「Swing the sun 3」片理誠(画・小珠泰之介)

(PDFバージョン:Swingthesun3_hennrimakoto
 サン・スイング・レース用の無骨なフレームに愛船を固定し、各種のインターフェースケーブルを接続する。
 船内に戻ってロケットブースターエンジンからの電気信号を確認。今のところはきちんとリンクできているみたいだ。
 実際にはそう神経質になるほど沢山のチェック項目はない。何しろ点火した後はせいぜいロケットの取り付け角度を変更することくらいしかできない。まともな制御など受け付けてはくれないのだ、この野蛮極まりないエンジンは。
 それでも、何しろやったことがないチャレンジなので、俺の神経はささくれる。本当にこれでいいのか。何回チェックしても気が休まらない。元々俺はソフトウェア回りがあまり得意ではないのだ。
 こんな時にリラがいてくれたらなぁ、と思ってしまう。彼女ならあっという間にチェックどころかシミュレートまで何重にも完璧にし終えて、今頃は「大丈夫よ、船長。後は運を天に任すしかないわ」と言ってくれていたはずだ。
 ジェストの奴は機械回りに関してはほぼ無知に等しく、全然役に立たない。指示を出すだけ出した後は、シートの上で女王陛下よろしくふんぞり返っている。私は客ですから、と言わんばかり。
 どうやら俺は前世で女性に対してよっぽどひどいことをしちまったらしい。そうでなければ現世でなぜこれほど女どもに振り回されなきゃならんのか、その理由が分からない。まったく、少しは来世の自分のことも考えておいてもらいたかったぜ、前世の俺よ。
《え? 何か言った、船長?》と副操縦士席でジェスト。彼女も今は簡易ではなく、正式な宇宙服に着替えている。耐G機能までをも備えた本格的な奴だ。銀色な上にかなり大きいのでまるでロボットのよう。
 いいや、と俺はかぶりを振る。
《一応どうにか船の固定は完了したぜ。インターフェースの方も何とか。ダットンのコレクションの中に丁度いいコネクタがあったんでね》
《じゃあ、何も問題はなし、ね》
 まぁなぁ、と俺。やはりどうしても気が進まない。
《……ジェスト、本当にこれで飛ぶのか? だってこれ、何のインテリジェンスも備えてないんだぜ? 不具合があった時の対応なんて一切できない。ただひたすら完全燃焼するだけのシロモノだ。こんな野蛮なエンジンに命を預けるなんて、やっぱり正気の沙汰じゃ》
《急いでよ、船長。そろそろ五時間が経つわ》
 船内の情報パネルを指さしている。
 俺も自分のシートにつく。だがハーネスを固定する手つきは普段よりもずっと遅い。
《もしかしたら普通に金星まで飛んでも大丈夫かもしれないぞ。追っ手は君を見失っていると思うよ。現にこの五時間、誰の襲撃も受けてない》
《彼らはステーションの外側に網を張って待ち構えているのよ。突破するためには、それ相応の火力か、スピードが要るわ》
 はぁ、とため息をつく。
《のんびり行く船旅も、そう悪いもんじゃないんだけどな》
《私は急いでいるの》
 俺は目を閉じて観念する。やっぱり説得は通用しねぇか。何だって俺の周りの女どもはこうも頑固な奴らばかりなんだ?
