(PDFバージョン:koumatokoneko_takahasikiriya)
はじめて会ったとき、子馬は子猫の言葉がわかりませんでした。
お散歩にやってきた野原で、おやつの草を食べていた子馬は、顔を上げて、耳を動かしました。しろつめくさのしげみに何かいます。と、白い花穂のようなしっぽがゆれて、白い子猫が、ぴょんととびだしてきました。
子猫は子馬にむかって、毛をさかだてて赤い口を大きくあけて、ニャーとなきました。こわがっているように見えました。
子馬は、驚かさないようにと、気をつけながら声をかけました。
「どうしたの? 君は誰? なにをしているの?」
子猫は耳をふせ、また、ニャーとないて、あとずさりしました。
「君をいじめたりしないよ」
子馬がさらに話しかけると、子猫は、ふんふんと空気のにおいをかぎました。それから、子馬のしっぽに目をとめました。
子馬はむずがゆくなってしっぽをひとふりしました。
すると子猫は、体を低くしたかと思うと、しっぽにむかって、とびつきました。後足で子猫を踏みそうになった子馬はあわてて、体の向きをかえました。
子猫が、しろつめくさのしげみにかくれました。
またしっぽを動かしてみます。
子猫がしろつめくさのしげみからとびだしてきました。
何度も何度もくりかえし、しっぽにとびついてじゃれてあそんだ子猫は、しばらくすると、ころんと横になり、おなかを見せました。
子馬は、子猫のおなかの匂いをそっとかいでみました。おひさまの匂いがしました。
子猫は、ころん、ころんところがっていましたが、おきあがると、子馬のひづめに体をすりつけました。
しっぽをぴんとたてて。
八の字を描くように何度も。
ふりむいた子猫は顔をかたむけ、きらきらした瞳で子馬をみつめ、口を開きました。
「アソボウ!」
その日から、子馬と子猫は毎日いっしょに遊ぶようになりました。
子馬は、野原にやってくると、耳をすまして子猫をさがします。くさむらのなかから白い花穂のようなしっぽがゆれながら近づいてきます。
「今日はなにしてあそぶ? おいかけっこする?」
子馬がたずねると、子猫がこたえます。
「ニゲルカラ、ツカマエテ!」
子馬は、クスノキの下で立ち止まります。
「十かぞえるよ」
「ワカッタ!」
子猫がこたえます。しっぽをぴんとたてて、にげていきます。
十かぞえた子馬は走り出しました。
「よーし、じゃあおいかけるよ!」
子馬のほうが子猫よりずっと大きいのですが、子猫はすばしこいのでなかなかつかまりません。おいかけっこがいつのまにか、かくれんぼになり、しまいにはさがしつかれた子馬が、子猫を呼ぶのです。
「子猫さん、どこにいるの。降参だよ!」
すると、子猫が、どこからかぴょんととびだしてきて子馬を得意げに見上げます。まるい緑色の目がきらきらと輝いています。
「ヤスンデイイヨ。ソノカワリ、シッポ、ウゴカシテ」
今は子猫の言葉がわかります。毎日一緒に遊んでいるうちに、子猫の言葉がすっかりわかるようになったのです。
「うん、いいよ」
野原の草むらに、子馬は足をおって、しゃがみました。しっぽをふると、子猫がじゃれてとびつきます。
さんざん遊んで、遊びつかれた子猫が、子馬の足のあいだにまるくなりました。おひさまの光に、子猫の背中の毛がつやつやと輝いています。
子猫が小さな声でつぶやきました。
「コウマサンノ、オナカハ、アタタカイ」
「大きいからだよ」
子馬のおなかにぴったりと体をつけた子猫の、小さな心臓の音がつたわってきます。
「君もあたたかいよ」
子馬の言葉に、子猫はこたえませんでした。しずかな寝息がきこえてきます。
子馬は目をとじ、まどろみました。
ふたりは、毎日、かくれんぼやおいかけっこをして遊びました。遊びながら、言葉をかわします。
子猫が、子馬を見上げて
「コウマサンハ、オオキイ!」
と言えば、子馬は子猫を見おろして
「子猫さんは小さいね」
とこたえます。
