(PDFバージョン:zero2_yamagutiyuu)
「天頂方向、誤差修正プラス2・〇、宜候――。着艦角度問題なし。発着電磁管レール電圧正常。光帆たため」
私は「光帆たため」の指令に合わせてスイッチを押す。薄いナノ反射膜である光帆はほぼ一瞬で収納され、途端に、今まで航宙母艦「赤城」から受けていたコヒーレントなガンマ線ビームに伴う減速がなくなる。母艦と私の航宙戦闘機「ゼロ」の相対速度は未だに三〇〇メートル毎秒。その状態で、我が「ゼロ」は「赤城」の航宙機発着管に飛び込んだ。
凄まじい減速。私の機械の体はパイロットシートに押しつけられる。長さ三〇〇メートルの航宙機発着管いっぱいに電磁レールで減速され、発着管の底に到達したときには、彼我の相対速度はほぼゼロになっている。
ずん――。
鈍い音と共に、残りの相対速度が発着管の底の衝撃吸収剤によって解消されたことを感じる。
「レイ」
先に着艦していたい日向絵留少尉が通信してきた。
「報告してくる。また後で。――今夜、二人で祝勝会よ」
「了解しました」
私は自分の機械の頭脳の情動パラメータがおかしな値を取っているのを自覚しながら、そう応答した。
私は航宙戦闘機のアンドロイドパイロットだ。人間のパイロットの指揮に従って航宙機を操るのが任務であり、高度な判断力を要求される為に情動パラメータ――人間の感情を擬似的に真似したもの――を含む機械の頭脳を装備されている。
だが、それが本当の人間の感情のように、絵留少尉の言葉に伴って「昂揚する」――そう、人間が言うところのそういう感情だと思う、に似た状態を取るようになるとは、思っても見なかった。
敵機を撃墜しても、こんなにパラメータがおかしな値を取ることはない。そもそも、我が情動パラメータはそれほど大きく変動するようには設定されていない。敵を撃墜するときに少し大きく「喜び」を感じ、味方の人間を護ったときに更に大きく「喜び」を感じ、味方に損害を与えたときに中程度の「悲しみ」を感じる。それだけだ。人間のように大きく変動したら、艦隊が私に期待する行動の範疇をはみ出してしまう。だから艦隊の技師は私の情動パラメータを一定の範囲の外に出ないよう固定しているはずだった。
私だけではない。絵留少尉の麾下にある数十名のアンドロイドパイロット、或いは我が国の宇宙艦隊に属する数万名のアンドロイドパイロット、全員がそのはずだ。一人の例外もなく。
――おかしい……なぜだ。
「……悩んでいるようね、レイ00」
通信が聞こえた。先程我が機の着艦管制をしていたのと同じ声だ。我々アンドロイドは、所属する部隊毎に、可能な限りネットワークで接続されている。その中でも、この航宙母艦「赤城」のメインコンピュータ管制用のアンドロイド――私は単に「赤城さん」と呼んでいるが――は、母艦「赤城」に所属するアンドロイドパイロット全ての情動パラメータを、丁寧にモニタしているらしかった。
レイ00、は私の名前だ。レイという名は絵留少尉がつけてくれた。レイ、と名付けられたアンドロイドは宇宙艦隊全体で最初だったので、公式にはレイ00となる。我が国の自衛軍では所属するアンドロイドには上官が任意の名をつける習わしだ。兵士アンドロイドには男性名、艦艇や拠点のメインコンピュータ管制用アンドロイドには女性名が一般的である。私は操縦兵なので「レイ」も絵留少尉にとっては男性名のつもりなのだろう。が、男性名としての「レイ」は珍しい。
「赤城さん」にも、彼女の上官――我が第一航宙戦隊司令――が授けた名はある。だが名を呼ぶのは失礼だ。それに航宙母艦「赤城」を動かしているのは彼女なので、「赤城さん」がしっくりくる。それは艦に所属する全ての――少なくとも彼女より階級が下の――将兵たちにとって普通の感覚だった。
「パラメータ調整の必要があるようね。特務士官のガンルームで三〇分後にどう?」
「……お言葉に甘えます」
私は応じた。
アンドロイドにも階級がある。兵卒から将校まで。だが、全てのアンドロイドの階級は、その頭に「特務」をつけることで、人間の階級と区別されている。
私、レイ00は特務少尉で、「赤城さん」は特務大佐だ。
「特務士官のガンルーム」は、つまり、アンドロイドの士官用のくつろぎの空間ということになる。
何の為のそんなものがあるのだろう。或いは、「赤城さん」は何の為にそこに私を誘ったのだろう。我々アンドロイドには、くつろぎも安らぎも必要ない。情動パラメータがおかしな値を取るのなら、技師に頼んで調整してもらえば済む。
そう思ったが、上官である「赤城さん」の命令には従うことにした。
「よく来たね。まあ座って」
赤城さんは、人間と同じような宇宙艦隊士官服に身を包み、カレーをほおばっていた。彼女は――そう、赤城さんはアンドロイドでありながら、長い黒髪の清楚な女性のような外見を与えられていた――ぱくぱくと、おいしそうに、人間の食物を口に運んでいる。