 目を開ける。
《一応、準備は完了だが、何しろ今ウルフにくっついているのはセルフチェックもできないド旧式のロケットだ。点火した瞬間に爆発しても俺は責任を持てないぜ》
《信じましょ、自分の運命を》
 姿勢制御用スラスタや補助エンジンを使ってダットンの浮島型ドックからそろり、と抜け出る。
 周囲に動くものの気配はない。
 そのままゆっくりと宇宙ステーションの宙域を後にする。
《……とにかく、まずは一旦、通常航行で水星圏から離脱するぜ。一か八かの賭けに出るのは、追っ手が本当に確認された後だ》
 メインエンジン点火。加速は……すこぶる悪い。でかくて重くて余計なロケットを三本もくっつけているからだ。船のバランス自体も変わってしまっているので航法管制コンピュータが真っ赤な文字を高輝度で点滅させて怒っている。曰く、積み荷を再チェックしろ、と。だが荷重オーバーなのはこっちも重々承知の上だ。何しろ今ウルフは船倉の中にまで予備の燃料をぎっしりと満載している有様。もちろん言われるまでもなく、まともな状態なんかじゃない。しかたがないのさ。俺たちがこれから挑む航海は、まともな航海なんかじゃないんだから。
 リラなら航法管制コンピュータをなだめられるんだが、生憎俺にはそんな器用な芸当は無理だ。しかたがないので放置する。ま、最悪の場合は手動でどうにかするさ。
 隣のシートにいるジェスティの方を見る。
《これでもし追っ手がかからなかったら、君は相当不便な船旅をすることになるな、ジェスティ・K・マクビー。一応、必要なだけの空気と食料は積んじゃあるが、金星に到着するまではシャワーも浴びられないんだ》
 オレンジ色のバイザーの向こうで彼女が微笑んだ。
《奴らは来るわ。絶対に》
《どうだかねぇ》
 俺は両腕を頭の後ろで組んで、背もたれに寄りかかる。
 だが十数分後、俺は彼女の予言が的中するのを確認した。
 船からの警告音。朱色の文字がディスプレイに踊る。
《船長、こちらに急速で迫ってくる船があるわ! 停船命令を受けた!》
《畜生! 本当にいやがったのか! ステルスモードで隠れてたな》
 レーダーと赤外線センサーを確認。一〇〇メートルクラスの中型船だ。細部の形状までは不明。欺瞞手段を使ってやがるな。おまけに自分たちの身分も明かさずに一方的な停船命令。どう考えても俺たちと仲良くしたがっているとは思えない。
 ただし、近づいてくる反応は一隻だけだ。
 俺は切歯扼腕する。
《くそう! 武装さえあれば迎え撃ってやれるんだが》
 たとえ一〇〇メートルクラスの船が相手でも、一対一での砲撃戦なら、まともな装備さえあれば互角以上に戦えるだけの自信と自負が俺にはあった。が、今はほぼ丸腰。まったく、情けないぜ。尻尾巻いて逃げる以外に生き延びる手段がないとはな。陽電子砲、やはり是が非でも手に入れないと。
 まだ他にも何隻か隠れているかもしれないわよ、とジェスト。ああ、と俺も肯く。一理ある。確かにここは逃げる手だ。
 それにしても、と俺はレーダーに目をこらす。
《それにしてもこの船、……恐ろしく速いぞ》
 奴さんが乗っていたのは火星行きのコースだ。それを、大パワーに物を言わせて、強引にこちらの金星行きコースの先に回り込もうとしている。並の船ではできっこない機動だ。こんな芸当が可能な高性能船が、あんな貧乏宇宙ステーションに停泊してたか?
《ん……ゲッ! まさかアレか! あの“貴婦人”か!》
《何それ?》
 え? ああ、いや、何でもない、オ、オホン、と俺は咳払い。
 しかし参ったな、とつぶやく。まさかあの船と追いかけっこする羽目になるとは思ってもいなかった。いくら何でも分が悪すぎるぜ。ウルフのことがバレていたのか? それとも火星の方にヤマを張って待ち構えていたのだろうか。
《これじゃハヤブサとどん亀のレースだ》
 こっちにだってブースターがあるでしょ、と彼女。自分の予想が的中したことに興奮しているのか、瞳をキラキラと輝かせている。
 一方、俺の心中はどんよりと重い。あの“貴婦人”を相手にするなら、ブースターがあっても、正直、きつい。しかもまともに作動するかどうかも怪しいシロモノだ。
 とはいえ、ツキはまだこっちにある。もし火星に向かっていたら俺たちは呆気なく拿捕されていたはずで、ジェストの言うとおりに金星を目指したからこそ、結果として敵どもの裏をかくことができ、こうしてまだ無事でいられるのだ。
 今はこのツキに賭けるしかない、か。長距離では勝負にならないが、金星までで良いのなら。どのみち逃げるしか手はないのだ。船倉を開けるためにミサイルは全部下ろしちまったし、安物のレーザー砲一門だけでは勝負にならない。
 ――しょうがねぇなぁ。
 俺は操縦桿をつかむ。
《やれやれ。……こうなった以上はしかたがねぇ。かっ飛ぶぜ、お嬢さん! 肝っ玉を落っことさないように気をつけてくれよ! 何が起こるかはやってみてのお楽しみだ!》
 ジェストが大きく肯く。
 俺は視界に浮かぶアイコンを視線でクリック。外部インターフェース用アプリを起動。これでウルフの操縦モードは切り替わった。
 点火コマンドを――
 ッ!!!!!
