「彼の義体(カラダ)」朱鷺田祐介

(紹介文PDFバージョン:karenokaradashoukai_okawadaakira
 『エクリプス・フェイズ』日本語版翻訳監修者の朱鷺田祐介の新作「彼の義体(カラダ)」をお届けしよう。

 「彼の義体(カラダ)」は『エクリプス・フェイズ』での日常を切り取ったショートショートで、これまで「SF Prologue Wave」での朱鷺田祐介の『エクリプス・フェイズ』小説に触れたことのない読者にとっては、またとない入門となるかもしれない。

 これまで解説で何度も書いてきたが、必要とあれば義体(モーフ)を取り替えることができる、というのが『エクリプス・フェイズ』の大きな特徴である。もちろん、相応の費用が必要だし、義体適合テストをはじめ、まったくリスクを負うことなく、義体を再着装することはできないが、それでも、義体は『エクリプス・フェイズ』のポストヒューマンSFらしさを規定するうえで、きわめて重要なファクターとなっているのは間違いないだろう。
 面白いのは、この作品では「彼の義体(カラダ)」が彼のオリジナルではない、ということだろう。リリカルな語りのわびしさが、この事実によってさらに強調された形になる。

 舞台の火星は『エクリプス・フェイズ』ファンにとってはお馴染みだろう。この星で、もっともひと目を引くランドマークが、楯状火山であるオリンポス山だ。その山頂には、宇宙エレベーターがある。
 このオリンポス山は地球のハワイ島に似ているが、現在は死火山。標高はなんと、約27,000メートルに及び、太陽系でもっとも高い山とされる。

 朱鷺田祐介は、『エクリプス・フェイズ』と並ぶサイバーパンクRPGの雄、『シャドウラン』の日本語版翻訳監修者としても著名である。
 『シャドウラン』は上級ルールブック『アンワイアード』、そして『ランナーズ・コンパニオン』の日本語版が発売され、ますます盛り上がっている。
(岡和田晃)


(PDFバージョン:karenokarada_tokitayuusuke
 寂しい時は、彼の義体(カラダ)に入るの。
 火星の高山地帯を踏破するために作られたマーシャン・アルピナー。力強い手足を持ち、強化された肺は火星の薄くて冷たい空気の中でも息切れしたりはしない。高山の過酷な環境で身体活動を維持するために、新陳代謝を高めているので、多少燃費は悪いけれど、生の体(カラダ)/生体義体(バイオモーフ)で、太陽系最高峰のオリンポス山を歩き回れるのは素晴らしいことだ。
 私は、彼の義体(カラダ)を着装して/着て、山を歩く。

 大破壊後(AF)10年、人類が魂(エゴ)をデジタル化して、バックアップできるようになってすでに数十年が経過していた。身体形状(モーフ)は義体(モーフ)と呼ばれる、一時的な乗り物になった。バイオ技術の発達で病気を克服し、必要に応じて義体を乗り換えることで、事実上の不死を手に入れ、超・人類(トランスヒューマン)と呼ばれるに至っていた。

