「アシュラジャケット」田丸雅智


(PDFバージョン:ashurajyaketto_tamarumasatomo
「じいちゃん、これなに?」
 とぼくが尋ねると、油のついた白いツナギを着たじいちゃんは得意そうにこう言った。
「アシュラジャケットのことじゃな」
 ここコイケ機械鉄工では、日夜、妙なものが生み出されつづけている。
 くるりと丸まった鉄くずの散らかる工場の隅には、いつの間にかアルミのハンガーラックが置かれていた。そしてそこには、黒いジャケットがずらりと何着も並んでいる。
「アシュラジャケット?」
「ほぉよ」
「またじいちゃんが発明したの?」
 ぼくが背を伸ばしてそれを手にとろうとすると、じいちゃんは慌てて止めに入った。
「おっと、さわっちゃいかん。まさにはまだ早いからの」
「うそだ。そんなこと思ってないくせに。どうせ何か起こるといけないからぼくには触らせるなとか、ばあちゃんに言われてるだけでしょ。いいじゃん、少しくらい」
「だめだ。ばあさんに怒られる」
「やっぱり」
 やれやれと、ぼくはわざとらしく肩をすくめる。
「まあ、分かったよ。でも、これは何に使うためのやつなのさ」
 ぼくは改めてジャケットを観察した。どれも首のあたりからにゅうと一本、金属の棒が突き出ている。先っぽには、フックのようなものがついていた。
「このジャケットを着るとな、腕がもう一本増えるんじゃ。それも、とびきり丈夫な腕がの」
 そう言って、じいちゃんはジャケットを一着ハンガーから取りはずして腕を通した。チャックを上げると、それはじいちゃんの身体にぴったりフィットした。
 と、次の瞬間だった。
 首根っこあたりから突き出た棒が、根もとのところを中心にぐるぐる回りはじめたんだ。驚いてじいちゃんの方に目をやると、手元のレバーをこっそりいじっているのが目に入った。じいちゃんはぼくに向かってにやりとすると、肩の横のあたりでその回る棒をぴたっと止めた。
「驚くのはまだ早いぞ」
 そう言ったが早いか、今度は棒の先っぽについてあったフックがウィーンと音を立てて降りてきた。そうしてそばにあった油の詰まった一斗缶を引っかけると、もう一度ウィーンウィーンと元の位置へと戻っていく。缶は宙ぶらりんの状態で空中で止まった。
「クレーンだね!」
「ほぉよ」
 じいちゃんはクレーンゲームで遊ぶようにウィーンウィーンと一斗缶を上げたり下げたりしてみせた。
 着られるクレーンなんて、すごい発明だ!
「でも、重くないの?」
「最先端の研究の成果じゃよ。重さはジャケットから身体の芯に伝わって、うまいこと地面から逃げていくようになっておるんじゃ」
 じいちゃんは、やっぱり天才だ!
「これで何でも持ち上げられるね。その、なんとかジャケットで」
「アシュラジャケット、だな」
 ぼくは、その言葉がよく分からずに聞いてみた。
「そのアシュラっていうのは、どういう意味なの?」
「仏教に、三つの顔と六つの腕を持ったアシュラという神様がおっての。このジャケットを着ると腕が増えるじゃろ。だからアシュラジャケットと命名した」
「でも、増えるのは腕一本分だけなんでしょ。アシュラとかいうやつとは全然ちがうじゃん」
「細かいことはいいんじゃ。これから増やす予定なんじゃから。まったく、あげ足をとるところが、ばあさんそっくりでいかんな」
「でも、ばあちゃんも大助かりだね。重い荷物だって軽々持てるんでしょ。お米を買っても、これなら一人で運べるし」
「それがわしの狙いじゃよ」
 じいちゃんは含み笑いをした。
「どういうこと?」
「毎度毎度、ばあさんの買物に付き合わされるのが面倒でな。そこで、なんとかせんととココを使ったわけじゃ」
 頭を指でとんとん、とやる。
「必要は発明の母と言うじゃろ。おまえも、将来のために覚えておくといい。正しい頭の使い方をな」
 じいちゃんはにやりと笑ってこう付け足した。
「まあ、興味を持つのはいいことじゃがな。わしのいるところではくれぐれも触ってくれるなよ。わしがばあさんに怒られるんじゃから。心配が過剰で口うるさいからのお」
 そう言って、じいちゃんは事務所の方へと戻っていった。
 じいちゃんの姿が見えなくなると、ぼくはさっそく当然のようにジャケットを手に取った。
「かっこいいなぁ……」
 じかに触ると、着てみたいという思いが強くなった。でも、見つかったら面倒だってことも分かってる……。
 いいこと思いついた!
 と、ぼくはむふふとにやにやしてしまう。
 これだけあるんだから、ちょっとくらいなくなっても分からないに決まってるじゃないか。
「ばあちゃん、ちょっとケイスケの家に行ってくる!」
 ぼくは四着ほど失敬すると、近所の友達の家に遊びに行くことにしたのだった。