 命令を実行した途端、船を凄まじい衝撃が襲う。巨人に張り倒されたかのようなショック。慣性の法則も何もあったもんじゃない。シートごと後方にもぎ取られてしまいそうだった。
 あのおんぼろロケット、やっぱり吹き飛びやがったのか、と視界の隅の表示を確認するが、どうやら爆発したわけではなかったらしい。ロケットからの戻り値は正常だ。つまりこの爆発的な加速こそが、あのブースターでのしごく真っ当な加速なのだ。まったく、頭がいかれてるぜ。宇宙は広いってのに、何だってこんなせっかちにスピードに乗らなきゃならないんだ?
(ああ、船が傷むなぁ)
 シートの背もたれを通じてウルフからの悲鳴が伝わってくる。直したばかりのフレームが、ねじ切れそうになっている。何て荒っぽい加速なんだ。
 しかも真っ直ぐじゃない。船は右に逸れ始めているし、船体は反時計回りにねじれつつある。
《くそッ! きちんと微調整している暇がなかったとはいえ、やっぱりかよ! 狂ってやがる!》
 ブースターの取り付け角度がズレているのだ。もっとも、元々大雑把な方向に向かって力一杯加速するためだけの装備だ。そんな精密なフライト、期待する方が間違っているのかもしれない。
 俺は操縦桿を操作して軌道の修正にかかる。といっても、一〇Gを遙かに超える加速度の中でだ。船体は赤いシューズでも履いちまったのかっつーくらいに三二ビートで激しく踊り狂いっぱなしだし、ありとあらゆる構造体が音にならない金切り声を上げ続けていやがる。
 最初の内は青かったLED類が次々に黄色に代わり、次の瞬間にはもう赤く輝きだす。無線からはウルフの様々なシステムからの警告音やら警告メッセージやら警告そのものやらがひっきりなしにわいわいがやがやと聞こえてくるが、全部一緒くたになっちまってるから何を言ってるのかさっぱり分からねぇ。そうブーたれるなよベイベー、俺は聖徳太子じゃないんだぜ。リラの奴がいてくれたら、要点のみを的確に伝えてくれるんだが……。
 もっとも、うるさくわめき散らさないって点だけは、ジェストも評価できる。この加速では喋りたくても喋れないんだろうが。だがまぁ、とにかく静かなのはいい。
 俺は指先に全神経を集中する。
 突貫作業どころじゃない、たった五時間の急ごしらえインターフェースでは、こちらの意図を汲んでくれるような高度なコントロールなどはできっこないわけで、指示は全てこちらから逐一出してやらなくてはならない。三本のロケット全ての上下角や水平角等々だ。しかも、経年劣化によるものなのか、燃焼が一定じゃない。何てひどいロケットどもだ。無視できないほどの推進力のばらつきがある。その違いまでこっちが操縦で吸収してやらなくてはならないのか。船は今にもバラバラになりそうだし、太陽はいよいよ近づいてくるし、おまけに追っ手までかかってやがる。何てひでぇ航海なんだ。泣けてくる。
 さすがの機械義体も、この高G下では精密な制御はなかなか難しい。自分の体が重たいったらないぜ。それでも俺は目まぐるしく船の操作を続ける。
 ブースターが燃焼していた時間は恐らく数十分程度だったろうと思うが、主観時間ではその数十倍もの長さに感じられた。で、とにかく、それは突然途切れた。始まる時も唐突なら、終わる時も呆気ない。
 体重が一気に軽くなる。
 俺は切り離しのコマンドを入力。船がロケットの残骸を脱ぎ捨てる。あばよ。ご苦労さん。ま、爆発はしなかったんだから一応は合格ってことにしておいてやるぜ。
 ジェストが激しく咳き込んだ。ゼェゼェと肩で息をしている。
