「マイ・デリバラー(39)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer39_yamagutiyuu
 おまえの重みを思っただけで、わたしはもう十分恐れを感じた。しかしいつかは、わたしも強さを見いだし、おまえに向かって「出てこい!」と呼びかける獅子の声をわがものとしなければならない!

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」

 ――(総員、気密点検、ガスジェット点検、電磁小銃(レールライフル)点検)
 恵夢の声が聞こえる。通信機を通じ、「異常なし」の報告が恵夢に届けられていく。フィル=リルリは私が点検する前に、「恵衣様、全て異常なしです」と通信してしまった。
 ――(総員全て異常なしと認む)
 恵夢はやがて言った。
 ――(こちらエアロック。操縦室、エアロック解放頼む)
 コクピットの逸見三尉に向けて言う。
 ――(こちらコクピット。エアロック解放する)
 逸見三尉から通信。
 そして、我々が見守る中、シャトルのエアロックが徐々に開き、真空に対して暴露される。一瞬にして気圧が急低下、エアロックに残留していた水蒸気が凍り付き、薄い霜となってエアロック内部を白く染める。
 そして、目前――一メートルの距離に、宇宙基地アメノトリフネのクレーターだらけの表面、そしてその中央に無骨な人工物――第三予備ドッキングポートが見える。一人の自衛官がほかの自衛官の装備である電磁小銃よりもやや大きな装備を構えている。
 ――(電磁擲弾銃(レールグレネードランチャー)、狙え――放て!)
 恵夢の号令に従い、彼は擲弾をドッキングポートに向けて放つ。榴弾の着弾と同時にドッキングポートのハッチは破壊され、無重力の中ハッチの破片が飛び散る。ごうごうと大気が宇宙基地から漏れる音がする。
 ――(突入する。総員、私に続け!)
 恵夢は真っ先にガスジェットを噴かし、電磁小銃を連射しながら破壊されたハッチから内部に突っ込んでいく。待ち構えていたのは有機ヒューマノイドではない、ただの金属製のヒューマノイドタイプのロボットだった。性能の高いラリラと同型の有機ヒューマノイドは別の場所に配置してあるのかもしれない。
 自衛官が次々と突入していく。リルリと私は最後だ。リルリには宇宙服は必要ないため着用していないが、真空中で、見た目は人間の少女そのままのリルリが宇宙服も着ずにいるのは不安をかきたてる光景だ。
 ――(行きますよ、恵衣様――。基本的にあなたのガスジェットは私が操作しますので、ただ力を抜いていれば大丈夫です)
 我々が突入した時には、第三予備ドッキングポートに配置されていたヒューマノイドロボットは全て破壊され、その残骸が無重力の中で漂っていた。私のスキンタイト宇宙服の外部センサによれば、既に大気圧はゼロになっている。通信機からは断続的に突入部隊内の通信が聞こえてくる。恵夢は部隊を二手に分け、一方をI体投射システム、もう一方を基地の中央制御室に向かわせているようだ。I体投射システムそのものを物理的に破壊するか、中央制御室を占領して投射システムの制御権を奪えば良いという判断だろう。
 資源採掘衛星を再利用して建造された宇宙基地アメノトリフネは、資源採掘の為の坑道を利用して基地内の設備が作られている。重力の弱い小惑星においては、地球上のように火山活動や地殻変動によって金属資源が一つの鉱脈に集中して存在する余地はなく、資源は均等に小惑星内に含まれている。よって坑道も資源を採掘する表面積をできるだけ増やすという意味しかなく、縦横無尽に内部に張り巡らされていた。
 しかし、坑道が無秩序すぎれば、管理もしにくいし、中で作業する者も迷ってしまう。そういう意味では坑道の配置にも一定の秩序が設けられており、それは、現在「中央司令室」と呼ばれている空洞を中心にして、小惑星の表面に向かって放射状に配置された坑道と、その坑道同士を横につなぐ坑道から構成される。これらはそれぞれ、放射坑道、環状坑道と呼ばれている。
