のように順不同で古今東西の名作がどっと来たわけです。今、神田のあたりにDVDで並んでいる作品は、1年か2年のうちに全部観ました。高校3年生の時も、その年に名古屋に来た映画は全部観ましたからね。だいたい三百五、六十本くらいは観たんですよ。大学受験の年にそれだけ見たんです(笑)。それが、NHKに入ったら、年に5本も見られなくなってしまって。夜中しか時間がないんです。今だったら夜中にやっているところもあるけれども、当時はどうしようもなくて」
—— 本当にお忙しかったんですね。
辻「食べる時間と眠る時間と、どっちを削るか? これは食べる時間を削ったほうが、もつんです。眠る時間を削ると、もうダメです。二晩は完徹するんだけれども、三晩はダメで…」
—— そんな無茶を!
辻「仕事ができなくなってしまうんです。結局、あの時は栄養失調で倒れましたから。だから、やはり映画は観にいけないんですよ。昼間、体が空かなくては無理です」
—— さぞ、ストレスが溜まったでしょう。
辻「SF映画ということなら、ジョージ・パルのものはずいぶん観ましたよ。『地球最後の日』(1951年)とか『宇宙戦争』(1953年)とか、『黒い絨毯』(1954年)までは観ています。今ならCGでできるけど、当時は書き割りなんですよ。面白いんですけど、それがちょっとね。あと『遊星よりの物体X』(1951年)…プロデューサーはハワード・ホークスですね。あれも印象的だった。『放射能X』(1954年)もよかった。あれは『ゴジラ』のパクリなんですけど、モンスターの出し方や見せ方としては、『ゴジラ』よりも正解なのではないかと、円谷さんに申し上げたことがあります。映画の登場人物より先に観客の方にモンスターを発見させるんですよ。『ゴジラ』だと、「あ、あれは何だ?」と先に叫んでしまうでしょう? すぐ近くにモンスターがいるのに、登場人物たちが気がついていない方が、よほど恐ろしいですよね」
—— なるほど、そうなんでしょうね。
辻「工夫しだいで、いくらでも怖くできるんですよ。『未知空間の恐怖 光る目』(1960年)なんかもね、これはエイリアンが種付けする話なんですよ。エイリアンの子供たちをダイナマイトで吹き飛ばしたいんだけど、彼らの光る目で見られるとその意図を知られてしまう。だからずっと「レンガの壁、レンガの壁」と考えているんです。そのレンガの壁が少しづつ崩れていって、最後にダイナマイトが現れ、そして全員が死ぬ。これも金のかからない、いいなぁって(笑)。だからSFというのは何もスペクタクルやらなくたっていいんですよ」
—— アイディア勝負ですね。
辻「本当にそうですよ。あれには感心しました。妙なところに金をかけるより、あのほうがいい。あれは安い(笑)。今なら、TVドラマ30分の予算で楽々できていますよね。だから、本当にアイディアですよね。…そのようなことを、映像ではずいぶん覚えました」
—— そういったことの蓄積が、NHKでのドラマ制作のお仕事に生かされたわけですね。
辻「今までかつてなかったものをやろうということが、面白いと思うんですけれどもね。だから『ふしぎな少年』では自分が面白いと思うことをどんどんやりました。パラレルワールドとか、タイムスリップとか、パロディとかいう概念がない時代に、それをやっていましたからね。あの手、この手で自分でやり方を考えて。…それを皆も面白がってくれていると思っていたのに、東京放送劇団の勝田久さんに、そっと『辻ちゃんねぇ、給料分の仕事にしておかないと、皆に恨まれるよ』と言われて、シュンとなってしまって」
—— それは、当時、評判が高かったからでもあるんじゃないんですか?
辻「……まあ、僕はそれでNHKをやめたんです。その時期、帯ドラマのディレクターを1週間交代で担当してもらっていた俳優座出身の人がいたんですけど、彼はずっとNHKにいたので、後の「少年ドラマシリーズ」は、その人が子ども番組の方の部長になってから始めました。だから、種をまいただけのことはありましたよ。『タイムトラベラー』の脚本を書いたのも『ふしぎな少年』の時と同じ石山透氏です。だから、SFの役には立ちました(笑)」
—— 「少年ドラマシリーズ」は質が高かったですよね。私(宮野)がSFに目覚めたのも、それが放映された頃です。あ、私は『海のトリトン』のファンなんですけれども。
辻「ああ、『海のトリトン』では、新宿西口のプリンスという喫茶店で、女子高生に放映延長を膝詰め談判されて、血判状かなんか持って来られて……あれには、恐れ入りました」
—— 私も高校生くらいだったら、やっていたかも(笑)。放映当時は残念ながら、まだ小学生だったんですよ。アニメの視聴者の年齢がアップしていったのは、その頃ですよね。
辻「『海のトリトン』の演出をした富野由悠季(当時の名は富野喜幸)氏はドラマを積んでいくタイプなんですよ。「そこまで積んでも観るほうはピンと来ないんじゃないか」というセリフがのどもとまで出かかるんだけれども、それを言ったらドラマをつくるこっちの負けですから「じゃあ、やはり、もう1つ積もう」という、シジフォスの苦患を味わった覚えがあります。「お子様ランチなんだから、腹8分目で」という気持ちが全然ない人です。だから、ターゲットの年齢層はズレるんです。でも、あのドラマのつくり方、積み上げ方というのは…「レンガをひとつづつ積んでいく人」という印象があります。『リボンの騎士』の時は、それまでの虫プロの演出の人たちとは違うので、びっくりしました」
—— どういうことですか?
