(PDFバージョン:gennaku_yasugimasayosi)
誰かがわたしの左手を握るようになったのは、小学校に入学して初めて教室の机についたときだった。
わたしは長く病院にいたので保育所にも幼稚園にも通っていなかった。だからこんなたくさんの知らない子供ばかりがいる冷たいコンクリートの建物の中に一人放り込まれ、視線をロクに合わそうとしない大人に慣れないことを強いられることも初めてのことだった。硬いイスに座るわたしは不安で仕方なく、すぐにでも逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていた。でも、逃げる勇気などわたしにはなく、机でじっと怯えて耐えるしかなかったのだが、そのときだった。誰かがわたしの左手を握るのである。その手は温かくて大きく、しかし、少し遠慮深そうにわたしの左手を包んだ。
それがどれほどの安心をわたしにもたらしてくれたか。不安がすべて消えはしないが、顔を前に向けることはできた。
それがその手との初めての出会いだった。
母親がわたしの右手を引くとき、左手にはその手があった。出かけるときは母親と二人だけのことがほとんどだったが、そのおかげでいつも三人でいる気分だった。
たまに家にいる父親には顔を合わせるたびに殴られたり、蹴られたりした。母親も止められない。でも、痛みに耐えるわたしの手をその手が握ってくれる。寒い玄関の外やベランダに放り出されてもその手のぬくもりがわたしの救いだった。
中学や高校にもなると、暴力を振るうようになったのはわたしのほうだった。いくら女でもバットを振り回せば親の一人ぐらい従わせることができる。力を知ったわたしは、それから夜な夜な友人とつるみ、いけ好かない同級生や下級生を呼び出した。
そのときも左手は握られていた。そのようなことはやめなさいと諭すかのように強く握るのである。それは当時のわたしにとって鬱陶しくて仕方なかったが、振りほどくことはできなかった。罪悪感を募らせてその友人たちから距離を置くようになったのはそのせいもあった。
それからもその手は何かの折にわたしの手を握ってくれた。
部活の大事な試合で負けたときも、受験のときも、初めてできた彼氏に浮気をされたときも、励ますように握ってくれる。
社会人になってからもそうだった。就職した会社はベンチャー企業であまりにも仕事が忙しかった。上司はいつも無理難題を押しつけ、顧客は自分勝手なクレームばかりふっかけてきて、そこはもう戦場だった。次々に同僚が肉体と精神を病んでやめていった。でも、わたしは耐えられた。握るその手があったから。不満も泣き言もその手が握ってくれるだけで共有できた気分になり、不安や苛立ちが落ち着いた。
やがてわたしは結婚した。夫は顧客として出会った男性の一人だった。
わたしは会社を辞め、その夫と一緒に小さな会社を興した。
それは思いのほか成功した。海外にも支店を作り、多くの社員を抱え、わたしと夫はこの不景気にも負けなかった成功者として、いくつもの新聞やビジネス誌に華々しく登場した。
成功したら成功したで不安はあるし、夫とも会社の経営方針で喧嘩することはよくあった。雑誌にはあることないことを書かれ、ちょっとした発言で考えもしないことを勘繰られ、苦情が殺到したこともあった。そんなときにも左手を握る手は誰よりも優しかった。
そして、もう少しで上場というところで夫が死んだ。心臓の病気による突然の死だった。その手は泣き崩れるわたしの左手に、そっと差し伸べてくれた。
会社を一人で引き継ごうとしたが、信頼していた部下がそれを許してくれなかった。些細な失敗の揚げ足を取り、経営を乗っ取られてしまったのだ。その理不尽なまでの糾弾の場でもその手はたった一人わたしの味方をしてくれていた。いつもより力強く握ってくれているだけだったが、それで充分だった。わたしは夫と一から作り上げた会社を自ら去った。
今度は小さな店を開き、そこで細々と経営していった。社員は自分だけであとはアルバイトばかりだったが、寂しいなどとは思わなかった。この裏切ることなくいつも握ってくれる手がいる限り、わたしはやっていけると思っていた。
しかし、まもなく重い病に倒れてしまった。店を閉め、闘病生活を始めた。子供はなく、家族もおらず、仕事をしていたときの友人や部下は誰一人見舞いにこなかった。
何度手術をしても、副作用のきつい投薬を受けても、病は着実に進行し、医者はとうとうさじを投げた。あとは死を待つばかりになった。
そんな誰もが見捨てたわたしを、その手はいつもと変わらず握り続けてくれていた。
病室のベッドで横になるわたしは左手を見た。
もちろんわたしに左手などない。
小学生になる前、交通事故で左腕の肘から先を失っていた。
わたしより先に逝った幻の左手を握るあなたをわたしは知らない。
でも、あなたがいたからわたしは生きてこられた。寂しいなどと一度も思わなかった。
だから、ありがとう。
これからそちらに行きます。
あなたに会えることを楽しみにして。
(了)
八杉将司既刊
『Delivery』