「十二宮小品集4 金星蟹の味」太田忠司(画・YOUCHAN)

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「こんな遠くにまでわざわざきてくれてありがとう」
「いや、こっちこそお招きいただき光栄の至り。民間の身分でここに来るには、まだ申請だけでも一大事だからね。それにしてもずいぶんと開発が進んだものだな」
「それなりに苦労したからね。十年の努力の成果だよ」
「十年で金星をここまでにしたんだから立派なものだ。火星より面倒だったんだろ?」
「まあね。そもそもこの星を本当に地球と同じ環境にしてしまえるなんて、二十一世紀の人間には考えられなかっただろうな。自己進化型テラフォーミング技術の進歩は驚くべきものだよ」
「ああ。それにここ、完全に前世紀の、いや前々世紀の作りだな」
「施設部の中にレトロ趣味の人間がいてね。どうせ慰安施設を作るなら面白いものにしようって言って、こうなった」
「木のカウンターに縄暖簾、赤提灯に二十世紀の音楽か。ライブラリで観た日本のイザカヤそのままだ。こんなの今の地球にもないぞ」
「地球は今、反レトロブームだからな。意味不明な流行だよ。ともあれ、乾杯しよう」
「ああ、久しぶりの再会に乾杯……お?」
「美味いだろ?」
「すごいな。こんな美味い酒、飲んだことがない。もしかして伝説の吟醸酒ってやつか」
「まさか。地球でも作れないものが金星でできるわけがないだろ。普通の合成酒だよ。ただ、金星で作ると何故か美味くなるんだ」
「その何故かってところに興味があるんだよ、料理評論家としてはな」
「じゃあ、これも食べてみてくれ」
「これは……見たところ蟹の三杯酢のようだが」
「見たとおりのものさ」
「どれどれ……おおっ、これは!?」
「どうだい?」
「美味い! これは美味いぞ。舌に乗せた感覚からして違う。芳醇な磯の薫りが広がって得も言われぬ味わいだ。こんなに美味い蟹の身は食べたことがない。どうやって作ってるんだ?」
「これも地球と同じだよ。合成タンパクを3Dプリントしたものだ」
「同じだなんて、到底信じられん。俺は食肉合成技術開発の顧問もやってる。世界中のありとあらゆる合成肉を食べてきた。しかし、これほど美味いものには出会ったことがない。こっちで新たにプリンタを開発したのか」
「いいや。こちらにあるプリンタは払い下げの旧式のものしかない。地球にいたときに同じもので合成した蟹肉を食ったが、正直ひどいものだった。見た目はともかく食感はパサパサしてげんなりしたよ。こんなのをずっと食わされるのかと思うとうんざりだった。しかしだ、その同じプリンタを金星に持ってきて肉を作ってみたら、こうなった。本当に不思議なんだ」
「材料に違いがあるんじゃないのか」
「いや、材料の合成タンパクは地球から輸入したものだ。しかも普及品のレベルのやつだ。なのにこんなものができた。金星にいる最長老の管理官に食べてもらったら、子供の頃に食べた本物の蟹肉とまったく同じだと太鼓判を押したよ」
「そいつはすごい。これが本物と違わない味だとすると……おい、これは画期的なことだぞ。金星経済が一気に活気づく」
「というと?」
「わからないか。金星で合成肉を作って地球に輸出するんだよ。間違いなく爆発的に売れるはずだ。これまで金星開発は持ち出しばかりで利益を生み出すまでにあと三十年はかかると言われてきたが、これで状況は覆るぞ」
「なるほど、それは思いつかなかった。これまでは小型汎用プリンタでしか試していなかったが、ちょうど今、住宅用の大型で試しているところなんだ。あれでも同じ味のものができるなら大量生産も可能だ。地球から原材料を仕入れて生産しても充分に採算が取れる」
「採算が取れるどころか大儲け……ん? 誰だ?」
「ああ、私の部下だ。どうした?」
「それが、その、ちょっとおかしなことが……考えられないことなんですが……」
「奥歯に物が挟まったような言いかたはやめろ。何だ?」
「はあ。じつはただ今お召し上がりの蟹肉ですが、同じロットのものを精密検査したところ、奇妙なDNAが検出されまして……」
「DNA? 何を言ってるんだ。合成肉にそんなものがあるわけないだろ」
「それが、はっきりと見つかったんです。しかも、本物のズワイガニのDNAが」
「まさか。とうの昔に絶滅した、あのズワイガニか」
「はい。データが完全に一致しました。これは、本物の蟹肉です」
「どういうことなんだ。あのプリンタで本物が作られたということか」
「おい、どういう意味だ?」
「わからん。金星の環境がタンパク質合成に何らかの影響を与えているのか、それとも……」
「それとも?」
「自己進化型テラフォーミングが生命誕生のレベルにまで及んだということか」
「そんな馬鹿な……おや? 今、何か音がしなかったか」
「何かが壊れるような音だな。あの方角は……ああ、まさか……!」
「どうした?」
「さっき言った、住宅用3Dプリンタ施設のある方向だ。もしかして……」
「もしかして、何なんだ?」
「今回は試みに、生きている形でプリントしていたはずなんだ。実際の大きさの五十倍のサイズで」
「五十倍……ってことは」
「全長五十メートル以上は……うわっ!?」
「あ、あれは!?」
「………………………………でかい……!」
「しかも、生きてる」
「このまじゃ……くそっ!」
「おい、どこにいく!?」
「このプロジェクトの責任者として、やるべきことをするのさ。大丈夫、戻ってくる。そしたら」
「そしたら?」
「腹一杯、蟹を食わせてやる!」

太田忠司プロフィール
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太田忠司既刊
『目白台サイドキック
女神の手は白い』