辻「手塚さんもそうなんだけど、感覚的なんですよ。だから、合うといいんだけど、合わないといくらやってもダメなんです。富野氏の場合は「一歩一歩、彼が望むところに近寄っているらしい」という手ごたえはあったんです。演出には絵系の人とドラマ系の人がいるんですが、富野氏はドラマ系でしたね。それは彼の持っている属性ですが、大真面目に、きわめて誠実に詰めていくタイプの人です。彼はシナリオライターではなくて、シリーズ全体の構成を考える立場で見ているという気がしましたね」
—— ずっとTVアニメを見て育ってきて、辻真先さまのお名前を目にしてきました。子どもですから、脚本家の名前とかは、あまり意識しなかったんですけど、辻真先さまのお名前だけは記憶に残っています。
辻「変な名前ですからね(笑)。本名ですよ、これ。親がつけた名前です。真先…真似をするなということで、うちの親は戦後二十年、代議士をやりましたが、「代議士の二世をやるような者になってはいけない」という意味もあったみたいです」
—— そうなんですか。
辻「『ふしぎな少年』は、今まで誰もやったことがないことをやってみて「面白かった」と言ってほしかったのに、誰も言ってくれなくて悲しかった。それで、〈SFマガジン〉に愚痴を投書(【付記】参照)したのが載って、それを平井和正さんが読んで手紙をくれた時は、本当に嬉しかった。「ちゃんと見てくれている人がいたんだ」と。それで、平井さんと会って、日劇の近くの喫茶店でおしゃべりをして、大岡山の柴野さんのところに連れていかれて…。その縁で『エイトマン』の脚本を書くことになるわけです」
—— それがアニメの脚本をお書きになった最初ですか。「かかわっていない作品を捜したほうが早い」と言われるほど多くのアニメ作品のシナリオを手掛けられることになられたきっかけは、一通の投書だったんですね。……さて、そのアニメ作品ですが、今やDVDやネットからのダウンロードで、古い作品・新しい作品の区別なく同一線上で比べられる時代になってきているように思います。
辻「それは、そうなんでしょうね。映画だって、戦後たくさん観たものの中でも、自分がピンときたものだけが残っていますからね」
—— このごろ「フィクションは現実の強度には負ける」とかいう言説が目につくのですが、いかがですか?
辻「そんなことで、「現実には負ける」と思う人は、最初から負けているんです。ぼくは戦争中、ひたすら空想して過ごしました。「今、何を食べてもいいんだったら、何をたべようか」とか、「卵があるんだったら、茶碗蒸し…だと卵の味が薄くなるから、卵焼き。いや、それよりも生のまま…」とかね。敵機が来ない時は、他のことをそうやって考えるわけです。いつも空襲のことばかり考えていたら、逆にストレスでやられてしまいますよ」
—— フィクションこそ、サバイバルに必要だ、と。
辻「大人の言うことは信用しない方がいいということは、戦時中に学びました。焼夷弾の消し方ひとつとってみても、大人の言うとおりにしていたら、死んでいます。消そうとなんかしないで、逃げたほうがいいんです。SFというのは「偉いさんの言うこと以外に、まだ、こういう道がある、ああいう道がある、いや、全く裏の道もあるんだと。そういういろいろなものがあるということを示してくれる。「それ一本しかない」というのは怖いですよ。………SFというのは、要するに、頭を柔らかくしてくれるということだと思います」
(2011年4月23日、新宿にて、聞き手…宮野由梨香・井上剛)
【付記】
辻真先氏がアニメにかかわるきっかけとなったのは、氏が〈SFマガジン〉に送った一通の投書だったという。〈SFマガジン〉には「てれぽーと」という読者からの投稿を載せるコーナーがある。1963年4月号(第4巻第4号)186頁のてれぽーと欄に、次のような文章を見ることができる。
隠れもなき手塚治虫氏の大ファンであり、往年の海野十三マニアです。ロボットがロボットを操縦する『人造人間F氏』金星からの使者が四次元跳躍の奇蹟を示す『地球要塞』etc。東宝の空想映画シノプシス募集に入選したりして、病篤いまま、テレビ界に籍のあったのを幸い、多忙の手塚氏に原作を頼んで、帯ドラマ『ふしぎな少年』の企画、演出にあたりましたが、サラリーマンの悲しさは、1年足らずで別の番組担当を命ぜられて、『少年』とは生き別れ。それにしても、お子様ランチとはいえ、テレビドラマで本気になって異次元テーマと取り組んだのは小生ばかりと、そのSFファンぶりをいささか自負していたものです。ところがおくればせながら、このSFマガジンを拝見するや、いまさらながら井の中の蛙を嘆くばかり——みなさん、いっしょに勉強させてください。
(*****投稿者の住所の記載あり**** 辻 真先30才)
(原文には当時の住所が載っていましたが、個人情報保護の観点からカットしました。また、辻真先氏のご指摘に従って、本文中の誤植等を訂正して提示してあります。)
辻真先プロフィール
宮野由梨香プロフィール
井上剛プロフィール
辻真先既刊
『『鉄腕アトム』から『電脳コイル』へ
アニメとはなにか』