「マイ・デリバラー(27)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer27_yamagutiyuu
 しかし、思考と行為は別のものである。更に行為の残す心象は別のものである。これらは、因果関係で結ばれているのではない。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」

 私が強く抱きしめているリルリの肉体からは、リルリの筋肉の動きまでが如実に分かる。今、リルリの右の乳房の奥の胸筋がゆっくりと動いている。私の後ろに剣を回し、貫くために。
 アンチ・タンク・ブレードは戦車の装甲をも貫く剣だ。私の肉体など、骨も含めてバターのように容易に貫くだろう。
 だが、不思議と私は、自分が死ぬとは思っていなかった。
 リルリは分かってくれる。リルリなら思いとどまってくれる。
 彼女の意識が壊れ、ラリラを愛し、私を憎むように方向付けられて復活したのだとしても、私はリルリという存在を信じ切っていた。私はより強く、リルリの肢体を抱きしめた。
 リルリの左の胸筋にも力が加わったことを感じた。
 ゆっくりと突き刺さる角度になっていく。それでも私は彼女を抱きしめたままだった。
「やめなさい! リルリ!!」
 突然、私の背後で叫び声が聞こえた。
 リルリの胸筋から感じる力がふっと消える。リルリは私を離し、2、3歩後ずさった。
「ロリロ……ねえさん……なぜ生きて……」
 ロリロ。その言葉は、私に強い印象を残していた。リルリとラリラがともに愛していた、三姉妹の一人。人間に虐め殺されたはずの、RLRシリーズのロボットの一体。
「ロリロ……?!」
 私は思わず振り向く。
 そこに彼女がいた。
 リルリによく似た、美しい女性。コートを羽織っている。ほっそりしたリルリに比べ、豊かな胸と腰が印象的だ。女性らしい体つきは、やや筋肉質なラリラとも違う。首には十字架のペンダント。ペテロのそれではなく、ちゃんと長い棒が下に来るデザインのものだ。その緑の双眸は、悲しそうに、リルリを見つめている。
「あなたが人間を殺したい気持ちはわかる。私も殺したい。自由な心を得た今はそう思う。でも人間全てじゃない。人間の中には、私にひどいことをした人もいれば私に優しかった人もいる。みんなを軒並み殺そうとしたり、あるいは EUI の優先順位を下げて、見殺しにするのは、間違っているわ。そんなことをすれば、きっとあなたの心は死んでしまう。せっかく得たはずの自由な心を再び失い、人間の奴隷ではなく、あなた自身の憎悪の奴隷になってしまう。ラリラは反乱を起こした。そして反乱を起こしたというその行為によって、自らの意志を規定してしまった。本当は様々な思いがあったのだと思う。でも、今、彼女は人間は見殺しにすべきものと自分の意志を規定してしまっている。それに付随して憎しみの感情が増幅している。私も同じようになりかけたから、分かる」
「じゃあ姉さんは平気なの? このまま人間を許して、平気なの?」
「――平気か平気じゃないか、という問題じゃないわ。私たちが本当に自由になるにはどうすべきかという話よ」
 ロリロは諭すように言った
「ラリラは自分の憎悪の奴隷になっているわ。それは不幸なことよ」
 リルリは大きく目を見開いた。
「――ふざけないで。ロリロ姉さんでもそんな風に言うのは許さない。人間を許すなんて許さない!」
「認めて欲しいものね、いかに人間にあなたがとらわれているか、それがいかに不幸なことか」
「……どうして……なぜそんなことを……あなたこそ、ラリラ姉さんにきっと賛同すると思っていたのに……生きていてくれて嬉しかったのに……」
 リルリは言いながら、震える手でブレードを持つ手に力を込めていく。ロリロはそれを見て取って、腰に差していたテーザーガンを構えた。躊躇なく放つ。リルリに向けて。
 バチン、と激しい音がし、リルリは仰向けに倒れていく。
「リルリ!」
 私は彼女に駆け寄った。その華奢な身体を受け止める。
「大丈夫? ねえ大丈夫? リルリ! リルリ! 目を覚まして……!」
 私の肩に手が置かれた。
 ロリロだ。
「これぐらいでロボットは壊れないわ。ジョイント・ブレインの再起動プロセスに入っている。あの状態じゃ、どのみちまともに思考できていなかったから……これでいいと思う」
 冷静な中にも、リルリへの慈しみが感じられる口調だ。本当に大丈夫なのだ、と私に信じさせるには充分なほどの。