 ウルフのメインスクリーンの半分以上は既に光り輝く朱色で覆われていた。沸騰し、煮えたぎる炎の星。太陽だ。強烈な照り返し。地球の神話の中には太陽を飲み込む狼ってのが出てくるのもあるそうだが、俺のウルフと本物の太陽とでは、残念ながら役者が違いすぎる。飲み込むどころか、こっちは今にも消し去られてしまいそうだ。外板の表面温度が凄まじい勢いで上昇してゆく。
 そのまばゆい輝きに目を細めていると、彼女が大きく息を吐き出した。
《ッパッ! ハッ、ハァッ! ハッ! あー、死ぬかと思った! 体重が、だいぶ、減ったような、気が、するわ》
《太陽から離脱する時にもう一回加速があるぜ》と俺は笑う。
《憂鬱になるようなことを言わないで。敵は? だいぶ引き離したんじゃない?》
 やはりさすがは冒険者か。立ち直りが早い。
 俺はスクリーンを操作してレーダーの画面に切り替える。
《ああ。かなり距離を稼いだ。さすがの最新鋭高速艇も、あの滅茶苦茶な加速にはついてこられなかったな》
 ジェストが両腕を組んでシートの上でふんぞり返る。
《フフン。ざまぁ見ろよ。こっちの作戦勝ちね!》
 しかしウルフの警戒系システムからの値は俺を安堵させてはくれなかった。あの“貴婦人”、確かに一旦は引き離したが――
《……ぐんぐんスピードに乗ってきてるぜ。こりゃ逃げ切れそうもねぇな。やはり性能が違いすぎだ。向こうのエンジンはこっちのより遙かに息が長い。ずぅぅぅっっっと加速し続けられるんだ》
 リラがいないので詳細なシミュレートができないが、とにかく金星までは逃げ切れそうにない勢いだった。ゴールまではまだまだあるってのに、こっちはもう既に燃え尽きちまってる。例えるならマラソンでいきなり全力疾走をしたようなものだ。後は追いつかれるのを待つばかり。
 ちょ、ちょっと、船長! 何とかしてよ、とジェスト。
《こ、この船にだってエンジンくらいあるでしょ! 何のために燃料タンクを増設したのよ!》
《だがあれを今使っちまったら》
《今使わないでいつ使うのよッ! 殺されてからじゃ遅いのよ、船長!》
 再び彼女のガミガミ攻撃が始まる。
 分かったよ、分かったってば、と俺は手を振る。
《そう怒鳴らないでくれ。俺は女のキンキン声が大の苦手なんだ》
 俺は航法コンピュータにコースを入力。太陽の周囲にはスーリヤという、クジラ型の義体に入った酔狂な連中がいる。ま、宇宙クジラというわけだ。こいつらにぶち当たったりした日には目も当てられない大惨事になる。ウッコ・ジリーナなどのスーリヤどもが密集している宙域は避けなくてはならない。スーリヤどもは通常はもっと太陽のそばにいる(超高温プラズマ雲の中で生活するための義体なのだ)ので問題はないはずなのだが、一応念のためだ。
 俺はウルフのエンジンを全開で吹かす。
 今度の加速は前回のに比べればかなり優しい。ただし時間は長い。エネルギー効率だって遙かに良い。あんなド旧式のロケットに比べれば。
 だが数時間、飛ばしに飛ばしても状況はさして変わらなかった。敵はますます速くなってきている。こっちとは桁違いだ。ウルフのエンジンでは引き離せない。補足されるのが多少延びたってだけの話だった。
 しかもこちらの燃料はもうすぐ尽きる。金星までとは言ってもその道のりはあまりに長く、その間ずっとアクセルしっぱなしってわけにはいかないのだ。
 くそう、とレーダースクリーンに目をこらす。
《やっぱり駄目か。この船にしてはかなり頑張ってるんだが。ま、元々推力重視のエンジンで、比推力の方はさほどじゃないんで》
《言い訳なんかどうでもいい! 何とかしてよ、船長!》と彼女。血走った目がつり上がっている。
 そんなこと言われてもここは宇宙空間だ、降りて後ろから押すってわけにはいかないんだぜ。
 くそう、万事休すか。拳を握りしめる。
