「著者書店営業創世記」鈴木輝一郎


(PDFバージョン:choshashotenneigyou_suzukikiitirou
 作家生活22年、誰も褒めてくれないので自分で褒めるが、私は小説家の新刊書店まわり&著者手書きPOPのパイオニアなんである。
 いやまあ、「余計なことを考えやがって」とか「どうせ自慢するなら作品で自慢せえ」とかいう同業者の反論がありそうですが。

 元をただせば22年前、近未来小説でデビューする直前のこと。
 営業から異動してきたばかりのK社K氏が、
「このままでは輝一郎さんは埋もれてしまいます。わかりますか」
と言ってきたのがはじまり。
 新人賞を受賞したわけでもない作家の作品は、出版バブルの当時でも売るのがたいへんだった。これ一作で消える可能性が大だという自覚はある。

 と、K社K氏は熱く語った。
「元音楽プロデューサーのK野Bさんは、担当アーティストの新曲が出たときの放送局まわりの要領で、新刊が出ると書店に挨拶に行っているそうです。だからとりあえず輝一郎もやってみましょう!」

 たまたま前にいた会社で販売促進の企画立案の仕事をやった経験もあり、手書きPOPの威力は承知していたんで、販促用品をひととおり仕立て、新刊配本リスト(当時は手書きだった)を手に、首都圏・京都・大阪・名古屋と、サルベージのように片っ端からまわり、手書きPOPを一本一本置いていった。

 なにぶん三十そこそこで、まだカタギの雰囲気の残っていた、紅顔の美青年だった時代である。
 書店側も著者が自分でPOP持って飛び込みで営業する奴そのものがいなかったせいか、当時はよく取次や出版社の営業と間違えられ、自分の本をバックヤードから引っ張りだして陳列する手伝いをしたり、○○○○さんの「台」になっていた自分の本を救出して普通に陳列する手伝いをしたり──あ、取次や出版社の営業とあまり変わらんか。

 余談ながらこのK社K氏は、この後、京極夏彦さんや森博嗣氏、西尾維新氏らを発掘し育てた編集者でもある。いろいろ考える奴はいろいろやるもんなんである。

 今だから言うが。
 一番コタえたのは、当時の同業者たちの冷ややかな反応であった。
 書店でアレな対応をされるのは、アポ無し飛び込みで行くんだから仕方がない。書店にしてみれば邪魔そのものなんだから。

 この当時、小説家側には、
「書店に自著を置いていただいている」
 という発想そのものがゼロに近かった。
『輝一郎さん、いつまでも新刊が出るたびに、あんなはしゃいでちゃ駄目ですよねー』
 と陰口を叩かれることもあれば、
 エッセイで名指しで、
『そんなパフォーマンスに走るからうんぬん』
 と説教されたこともある。
 そのころ某日、旧知の同業者から電話がかかってきた。
『キイチロー! わたしのところに編集部から書店配布用のPOP用紙が届いたよ! サインとキャッチコピーを手書きせえって! これで仲間よね!』
 と爆笑しとった。何と反応したらいいのかようわからん電話だったが、要するに著者の手書きのPOPそのものが、それほど珍しかったということでもある。

 そんな具合なので、ときどき同業者のブログなどを見ていると、ふつうに新刊書店まわりという単語が出てきて、一種独特の感慨を覚えることがちょいちょいある。
 サイン会とならんで著者の書店訪問はキャンペーンの一環として、すっかり定着した模様である。
 書店も訪問慣れして、著者の目の前で著書を捨てることはほとんどなくなり、うまくあしらってくれるようになった。
 ただ、それだけキャンペーンの手法としてはインパクトが弱くなるわけで、ここいらでもう一発、なにか新しいものを考えるのが今後の課題である。
 ──って、知恵を絞るのはそこじゃない。

(了)

鈴木輝一郎プロフィール


鈴木輝一郎既刊
『新・何がなんでも作家になりたい!
Kindle版』