「『現代作家ガイド6 カート・ヴォネガット』(彩流社)YOUCHAN氏・巽孝之氏・増田まもる氏インタビュー」聞き手宮野由梨香・岡和田晃

(PDFバージョン:interview_genndaisakkagaido6


現代作家ガイド6 カート・ヴォネガット

YOUCHAN氏と言えば、SF Prologue Waveを彩る画像でもおなじみのイラストレーターである。熱心なヴォネガット・ファンである彼女は、SF批評家の巽孝之氏の監修のもとにヴォネガットのガイドブックを編集し、2012年9月に刊行した。(名義はペンネーム「YOUCHAN」と本名の「伊藤優子」とが併記の形になっている。)
イラストレーターが、どんな思いを込めてヴォネガットのガイドブックを編集したのか? 監修者の巽孝之氏、ヴォネガットの伝記のレビューを担当した翻訳家の増田まもる氏も交えて、お話を伺った。
(宮野由梨香・岡和田晃)

☆ 今、なぜ、「ヴォネガット・ガイドブック」なのか?

――あとがきによると、刊行まで、相当なご苦労があったようですね。計画してから刊行されるまで、何年間かかったんですか?

YOUCHAN「5年間です。2007年に知り合いの編集者から電話で「作りたい本ってある?」と尋ねられ、『ヴォネガット・ガイドブック』と即答し、でも、その企画は実現しなくて……。」

――それを実現してくださったのが、巽先生だったわけですね?

巽「彼女のストーリーではそうなるわけですが、私にとっては、〈SFマガジン〉の「ヴォネガット追悼特集号」(2007年9月号 巽孝之監修)がこの本の出発点です。中学時代に伊藤典夫訳の『猫のゆりかご』をリアルタイムで読んで以来愛読し、1984年には国際ペン大会日本大会で筒井康隆氏とともに作家本人と話す機会にも恵まれました。それがわたしのポストモダン文学理論、メタフィクション理論の起源になっていると言ってもいいのですが、後期作品ではとりわけ『ガラパゴスの箱舟』に衝撃を受け、 1997年の拙著『恐竜のアメリカ』(ちくま新書)に詳細な分析を盛り込んでいます。ちょうどそのころわたしの学部ゼミに入って来た学生のひとりが、いまでは日本を代表するヴォネガット学者の永野文香君。 2007年当時といえば、ちょうど彼女がフルブライト奨学生として北米に渡りラトガーズ大学留学(2005-06年)で徹底調査した蓄積を元手に、まったく新しい角度からのヴォネガット観による博士論文を執筆中だったころで、急遽、追悼特集号へ協力要請したんですね。」

――そんな前史があったんですか。

巽「この号が出た時のことはよく覚えているんだけど、発売日には集中講義で関西にいて、梅田の紀伊國屋書店でとてもよく売れているのを目撃し、しばらくして編集部に確認したら「次の号が出る前に売り切れました」と言う。ヴォネガットは、2007年の逝去までは一般にはみなさん「昔よく読んだけど今はご無沙汰の作家」という感じだったんだけど、いざ亡くなってみるとブログなんかでも自分自身の読書歴とからめて熱い思いを語る人が多かった。ヴォネガットをふりかえる言説というのが、ちょうど必要とされる時期だったんだと思います。その時、いつかこの追悼特集号をもとに増補して、かっちりした単行本が出せればいいな、と漠然と考えました。」

――それだけ、熱心なファンが多い作家なんですね。

巽「今回のヴォネガット本はつい一週間ほど前から書店に並んだんですが、版元によれば順調に売れ始めたそうです。Amazon.co.jpでも、すぐに書評がついたし。」

――その書評でも触れられていますが、この本は最初、浅倉久志インタビューを軸に企画を進めていらしたと、「おわりに――編者あとがき」でYOUCHANさんが書いていらっしゃいますね。浅倉氏のご逝去により企画が頓挫した悲しさと悔しさをエネルギーにして、実現させたとか?