 子供部屋にこもってゲームをひと通りやり終えると、ぼくはアシュラスーツをバッグから一着取りだしてみんなに自慢した。
「じいちゃんの発明品さ」
 この瞬間は、いつも鼻高々だ。おお、と歓声が上がる。
「アシュラジャケットって言ってね。クレーンみたいな棒がついてるだろ。これを着ると、どんなものでも持ち上げられるようになるのさ」
「さすがはおまえのじいちゃんだな。で、おれらの分もあるんだろ?」
「もちろん」
 ぼくは残りの三着をわざとゆっくり取りだすと、ひとつひとつ丁寧に配った。
「いいか、こうやって着るんだ」
 ふつうの着方と変わらないけど、物がちがうだけで特別に見えてくるから不思議なものだ。
「どうやって動かすんだよ」
「レバーを倒せばラジコンみたいに動くんだ」
「ほんとだ!」
「すごいだろ。今度はレバーを引いてみなよ」
「おお、クレーンが降りてきた」
「フックを引っかけると何でも持ち上げられるんだ」
「おお!」
 テレビにコンポ、スチールラックに本の詰まったダンボール。ぼくたちは部屋のなかのいろんなものを次々と持ち上げては、すごいすごいとはしゃぎまわった。
 そうして、しばらく遊んでからのことだった。
 突然、ぼくは自分の身体がふわりと宙に浮きあがるのを感じることになったから、一瞬、何が起こったのか分からなくなった。
 ゲラゲラ笑う友達の声ですぐに状況を理解したぼくは、非難の声をあげた。友達の一人がぼくのジャケットにうまくフックを引っかけて、ぼくの身体を持ち上げていたのだった。
「ちょっと、やめろよ」
「いいじゃん、ちょっとくらい」
「やめろって」
 ぼくが足をバタバタさせてもがいていると、友達はますますおもしろがった。
 いたずらされるくらいなら貸さないほうがよかった……。
 ぼくが後悔をしはじめた、そのときだった。
 あっと友達のひとりが声をもらした。
「なあ、おれ、おもしろいこと思いついちゃった」
「いいから、早くはずしてよ」
 どうせ、ろくなことじゃないに決まってる。だったら早く解放してほしかった。フックがはずれた瞬間に、同じことをやり返してやろうとぼくは決意を固めていた。
「なになに」
 と、ほかのやつらはつづきの話を聞きたがった。
「そんなことはいいからさ!」
 でも、ぼくの言葉は無視されて、残りの二人は身を乗りだしてなになになにと詰めよった。そいつは、ぼくがジャケットを出したときみたいにもったいをつけて口を開いた。
「みんなで身体を持ち上げあってみようぜ」
 何を言おうとしてるのかが分からずに、ぼくは足を止めてクレーンに吊り下げられたまま思わず考えこんでしまった。ほかのみんなも同じだったみたいで、部屋はしーんと静まりかえった。
 少ししてから、一人がもごもご口を開いた。
「……どういう意味?」
「だーかーらー、今おれがこいつを持ち上げてるだろ? で、こいつが次のやつを持ち上げる。次のやつは、おまえを持ち上げる。そうして最後に、おまえがおれを持ち上げる。つまり、四人全員が次のやつを順々に持ち上げていくんだよ」
 ぼくは頭がこんがらがってきて、話に割って入った。
「最初のやつが最後のやつに持ち上げられて……って、それじゃあ誰が地面に足をつくのさ」
「それが分からないから、どうなるのか実験してみようって言ってるんじゃないか」
 たしかにどうなるんだろう……。
 まったく予想もできなかったから、ぼくは自分がいたずらされてることも忘れてしまってがぜん興味が湧いてきた。
「いいね、やってみよう!」