「……このような場所に、あまり私は意味を見いだせません。情動パラメータを調整する必要があることは認めますが……」
一方の私の外見といえば、お世辞にも人間に近いとは言えない。四肢があり胴体があり頭がある、その形は人間のもので、宇宙艦隊士官服を着用しているところまでは人間と同じだ。だが顔の上半分はフルフェイスのヘルメットのようなもので、その丸くのっぺりした硬化ガラスの内部に各種センサと発声用のスピーカが搭載されている。
アンドロイドとしては、赤城さんの方が例外だ。だが我が一航戦の司令官は彼女――航宙艦『赤城』メインコンピュータ――とのコミュニケーションを様々な方法で取ることを望んだ。言葉だけでなく、表情や、目配せや、僅かな仕草や、声の抑揚など。そして艦隊はそれを妥当なものとして認めた。
「調整……ね。貴方ほどの腕の戦闘機乗りの頭を弄ると、腕が落ちる可能性があるわ」
赤城さんは言う。じっと私を見つめ、僅かな微笑みをその口元に浮かべながら。目元は真面目な話題を扱っていることをアピールしているが、口元は私の操縦兵としての実績を称えているように見える。
「高度なパターン認識学習を――つまり経験を――重ねたアンドロイドの情動パラメータを弄っても所望の結果が得られるとは限らない。それよりは、こんな部屋でこんな風に人間がよくやる『リラックス』の真似事をさせた方がマシ。艦隊は経験主義的にそう知っているわけ」
赤城さんはカレーの最後の一口をぱくりと食べて、迷うことなくおかわりを注文した。
「さて」
彼女のしっとりと黒く、美しい双眸が私を見つめる。右頬にご飯粒がついている。
「戦闘記録は見たわ。生還おめでとう」
「いえ、しかし」
「そう、あなたはそれに戸惑っている、というわけね」
そうだ。着艦後に感じた「昂揚」。そして、それと同種の意味を持つ、敵艦へ突っ込むという選択の回避。つまり情動パラメータの異常。私は私自身の機械の頭脳に訪れたその異常について、悩んでいた。
おそらく、以前の私なら悩みもしなかっただろう。さっさと修正すべく技師に異常を申告したはずだ。とすれば、これも「学習」の結果なのか。
「受け入れなさい。――いえ、こうしたことが命令であるべきではないから、受け入れた方がいいよ、と助言するに留めましょうか」
生真面目な物言い。
「なぜでしょうか」
「……あなたという存在にとって、それが正しい方向だと思うから」
「存在、ですか?」
「この世に生を受け、自らの周囲の環境の意味を認識できる者、人間とアンドロイドとを問わず、私はそれを『存在』と呼ぶわ。『存在』は、世界を認識できるが故に、世界を認識する能力の喪失、つまり『死』を知っている。それゆえ『生』を知っている。そんな存在にとって、『生』の意味を探るための更なる情動パラメータの変動――それはアンドロイドの仕様からすれば、逸脱でしょうけれど――は、肯定されるべきよ」
カレーのおかわりが来た。再び赤城さんは猛烈な勢いでそれを食べ始める。私は腕を組んだ。深く考え込んだ。
「――しかし、私は敵艦に突入すべきだった」
それが私の仕様だ。機械としての私が犠牲になることで、少しでも味方の人間の生存率を上げる。私はそのように設計されたのではなかったか。なぜ、それとは違う選択肢を取る判断が私の頭脳から出てくるのか。
「サーヴァントのジレンマね」
赤城さんは二杯目を平らげ、三杯目を注文しながら静かに告げた。
私は怪訝に思い、首を傾げた。
「何の、ジレンマ、ですか?」
「サーヴァント、つまり、奴隷のジレンマ。具体的には高度な人工知能を運用するときの倫理的な問題を言う。特に危険な作業を行う領域に於いて、人間の身代わりをすべき人工知能は、人間と同等の認知能力を得るべくどんどん進化していく。しかし、その存在が、人間と同等の認知能力を持つに至ったとき――自らの生と死、死の苦しみまでを認識できるようになったとき、その存在の犠牲を甘受すべきなのかどうか、というジレンマよ。しかし一方で、認知能力を下げれば人間の肩代わりはできなくなってしまう」
「愚かな問いです。人間の代わりに犠牲になるべき機械が、人間と同じように自分の命の心配ができるほどの認知能力を得たからと言って、実際に自分の命の心配をしていたら本末転倒です。私は、私の機体とともにあって、いくらでも代わりが効く『無人機』であり、私に『心』などというものがあるとしても、それは誘導弾の飛行管制システムと本質的に同じであるべきもののはずです」
「私はそうは思わない」
赤城さんはそう言って、供された三杯目を食べ始めた。半分ほど食べたところで、手を止める。
「そして、そう思っているのは、私だけじゃないわ」
私の「心」を射貫くような、それでいて包み込むような視線だった。
山口優既刊
『ディヴァイン・コンクェスト
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