YOUCHAN「そうです。2007年に最初に計画した時点では、私はまだ巽先生とも知りあっていなかったし、日本SF作家クラブの会員でもありませんでした。」

――お二人が知り合ったのは、ヴォネガット追悼号がでた直後のワールドコン (世界SF大会 2007年8月31日~9月3日)の二日目最後の企画「ニューウェーヴ/スペキュレイティヴ・フィクション」がきっかけだったんですよね? YOUCHANさんの「うつつにぞ見る」というブログで読みました。巽さんがたまたま隣の席に座っていらっしゃったって、すごい偶然ですね。

YOUCHAN「そう。横浜市民だと割引があるというので出かけていったワールドコンから人生が大きく転換したと思います。あの出会いがなければ、この本もありませんでしたね。」

巽「宇宙の外側にいる誰かさんがシナリオを書いて、我々を動かしているんだな(笑)。」

YOUCHAN「神の采配だとしたら、ボコノン教の神ですか、『猫のゆりかご』の(笑)。」

巽「それで、知りあってしばらくたってから、彼女がヴォネガット・ガイドブックを出そうとして苦労しているという話を聞いてね、この「現代作家ガイド」のシリーズには、かれこれ 15年以上も前の企画立ち上げのときから私がかかわっている関係で、彼女を編集部に紹介したわけです。第一巻の『ポール・オースター』のときには、やはり当時わたしのところの院生で、いまは甲南大学教授になっている秋元孝文君が大活躍しました。彩流社というのは、英米文学研究書が中心の会学術出版社で、このシリーズはポストモダン作家を中心に据えていますから、ヴォネガットならいけるんじゃないか、と。」

――このシリーズは、2が『スティーヴ・エリクソン』3が『ウィリアム・ギブスン』、5が『マーガレット・アトウッド』と、けっこうSF寄りの作家が多いですね。

巽「『ウィリアム・ギブスン』の時は母校の経済学部准教授になっている新島進君に協力してもらったんです。若い研究者にとって共著は業績にもなるしね。そうこうしているうちに、 前にもふれた永野文香君が、こんどは 2008年から日本学術振興会の研究員に選ばれ、自由に北米を往来できるようになり、各地図書館のヴォネガット直筆原稿や単行本未収録作品にもくまなくあたって、その成果を北米のアメリカ文学会でも発表するなど、ますます研究を深めていった。過去 20年以上、 集中講義も含めると百名を超える大学院生を教えてきましたが、永野君はその中でもトップクラスの優秀な逸材です。だから今回も、企画が決まってすぐに声をかけた。」

YOUCHAN「優秀も何も、半端じゃないですよ、彼女は。」

巽「ヴォネガットというと、以前は典型的なポストモダンの流行作家という印象があったと思います。トマス・ピンチョンやジョン・バースでは重過ぎる、だけどドナルド・バーセルミやレイモンド・カーヴァーでは軽すぎる、という向きにはぴったりハマった。しかし永野君が核の想像力を主題にヴォネガット作品を真正面から精読し、その角度からかのジャック・デリダの哲学的不徹底まで喝破してしまった博士論文を見ると、むしろなぜこれまで日本では真っ正面から研究対象として取り組む気配がなかったのか、そちらのほうが不思議に感じられる。原型のひとつには、彼女がまだ現役の博士課程の院生だった 2003年、日本アメリカ文学会の学会誌英文号Journal of the American Literature Society of Japan, 2 (2003)に投稿して採用され掲載された『猫のゆりかご』論”Surviving the Perpetual Winter: The Role of the Little Boy in Vonnegut’s Cat’s Cradle”があるんですが、英語論文でしたから海外でも読まれ評判になりました。げんに2008年 5月にニューヨークの学術出版社チェルシーハウスのホリー・ブラウン氏からわたし宛にメールが来て、こんどハロルド・ブルーム編のヴォネガット論集(Kurt Vonnegut. (Bloom’s Modem Critical Views), Facts on File, 2008)を出すから永野論文を転載する許可が欲しいと言うんですね。これは指導教授というより学会誌編集委員としてのわたし宛のメールだったのが、何とも面白かった。いやはやびっくりしましたよ。ブルームといえば、イエール大学教授、コロンビア大学教授を歴任して多くの著書や監修書でも著名、我が国での翻訳も少なくない文学研究の世界的権威ですから、これを断る理由は何もない。かくして彼女は弱冠 27歳のときに発表したヴォネガット論で、世界的権威のお墨付きを得てしまった。」

YOUCHAN「本当に、この本は永野さんあっての本だと思います。」

巽「だからヴォネガット本の企画を聞いたとき、まずは YOUCHANと永野文香の二人に「見合い」をさせなくちゃいけない、と考えたんです。気が合うかどうかというのは大切ですからね。あれは2009年 3月の日本SF大賞のパーティの時だったかな? YOUCHAN―永野のラインが出来れば、もう質は保証されたも同然と思ったから。」

