「十二宮小品集3 カストルとポルックス」太田忠司(画・YOUCHAN)

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――本日は多重人格障害における我が国の第一人者でいらっしゃる丸崎晋也先生にお話を伺います。先生よろしくお願いします。

 よろしくお願いします。

――まず多重人格障害についてですが、我が国でもそのような症例が実際に存在するのでしょうか?

 そのお話をする前に、ひとつ訂正させてください。現在では多重人格障害という言いかたはしません。解離性同一性障害と呼ばれています。まあ、一般的には多重人格症といった呼びかたのほうがポピュラリティを得ているようですが。その違いは何かというと……(以下略)。

――専門的な用語が多くてわかりにくいところもありましたが、説明ありがとうございます。あらためて伺いますが我が国でも多重……解離性同一性障害の患者というのは存在するのでしょうか?

 欧米に比べると症例は少ないですが、存在しています。そもそもの歴史を辿れば大正時代から症例報告があります。近年も……(以下略)。

――意外に多いわけですね。それで今回先生が学会に発表された症例ですが、今までになくユニークなものだということですね。どのような症例なのですか?

 そうですね。これまで発表例がないという点では、たしかにユニークなものでしょう。
 その患者の名前を論文に倣ってカストルと呼びましょう。彼は十七歳の高校生でした。裕福な両親の許で育てられ、有名な高校に通っていました。学業は優秀で生徒会長にもなり、家庭内でも学内でも評判はすこぶるよかった。そんなカストルが私のところにやってきたのは、彼が傷害事件を起こした後のことでした。
 町中で不良連中に絡まれたのが発端だったようですが、カストルはその場で四人の不良学生を素手で叩きのめし、その中のひとりは意識不明の重体となりました。通りかかった警官が止めなかったら殺していたかもしれないということでした。
 警察からの連絡を受けた両親は心の底から驚いたそうです。というのもカストルは元々ひ弱で、それまで一度として腕力を振るったことがなく、暴力沙汰とは最も無縁な人間だったからです。
 カストル自身、自分のしたことに驚いているようでした。それどころか自分がやったことではないと言い出したのです。不良たちを殴ったのは自分ではなく、弟だと。
 両親も警察官も、最初は彼が何を言っているのか理解できませんでした。言い逃れにしては、あまりにも意味不明だからです。彼はひとりっ子で弟などいませんでした。
 しかし親や警察関係者が見ている前で、カストルに異変が起きました。突然顔つきが変わり、それまでとは違う声音で彼は言いました。
「俺がカストルの弟だ。兄貴がヤバかったんで助けた。それだけのことだ」
 当初は誰もがカストルの芝居だと思っていました。事件は最初に絡んできたのが不良たちの側だったこともあり、お咎めなしとなりました。カストルは両親と共に家に戻りました。
 しかしこれ以降、カストルは時折「変」になりました。成績のことで親から叱咤されたりすると、いきなり顔が変わって暴れ出したり、学校で同級生に嫌がらせをされると、突然殴りかかったりするようになったのです。そして暴れた後にはいつも、あれは自分ではなく弟がやったことだと言いわけしたのです。
 そんなことが重なって両親も不安になったようで、カストルを病院に連れていきました。その病院から紹介があり、私のところにやってきたわけです。
 カストルの第一印象はごく普通の高校生でした。意思疎通も正常に行えるし、目立つ挙動もありません。自分の置かれた状態に対して危惧を抱いているせいか若干鬱状態にはあったようですが、それも取り立てて病気扱いするほどでもありませんでした。
 私は彼に弟のことを尋ねました。彼は誠実に答えてくれました。それによると弟――これも論文に倣ってポルックスと呼びます――と彼とは双子なのだそうです。本来は一緒に生まれてくるはずだった。しかし母親の胎内にいるときにポルックスの肉体は死んでしまった。しかし精神は生き残り、カストルの体内に逃げ込んだのだというのです。つまり彼ら兄弟はふたりでひとつの肉体を共有しているというわけです。
 これはなかなか面白い症例だと思いました。これまで私が出会ってきた解離性同一性障害の患者では、本来の人格とはまったく縁のない別人格が生まれるのが普通だったのです。カストルのように兄弟など縁者の人格が生じるということは、聞いたことがありませんでした。
 私はカストルにポルックスのことを事細かく尋ねました。ポルックスはカストルより体格がよく運動能力に長け、力持ちなのだそうです。勉強は嫌いだが頭は良く、何よりも兄のカストルを大切に思っていて、彼が困ったときや危機に陥ったときに現れて助けてくれるということでした。
 私はひととおり話を聞いた後で、君の話は信用できない。自分はポルックスなる弟の実在は信じていないと言いました。カストルはすぐに反発してポルックスは本当にいると力説しまた。それでも私は彼の言葉を否定するだけで信用しませんでした。いや、信用していないふりをしました。もちろん彼を窮地に追いやってポルックスを出現させるためです。
 効果はありました。突然カストルの表情が険しくなり、声音も変わりました。
「俺がポルックスだ。文句あるか」
 そう言うやいなや、彼は私の襟首を掴んで引きずり回しました。華奢なカストルの体には似合わない剛力でした。
 私は引きずられながら叫びました。本当に君はカストルを助けたいのか。だが君の存在は彼を困らせているだけだぞ、と。
「どういうことだ?」
 彼は力を抜いて訊きました。私は答えてやりました。君が現れるから、カストルは病気だと思われている。このままでは彼は正常な生活ができなくなるぞ、と。ポルックスは考え込んでいるようでしたが、やがて言いました。
「カストルを困らせたくない。どうしたらいい?」
 私は言いました。君を抹殺してしまうのがカストルにとっては一番いいことだが、それでは君が不憫だ。だから表には出ず、そっと彼を見守ってやってくれないか。
「そうすれば、カストルは喜ぶか」
 ああ、喜ぶ。だが、君もずっと隠れているのは辛いだろう。だから私が君たちに催眠術をかける。そして私が指示したときだけ君が表に出られるようにしよう。
 ポルックスは、その提案を受け入れました。

