「浦島さん」田丸雅智


(PDFバージョン:urasimasann_tamarumasatomo
 村では、浦島という男のことが話題にのぼっていた。
「亀にのった人がふらっと海から出てきてな。手に持った箱を開けたとたんに、モクモクと煙が立ちのぼったんじゃ。すると、さっきまで若者だったのが、とたんに老人に変わってしもうた」
「まさか。ボンじい、気はたしかかい? ボケはじめたんじゃないのかな」
「こらポン太。この減らず口の若造めが。年寄りの言うことには耳を傾けるもんじゃ。バカにするとロクなことにならんぞ」
 ポン太は、本当は老人の言葉をすぐにでも信じたいくらいだった。だが、それゆえに、彼は情報の真偽を確かめるのに、より慎重になっていた。
「気を悪くしたのなら謝るよ。で、その浦島って若者……いや、じいさんは、どこにいったんだい」
「それがの、村はずれのあばら家に入っていったところまでは見届けたんじゃが。翌日あらためて訪ねてみると、もうもぬけのからじゃったわい」
「証拠はなし、か」
「おぬし、まだわしをボケ扱いする気か」
 ボンじいを怒らせないよう、そこでポン太は話を打ち切った。

 ポン太は、日ごろから歳をとることに異常なほどの憧れをもっていた。
 その理由はいくつかあったが、第一に、年寄りは仕事をしなくていいからだった。
 ポン太はもう子供ではなかったので、そろそろまともに働き始めなければならなかった。たまの親の手伝いだけでは、周りの目が気になり始める年齢だったのだ。しかしポン太にとっては、働くことが苦痛でならなかった。なぜ嫌なことを、いやいやしなけりゃならないんだ。嫌なことはしなくてもいいじゃないか。いつもそう言って家で怠けてばかりいたので、彼は親と衝突することがしばしばだった。だが、それでもポン太は働くことをかたくなに拒みつづけていた。
 またポン太は、老人にのみ与えられた特権に、強い憧れを抱いていた。すなわち、若造と意見が対立したときに、「若いからだよ」と相手を一蹴してしまえる権利だ。なんと便利な言葉だろう。年寄りは、うらやましいなぁ。これさえあれば、わからず屋の親をやり込めてしまうことができるってのに……。
 それからポン太は、本当は漁師なんかより物書きになりたいと思っていた。しかしそれには、圧倒的に人生経験が足りていないという自覚があった。彼は怠け者ではあったが、そういった判断のできる程度の頭はもっていたのだ。歳をとらないとわからないことがあるし、歳をとらないと書けないものがある。したがってポン太に言わせると、良い物書きになるためには歳をとらなければならないのだった。このことも、彼が年寄りに憧れる理由のひとつとなっていたのだが、ただ歳をとりさえすれば人生観が深まると思い込んでいるあたりが、若者の愚かさである。
 彼は、毎日頬杖しながらそういった無駄な考えにふけっては、現実から目をそむけてばかりいた。
 歳をとるための努力は、一通りやってみた。
 あるときは、時間が過ぎるのを家にこもってじっとしていることで早めようとした。だが、退屈すぎて数日ともたなかった。
 楽しい時間を過ごすと、時間は早くすぎるはずだという考えに至ったこともあった。そこでポン太は、若者たちと何か楽しいことを始めようと思った。しかし、彼の周りには酒を飲み散らかし、騒ぎ、品のないジョークを言い合って、道端で吐いて眠るような若者ばかり。それが好きな人たちは良いけれど、ぱっとしない彼がそんな中にまじったところで、楽しい時間が過ごせるはずもなかった。
 かといって、大人たちの談笑に加わることもできなかった。彼らは一様に「若いうちは遊ばにゃいかん」と彼をはねつけるばかり。そりゃあ、それもひとつの選択肢だよ。でも、何も全員が同じことをやる必要もないじゃあないか。仲間に入れてもらえないポン太は大人たちを好き放題ののしったあと、不愉快そうな表情を浮かべながらぶつくさと立ち去るのみだった。
 そんなだから、彼は周りから煙たがられ、のけ者にされ、しまいには、両親と心やさしいボンじいの他には、誰からも相手にされなくなってしまったのだった。