YOUCHAN「永野文香さんと、彩流社の編集担当の若田純子さんと、もう、ボールが来たら、拾ってトスしてアタックみたいな連携でしたね。それが、すごくうまくいったんだと思います。伊藤典夫さんの特別寄稿も、大江健三郎さんとの対談再録も、若田さんが熱心に交渉してくれたんですよ。」

巽「まるっきり、なでしこジャパンだ(笑)。」

――浅倉久志さん翻訳の「20世紀への送別の辞」が入っているのは、YOUCHANさんのこだわりどころなんでしょうね?

YOUCHAN「このエッセイを発掘して下さったのも、実は永野さんです。もしここで収録しなかったら、そのまま埋もれて消えてしまう存在だった。〈プレイボーイ〉誌に載っていたときは、変な(笑)UFOのイラストが段落ごとに入っていたんですが、わたしはそれにはとらわれずに自由にカットを描きました。」

――各論は、文芸ジャーナリズムで活躍する批評家というよりは、アカデミックな文学研究に従事している人たちが中心になっているようですね。

巽「現代作家ガイドのシリーズは、一般読者にはもちろんですが、とりわけ文学専攻の大学生や大学院生に役立つようにという配慮があるので、いまヴォネガットを研究して論文を書くとしたらおおむねどういったパースペクティヴが必要かをあらかじめ編集会議で検討し、そのうえでいまの日本の若手で各論を執筆するのに最もふさわしい書き手を選びました。そのため、各論はそれぞれが長めのトピック解説、ないしキー・コンセプト解説といった趣があります。」

――各論の執筆者として、中山悟視さん・吉田恭子さん・渡邉真理子さんがいらっしゃいますが、この方々はどういういきさつでこの本にかかわることになったのでしょうか?

巽「中山悟視君は 2000年初春に、わたしが東北大学で集中講義をやったときの教え子で、〈SFマガジン〉の追悼特集号の時点でも永野君とともに加わってくれたので、今回は彼の関心に近いヴォネガットの宗教観やテクノロジー観という点を押さえてもらいました。」

――中山さんの「テクノロジーへの反発――ヴォネガットのラッダイト主義」を、特に興味深く読みました。現代SFがまま欠いている技術中心主義への批判的視座が、ラッダイト(機械破壊者)という観点から主題的に盛り込まれていて、アクチュアルに読んでいるなあと。

巽「ラッダイト主義はピンチョンとも通じるところがありますが、ここからさらにアメリカ思想史における反知性主義の伝統も浮かび上がってきますから、興味深い視点ですね。」

――巽さんの編著である『反知性の帝国――アメリカ・文学・精神史』(南雲堂)にも通じるお話ですね。アメリカ文学とのつながりで言えば、渡邉さんの「『スローターハウス5』とアメリカ戦後文学」は、読み手に失語をもたらす『スローターハウス5』に正面から向き合っていながら戦争文学の系譜に配置することで、非常に見通しがよい論文になっているように思います。

巽「渡邉真理子君は 2004年から2005年にかけての二年間毎夏、福岡女子大学で集中講義をやったときの教え子で、ヴォネガットのみならずイエールジ・コジンスキーからウィリアム・ギブスンまで、ポストモダン文学全般が専門領域で、もともと戦争文学に深い関心を持っています。」

――永野文香さんのドレスデン屠殺場の写真(P.112)と見比べると、視座が立体的になります。

巽「彼女には写真家としての一面もありますからね。とはいえ、あそこまで写真をきちんと撮ってきたのには感心しました。いっぽう吉田君のほうは、高校時代に渡邊君と同窓という奇遇があるのですが、京都大学からウィスコンシン大学へ進んで英語による創作を専攻し、最近では現代日本詩の英訳でも翻訳書を刊行しています。今回は、彼女も学部のときの専門がポストモダン文学で、ヴォネガットとは因縁浅からぬアイオワ大学の滞在経験もあるということで、創作講座およびアメリカン・ユーモアの側面から寄稿を仰いだんですね。

――吉田さんの「徹底解剖(しない)! ヴォネガットの笑い」は、「新誠実(new sincerity)」という新しい文化的潮流をエッジの効いた切り口で紹介するという意味で、大いに興奮しました。現代日本のサブカルチャーに対するオルタナティヴとしても、もっと注目されてよい考え方と思いました。

巽「YOUCHANも編者としての才を発揮しましたね。」

――YOUCHANさんは、イラストレーターとして表紙をお描きになるのはもちろん、「ゆかりの地マップ」「ヴォネガット名言集」「キーワード辞典」なども担当していますね。そういった主要な部分もいいですが、ヴォネガット作品に登場する架空のSF作家、キルゴア・トラウトの「作品リスト」が入っているところも、ファンにとってはたまりませんね!

