(PDFバージョン:firstlovecontact_kimotomasahiko)
ちょっとした恋の話をしよう。きっかけは、ボトルメールだ。
ボトルメール。英語圏では、メッセージ・イン・ア・ボトルと称される。
手紙を書いて日付けと返信先を記載し、瓶にいれて海に流す。何日後、何年後かは分からないが、その瓶はどこか遠くの浜辺に打ち上げられて、見知らぬ相手の手に入る。海辺に住むであろうその人は、瓶の中の手紙をみつけ、律義に返事の手紙を書く。そんなの物好きしかいないだろうと思うだろうが、海辺に落ちている瓶を拾う時点で、物好きに違いないのだ!
しかし考えてみると、その瓶は本当に海岸から海岸へと流れていったものがすべてなのだろうか?
ここにひとつの隕石がある。宇宙から落下してくる、あの隕石だ。
大気圏を通って流れ星となって太平洋に着水し、周囲の海水を蒸発させながら摩擦熱を冷却する。表面温度とか、目撃情報とか、ほとぼりなんかが冷めたころになって、隕石はパカリと割れた。
中から出現したのは、ボトルだ。
耐熱カプセルに包まれていたボトルは、大気圏をくぐり抜けていてもヒビのひとつも入っていない。海中に放出されたボトルは浮上し、ゆっくりと太平洋を波に揺られて移動しはじめた。ゆらりゆらり、たぷんたぷん。
何ヶ月かして、ボトルは浜辺に辿り着いた。南国の小さな国の田舎の海岸だ。小さな国にありがちなことに、海辺に住む人は漁をして暮らしていて、更にありがちなことに、その日の気分によって漁をしたりしなかったりというおおらかさだった。
だから青年がボトルを拾ったのも、仕事に精を出している時なんかじゃなくて、今日はのんびり散歩でもしようかと浜辺を歩いている時だった。
ボトルに入っていた手紙は、外の世界からのものだった。外の世界というのは、青年が暮らす小さな漁村の外の世界だ。そこに書かれた返信先の住所が、地球上のどこにあるのか青年には分からないけれど、一言だけ書かれたメッセージに強く心を打たれた。
「辞書を送って欲しい」
青年は文字を読めるくらいの教育は受けていたので、当然辞書が何物かも知っていた。辞書が買えないくらい貧しい人がいるのなら、届けるのは義務じゃないだろうか。そのくらいの良識も持ち合わせていた。
青年は英英辞書を買い、指定された宛先に発送した。そして家に戻り、テレビをつけた。テレビの向こうでは、いまや花形の職業になった宇宙飛行士の活躍が、盛んに宣伝されていたが、青年にとってはそれこそ遠い外の世界のできごとだった。それでも、自分と同じ人間が宇宙で活躍しているなどと考えると、楽しくもあり誇らしい気持ちにもなった。
さて、青年が送り出した辞書がどんな経路を通ったのかは、実のところよくわからない。どこかで海を渡り、どこかで貨物列車に揺られ、どこかでデジタル化され、どこかでネットワークに潜り込み、どこかで天文台のシステムに侵入して、衛星通信回線に紛れ込んだ。作られたシステムだとしか思えないが、誰がどう作ったのかは調べる方法もない。
一ヶ月たって青年が受け取った手紙には、辞書のお礼と、文通をしてもらえないかという言葉が添えられていた。女性からの手紙だった。
外の世界の女性だ!
とはいえ、その程度のことで浮かれるほど、青年は輕率でも軽薄でもなかったので、女友達ができるのも悪くないなどともっともらしい説明を考えながら、返事をしたためた。
文通は一年続いた。青年にしてみれば意外なことではあったが、いつしか彼女との定期的な手紙の交換が、あたりまえのことになっていった。
その日は珍しく仕事に精を出し、成果も上々だったので、青年は村の酒場に足を向けた。結婚式があったらしく、二次会の若者が酒場の半分を占めていた。
賑やかな若者を片目に、自分も結婚をすることがあるのだろうかと考える。
文通相手のことを想像してみる。彼女の身長、性格、癖とか好み。会ったことはないけれど、簡単に思い出すことができた。もし万が一、彼女と会うことになったらどうするだろう。
それはきっと、青年が行商か何かでこの村を離れた時のことだろう。向こうから会いに来てもらうなんで、虫が良すぎる。ここと違うどこかで彼女と会って、初めて会うのに初めてな感じがしないなんていう感想を互いに言い合う。最初はぎこちない会話で別れるのだけれど、ひとりになってからもっと言いたいことがあるんじゃないかと思って、もう一度会いにいく。その後は、結婚まで一直線だ。
――なんていうこと、あるわけないなと、青年は考える。
考えはするものの、適度な酒が、冷静になることの邪魔をする。よい気分のまま家に帰り、よい気分のまま床についた。
翌日、文通相手からの手紙が届いた。
「今度、結婚することになりました」
簡潔にまとめられた手紙だった。結婚相手の手前もあり、このまま文通を続けるのは避けたいこと。これまで文通を続けてくれたことに感謝していること。青年が幸せになることを祈っていること。丁寧ではあったけれど、一方的な別れの手紙だった。
結婚なら……しかたがないな。
自分が夢想したのとは違い、彼女にとっての結婚はすぐ手に届くところにあって、それは青年とは関係のないところで進んでいる物語だったのだ。
青年は、読み終わった手紙を机の上に置いた。部屋のテレビをつける。画面の中は、いつもと同じように最先端の宇宙飛行士の活躍が報道されていた。
「地球外の知的生命体とのファーストコンタクトが実現しました。しかも、我らが宇宙飛行士は、知的生命体と恋に落ち、結婚の約束をしたというのです。知的生命体が当初から流暢な英語を操っていたのが、スムーズなコンタクトを実現できた理由とのことです。これは記念すべき、そして驚くべきファーストコンタクトです! 偉業です! 世紀のウエディングです!」
どこもかしこも結婚の話ばかりだ。
青年は溜め息をつき、しかし異星人と恋に落ちるなんてまるで人類代表みたいじゃないかと、宇宙規模の恋愛に想像力を膨らませる。
同時に、こんな田舎の漁村に暮らす自分には関係のないことだと考え、テレビのスイッチを消した。平凡な男が平凡な暮らしを続けることだって、別に悪いことではないと思いながら。
木本雅彦既刊
『人生リセットボタン』