子馬が
「子猫さんは何がすき?」
とたずねると、子猫は緑色のまるい目を輝かせて、
「ペンペングサ、バッタ、ソレカラ、コウマサン!」
とこたえます。子馬がふふんと鼻をならして、
「じゃあね、ぼくが好きなのはね」
と言おうとするのを子猫がさえぎります。
「シッテルヨ! シッテルヨ! コウマサンノ、スキナモノ、シッテルヨ!」
子馬は、期待に胸をたかならせながら聞きました。
「ぼくの好きなのなあに?」
子猫は、小さな手足をふんばって、こたえました。
「シッポ! シッポ! シッポ!」
子馬は、笑ってしまいました。
「それは、君がすきなものじゃないの」
「シッポ、スキ!」
子馬は、しっぽを大きくふりました。
「じゃあ、おいで!」
子猫が大ジャンプしてしっぽにとびつきます。つめをたててしっぽの毛にぶらさがったまま、ぶらぶらとゆれています。
子馬は子猫をぶらさげたまま、軽く足ぶみしました。ひっしにしがみついていた子猫が、手をはなして、とびおりました。きらきらした瞳で、ふりむきます。
「オイカケテ!」
日が暮れるまでおいかけっこをして、ずっとこのまま毎日が過ぎていくように思われました。
あんなことになろうとは、誰も思っていなかったのです。
その日も、子馬と子猫はかくれんぼをしていました。
野原では、子馬が姿をかくせるところはありませんから、かくれるのはいつも子猫で、さがすのが子馬です。何度もかくれるうちに、子猫はわずかな草むらや、石のかげに見つからないように本当に上手にかくれるようになっていました。
いくらさがしても子猫が見つかりません。
「子猫さん!」
とうとう子馬は子猫を呼びました。
草むらがかすかに動く音がしました。子馬は、耳はいいのです。体をひねってうしろをむこうとして、子馬は、後足のひづめで、何かやわらかいくにゃっとしたものを、踏みました。
「わっ!」
あわてて、とびのいたのと同時に小さな悲鳴が聞こえました。
子馬は、ぼうぜんと、そこに横たわる白いかたまりを見つめました。
子猫が、手足をぴんと伸ばしてたおれていました。
目は閉じたまま、耳からたらりと一すじ、赤い血が流れています。
「……子猫さん……」
返事もなければ、ぴくりとも動きません。
「どうしよう……どうしよう」
子馬は、ふるえながら、土の上に横たわる子猫のお腹をそっとなめました。
子猫は目をつぶったまま、つっぱっていた手足も今はだらりと力をうしなっています。
子馬は
「誰か助けをよんでくるからね」
と言ってかけだしました。
けれど誰が助けてくれるのでしょう。あてどなく走りまわって、子馬はとうとう、その場に泣きくずれました。
耳から血がでていたのでは、もう助からないでしょう。
子馬はひとしきり泣くと、よろけながら立ち上がりました。
あやまらなくては。
子馬は野原へもどりました。
野原が近づいたとき、子馬ははっとして立ちどまりました。
かすかに声がします。
はやる心をおさえて、注意深く近寄ると、……はっきりと聞こえました。
「ニャー」
子猫の声でした。子猫は、寝かせた草むらから、はって移動したのでしょうか。少し離れたところで横たわっていました。
子馬は、小さな声で呼んでみました。
「子猫……さん?」
目をつぶったまま、子猫が小さく口を開きました。
「ニャー」
「子猫さん、大丈夫なの? 子猫さん」
何度問いかけても、子猫は、ニャーとなくばかり。
体はうごかず、目も閉じたままです。
子馬は体がすうっと冷たくなるのを感じました。
子猫の言葉が分かりません。
いてもたってもいられなくなって、子馬はその場から逃げ出しました。
子猫は言葉が話せなくなってしまったのでしょうか。意味がわからないなき声は、子馬を責めているように聞こえました。
オマエノセイ。
子馬は耳をふさぎたかったのですが、どうすることもできず、ただ子猫から遠く逃げました。
ニゲタ! ニゲタ! ヒキョウモノ!
