「拷問島」太田忠司(画・YOUCHAN)

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 その少女が島唯一の船着場に姿を見せたのは、春まだ浅き三月中旬の午後だった。
 小柄な体にはいささか大きすぎるように感じられる茶色いダッフルコートに、無骨なくらい大きな革鞄。髪は短くカットしていて大きな黒縁眼鏡を掛けていた。
「はじめまして、密原トリカです。しばらくお世話になります」
 出迎えた私に彼女は元気な声で言った。
「ようこそいらっしゃいました。こんな辺鄙な島で若いひとが楽しめるようなところもありませんけど、魚は美味いし宿には温泉もあります。どうぞゆっくりしていってください」
 彼女を案内して私が営んでいる宿屋へと向かった。
「大学では何を勉強されているんですか」
「民俗学です。今は卒論の準備中なんです」
「それでここにいらしたんですか。しかしここに大学で研究するようなものがありましたかねえ」
「ありますとも。わたしがこの島――小紋島に興味を持ったのは、もうひとつの名前を聞いたからです」
「もうひとつの名前というと……」
「拷問島。そう呼ばれてますよね」
 ああ、やはりそれか。
「いや、たしかに昔はそう呼んでいたみたいですが、しかし今はもう誰もその名前では……」
「知ってます。外聞が悪いからその名では呼ぶな、と島のひとたちが言っていることも。でもわたしは、ここがそういう呼ばれかたをした根拠について調べたいんです」
 トリカという少女はきらきらした瞳を私に向けた。
「どなたか、島の歴史について詳しいひとはいませんか」
「そういうことなら、うってつけの人間が目の前にいますよ」
 私は言った。
「素人ではありますが郷土史の研究を三十年ほど続けています」
「あ、そうなんですか! ちょうどよかった。じゃあ、いろいろと教えてください」
「かまいませんよ」
 頷きながら、わくわくするような気持ちを無理矢理抑えていた。じつのところ、話し相手に飢えていたのだ。島には私の研究成果に興味を持つものなどいない。
 宿に着くと、トリカは大きなノートを抱えてさっそく私のところにやってきた。
「この小紋島は戦国時代から篠村家の領地だったんですよね?」
「そのとおりです。篠村家は織田、豊臣、徳川と時代が移ろう中でも滅びることなくこの一帯の領地を治めていました。まあ、戦略的にも価値はなく、陸地から離れていて統治も面倒という、言わば忘れられた土地だったからこそ、誰も手を出さなかったというのが本当のところですが。それでも近くに優秀な漁場があり、それなりに栄えてはいたんですよ」
「わたしが調べたところでは、この島を最初に『拷問島』と呼んだのは戦国時代、篠村兵衛の頃だそうですね?」
「さすが、詳しいですね。篠村兵衛は戦国大名である田方弾正に仕えていました。田方弾正というのは残忍さで知られていましてね、敵方は一族郎党皆殺しにしました。猜疑心も強くて、少しでも謀叛の疑いを持った家来は徹底的に責めたて、口を割らせた上で打ち首にしていました」
「家来を拷問したんですね。そして、そのために使われたのが、この島だった」
「ええ、疑われた家来は皆、この島に送られました。そして篠村兵衛が容赦なく拷問にかけ、謀叛の企みを白状させました。彼の手に掛かると、どんな剛の者でもたやすく口を割ったそうです。無実の者でさえ、兵衛の拷問に耐えきれず嘘の告白をして殺されたとか。中には拷問の苦しさに耐えきれず命を落とした者もいたそうです」
「容赦なかったんですね。でも、篠村兵衛はどんな拷問をしたんでしょうか」
「それなんですが、じつは記録には残っていないんですよ。私もあれこれ調べたんですが、はっきりしないんです。ただ、世にも恐ろしい拷問であったということだけで」
「拷問はどこでやっていたんですか。やはり篠村の屋敷でしょうか」
「いや、島のある場所に疑われた者を連れていって拷問したそうです」
「その場所、わかりますか」
「ええ。でも今日はもう遅いので、案内するのは明日にしましょう」
 その日の話は、それだけだった。トリカは私が用意した夕食を美味しそうに食べ、温泉に浸かって早々に寝床についた。
 私はいつものように晩酌しながら妻に言った。
「若い娘にしては研究熱心だ。しかし篠村兵衛の拷問の話はなあ。あんまり調べられたくはないよ。どうしてもというのなら、しかたないなあ」
 翌日、朝食を取ってすぐにトリカは私のところにやってきた。
