「マイ・デリバラー(3)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer3_yamagutiyuu
 精神がもはや主なる神とは呼ぼうとしないこの巨大な竜とは、なにものであろうか? この巨大な竜の名は「汝なすべし」である。だが獅子の精神は「われは欲する」と言う。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」

 ドローン・キッサー、と言う言葉がある。DKと略される。ロボット偏愛者の意味だ。JSPCR(Japan Society for the Prevention of Cruelty to Robots)、日本ロボット愛護協会などはそう揶揄されている。
 彼等は愚かしいと思われている。何十年も前からAIは経済に役立てられてきた。産業用ロボットにも何十年もの歴史がある。AIも産業用ロボットも、従来から大変酷使されてきたし、使えなくなれば容赦なく消去・廃棄されてきたが、そのとき人々は特に彼等を「かわいそう」と思わなかった。
 だが、最近になって、特に人型のヒューマノイドロボットや、リルリのような形だけでなく見た目も人間そっくりな有機ヒューマノイドロボットが一般的になってから、急にそんな人が増えた――それは、彼等が持つ知能でもなく、過酷な労働でもなく、「人型」というファクターのみに感情がひきずられて、「かわいそう」と思っているということに他ならない。ロボットのジョイント・ブレインは感情を持つと言っても、かつてのAIが備えていた強化学習システムの報酬系と、基本的な仕組みは何ら変わらない。
 現在のロボットの酷使がひどいと言うのなら、何十年も前から酷使されてきた産業用ロボットやAIについてもひどいと言うべきだし、それを言わないのなら、現在のロボットに対してもそう言うべきではない。それが無矛盾で論理的な考え方というものであろう。
 ゆえに、DKは人形愛にすぎないのだ。幼児ならともかく、いい大人になって、人形やフィギュアを愛するのは馬鹿げている。
 それがDKや、その総本山とも言われるJSPCRに対する世間の評価である。
 リルリに出会って、突然私はDKに罹患したのだろうか。
 それとも、もっと重篤な別の精神症か。
 会社で働かせている多くのロボット――それはAGIであったり、それらを統括したり、人とコミュニケーションしたり、或いは細かい日常作業をやらせるようなヒューマノイドロボットであったりしたが――に、私は同情のようなものを感じたことはない。ただ、彼等をどう使いこなし、最大限の効率でビジネスを行うかに意を傾けてきた。会社で使っているのはリルリのような有機ヒューマノイドではなかったが、たとえば「ゆんゆんウェーブ」の有機ヒューマノイドのボーカロボを見ても、私は「会社のロボットと同じ物だ」と見なしてきたのである。
 リルリが「ゆんゆんウェーブ」のボーカロボたちよりも愛らしい少女型ロボットのように、私には見えるからか? やはり私は彼女を性的に扱いたいのか?
 ――違う。
 私はその時には結論を得ていた。
 リルリが倒れたからだ。
 目の前でヒューマノイドロボットが倒れ、そして問答無用で廃棄されそうになる、という衝撃的な体験が、私に今まで経験していなかった感情をもたらしたらしい。
 私のオフィスでロボットは壊れない。
 正確に言えばロボットは壊れるが、故障の予兆が検知された時点で私たちの目の前から消える。業者が引き取っていく。修理すれば戻ってくる。修理ができなければそのまま処分される。蓄積された業務知識は新しいロボットに引き継がせるから不都合は生じない。
 壊れるまで使い潰し、壊れたら修理できるかどうか検討もせず廃棄する、というのはある意味で新しいビジネスモデルだった。雨河急便のビジネスモデル検討AGIが、彼等のビジネスを取り囲む様々なパラメータから、最適なモデルを考え出したのだろう。そして、「中古のヒューマノイドロボットを壊れるまで働かせ、故障すれば廃棄する」という使い潰しモデルを最適と判断したのだろう。
「ご主人様? 何をいたしましょうか?」
 リルリがそう尋ねてくる。
「命令。R・リルリ。あなたが今一番したいことは何か、いいなさい。あなたは何がしたい? 何を欲する?」
 私の別の部分は、(馬鹿なことを聞くな)と主張していた。私がかつて学んできた、「ロボット使用法」のあらゆるルールに反した質問であった。
 だが、どうしても聞きたかったのだ。或いはそれ――ロボットに自分の意志を聞くこと――自体が、ロボットにとっては人間の命令のままに使い潰すよりもひどい虐待なのかもしれないが、それでも。
「え」
 リルリは固まった。
 リルリの頭の上で浮遊するドローンの点滅が、緑から黄色に変化、点滅の頻度も上がっていく。
「わ、わたしは……」
 笑顔が消えて、蒼白になる。
 愛らしい顔が絶望に染まっていくかのようだ。
「ご主人様のお望みのままに……ご命令のままに……なすべきことを」
 リルリは蒼白の表情でそう紡ぎ出す。
 私は厳しい目でリルリを見つめていた。
「違う……」
 リルリの顔に、厳しい中にも何か別の感情が浮かんでいるような気がした。
「違います……そう、本当に……本当にわたしがしたいのは」
 リルリは熱に浮かされたような顔で私を見ていた。
「歌いたい……踊りたい……あの頃のように」
 次の瞬間、リルリは倒れた。ふたたび。
 マッスルパッケージの故障では、明らかになかった。

山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』