子馬は、顔をわらにつっこんで、ふるえていました。
「そんなつもりじゃなかったのに」
オマエノセイ。
「ゆるして」
ユルサナイ、ゼッタイニ。
そう、子猫が言っていたように思えました。
会いに行かなくちゃ、と思うのに、足は重く動かず、ようやくつぎの日の午後になって野原にむかいました。
子猫の姿が見えた瞬間、ぎゅっと心臓をつかまれたような気がしました。
子猫は昨日と同じ場所に、同じ形で横たわっていました。
思わず後ずさった子馬の足音を聞きつけたのか、子猫が耳をぴくりと動かしました。
「ニャー」
「ごめん。子猫さん、ごめんね」
「ニャー」
言葉がやっぱりわかりません。子馬は頭をたれました。
「本当に、ごめんなさい」
白い体に、耳もとに赤黒くこびりついた血。生気のない顔は、まるでぜんぜんしらないだれかのよう。口からは意味のわからない声を発するばかり。
子馬は、とてもいられなくなって、子猫のそばを離れました。
子猫はもう助からないでしょう。あと一日、それとも二日……。
最後までの時間はもう長くないとしりながら、子馬はどうしても会いに行くことができませんでした。
ようやく立ち上がった子馬は、野原と反対の方向に歩きはじめました。
「もう、会わないほうがいいんだ」
足どり重く、うなだれて。
歩いていると、子猫と遊んでいた日々のことが思い出されました。
おいかけっこをして遊びました。子猫は、しっぽにじゃれるのが好きでした。
ふいに、おそろしい考えがあたまにうかびました。
本当に子猫は、しっぽが好きだったのでしょうか。
子猫の言葉が分かると思ったのは、本当だったのでしょうか。
ただ、そんな気がしていただけだったのではないでしょうか。
だって今、子猫の言葉がちっとも分かりません。
一緒に遊んでいたときだって、子猫がそう言っている、と思いこんでいただけなのかもしれません。
頭の中に、子猫の声が聞こえてきました。
キライ。ダイキライ。
子馬は頭をふって、めちゃくちゃにかけだしました。
森をぬけて、かれ木の倒れた道を走って、草むらをとびこそうとして、崖からころげおちました。ぽきぽきと小枝をおりながら、坂の下までころがっていきました。
あっというまでした。
子馬はそっと頭をあげました。
大きくすりむいて、足に血がにじんでいますが、折れてはいないようです。
「いたいよう……」
思わず泣きごとがこぼれました。
それからあたりを見まわしてきゅうに心細くなりました。黒い土と尖った岩、うっそうとした黒い森です。崖を落ちたので、知らないところにきてしまったのでした。
子猫さんがいたらな……。
子馬は、そう思った自分に驚きました。子猫に嫌われているかもしれないのに。
「子猫さん……」
きらきらと瞳を輝かせた子猫の顔が思いうかびました。
そして、倒れて動かない子猫の姿も……。
子馬はぐっと歯をくいしばって立ち上がりました。ころんだ足と体の痛みが、子馬をせかします。
「行かなきゃ」
崖はけわしく、とてものぼれません。かなり回り道しなければならないでしょう。
子馬は、かけだしました。
間に合わないかもしれません。
途中で道に迷いながら、がむしゃらに走りつづけました。
あの野原が見えてきました。
子猫の言葉はやっぱりわからないかもしれない……。そう思うと足がすくみます。
白い体が横たわっている姿が見えました。子馬は頭をたれて、子猫のそばに近づきました。
子猫が目を閉じたまま、かすかに口を開きました。
「……オーイ」
子馬は、子猫の耳元で呼びかけました。
「子猫さん、子猫さん!」
子猫は、目をつぶったまま何かをさがすように顔を動かしました。
「オーイ、オーイ」
子猫は、呼んでいました。
ただひたすらに、見えない目で。歩けない足をわずかに動かしながら。
「子猫さん! 子猫さん!」
子馬は子猫のおなかに鼻先をこすりつけました。
子猫は、口を閉じて、小さな小さな音で、のどをならしはじめました。
それからもう言葉は話しませんでしたが、子馬には分かりました。
オオキナコエデ、ヨンダンダヨ。
ナンドモ、ナンドモ。
オーイ、ッテ。
子馬は頭をたれたまま、小さな白い子猫のそばにいました。
ずっとそばにいました。
終わり
高橋桐矢既刊
『ドール
ルクシオン年代記』