 ポン太は、もっと浦島という謎の男のことを知りたかった。が、その本人は行方知らずになってしまったらしい。となると、瞬時に歳をとるための手がかりは、ボンじいが見たというおかしな箱だ。そしてその箱は、男が海からもって来たもののようだ。
 うん、だんだん読めてきたぞ。その箱は、きっと海の中にあるに違いない。
 ポン太は、来る日も来る日も海へもぐりつづけた。こんなことばかりに熱心になって、まったく困ったものである。
 しかし、箱につながるようなものは、何ひとつ得ることができなかった。問題の海岸をうろついて見ても、見つかるのはせいぜいクラゲと、イカの骨くらい。
 そこで彼は、次の手段に打ってでた。つまり、漁の手伝いを積極的にやりはじめたのだ。漁の網に箱が引っ掛かることがあるかもしれない。そう考えてのことだった。父親は、近頃やけに手伝うようになった息子のことを不審に思いながらも、我が子の成長に目を細めるのだった。
 それと並行して、彼は道行く人々を注意深く観察するようにもなった。箱をかかえている人を見つけると、よくよく様子をうかがった。
 それと思しきものを見つけた時はいそいで覆面を取りだし、相手が誰だろうと容赦なくかっぱらった。目的のためには手段を選ばぬ姿勢。その力を、もっとまっとうなことに使えばいいのに。箱という箱を取り上げ、開けまくったが、無論、いつも箱の中身は期待はずれなものばかりなのだった。
 また、ある時ポン太は考えた。謎の男は、海亀にのって海から現れたらしい。すると、鍵は亀にあるのかもしれぬ。
 彼は、海亀をつかまえ、それにのって海へと乗り出した。しかし、うまくバランスがとれず途中で亀の背から落ちてしまった。亀は、何事もなかったかのようにそのまま海へと帰っていった。

 そんなことを飽きもせず繰り返しているうちに月日は流れ、ポン太も歳をとった。偉大な下心のあるポン太も、もともとの怠け者体質から、そろそろ漁の手伝いをするのがおっくうになってきていた。
 近頃の父親は、自分はそろそろ引退し、ポン太にすべてを任せるというようなことをほのめかすようになっていた。そうなってしまうと、もう逃げることはできないのだ。ポン太は焦っていた。
 だが今からでも遅くはない。あの箱さえ手に入れることができれば、働かなくてすむのだ。残りの何十年分をすっとばすことができるのだ。さっさと手に入れて、早く老後を楽しみたいものだ。

 ある日、ポン太が砂浜で日課の散歩をしていると、見たことないほどの美女を見かけた。女はどうしたことか、あまり落ち着きがない様子だった。
 ポン太は躊躇なく話しかけた。美女に漂うどことなく普通でない雰囲気に、何かあるなと直感したからだった。
「ちょっとお話ししませんかね、ぼくと」
 女は返事をする代わりに、こう尋ねた。
「浦島という方をご存じないでしょうか」
 浦島! ポン太は驚きを隠せなかった。よく見ると、女は小脇に箱をかかえていた。
「その箱は……」
「その、浦島という方にお渡しするつもりのものです……」
 ポン太は、ここぞとばかりに強く申し出た。
「浦島という方なら知っています。ぼくが、その箱を確かにお渡ししておきましょう」
 すると女はほっと安堵の表情。
「本当ですか、それは助かります。ありがとうございます」
 ポン太は、大事そうに箱を受け取った。これが念願の歳をとる箱というわけか。あれだけ苦労したのに、手に入る時は、案外あっけないものなのだな。
「おまかせください」
「では、くれぐれもお願いしますね……」
 ポン太には嫁がいなかったので、もう少し謎の美女と話をしていたい気持ちにもなった。だが、いまは女どころではないのだ。
 彼は女を見送ると家に飛んで帰り、震える手でさっそく箱の紐を解きにかかった……。

 竜宮城に戻った女は、出迎えた婆やに事の成り行きを語っていた。
「どうやら、無事に渡せそうよ」
「よかった、よかった」
 始終を聞き、婆やも一安心。だが、婆やは表情を引き締めて言った。
「結果的にどうにかなったから、よかったようなものを」
 女は、しゅんとする。
「おまえが間違って浦島さんに別の箱を渡したりするもんだから、こんな面倒なことになったのですよ。そそっかしいったらありゃしない」
「気をつけます……」
 女は、表面上は反省の弁を述べてみたものの、失敗を挽回できたことで内心は達成感に満ちあふれていた。それどころか、自分のまいた種が原因なのに、まるで良いことでもしたかのような思いにひたっていた……。

 箱を開けたポン太は、もくもくと立ち昇る黒い煙に身をあずけていた。
 あたりが晴れると、急いで彼は自分の姿を鏡で確認した。
 が、そこに映る姿を見て、ポン太は愕然となった。
 そこには、精悍な顔つきの若き日の自分の姿が映りこんでいたのだ。
 そんなバカな……。
 彼の髪の毛だけは、瞬時に絶望で真っ白になってしまった。

 その頃、お姫様は、今度こそ若返りの箱を渡せたことに、婆やのおとがめ何のその、すっきりした心で満足げに顔をほころばせていた。

田丸雅智プロフィール


田丸雅智既刊
『夢巻』