 私が今、着ている彼の義体(カラダ)/マーシャン・アルピナーは彼のオリジナルの肉体/スプライサー/遺伝子調整型生体義体(バイオモーフ)ではない。マーシャン・アルピナー造形タイプ「MA299」。外見上、コーカソイドの体格と金髪碧眼、濃い髭を持っているが、内臓や皮膚、特に呼吸器系は、高地順応したネパール人の肺と循環器系を参考に再デザインされたものだ。彼の本来の肉体は、地球の滅亡/「大破壊(ザ・フォール)」とともに失われ、地球で死んだ彼の魂(エゴ)はこの火星で、バックアップから蘇った。火星の辺境を巡回する保安官として貸し与えられた、このマーシャン・アルピナー義体(カラダ)に入り、四年間働いた後、着慣れた義体(モーフ)を買い取った。
 ふと、口が寂しくなる。
 煙草が吸いたい。
 彼には喫煙の悪癖があり、それはこの義体(カラダ)に染み付いている。たとえ、彼の魂(エゴ)が宿っていなくても、義体(モーフ)が煙草を求めるのだ。無意識に、腰の装備パックを探って煙草を取り出す。
 マルボロ。イギリスのフィリップ・モリス社のフィルター付き煙草。
 宇宙時代になって、ハビタット(宇宙居住区)の空気を汚す煙草は贅沢な嗜好品となったが、彼はやめられなかった。ありがたいことに、火星だけは喫煙に寛容だった。温室ガスが不足している、というのが理由で、野外であれば、自由に喫煙が出来たし、万能合成器で煙草を合成するための設計図(ブループリント)も多数、流通していた。フィリップ・モリス社の生き残りは同社の煙草のすべてを再現できるラインナップを安価に提供している。
 私も、本来のエグザルト義体(モーフ)/交渉用の高級生体義体(バイオモーフ)に入っている時は、煙草を吸わないし、その匂いもそれほど好きではなかった。
 だが、こうして、彼の義体(カラダ)をまとって野外で吸うマルボロは別だ。甘い煙が肺に満ち、心が落ち着いていくのが分かる。オリンポス山の冷たい山肌に立ち、赤い荒野を見ながら、一服することができる今ならば、彼の苦言も聞き流せただろう。
 火星の紫色の空へ向かって紫煙を吐き出す。
 温かい煙は火星の冷たく薄い大気/温度はほぼ氷点下5度/気圧は地球の半分/の中で、すみやかに薄れていく。21世紀初頭の映画で見たように、綺麗な輪を描いてはくれない。
 それでも、大気に混じった煙草の香りは、彼を思い出させる。
 それは彼の匂い。


クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
NinchenBlnを著作者とするこの 作品 は
クリエイティブ・コモンズの 表示- 改変禁止 4.0 国際 ライセンス
で提供されています)

 彼の魂(エゴ)は、今、ここにはいない。
 彼がエゴキャストしてもう二ヶ月になる。
 彼は義体(カラダ)/使い慣れたマーシャン・アルピナー/私が愛した肉体をボディバンクに売り払い、小惑星帯(ベルト)に去っていった。エゴキャスト後、この義体(モーフ)に残された彼の魂(エゴ)のバックアップは消去され、義体(カラダ)は空白の器になった。私はボディバンクから彼の義体(カラダ)を買い取り、保存することに決めた。オリンポス・シティでそれなりの重職にある私には高価なマーシャン・アルピナーでさえ、ポケットマネーで購入できるのだ。
 何度か、この義体(カラダ)に、別の魂(エゴ)を入れることも考えたが、それは彼じゃないとすぐに気づいた。AIでもダメ。彼でなくては。
 せめて、彼の魂(エゴ)のコピー/分岐体(フォーク)があれば。
 アルファとは言わない。彼の心が感じられるならば、ベータでもいい。
 確か、裏稼業の仕事で、魂(エゴ)をさらってきてくれる者がいると聞いたことがある。
 いえ、それはダメ。
 だって。

 寂しい時は、彼の義体(カラダ)に入るの。
 彼の指、彼の手、彼の体。
 あの日、私と彼はここで諍いを起こした。彼は癇癪を起こし、私も彼を侮辱した。
 彼は私を撃ち殺し、火星から去っていった。
 私は大脳皮質記録装置(スタック)に記録された魂(エゴ)から戻ってきたが、すでに、彼はこの義体(カラダ)を売り払い、小惑星帯(ベルト)のどこかに去った後だった。
 彼はもう戻ってこない。
 義体(カラダ)を売り払ったのがその決意の証。
 だから、追いかけたりはしない。
 だけど。

 寂しい時は、彼の義体(カラダ)に入るの。

(終)



Ecllipse Phase は、Posthuman Studios LLC の登録商標です。
本作品はクリエイティブ・コモンズ
『表示 – 非営利 – 継承 3.0 Unported』
ライセンスのもとに作成されています。
ライセンスの詳細については、以下をご覧下さい。
http://creativecommons.org/licenses/by-nc-sa/3.0/

朱鷺田祐介プロフィール


朱鷺田祐介既刊
『シャドウラン 4th Edition 上級ルールブック
ランナーズ・コンパニオン』