 やはり性能が違いすぎる。太陽にもっと接近して落下による速度を多少稼いだとしても、あの船なら苦もなくこちらに追いついてくるだろう。この彼我の差は生半可な手段では埋めようがない。
 それにしても――
《おかしいな。なんで向こうは撃ってこないんだ?》
 もう敵の射程に入っているはずだ。そろそろ攻撃があってもおかしくないんだが。
 だが、そりゃそうでしょ、とジェストが叫んだ。
《あいつらの狙いは私が持っているこのカプセルなんだから! 撃沈して太陽に落下でもされたら回収できないじゃない》
 なるほど、と俺は考え込む。そうか。向こうはこっちを沈められないのか。これはこっちにとって有利な材料だな。そういうことならば――
《……そういうことなら、もう一つだけ手がないわけじゃないな》
《ほ、本当?》
 彼女が瞳を輝かせている。
 奴さんの狙いはあくまでもこちらの拿捕。恐らくはこちらに乗り込んでの白兵戦を目論んでいるのだろう。ということはつまり、砲撃戦にはならないということだ。ならばこちらもレーザー砲は要らないな。うん。それに砲撃戦ということになれば、どのみちあんなちゃちな武装ではこっちに勝ち目などまずないのだ。ここは一番、一か八かの賭けに出てみる、という手もなくはない。ただし――
《ただし、かなり危険だけどな。正直、俺はお勧めできない》
 数秒ほど黙った後、ジェストは《OK!》と大きく口にした。
《構わないわ。X-リスクの回避は全てに優先するの。やっちゃってよ、船長!》
 了解、と俺。席を立つ。
《分かった。そういうことなら、ちょいと準備をしてくる》
 彼女は不安そうな顔をして俺を見ていたが、結局何も言わなかった。
 俺はハッチへと向かう。

 準備を整えて再びシートについた俺は、操縦桿を握り、レーダースクリーンに目をやる。
 かなり追いつかれちまってる。ブースターで必死になって稼いだアドバンテージは、もう三分の一も残っちゃいない。何て船だ。速さに関してなら間違いなく太陽系でも屈指の性能だろう。向こうも相当に無茶な加速になっているはずなんだが。まったくうらやましいぜ。俺も一度でいいからあんな高性能な船を駆ってみたいもんだ。
 何か言った、とジェスト。
 いいや、と俺。
 とにかく、毒を食わば皿まで。こうなった以上はとことんやるしかねぇ。
 ハーネスで義体を固定。行くぞジェスト、と叫ぶ。
《少しばかり荒っぽい運転になるぜ! Gで失神しないようにな。もっとも、気を失っていた方がまだ幸せかもしれねぇがね!》
 操縦桿をひねる。姿勢制御バーニアを派手に吹かせて、ウルフがひらり、と身をよじった。
 エンジンを全開に吹かせて一直線に太陽に向かう。眼前はもう、あらゆる波長の電磁波の氾濫だ。光量を相当に絞っているスクリーンを通してでさえ、照り返しの熱が半端じゃない。俺たちは今、この太陽系で最も熱い海に近づこうとしている。コロナの環境で生活するために生み出されたスーリヤならともかく、この俺もウルフも、ここまで太陽に接近することなど想定しちゃいない。自殺行為すれすれの、こいつはまさに賭けだ。
 ちょ、ちょっと、どうするのよ船長! 緊張で頭がおかしくなっちゃったの、とジェストの悲鳴が轟く。だが生憎、俺の頭脳は正常だ。少なくともこの義体のモニタリングによれば。
《太陽に一気に近づく!》
《む、無茶よ船長! 重力にとらえられてしまうわ! ソルに焼き殺されるわよ!》
 どうせ死んだってバックアップから復活されるんだろ、というジョークの出力を俺はかろうじて思いとどまった。
《その点は大丈夫だ! 更に加速する》
《ちょ、どうやってよ! もう燃料があと少ししか残ってないのよ! それにそんなことしたら、今度は遠心力で吹っ飛ばされるわ!》