 そう一番に答えていた。それにつづいて、残りの二人も賛成の声を口にする。
「じゃあ、みんなで四角の形をつくろうぜ。よし、まずはおまえからだな」
 指をさされたぼくは、うんとうなずくと吊るされたままで九十度向きを変えた。残りの二人も移動して、ぼくたち四人はちょうど四角形になるようにそれぞれの位置を整えた。
 さっそく、ぼくは友達の一人をフックに引っかけ持ち上げてみた。何の苦労もなく、そいつは持ち上がる。横に目をやると、言いだしっぺのやつは二人分の体重を抱えているのにびくともしていない。
 次に、ぼくが吊り下げているやつが、慎重に残りの一人を持ち上げた。難なくすーっと足が浮く。
 そうしていよいよ、最後のステップに突入する。宙に浮かんだ四人目が、ただ一人、足をついてる最初のやつにフックを引っかけ腰のレバーを恐る恐る引っぱった。
 そのときだった。
 ぼくたちに、とんでもない事態が襲いかかることになってしまった。なんと、最初のやつの足までが、いとも簡単に地面を離れてしまったんだ。
 あれ、今ぼくたち四人は全員宙に浮かんでる……?
 あまりのことにとっさにだれも声が出なかった。
 一瞬の空白のあと、ぼくたちは申し合わせたようにお互いの顔色をゆっくり伺った。みんな顔から血の気がひいて青ざめている。きっと今、ぼくも同じような顔をしているんだろう……。
「だれか、足がついてるやつは……?」
 ぼくは、恐る恐る切りだした。
 みんなそろって首をふる。
「わああ!」
 一気に恐怖が押し寄せてきて、ぼくは必死でレバーをがちゃがちゃいじくり回した。でも、故障したのかレバーはまったく言うことを聞いてくれない。
 そうこうしている間にも、どういうことかぼくたちは上へ上へとちょっとずつクレーンに引き上げられていく。一人が上がり、それにつられて次のやつが少し上がる。すると次のやつが少しあがって……。
「うわああ、だれか来てええ!」
 一人ひとりが順番にくいっくいっと昇っていって、とうとうぼくらはみんなして天井に頭をぶつけることになってしまった。部屋には異様な空気が満ちあふれていた。
「だれか! だれか! 助けてよ!」
 突然、ドン、とドアが開いた。
「ちょっと何やってんのよ、あんたたち」
 騒ぎを聞きつけ家の人が駆けつけてくれて、異様な空気が一気に抜けた。
 天井に頭を何度もぶつけながらも、ぼくたちは張りつめた糸が切れたみたいにいっせいに大声をだして泣いてしまった。
「降りられなくなっちゃったんだぁ」
 友達が泣きべそをかきながら事情を説明すると、家の人は鉄工所に電話をすると言ってすぐに部屋を出ていった。

 駆けつけたじいちゃんの顔を目にすると、ぼくはまたもや泣いてしまった。
 じいちゃんは、宙に浮かぶぼくたちを見てにやにやしながらこう言った。
「まるでエッシャーのだまし絵だな。妙なことが起こるもんじゃ」
「笑ってないで助けてよ!」
「いやあ、おまえのおかげでおもしろい実験データが得られたよ」
「いいから早く!」
 それからぼくたちは、じいちゃんが持ってきた脚立で救出されてなんとか地上に戻ってくることができたのだった。
「これに懲りたら、言うことはきくようにすることじゃな」
 じいちゃんは、遅れてやって来たばあちゃんの顔色をちらちらと伺いながら言った。
「ごめんなさい……」
 ぼくがアシュラジャケットを着たばあちゃんに首根っこから吊るされて、こっぴどく叱られながら連れ帰られたのは言うまでもない。

田丸雅智プロフィール


田丸雅智既刊
『夢巻』