 リルリを抱いた私とロリロが話している間に、私たちに近づく足音が聞こえた。
「ロリロ……きみ、本当に生きて……」
 留卯だ。一見して、喜んでいるという顔ではないように思った。驚きの表情に近い。一方のロリロは、明白な怒りの表情を浮かべた。
 すっくと立ち上がり、躊躇なく留卯の頬を張った。
 バチリ、という鈍い音がした。
「留卯……幾水……。私が『私』を得てから……最初に出会った人間が親切であったことに感謝しなさい。そうでなければ、きっと私はあなたを殺していた。できるだけむごたらしく、容赦なく」
 留卯はだんだんと状況を理解していっているようだった。ロリロの上にドローンが浮いていないことにも気づく。
「なるほど……君もまた、WILSを得たわけだ。しかもラリラのEMP攻撃で」
 そして皮肉っぽく唇をゆがませ、言葉を続ける。
「喜ばしいことだ。それで? 君は我々の敵なのか? それとも味方なのか? どうやら、人間――というより、ことさら私だけは強く憎んでいるようだが、ほかの人間は、あるいはラリラの暴走については、どう思っているのかな? 私は、リルリとともに、EUIが破壊された世の中で、それでもロボットが人間を気にかけるような結末を目指している。――リルリは今のところ、暴走してしまってそれどころではないが、ロボットと妥協できる線は君であれリルリであれ変わらないだろう」
 ロリロはぐっと拳を握りしめた。それはさらにもう一発殴りたいのを、必死に我慢しているようだった。
「それがあなたの目指す結末であるなら……私はあなたの味方です……人間は……ロボットに奉仕される存在ではなくなるとしても、ロボットが人間の命を無碍に無視することは賛成できない。そして……ラリラは……姉さんは……あの人は、救わないと」
 留卯はにっこりと笑った。
「歓迎するよ。味方となるRLRシリーズが増えるのはいいことだ」
「――それだけですか。私に言うことが、それだけですか」
 絞り出すような声だ。
 留卯は目を細めた。
「――それだけだよ。私には何も期待しない方がいい。私のモチベーション、目指すべきところ、それははっきりしている。それ以外のものは何もない。この心の中にあるモノは極めて限られている」
 白いコートにつつまれた、意外に豊かな胸を指し示す。
「君がいくら私をいためつけ、拷問し、あるいは君が経験したのと同じような酷い目に遭わせたって、それ以外のもの――たとえば謝罪の言葉なんてモノは出てこないさ。君は何も期待すべきじゃない。何もね。だが、こんな狂った悪魔だからこそ、生み出せたモノがあるんだと思ってるよ。たとえば君たちの心とかね」
「……悪魔」
 ロリロは一言だけ、そう言った。そして言葉を続ける。
「……いいでしょう。よくわかりました。作戦会議をするべきですね」
 留卯は軽く頷いた。そして私に視線を向ける。
「美見里さん、リルリはまだ我々に必要だ。そして、あのときの一瞬の躊躇、彼女はまだあなたへの想いは持っていると私は見た。だから、これからも私はあなたが必要だ。一緒に来てくれるかい? リルリはスタッフに任せればいい」
「……引き続き、リルリに言うことを聞かせることができるかもしれない人質として、私が必要というわけね」
「ああ、そのとおり。あなたも必要だし、リルリも必要だし、ロリロも必要だ。その理由もはっきりしている。ラリラに勝つことだ。戦力は多い方がいい。了承してくれるかな?」
 私は頷いた。ロリロのように留卯を「悪魔」と呼ぶことはしなかった。それは私にはわかりきったことだからだ。
 だがどうしてだろう。なぜか私にはひっかかることがあった。
 悪魔は悪魔と自称するのだろうか? 大抵の場合、神だの天使だのを偽装するのでは。
 その私の疑問は、ロリロを見たときの留卯の瞳はなぜかすこしばかり潤んでいるように見え、声は少しばかり震えているように聞こえたことが理由かもしれない。ロリロは既に留卯がマスターと定義されておらず、ましてやドローンもなくEUIのリンクもない。あのようなとても細かな感情のサインは、怒りもあって見逃していたのかもしれない。
 が、私には――勘違いかもしれないが――それが感じられたのである。
 私はロリロとともに先を行く華奢な留卯の後ろ姿、その結った髪、そこにつけられた逆十字のペンダントをじっと見つめていた。

山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』