《そのための手なら考えてある! まぁ、任せとけって!》
 ブースターを切り離し、予備燃料までほぼ燃やし尽くして身軽になった俺のラグタイム・ウルフ号は本来の操縦性が復活。機体からのレスポンスは慣れ親しんだ素直なものだ。
 俺は敵船の動きに意識を向ける。まだ相手に反応はない。様子を見ているのか、それとも向こうもこれ以上は太陽に近づけないのか。実際、この熱い海を航行するには、本来だったら特殊な装備がいる。開き直ってるこっちとは違って、向こうがこの向こう見ずな一か八かの賭けに二の足を踏んだのだとしても不思議はない。
 それにあの“貴婦人”の性能ならそんなリスクを冒さなくても十分に先回りできる、という読みもあるんだろう。
 ――だが、違うんだな。
 俺は心中でほくそ笑む。
 太陽のとてつもない引力に引っ張られて船体がガクガクと揺れ始める。こいつに負けると炎の星に真っ逆さまだ。ウルフのエンジンが吠える。残り少ない水素を今、一気に燃やし尽くそうとしている。俺は負けるな、と祈る。もうちょっとだけ踏ん張ってくれ、と。
 やがて目指していた場所にたどり着く。
 金色の海に浮かぶ一本の漆黒の道は、その内側に飛び込むと、暗黒の宇宙に渡された黄金色のレールへと変わった。眼下には地獄を思わせる火炎が渦巻く。
 こ、これは?、とジェスト。
《た、たた、太陽のすぐ近くに、なぜこんな道が》
 道じゃない、と俺。忙しくコンソールを操作しながら応える。
《太陽光発電用円環構造体、通称ダイソン・リング。“大破壊”以前に造られた発電施設さ。より正確に言うなら、これはそのための小規模な実験用設備。ま、プロトタイプだな。発電衛星を連結して、太陽をぐるりと取り囲むリングにしてあるんだ》
《……信じられない。こんなものがあったなんて》
《今じゃもう使われちゃいない。もっと安上がりな方法が他にいくらでもあるんでね。この円環発電方式は構造体がどうしても力学的に不安定になるので、姿勢制御が大変なんだ。メンテナンスにも色々と費用がかかるしね。ま、バブルの残滓と言ったところか。もっとも、何らかの技術革新があれば、また復活するかもしれないが》
 口をぽかんと開けたまま、ジェストが頭上から遙か眼前の彼方へと続いてゆく光の道に見とれている。それはたった今、溶鉱炉の中から生み出されたばかりであるかのように、太陽の照り返しを受けてまばゆく光り輝いていた。暗黒の宇宙に浮かぶ黄金の輪だ。
《……なんでこんな凄いスポットを知ってるの? 太陽系ヒッチハイクガイドはもちろん、どんなサイトにも載っていないはずだわ。だってこれは研究用の、非公式な施設なんでしょ?》
 フフン、と素早くキーを叩きながら俺は微笑む。
《俺の知り合いには酔狂なのも多くてね。以前、スーリヤの友人に教えてもらったことがあるんだ。もっとも、まさか実際にこの目で見ることになるとは思わなかったが》
《ここを目指してたのね。この内側に飛び込めば、もうレーダーでは探知できない》
 そうだ、と肯く。
《しかもこれだけ太陽に近いと熱探知も不可能になる。向こうにはもう俺たちが見えない。だがそれだけじゃないんだぜ!》
 え、と彼女が小首を傾げる。
 俺はせわしなくキーを叩き続ける。あー、リラさえいてくれたらとつくづく思うぜ。あいつならこんな簡単なプログラム、〇.一秒もあれば余裕で組んじまうのに。
 どういうこと、とジェスト。
《ん? ああ。……実はこの発電用巨大リングは放棄された今も発電を続けてるんだ。その貯まりに貯まった電力はどうなってると思う?》
 ジェストの顔に徐々に不安という名のインクが広がり始める。え? 何ですって?
