「マイ・デリバラー(2)」山口優

(PDFバージョン:mydeliverer2_yamagutiyuu
 本物の「おのれ」は「わたし」に言う。「ここで苦痛を感じなさい!」すると「わたし」は苦しみ、どうしたら苦しまないで済むかと考える。――まさにこのために、それは考えなければならなくなる。
 本物の「おのれ」は「わたし」に言う。「ここでよろこびを感じなさい!」すると「わたし」はよろこび、どうしたら何度もよろこぶことができるかと考える。――まさにこのためにこそ、それは考えなければならなくなる。

――フリードリッヒ・ニーチェ著/氷上英廣訳
「ツァラトゥストラはこう言った」

 リルリが倒れた瞬間、私は何も出来ずに呆然と見守っていた。一瞬伸ばしかけた手が、空しく宙を掻く。リルリは私のアパートの部屋の前のコンクリートにまともに後頭部から倒れた。彼女の上に浮いていたドローンは、途中まで彼女の頭部と一緒にコンクリートに激突する軌跡を描いていたが、最後の瞬間に本体を裏切ってコンクリートの上に浮遊を続けている。回転しつつ、短い周期で赤く点滅している。アラートサインだ。
「えっ……」
 伸ばしかけた手のまま、私は数秒は固まっていたと思う。それほど意外だったのだ、「R」・リルリのような存在が、何の予告もなく、突然、バランスを失って倒れてしまうということが。
「ちょ、ちょっと!」
 その数秒の後、私は倒れたリルリの傍に跪き、彼女を助け起こす。軽く、華奢な肉体。リルリのようなヒューマノイドタイプのロボットの多くの部分は疑似有機部品で構成されており、同サイズの人間とほぼ同じ重量しかない。リルリのようなティーンの少女型なら、相応する性別・年齢の人間と同じ重量ということだ。
 数回揺さぶると、リルリは漸く目を開いた。ドローンの赤い点滅が止み、黄色い点滅に切り替わる。
「あ、あの……」
「どうしたの? 倒れるなんて……」
「脚の……マッスルパッケージの疲労のようです」
「なんでそれで、働き続けてたのよ」
 私はマッスルパッケージの疲労自体には驚かない。それはロボットにとって珍しいことではない。それで倒れるのも道理だ。私はそれでも先程は驚いた。ロボットは通常、マッスルパッケージの疲労が溜まれば申告するからだ。そして申告に応じ、使用者はロボットのマッスルパッケージを交換することになる。だから普通は倒れない。
「それは……今日は配達が多くて……交換の時間がなくて……」
「そんなPPMを設定したのは誰よ、全く!」
 PPMはプライオリティ・パターン・モデルの略だ。私はリルリを抱き上げて、アパートの部屋の中に持ち込んだ。ベッドに寝かせると、ドローンは本体の枕元に着地した。まだ黄色い点滅は続いている。私はドローンの横のパネルを開き、開いたパネルの裏のディスプレイをチェックした。両脚のマッスルパッケージが過度の疲労で機能を停止している。
 パネルには緊急連絡先も表示されていた。ウォッチが自動的にその番号を取得し、電話をかけるかどうか聞いてくる。再配達と同じく、こちらの窓口も二四時間対応だ。
「もしもし」
「はい、雨河急便、配達ロボット廃棄対応窓口です」
 滑らかな合成音声が明るい抑揚で対応する。相手は人工知能だろう。
「あの、廃棄じゃなくて、マッスルパッケージが壊れただけなんですが……」
「弊社ではマッスルパッケージの交換はしておりません。廃棄物の回収に担当者が向かいますので、ご住所を確認させてください。湾岸区夢ノ島、マリンパレスの……」
「いや、いいわ! 取り消し!」
 私は通話を切った。
 気づくとリルリは目を開いていた。上半身を起こし、不思議そうに私を見る。
「あの……廃棄回収は依頼されないのですか……? 私はこのままではここで粗大ゴミになってしまいます……。ご迷惑をかけるわけには……」
「不愉快なのよ、私が。こんな使い捨てみたいな働かせ方、いったいどうなってるの?」
「不愉快……そうでしたか。それは申し訳ございません」
