「アームくん」田丸雅智


(PDFバージョン:aamukunn_tamarumasatomo
「ふんっ、ふんっ」
 と、汗を流してダンベルを上げているのは、見上げるほどにとっても大きな生体クレーンのアームくん。彼はクレーンでありながら、ヒトの片腕と同じような姿をしている。アームくんは、じいちゃんが発明した最先端のクレーンなんだ。
 じいちゃんは、コイケ機械鉄工という鉄工所をやっている。鉄工所という名前がついてはいるけど、興味があれば鉄をつかわず何でもつくってる。若いころに独立したじいちゃんはすぐに頭角をあらわして、すばらしい発明品を次々に生みだしてきたらしい。
 鉄工所の二階はじいちゃん家になっていて、ぼくは毎日、学校が終わるとお父さんかお母さんが迎えにくるまで鉄工所で遊んでる。ロウセキっていうチョークみたいな白い石で地面に絵を描いたり、強力な磁石で鉄くずを集めてみたり。それにあきると、じいちゃんの仕事の様子をのぞきにいく。
 じいちゃんがこのごろ発明した最新作。それが、このアームくん。
「こいつを発明するのにはずいぶん時間がかかったわい」
 じいちゃんが言っていたのを思い出す。
「構想は、ずっと前からあったんじゃ。いちばん力の伝わりやすい構造ってのは、どんなものか。それを考えておるうちにヒトの腕の形に行きついた。じゃが、それを実現するための技術がなかなか出てこんかってのお。出てきてからも、実現するのにまた何年もかかってな。苦労したわい」
「でも、今じゃあ大活躍なんでしょ?」
「ほぉよ」
 じいちゃんが言うには、アームくんは鍛えれば鍛えるほど強くなる特殊な人工筋肉と、軽くて丈夫な超合金の骨でできてるらしい。
 と、そのとき。アームくんが声をだした。
「汗を流すのは、いいことだなあ」
 そう気持ち良さそうにつぶやいた。
 今じゃあもうすっかり慣れたけど、アームくんには人工知能とスピーカーまで搭載されていて、まるで本物のヒトのように考えたりしゃべったりすることができるんだ。これだけでも驚きなのに、ほかにも故障を自分で判断できるように、痛みだって感じてしまうらしい。おまけに足までついているから、自由にどこでも行き来ができる。
 だからアームくんは、放っておいても工事現場にひとりで勝手に行ってくれるし、現場の人と会話をかわしてスムーズに工事を行うことができるというわけなんだ。こんなものを発明してしまうなんて、じいちゃんは本物の天才だ。
 ぼくも何度か、アームくんが活躍する現場につれていってもらったことがある。
 町一番のタワーを建設しているときの様子なんて、いま思い出しても心が熱くなる。
 組まれた足場でふんばって、腕を伸ばすアームくん。重たい資材をがっとにぎって、ぐいっと宙へと持ち上げる。タワーがどんどん高くなって地面に腕が届かなくなってくると、資材を吊るしたワイヤーをふんっと一息で引き上げて、自分の手で資材をキャッチしてしまう。見上げた空に逆光で黒い影になったアームくんの姿は、ぼくのまぶたの裏にくっきりと刻まれている。
 ちょっと前に海辺にできた遊園地だってアームくんの仕事だし、次は島と島を結ぶ大きな橋の建設に関わることになっているんだ。
「アームのやつ、わしなんかより、よっぽど稼いでいるんじゃないかのお」
 じいちゃんは、アームくんを見ながらうれしそうに笑う。
「でも、つくったのはじいちゃんなんだから、稼ぎは全部じいちゃんのものでしょ」
「おまえ、夢のないことを言うようになったな」
 と、これまたおかしそうに笑う。
「おい、アーム。そろそろ切り上げたらどうだ」
 じいちゃんが大声で言うと、アームくんは手も休めずに言った。
「もう少しだけやってからにしますよ」
「ずいぶんストイックなことだ」
「がんばらないと、いつ誰に足元をすくわれないとも限りませんからね。ふんっ、ふんっ」
 アームくんはえらいなぁと、ぼくはつくづくそう思う。
 彼はもう十分立派なのに、仕事がないときはいつもこうやって重たいダンベルを持ち上げて、トレーニングを欠かさない。だからアームくんの腕は今でもますますたくましくなっていて、力こぶもまだまだ大きくなっている。ひっきりなしに仕事の依頼が入ってくるのも納得だ。
 ダンベルを持ち上げつづけるアームくんのことを、ぼくは尊敬の気持ちでじっと見つめた。
「アーム、そろそろ時間だぞお」
 じいちゃんが、時計を見ながら言った。
「おい、アーム。聞いてるか」
「ふんっ、ふんっ、ふんっ、ふぅ、もうそんな時間ですか。では、今日はこれくらいで」
 そう言って、アームくんはダンベルを壁際のホルダーの上に元通りにセットした。そして、じいちゃんが蛇口を改造してつくった工場の隅っこにある専用の巨大シャワーを自分でひねって、汗を流しはじめた。
 ぼくはアームくんに駆け寄って、バスタオルを渡す。
「ありがとう。あれ、また少し背が伸びたんじゃないかい?」
「いつも同じことばかり言ってるじゃん」
「そうかな」
 アームくんはスピーカーから笑い声をだす。
「今日もこれから仕事なの?」