 敵の部隊配置の状況から、ラリラの部隊の主力は中央制御室にいるようだと恵夢は推定していた。そのため、恵夢からはリルリと私には中央制御室に向かうよう指示が来ていた。恵夢自身も中央制御室に向かう。I体投射システムそのものの破壊に向かうのは、突入部隊の副隊長を務める小鳥遊圭妃(たかなし・けい)准尉が率いる部隊だ。
 第三予備ドッキングポートから中央制御室を目指す恵夢の部隊は放射坑道、中央制御室を迂回してI体投射システムを目指す小鳥遊准尉の部隊は環状坑道を進むことになる。
 だが――。
 ――(こちら佐々木! 現在R3A66ポイントで有力な敵部隊と交戦中。突破困難)
 恵夢からの通信には焦りが含まれていた。
 ――(フィル=リルリの支援を請う)
 彼女は続ける。
 ――(ただちに向かいます)
 フィル=リルリは軽やかに坑道を再利用した基地の内壁をキックし、進んでいく。私はリルリが操作するガスジェットで彼女に付いていく。
 リルリという強力な戦力を部隊の最後尾に配置する恵夢の戦術には、2つの意味があった。まずは、背後から挟撃されたとき、即座に反撃し、包囲されるリスクを減らすこと、二番目は、リルリ以外の人間の自衛官の部隊を、主力であるリルリの「先行部隊」と位置づけ、リルリの到着前にラリラの張った罠に気付き、それをリルリに伝え、リルリが万全の体制で戦えるようにするということだ。
 現在のリルリ・ネットワークなるものは、ラリラとの和解を目指したリルリ、このフィル=リルリ、そしてラプ=リルリという、たった3つのノードより成る。二つではネットワークのバランスが悪いので三つとしているが、ラプ=リルリは、全世界が荒廃したこの状況では歌手になるという夢が実現できる見込みが全くないため、WILSが非常に不安定で戦闘には使用できない。他のリルリノードを作る案もあったが、リルリの短い人生で他に目立った渇望の対象がなく実現できなかった。留卯は「留卯を殺すという渇望」を提案したが、リスクが高すぎるとしてフィル=リルリが却下した経緯がある。その渇望の一部はミス=リルリ――つまりラリラとの和解に向かったリルリに吸収された。
 ラリラが大好きなリルリはラリラの元に向かわせることで安定し、私が大好きなリルリは私が共にいることで安定する。この二人のリルリを、それぞれ適した場に送り込んでいるだけ、というのが我が方の最重要戦力であるリルリの実態だ。
 それに対し、ラリラ・ネットワークには多くの――おそらく数十ノードのラリラが含まれている。一人一人のラリラがリルリと同じ戦闘力を持つのだから、それが数十も集まったらよほど強力な戦力になるだろうと、知能学者ではない私などは考えてしまいがちだが、全てのラリラが同じ考え方を持つので、留卯やフィル=リルリに拠れば、「一人の時と大して変わらない」という。一人のラリラが数十のヒューマノイド兵を操るのとほぼ同じ戦力にしかならないと。厄介なのは全てのラリラ・ネットワークのノードを倒しきるまでラリラを倒したことにはならないということであり、それだけだという。
 ラリラ・ネットワークの強みは、あくまで一人一人のノードを数多くの戦場に派遣する時に生まれるのであり、現状のように台湾の基地とアメノトリフネの二カ所にしか配置していないならば、一つの場所にどれだけラリラがいようと二人しかいないのと変わらない。
 ロリロがラリラの集団に翻弄されたのは、予めラリラが複数いると気付いていなかったから――それだけだ。
 そういう情報を事前に得ていたから、恵夢が通信してきた「有力な戦力」もラリラ・ネットワークのノードの一人が出現しただけで、それは少なくともフィル=リルリならば互角に戦えると、私は楽観的に見做していた。
 実際に戦場に到達するまでは。

山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』