「拷問の場所に案内してください」
「……わかりました」
 私は彼女を島の西側にある雑木林に連れていった。
「ここは昔から篠村家の者しか出入りを許されない場所だったそうです。そもそも他の者は嫌がって近寄らなかったようですが」
 それまで晴れていた空に黒雲が湧き、林が不穏な空気に満たされていくのを感じた。私は臆しそうになる気持ちを振り払い、林の中央を貫く獣道を進んだ。トリカも黙ってついてくる。
 歩くこと数十分、周囲を覆っていた木々が突然途切れる場所に出た。直径五メートルほどの円形の空間だ。剥き出しの土が黒い。
「ここだけ木を刈り取ったんですか」
 トリカが訊く。私は首を振った。
「いや、この部分だけ草も木も生えないんですよ。鳥もこの上は避けて飛ぶ。すべての生き物がこの場所を忌み嫌っているんです」
 トリカは物珍しそうに空間に足を踏み入れた。
「……ああ、たしかにここ、空気が違いますね。なんだか禍々しい」
「篠村兵衛は拷問する相手の両手両足を縛り、ここに連れてきた。その後どうなったかというと……」
 話しながら彼女の後ろに回り込み、ポケットから取り出したスタンガンを首筋に押し当てる。
 が、電撃を与えようとした刹那、トリカの姿が不意に消えた。
「え?」
 うろたえる間もなく、私の右手が捻り上げられた。
 痛みに振り向いた私の眼に、トリカの姿が映った。彼女は私の手から取り上げたスタンガンを、私の喉元に突きつけた。
 瞬間、強い衝撃に視界が揺らぎ、膝が折れた。私はその場に頽れた。
「護身術を習ってるんです」
 トリカの声が聞こえた。
「あなたがここでわたしを襲うことはわかってました。自由を奪ってわたしも拷問にかけるつもりだったんですね」
「あんたは……一体……」
 自分の声が虚ろに聞こえた。
「密原トリカと申し上げたはずです。聞き覚えありませんでしたか。あなたの奥様の親戚に密原という苗字の者がいることを」
「妻の……まさか……」
「小さい頃、おばさんにはとてもよくしてもらいました。親戚の中で一番好きなひとでした。そのおばさんにあなたは、何をしたんですか」
「私は……何も……ただ……」
「ただ浮気を疑い、口を割らせるためにここで拷問にかけた。そしておばさんは心を病み、自ら命を絶った。すべてはあなたのせいです」
「違う……妻は死んでいない。昨日だって、話をしてた」
「あなたはおばさんの位牌に話しかけてただけです」
 自分の足と手にロープが巻かれていく感覚がある。しかしスタンガンのショックで抵抗できなかった。
「わたしを縛るつもりでこのロープを用意されたんですね。ならば遠慮なく使わせてもらいます」
「何を……する気だ……」
「あなたがわたしにしようとしたこと。そしておばさんにしたことです。この場所に来て、篠村兵衛が、いえ、篠村家の者たちがどんなことをしていたのか、わかりました。体の自由を奪って、ここに放置する。それだけでいいんですね」
 やっと体の痺れが消えた頃には、ロープで身動きが取れないようになっていた。
「頼む、やめてくれ。こんなことしないでくれ」
 私が懇願すると、トリカは冷たい視線を向けた。
「きっとおばさんも、同じことを言ったんでしょうね。でもあなたは許さなかった。だからわたしも許さない」
 彼女は言った。
「ここで一晩、何が起きるか知りませんけど、明日になったら確かめに来ますから。それではまた。篠村さん」
 そしてトリカは去った。
 残された私は、ただ怯えていた。
「やめてくれ。助けてくれ。奴らが、奴らがやってくる……!」
 声を限りに叫んでも、応じる者はいなかった。
 木々に丸く囲まれた空は黒雲に覆われている。見たくなかった。眼を閉じたかった。しかし私の眼は、空を見つめつづけた。
「助けてくれ……助け……」
 瞼を開くように雲が割れる。その裂け目から禍々しい闇が広がった。
 私は悲鳴をあげた。闇が大きな雨垂れのように落ちてくる。その中に蠢いている、いくつもの影。言葉にすることもできないような忌まわしい異形の者たちが、獲物を見つけて我先にと私を目掛けてくる。
 奴らは、あの異次元の者共は、やがて私の心に食らいつき、耐えがたい苦痛をもたらしながら蹂躙するだろう。
 私は叫びつづけた。それだけが私の正気を保たせる、たったひとつの術だった。

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太田忠司既刊
『伏木商店街の不思議』