YOUCHAN「これは、巽先生が「ぜひとも入れたい」とおっしゃったので、とてもがんばって作りました。」

巽「それがあるのとないのとでは、本の価値が違いますからね。」

YOUCHAN「ヴォネガットの百科事典みたいな本(註1)があって、それをもとにしたんですが、その本の記述が、たまーに間違っていることがあるんです。」

増田「きっと、記憶で書いて作ってしまっている部分があるんでしょうね。」

YOUCHAN「「キルゴア・トラウト作品リスト」に限ったことではなく、全般に言えることですが、今回のこの本は、二次資料に書かれている内容にも間違いがないか徹底してチェックしましたので、正確度に関しては、そうとうに水準が高いと思います。」

――「ゆかりの地マップ」もすごいですよね。労作です。

YOUCHAN「これは永野さんが現地で沢山撮っていらっしゃった写真と、彼女自身による注釈が書き込まれたGoole Mapをもとに、私が絵を描いたんです。」

巽「ここまでこだわって仕上げた本というのは、なかなかないでしょう。」

☆ どんなふうに読んでもらいたいか?

――読みどころは満載なんですけど、作った側の要望として、「こんなふうに読んでほしい。使ってもらいたい」というイメージのようなものがありますか?

YOUCHAN「そうですね。ヴォネガット初心者の方には、まず、伊藤典夫さんが心をこめて書いてくださった翻訳とエッセイを読んでヴォネガットの楽しさに触れて、それからインタビューを読んで欲しいです。そして、「こういうおじさんなんだな」ということがわかった上で、自分の興味のある本を捜す意味で「作品ガイド」を見る。そして、作品を読んでみる。「ヴォネガット、面白いじゃん」となってから、トピック解説を読む。その順番で読んでもらえればいいな、と思います。」

――ヴォネガット論としても独自に完成された記事がたくさんありますね。ところで、「作品ガイド」は、ヴォネガット初心者を意識して作っていらっしゃるんですか?

YOUCHAN「ヴォネガットは平易な言葉で深いことを述べる、行間を読ませるタイプの作家です。特に時代背景がわからないと理解できない描写も少なくありませんから、そこは気を配りました。また、話の筋を追うことが面白さの軸ではないとはいえ、ここだけは最後まで読者にとっておきたいと思うような部分……いわゆるネタバレはさけるような書き方をしたつもりです。」

――巽さんはいかがですか?

巽「まず、YOUCHAN編の「名言集」を熟読して欲しいですね。全6ページ、ひとつひとつがほんとうに限りなく格言に近い名言ですから、それぞれ最も簡潔明快なかたちでヴォネガット文学のエッセンスを凝縮したテクストになっている。このページをおすすめするのは、訳文に添えられた原文を読み比べると、浅倉久志が翻訳家として、いかに戦略的だったかということが浮かび上がってくるからなんですよ。ヴォネガットの若いファンが彼の作品を評して、以後ヴォネガット文学の本質とされるようになった言葉に「愛は負けても親切は勝つ」( Love may fail, but courtesy will prevail)というのがあるんですが、その場合の「親切」が “courtesy”の訳だという点に注目したうえでこの「名言集」を見るとね、“kind”も親切、“nice”も親切、そして驚くべきことに“decency”も親切と訳してあるのが、たちどころにわかる。“decency”は、普通、「親切」とは訳さないでしょう? もちろん、そうした意味は部分的にはありますが、ふつうなら良識とか品格とか行儀のよさとか、そんな印象があるから、少なくとも“ kind” “nice”といっしょくたにはしない。」