 リルリは本当に申し訳なさそうに謝罪した。
「働かせ方のご質問ですが、弊社では専用の配達ロボットを新規に調達するということをしておりません」
 淡々と説明を始める。質問をされたら、何でもきちんと答えるのがロボットだ。それが社外秘でもないかぎり。
「弊社では、マッスルパッケージがある程度疲労した、中古ロボットを廉価で調達し、故障すれば修理せず廃棄という対応を取っております。こうしたシステムにより、より安価にお客様にお荷物を配達することができるのです」
 マッスルパッケージは高い。ロボット自体の価格の半分以上を占める。一方、ロボットの「心」――オペレーションソフトウェアは、今ではいくつかのパラメータを設定すれば自動的に構成されるので、数千円のライセンス料のコストで充分だ。
 私はため息をついた。リルリ自身に何を言っても無駄だろう。リルリにとっては人間に奉仕することこそが喜び。そういう感情を設定されているから、「自分を大切にしなさい」だとか、「自分の権利を意識しなさい」だとか言うのは無駄なのだ。
 そもそもロボットには権利がない。ロボット愛護協会は、ヒューマノイドロボットが過酷な環境で使用されるのは「かわいそう」という観念で活動しているが、それだけだ。感情論以上のものはない。動物愛護協会のような「生命を大切に」というロジックもない。ロボットには生命はないからだ。
「中古……ということは、前は別の仕事をしていたのね?」
「私はボーカロボ……アイドルだったんです……売れなかったですけれど」
 残念そうに、目を伏せて、リルリは言う。
 ウォッチが自動的に「R・リルリ」で検索を開始した。結果はすぐに出る。確かにリルリは、他の二台のボーカロボ、ラリラ、ロリロとともに、弱小音楽事務所がアイドルとして一年前まで活動させていた。ユニット名はロボティクス・ロジック・レボリューション。ロボット自身に作詞作曲ダンス振り付けを考案させ、実行させるという試みだったらしい。しかしコンセプトが受けなかったのか、プロモーションの資金が足りなかったのか、あまり人気は出なかったらしく(私も調べるまで全く知らなかった)数ヶ月前に解散と引退が発表されている。
 それで、中古で雨河急便に売却されたのだろう。
 むかついていた。
 私は雨河急便にもう一度電話をかける。
「もしもし、こちら廃棄回収まど……」
「このロボット、引き取っていい?」
 相手が全て言う前に、告げる。数秒の後、淡々とした言葉が続いた。
「弊社からお客様へのロボット廃棄依頼手続きになります。弊社の機密に関連する情報はロボットから消去されます。お客様の口座に弊社から廃棄料三二〇〇円が振り込まれます。当該ロボット、R―49/87998RLR「リルリ」の法令上の所有者はお客様に設定されます。廃棄は法令に則り、行わなければなりません。違法廃棄は罰則の対象です。また、当該ロボットは非実在青少年類似物に相当します。廃棄ロボットの目的外使用、特に非実在青少年の類似物として性的に扱うことは、三次元非実在青少年類似物等不正利用取締法により厳罰に処されます。了承されますか?」
 事務的な人工知能の音声を半ば聞き流してから、私は頷く。
「ええ、いいわ」
「では手続きを開始します。……終了しました。他にご質問はありますでしょうか?」
「ないわ。ありがとう」
 私は通話を切る。
 リルリはじっと私を見ている。目を見開いていた。驚いているのだろう。
「あの、私の廃棄をわざわざご自身でなさるのですか……?」
「違うわよ。引き取るって言ってるの」
「しかし、私はもう歩けません。何のお役にも立てないと思います」
「マッスルパッケージを買って、交換したら歩けるわよ」
「新品を購入するのと同じぐらいの価格になってしまいますよ……? なぜ中古の故障品を……?」
「さあ、本当にどうしてかしらね……」
 私の中での理由ははっきりしていた。だが、リルリに対して――いや、この世界で――きちんと相手が納得する説明ができる自信は、正直なかった。