「そうだね」
「こんな遅くになんの仕事?」
 外を見ると、六時を回ってあたりは少し暗くなっている。そろそろ、ぼくにも迎えが来るころだった。
「まさはまだ知らんかったかの。最近アームは新しい仕事をはじめてな。とっても大事な仕事じゃよ」
「でも、工事は明るいうちにやるものでしょ?」
「工事の仕事じゃないんじゃよ」
 じいちゃんの言葉に、ぼくは首をかしげた。
「工事以外にどんな仕事があるの。分かった、重たいビールケースを運ぶ仕事だね。お世話になった人に配るんでしょ? ときどき、ばあちゃんがやってるやつだ」
「あはは、それも大事な仕事だが、これはちょっとそれとはちがう。よし、見せてやるから一緒に来るか」
「お迎えはどうするの」
「なに、歩いてすぐそばのところじゃよ。新しく倉庫を借りてな。迎えのことは、ばあさんにひとこと言っとけば大丈夫じゃろ」
 ぼくは、じいちゃんとアームくんの後ろに早足でついていった。
「ここじゃ」
 その倉庫の扉のすきまからは、光が一筋もれていた。
 じいちゃんが扉を開くと、目の前にぴかぴかの板張りの床が現れた。
 そして、次に飛び込んできた光景を見て、ぼくはあっと声を上げてしまった。
「アームくんがいっぱい……?」
「驚いただろ」
「なんでこんなに……?」
 驚きで言葉がつづかなかった。
 すると、じいちゃんはぼくの反応が狙いどおりだったと見えて大きな声で笑いだした。
「ははは、こいつらはアームに似てるがアームじゃない」
 そう言われて、ぼくは目の前にずらりと並ぶ生体クレーンたちを改めて観察した。たしかに落ち着いて見ると、アームくんとは腕の太さがまったくちがう。全員が、もやしのように頼りなかった。
「こいつらはアームの後輩に当たるやつらじゃよ。もちろん、すべてわしがつくった」
「後輩かぁ……」
 事情が分かると、ぼくは思わず笑ってしまった。
 細い腕たちは、思い思いに一生懸命ダンベルを持ち上げている。熱気がむんむん伝わってくる。
「あ、アームさん! お疲れさまッス!」
「お疲れさまッス!」
 こちらに気づいたクレーンたちは、ダンベルを降ろしていっせいに腕を折り曲げお辞儀のような動作をした。
「ふむ。開始前に自主トレか。いい根性をしているな」
 アームくんはずしずし中へと入っていって、満足そうにそう言った。鏡張りの壁の前に歩いていくと、みんなに向かって大きな声をかけた。
「よし、それではトレーニングを始めることとするッ!」
「アームさん、本日もよろしくお願いしまッス!」
「お願いしまッス!」
「いいか、きみたち。ダンベルで鍛えるのはいいことだがな、ただダンベルを持ち上げさえすればいいというわけではないんだぞ。それにはフォームがとても大切なんだ。今日は、そこのあたりを重点的に教えようと思っている。各自ダンベルは持ったか? では、開始ッ!」
 その様子を、じいちゃんは目を細めながら眺めている。
「アームのやつも立派に成長したもんじゃのお」
 アームくんのゲキが飛ぶ。
「やめやめ! はい、手をとめて! きみたちには危機感が足りてない。こんなことではいつまでたっても工事の仕事はできないぞ。ほら、もっとダンベルを高くあげて! こうだ! ふんっ! ふんっ!」
 ぼくはうなずきながら言った。
「大事な仕事ってのは、こういうことだったんだね」
「ほぉよ。次の世代の育成というのは、どんな世界でも大切じゃからの」
「アームくんも、初めはみんなみたいに細い腕をしてたの?」
「ああ、今の技術じゃ人工筋肉を最初から太く作ることは難しいからの。アームのやつも最初は青白いひょろ助じゃったよ。それを指導して鍛えてやったのが、このわしじゃ。そのころはもちろん、稽古をつけてくれる先輩クレーンなんておらんかったからのお。
 こいつら全員、厳しいしごきに必死になって食らいついて、いつかアームのように高いタワーを建てられるようになってやるんだと息巻いておる。先が楽しみじゃよ」
 ぼくは、腕をぷるぷるふるわせながら一心不乱にダンベルを持ち上げているクレーンたちのことがかわいく感じて仕方なかった。
 と、そのとき。ぼくは、あることに気がつきこう言った。
「なんだかみんな、ずいぶん動きがぎこちないね。トレーニングはまだ始まったばっかりなのに」
 クレーンたちは、意気込みに反して動きが鈍いように感じられた。
 すると、じいちゃんは苦笑いを浮かべて言った。
「さすがはわしの孫。観察眼が鋭いのお。しかしこればっかりは我慢じゃな。わしにはどうしてやることもできんのじゃ」
「どういうことなの?」
 それはじゃな、とじいちゃんは言う。
「そもそもは、故障をすぐに発見できるように痛みを感じる神経を組み込んだのが悲劇のはじまりだったんじゃ」
 痛みをこらえるように、じいちゃんはぎゅっと片目をつぶる。
「おまえにも経験があるじゃろう? 激しい運動をすると、どうなるかじゃ。
 ああ、毎日の厳しいトレーニングで、こいつら全員、慢性的な筋肉痛に悩まされておるというわけなんじゃよ」

田丸雅智プロフィール


田丸雅智既刊
『夢巻』