増田「確かにそうですね。全部を「親切」と訳してしまうというのは、すごいと思います。」

巽「これは浅倉久志の中に、深く読み込んだからこそ可能な確固たるヴォネガット観とでもいうべきものがあらかじめできていて、「親切」と訳せるものは、だいたい統一してしまおうという意識が働いていたとしか思えない。それに留意した上で、 1984年来日時の『新潮』から再録されている「ヴォネガット×大江健三郎」の対談を読むと、まさに両者は「愛は負けても親切は勝つ」の周辺をめぐって討議しているのが判明するでしょう。」

――対談の中で、大江健三郎がヴォネガットにディーセンスィ(decency)についてしきりに問うていますね。

巽「ヴォネガットも、それが「愛よりは少し軽いもの」「人に対して寛容で相手を尊重すること」と説明していますから、あらためて浅倉訳の洞察力を感じますね。」

YOUCHAN「深いなぁ。そんなに深かったんだ!」

巽「君が意図して選んだんじゃないか?」

YOUCHAN「いえ、絶対に外せないというのを入れていったらそうなっただけです。」

――この対談は、『夜の果てへの旅』や『なしくずしの死』の作家、ルイ=フェルディナン・セリーヌのことを、2人とも高く評価しているのが、特に興味深かったです。」

巽「セリーヌは筒井康隆の霊感源のひとつでもありますからね。」

YOUCHAN「今の目で読むと、2人のやりとりがとても面白いですよね。自殺未遂の3ヶ月後に来日して、こんな高水準の対談をしているというのも、認識を新たにさせられます。」

巽「実は「ヴォネガット・ガイドブック」というだけではなくて、この本はもっと広い世界文学の流れを意識できるようなつくりになっているんですよ。そのあたりも、ぜひ、読んでほしいですね。」

☆ ヴォネガットの伝記のレビューについて

巽「なにしろわれわれは没後の再評価が高まる中で編集していたわけですから、その途上でつぎつぎと伝記に類する書物が刊行されたのには、うれしい悲鳴をあげたものです。とりわけ昨年2011年に出たばかりだった、チャールズ・J・シールズのヴォネガット伝And So It Goes: Kurt Vonnegut: A Lifeを、さっそく増田さんがレビューしてくださったのも、貴重な寄稿となりました。じっさいには われわれの本は2011年暮れには刊行されていなければいけなかったんですけど、こんな凄い伝記が出ちゃったからには盛り込まないわけにはいかない、と版元にも無理を言って刊行予定を遅らせてもらって。」

YOUCHAN「本当に有り難かったです。かなりハードなスケジュールだったんですが、ひきうけていただいて、助かりました。」

増田「ハードカバーで513ページの原書を読んで、1ヶ月間でレビューを書けと。鬼のようでしょう?(笑)」

 

――これ、未訳なんですよね? 「ぜひ、読みたい」と思ってしまうようなレビューなんですけど。この本がきっかけになって、訳書が出版されるといいですね。

YOUCHAN「ヴォネガットの矛盾がよくわかる本で、この内容は、是非いれたかったんです。」

巽「とても詳細な伝記なんだけど、家庭内問題も含むスキャンダルも拾ってしまっているので、遺族には評判が悪いんですよ。しかし、伝記である以上、それは、拾わざるを得ない。」

増田「手紙や資料を集めて、よく調べた上で、まるで見てきたように描写する、あの能力はすごいですよ。一般に流布しているヴォネガット像とは違うものを提示した、いわば偶像破壊ですけれども、それは思い入れのありすぎる人にとっては偶像破壊になるというだけの話で、客観的に見ると、とてもよく出来た本ですし、実際、〈ワシントン・ポスト〉紙は絶賛しています。」

YOUCHAN「ヴォネガットは一冊の本の中でも矛盾が多くて、特にエッセイなどは読み手が戸惑うような表現も少なくないんです。読者の立場としては「何かおかしいよね」というモヤモヤしたものをずっと抱えていて、この本が出て「やっと正解が出た」という感じがしました。」

巽「ヴォネガットには相当な挫折体験があるというのも、よくわかりましたね。幼年期には兄のバーナードから「できそこない」(accident)と呼ばれていたわけだし。」