《結論から言うと磁力として周囲に放出されている。つまりこのリング自体が強力なリニアモーターのレールになっているのさ。ウルフは今、その上を滑っているんだ》
《そ、そんな……でもどうして? どうしてウルフはリングに接触してしまわないの?》
《ウルフの船体上部にはレーザー砲がある。と言うか、あった。今、その砲は取っ払ってある。それに使われていた誘電コイルを電磁石として使えるように、さっき改造しておいたんだ。同じ磁極同士の磁力は反発し合う。だからこの船はリングには接触しない》
 わお、と彼女がうなる。
 俺は得意げに笑った。
《しかもこのリングはこの船が遠心力で吹っ飛ばされるのも防いでくれるんだ》
《凄いじゃない、船長!》
 よし、と俺はつぶやく。プログラミング完了だ。急ごしらえもいいところなんでエレガントさは一欠片もない仕上がりになっちまったが、ま、しょうがないだろう。
《よっしゃ! できたぞ。加速用アプリだ》
 え、なぁに?、と彼女。微笑んだまま小首を傾げ、頬を引きつらせる、という器用な表情を浮かべている。もう、これ以上は何も要らないと思うんだけど?
《いいや、まだまだ! ここで一気に引き離してやるぜ! リングからの磁力を船の増速にも使う! そうすりゃこっちも息の長い加速を得られるってわけだ! ほぼ無限とも言えるダイソン・リングからの電力を使えば、まだまだスピードは上げられるんだぜ、ジェスト! 太陽系最速の船だろうがもう俺たちに追いつけるもんか! 飛ばすぜ、ハニー! 舌噛まないように気をつけとけよ!》
《え? キャア!》
 画面をクリック。途端に船が弾かれたように飛び出す。リニアモーター・カーと同じ仕組みを愛船に適用してみたんだ。とはいえさすがは俺の組んだプログラム。優しさというものが一欠片もない。まさに粗野。乱暴そのもの。
 あのブースターの加速よりはかなりマシだが、ブースターと違ってこのリングからの加速はいつまでもいつまでもずぅぅぅぅぅぅぅっっっっっと続く。
 一直線に見えたダイソン・リングの内側もこの速さで移動してみるとあちこちでうねっている。この幅が十数メートルしかないレールの上から少しでも外れたら、ウルフは凄まじい遠心力によって遙か彼方へ吹っ飛ばされてしまう。
 プログラミングできたのは加速に関してのみで、コース取りは手動でやるしかない。右に左にと俺は慌ただしく操縦桿に微調整を加え続ける。

 限界近い加速にウルフが引き付けでも起こしたように震えだす。船内を赤く照らしていたLEDどもが次々に消え始めた。青、黄、赤ときて次は黒か。この商売も結構長いが、知らなかったよ、赤よりも上位の色があるなんて。
 ウルフのサブシステムが次々にダウンし始めている。チッ! そろそろ限界か。元々安い中古の部品を更に値切ってから使っているので、まともな耐電磁性などあったもんじゃないのだ。それが今、太陽のすぐそばで盛大に陽子やら電子やらを浴びているのだから、これで無事にいられるわけがない。おまけに無茶の上に無茶を重ねてきているし、リングからの強烈な磁力の影響だって当然受けるだろう。それにそもそもこの船、修理したばかりの病み上がりな状態なのだ。よく飛んでるよな、実際。
 上下左右にブレる視界の中、俺は金色に輝く一本の道を見据え続ける。
 こんな時に相棒が無口でいてくれるのは非常に助かった。集中を乱されずにすむ。リラじゃこうはいかなかった。この点だけはやっぱりジェストの方がいい。
 もっとも、この振動では喋りたくても口を開いた途端に舌を噛んじまうんだろうが。
 宇宙が崩壊してゆくような振動の中、ウルフは加速し続ける。

 何とかつつがなくリングから外れ、無事(船の機能のほとんどが死んでいる状態をそう呼んでも良ければ、の話だが)に金星までのコースに乗る。
 船内が〇Gになった後もジェストはしばらく無言のままだった。ほとんど真っ暗になってしまった船内に、虚ろに視線を泳がせている。大丈夫か?