――彼に、カストルだかポルックスだかに催眠術をかけたんですか?

 ええ。施術は成功しました。ポルックスは封じ籠められ、カストルはこれまでどおりの生活を送ることができるようになりましたよ。

――なるほど。しかし、にわかには信じられない話ですね。双子の多重人格だなんて。

 そう仰ると思いましたよ。だから私の話が本当だと証明しましょう。じつはこの場にカストルを連れてきているんです。彼をここに連れてきて、私があなたの目の前でポルックスの人格を呼び出します。

――…………。

 こんにちは、僕がカストルです。

――……え? 先生、何を仰っているんですか?

 あなたのことは覚えてますよ。よく覚えてます。

――先生、冗談はやめてください。一体何を――。

 何を言ってるんです。彼に失礼ですよ。さあカストル、ちょっと悪いがポルックスに出てきてもらうよ。そうだよ、この男が幼少時のカストルに悪戯をして、彼を解離性同一性障害にしてしまった張本人だ。さあ、復讐をしてやるといい。今こそ復讐をそうかおまえがカストルの仇か俺がポルックスだ絶対におまえを許さない兄貴に代わって復讐してやる!

――先生、何を……うわっ、やめ、やめてくださ――!

 さあ死ね。死ね死ね死ね死(録音中断)

「……というのが事件の顛末です」
「なるほど……しかし、どうにも信じがたい話ですな」
「しかし事実です。丸崎氏は、こうして命を落としました」
「自分で、自分の首を絞めて、ですか。つまり自殺だと?」
「それは正確ではありません。丸崎氏はインタビュアーを殺したのです。いやいや、これでも正確ではないな。殺したのはポルックスです。カストルのためにね」
「しかしカストルもポルックスも……」
「ええ、これがこの症例の特異な点です。彼ら四つの人格は、それぞれに役割を担っていたのですよ。ちょうど私たちのようにね」
「……どういう意味ですか」
「まだ気づいていないのですか」
「ちょっと待ってください。私は――」
「こんな黄昏時、独りっきりの病室で独り言を呟くのは寂しすぎる。だからあなたに出てきてもらったんですよ。なかなか楽しかった。また呼び出しますから、そのときはよろしく」

 私は病室を出た。私のことを自分の人格のひとつだと思い込んでいる彼は、ベッドに腰掛けたまま黄昏の景色を眺めている。
 彼から聞いた話を思い返して、ふと思った。この顛末を文章に起こしたら、読者は一体何が本当のことなのか理解できるだろうか。そして、最終の語り手である私の実在を信じてくれるだろうか。
 試みに、この文章の末尾を、こんな言葉で締めくくっておく。判断は、読んでいるあなたに任せよう。

 と、いう文章を読み終えた。そのとき……。

太田忠司プロフィール
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太田忠司既刊
『目白台サイドキック
女神の手は白い』