増田「彼の軍隊入りに絶望して、それも、母の日に、彼の帰省に合わせて、母親が自殺するんですよね。あれは、ひどい。」

YOUCHAN「それと、ヴォネガットが戦争中に捕虜として体験した、友軍によるドレスデンの空襲、この二つが大きな挫折体験です。」

巽「一方、絶頂期のヴォネガットがどんな感じだったかもよくわかりました。いまやホセ・ドノソといえばガルシア=マルケスと並ぶラテンアメリカ文学の大御所ですけど、アイオワ大学で教鞭を執っていたころには完全にヴォネガットを成功者と見て憧れているんですよ。ちなみにヴォネガットの伝記といえば、最初のものは、2009年に出たアイオワ時代の教え子ロリー・ラックストロウによる回想録『いまも変わらぬ愛を』(註2)でしたね。彼女はヴォネガットと師弟関係を超えたロマンスもあって、珍しい写真がたくさん入っている。」

YOUCHAN「シールズの伝記は、そういった部分もきっちり拾っています。」

増田「「ヒューマニスト」とか「知識人」とか「左翼」とかだけだと、こぼれるものがある。それを全部拾い上げてくれたからね。ある種のファンからすると、見たくない姿だったかもしれない。ニヒリストだし……。」

巽「それから、ユニテリアンという側面をシールズはきちんと拾っていますね。ユニテリアンに関してもこの本に書いてありますが(P137)、私の学生時代は、ちょうど『チャンピオンたちの朝食』が評判になっていたころでしたから、ヴォネガットといえばメタフィクション的仕掛けやポップアート感覚の優先する「ちょっと変わったトンガリ系の前衛作家」という感じでファッショナブルに受容される部分もあったけど、こういった形でガイドの監修にかかわり、作品を読み直してみて根本的なヴォネガット観が変わりました。「ちょっと変わった」どころじゃない、「ヴォネガットはアメリカの主流に位置する国民作家だ」という感じがしてきたんですよ。彼が先輩格の国民作家、『ハックルベリー・フィンの冒険』や『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』で知られるマーク・トウェインを尊敬していたのは、偶然じゃない。」

――ユニテリアンであるということと、アメリカの主流に位置する国民作家であるということとは、どのような関係があるんですか?

巽「本書では中山君、永野君がヴォネガットの宗教観を詳しく分析してくれましたが、彼の随所に顔を出すユニテリアリズムはキリスト教的正統でいう三位一体(父と子と聖霊)を否定し人間イエス・キリストという個人のみを中心に据える点で、アメリカ的ヒューマニズムの根幹を成しています。ヴォネガットの日本における受容では日本語化した「ヒューマニズム」すなわち人道主義で受け取られることが多いのですが、その根本に立ち返れば、伝統的なキリスト教の神ではなく近代的な人間個人の価値判断に立って行動するという理神論に行き着く。イエス・キリストは預言者であり、ある意味では神の子かもしれないが神そのものではない、と再定義する見方ですね。 1776年にトマス・ジェファソンが草稿を起こすアメリカの「独立宣言」そのものがユニテアリアニズムによって書かれていて、それは、アメリカ人の性格およびアメリカ文学の本質を形成したといっていい。こうした理神論的ヒューマニズムが限りなく無神論に接近していくところで、ヴォネガット文学が成立したとすれば、彼をアメリカ国民作家と呼ぶのにためらう必要はありません。」

――SF史という観点から見ても、マーク・トウェインの『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』(1889年)は、タイムスリップが重要モチーフでした。これは、H・G・ウェルズの『タイム・マシン』(1895年)に先だって書かれているんですよね。

巽「ちなみに、 往々にしてSFの起源とされるのはイギリス女性作家メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』(1818年)ですけれども、そもそもシェリーのお母さんで先駆的なフェミニストだったメアリ・ウルストンクラフト自身が熱心なユニテリアンで、将来の夫ウィリアム・ゴドウィンともジェファソンの師匠格ジョゼフ・プリーストリーともその共同体で出会っている……という事実を付け加えたりすると、あまりに面白過ぎるので、このへんでやめときます(笑)。」

増田「あと、中山悟視さんが論文で取り上げたラッダイトというのも、実はアメリカの血筋ですね。ラッダイトについては、中山さんがお書きになった「テクノロジーへの反発――ヴォネガットのラッダイト主義」に詳しいですが、この運動には圧倒的な権力に対する個人の反乱という側面があって、それがアメリカの建国の理念と通底しているわけです。産業革命によってしだいに非人間的になっていくイギリスから逃れた人々が、新天地で大地に根差した生活をとりもどそうとしたのだといえるでしょう。」