 俺が船内のチェックを一通りし、どうにか通信系の修理だけは終えてからコクピットに戻った後も、まだ何も言わない。
 俺がメインスクリーンに映された星々の眺めにしばらく見とれていると、やっと《……なんで生きていられるのかしら、私》とつぶやいた。
 大袈裟だな、と俺は笑う。
《生身とはいえさすがはトランスヒューマン。強化ボディ様々だ。もし無改造の肉体だったら今頃は屋上から落とした生卵みたいにぺしゃんこだったと思うぜ》
《……私たち、逃げ切ったの?》
 ああ、と俺。
《注文どおり、追っ手は振り切った。レーダーが死んじまってるんで確認はできないが、向こうだってこっちを完全に見失っているはずだ》
 またしばらく闇を見つめている。
《……私たち、勝ったのね》
 幽鬼のように青白い顔に、かすかな微笑みが浮かぶ。
 一方、俺の方は《え? ああ、うん》と歯切れが悪くなった。まぁ、確かに勝つには勝ったよな。先に金星に到着するんだから。
 ただ、その前にちょっとばかり厄介な問題もある。
《な、なぁ、ジェスト……金星に着く前に一つだけ確認しておきたいんだが、確か必要経費は全てそちら持ちだったよな?》
 え、と彼女がこちらを向く。今はその痛々しい笑顔を見るのがつらい、さすがの俺でも。これから伝えなきゃならないことを考えると。
《え? 何? どういうこと? 後はもう金星に到着するだけじゃない》
 ああぁ、と俺。そうじゃない、そうじゃないんだ、ジェスト。
《……それが一番難しいんだよ。よく考えてみてくれ。俺たちいったいどれくらい加速したと思う? ロケット・ブースター、スイング・バイ、ダイソン・リング、それに減速用だった燃料まで盛大に燃やし尽くしたよな》
 ジェストはまたしばらく無言になった。え、何を言ってるのかしらこの人は、という顔をしている。
《……え? ええッ?》
《宇宙船にはブレーキペダルなんてないんだ。そう。ウルフはもう減速できない》
《えええッ! そ、そそ、そんなッ! ちょ、ど、どうなっちゃうのよ私たちッ!》
《そう怒鳴るなって。大きな声を出さなくても聞こえてるよ。大丈夫、大丈夫だって! 宇宙港にはこんな事故に対処するための装備がちゃんとあるんだ。ま、装備って言っても、こんな小さな船の場合は大昔のマス・ドライバー用キャッチャーを使うだけなんだけどな。ほら、あのバケットコーンて奴さ》
《貨物扱いってことじゃないの!》
《贅沢言うな。宇宙の彼方まで吹っ飛ばされるよりはマシだろ。……ただ今回は何しろ並のスピードじゃないんでね。全キャッチャーの出動を要請しなくちゃならなくて……いや、もう要請はしたんだがね、ただ……その、宇宙港ってのはさ……緊急出動にかかる費用が馬鹿高いんだよ。ウルフが加入している保険には残念ながらそのための特約はついてないんだ。一番安い保険だったもんでさ、あはは。なので、その……これも必要経費ってことで、いいよね? ね?》
 両手を合わせて拝み倒す。
 顔を上げると彼女は、何なのかしらこのアホンダラは、という冷ややかな目で俺を見ていた。そしてつぶやく。
《……もう二度とあなたの船には乗らないわ》
 (つづく)



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片理誠既刊
『Type:STEELY タイプ・スティーリィ (上)』
『Type:STEELY タイプ・スティーリィ (下)』