 翌日、マッスルパッケージの交換品が届いた。それを私に届けた配達員のロボット(今度も外見を人間に似せたヒューマノイドタイプだった、そういう中古ロボットばかりを買って『ヒューマン』サービスということにしているのだろう)も、リルリと同じように丁寧に名刺を渡していった。
「どう? 動いてみて?」
 マッスルパッケージを装着したリルリに、そう声をかける。リルリは屈伸、跳躍など、一通りの動作をした後、にっこりと微笑んだ。
「問題ございません、ご主人様」
「嬉しいの?」
「はい。それはもう。またご奉仕できるのですから」
 それから眉根を寄せた。
「それにしても、本当に良かったのですか? きっと交換品は高額だったと思います。私に適用できるのは、エネルギー密度の高いマッスルパッケージのはずですから」
 そのとおりだった。リルリは身体が小さい割に、はげしい動きをするロボットとして設計されており、筋肉の小ささの割に、かなり強い力が出せるようなパッケージしか適合しないようになっていた。
「やっぱりアイドルだったから?」
 リルリは視線を落した。
「ええ、まあ……」
(そりゃあね。思い出したくないよね)
 私は思った。それはリルリにとって、哀しい記憶なのだ。アイドルという役割を与えられたものの、その役割の中で、より多くの人間を喜ばせるという任務を全うできなかったのだから。
 ロボットの感情表現は分かりやすいほどに分かりやすい。喜怒哀楽、はっきりしている。但し「怒」はない。人に奉仕する楽しさ、人に褒められたときの喜び、そして、人に奉仕できない哀しみ――。その構造が人間と唯一似通っていない有機部品、ロボットの頭蓋の内部に収められたジョイント・ブレインは、ロボットの肉体が見聞きした外部情報だけでなく、彼等の頭上に浮かぶドローンから送られてくるクラウド情報とも統合され、統合辺縁系にて人間への奉仕を感情としてロボットに促す。
 私たち人間も、実は感情の奴隷だ。自律神経系から大脳への指令信号である情動シグナルは、自己の保存を最優先した指示を快不快の形で大脳に命令する。情動シグナルを受け取った大脳は、大脳は快が続くよう、不快が回避できるよう、懸命に思考をめぐらせる。
 ロボットも感情の奴隷だが、ジョイント・ブレインの統合辺縁系において、感情が思考に指示する基準は自己保存ではなく人間の命令である。だから自己保存できなくても全く意に介さず、逆に人間の命令が遂行できなくなると死にそうなほど悲しそうな顔になる。
 だから、人間は安心してロボットを使いつぶせる。それがロボットの喜びでもあるのだから。私たちはそう教育されてきた。現代の人間の労働者の必須知識はロボットを使いこなす技術だ。他には、高度な経営・戦略判断――そう、次の宇宙旅行マーケットを月面にするか、火星にするかというような。
 だから私たちは知っている。優秀な労働者ほどよく知っている。廃棄物となって捨てられる最後の瞬間まで、それが人間に役立つことだと統合辺縁系に教えられれば、ロボットは喜んで死んでいく、ということを。
 ――それで、私は何をしたいんだろう?
 現代の労働者の一人である自分に問いかけてみたが、はっきりした答えは分からなかった。
 性的に扱いたいわけではない、それははっきりしていた。
 では家政婦にしたいのか。あるいは対等の友人にしたいのか。それとももっと別の使い方がしたいのか。
 ――いや、どれも違う。
 私は漸く分かってきた。
 ――私は、リルリに自分のしたいことをやらせたいんだ。
 たとえ、それが不可能なのだとしても、私は、そうしたかったのだ。

山口優プロフィール


山口優既刊
『サーヴァント・ガール』