巽「いわば、農本主義ですね。」

――それが、『猫のゆりかご』では原爆を描き、さらに『デッドアイ・ディック』にいたっては都市まるごと滅ぼした核の問題とも結びついてくるわけですね。

巽「生前もてはやされても、死後は忘れ去られてしまう小説家もいるけど、ヴォネガットは、その意味でも、星新一と似ています。最相葉月さんの『星新一 一〇〇一話をつくった人』いう評伝で、挫折体験が作家を作った経緯が書かれていましたが、その点でも同じ。しかも「昔、読んだけど、今はちょっとねぇ……」じゃなくて、「今、読むからこそ面白い」。先日、インディアナポリスに行ったんですが、みんな「ヴォネガット」と言えば誰のことか知っている。十九世紀の文豪エドガー・アラン・ポーの生誕地をボストンで探した時には、レストランのウェイターあたりだと「ポー、誰それ?」みたいな対応だったのと対照的です。」

YOUCHAN「地元にものすごく愛されているんですよ。実際、誰でもちょっとは読んでそうな気もしますが。そういう意味では、日本における宮澤賢治みたいだと思いました。」

☆ インディアナポリスとは、どんな所なのか?

――YOUCHANさんと巽先生は、インディアナポリスにある「カート・ヴォネガット記念図書館」に行ってらしたんですよね?

YOUCHAN「はい。小さな図書館なんですけど、気がついたら2時間もたっていました。」

巽「そんなに時間がたっているとは思わなかったよね」

 

 

YOUCHAN「この本のカバーイラストを額装したものにサインを入れて差し上げてきて、それはよかったんですけど、たどり着くのが大変で(笑)。」

巽「エピソード満載の旅になりましたね(笑)。」

YOUCHAN「シカゴでのワールドコンに参加して、その後で行ったんです。まず、小谷さんがインディアナポリス行きのバスの予約をホテルのフロントで取ろうとしたら、「予約なんかしなくても、当日で大丈夫だよ」と言われたんです。なのに、バス乗り場に行ったら、運転手に「予約がない人は乗れないよ」と言われ、事情を説明しようとしたら、「後ろが並んでいるだろう。あっちへ行け」みたいなことを言われて、「ええっ?」って。」

巽「それで、レンタカーを借りて、4時間かけて運転して行ったんだよね(笑)。」

――メンバーは、お2人の他には、SF&ファンタジー評論家の小谷真理さんだけですか?

YOUCHAN「SF・ホラー作家で、中華圏文学研究の第一人者の立原透耶(たちはらとうや)さんもご一緒でした。運転は巽先生と小谷さんが2時間ずつ。お世話になりました。」

巽「もう、これは「奉仕」ですね。「インディアナポリスに行きたい」というYOUCHANの希望ならぬ欲望を満たすために、我々は尽くしたわけです。レンタカーも何と、生まれて初めて運転するメルセデス・ベンツのワゴン車だったし、最高の環境を用意させていただきました(笑)。」

YOUCHAN「これ、もう、ずっと、一生、言われますね(笑)。それで、そのレンタカーに内蔵型のだけじゃなくアメリカ製のカーナビがついていて、日本語と英語と選べたのですが、その日本語が明らかにおかしいんです。「道の右にある」と表示されていたヴォネガットの家も、左側にあったし。」

巽「もう、ボコノン教の世界ね。信じちゃいけないウソばっかり。矛盾した言説があふれている(笑)。もっともさすがドイツ車で、内蔵型カーナビの言うことさえ聞いてれば正しかったんだけど。」

――ボコノンの教義「ここに書かれていることは全て嘘」を地で行くような土地だったんですね。

YOUCHAN 「ヴォネガット記念図書館にも前もって連絡をして「歓迎する」というお返事まで戴いていたのに、前日になって確認を入れたら、「明日はレイバーデーで、休みです」(笑)。幸い、インディアナポリスには日帰りではなく一泊することになっていたので、何とかなりましたが……。」

巽「そのあたり、まだまだ、いろいろ面白い話があるんですよ(笑)。いずれYOUCHANがマンガにしてくれるでしょうから、お楽しみに。」

YOUCHAN「ええ!?」

 

巽「ヴォネガットは、インディアナポリスに育ったからこそ書けたという観を強くしましたね。インディアナポリスの住民の多くはドイツ移民で、しかも、1848年の三月革命に挫折した連中が多かったんです。独裁体制を逃れ、自由を求めて来ているわけだから、もともとユニテアリアニズムとは相性がいい。シールズ以前、 2010年には出ていた伝記で、幼少期からの同級生マジー・アルフォード・フェイリーの回想録『チークダンスを踊りたかったWe Never Danced Cheek to Cheek: The Young Kurt Vonnegut in Indianapolis and Beyond (Carmel: Hawthorne)を入手できたのも収穫でした。ここに、見たことのない写真が満載。」

――幼なじみならではの本なんですね。

巽「それにしても、あと一冊グレゴリー・サムナーの伝記も出ているけれど、現時点で合計四冊のうち二冊が女性の手になる伝記とは、つくづくヴォネガットという人はモテたんじゃないかな、と(笑)。」

YOUCHAN「原典を当たれとよく言うけれど、出生地を当たれば見えてくるものもあると。いやぁ、びっくりしましたよ。」

巽「あの言説空間というのはね、たとえば『母なる夜』とか二重スパイの話があるでしょう? 本来アメリカではドイツ系は主流で、ジョン・ F・ケネディ大統領のお父さんだってヒトラーに親近感を抱いていたのは有名。それが第二次世界大戦が勃発しドイツ対アメリカという事態に陥ったのですから、インディアナポリスの人たちというのは非常に苦労をした。ヴォネガット文学というのは、そういった歴史あってのものだろうなぁ。」

増田「ヴォネガットも、ドイツ軍と戦うために軍隊に入ったら、母親が自殺してしまうわけですからね。」

YOUCHAN「行けてよかったです。幸せでした。」

☆「YOUCHAN≒伊藤優子」と表現について

――装丁とか、レイアウトとか、随所にイラストレーターならではの心配りが感じられる造りになっていますが、この表紙がまた、素晴らしいですね!

YOUCHAN「いろいろと作品ネタを入れてあります。それを捜すことを楽しんで欲しいと思います。ひとつだけ披露しておくと、『ガラパゴスの箱舟』の、海イグアナが海草を食べるとその後で岩によじのぼってお腹をあおむけにして太陽の熱でそれを消化する描写がとても好きなので、入れてあります(笑)。」

――それはピンポイントですが、作品全体をイメージしている絵がさりげなく入っています。積まれている本は、すべて、ヴォネガットの原書ですよね?」

YOUCHAN「可能な限り、実物にあたって、似せて描きました。帯の紙にも意味がありまして、この用紙の名前が「サイタン」なんです。サイタンの妖女……なんちゃって(笑)。(註3)

――うわわ。

YOUCHAN「この帯を外して、折り返しを見ると、ほら、ここにもヴォネガットが(笑)」

――言われなければ、絶対にわからないネタですね。(みなさん、外してみて下さいね。)

YOUCHAN 「あと、ヴォネガットが白いスーツを着ているのは、マーク・トウェインを意識しているんです。」

巽「なにしろ、国民作家ですから(笑)。」

――それから、YOUCHANさんの「職業作家のジレンマ――ヴォネガットとアート」(「伊藤優子」名義)というエッセイ、イラストをお描きになる方ならではの視点で、とても面白かったです。なるほど、と思って読みました。

YOUCHAN「この本を書くために全作品を時系列にそって読み返したんですが、その中でも『青ひげ』という作品に改めて驚いて……。非常に痛いところをついてくるんですね。主人公のラボー・カラベキアンは実在の人物のジャクソン・ポロック(註4)と芸術活動を共にしたという設定で。」

――でもこの本ではほとんどポロックには触れていませんね?

YOUCHAN「最初は結構盛り込んでいたんですが、第一校が上がると、永野さんや若田さんから、イラストレーターならではの視点で、ヴォネガットのアートに触れて欲しいという声が上がりまして……。確かにヴォネガットのアートは語られることが少ないけど、片やポロックは大人気です。ちょうど最近、愛知と東京で大規模な展覧会が開催されて(註5)、わたしも見に行ったんですけど、若い人がすごく多かった。カッコイイ、と。今もポロックは語られる対象なんです。そんないつでも資料を当たれるような人のことを、わざわざここに書く必要もないわけで、どんどん推敲していくうちに、ポロックの描写が殆どなくなってしまいました(笑)」

――残念です。

YOUCHAN「不況の煽りを受けている現在のアーティストの窮状に共感する描写があったんです。2012年に出した本という色は欲しかったんですよ。「この時はこうだったんだね」という感じになったら、また、新しい本が出ればいいなぁと思っています。」

――YOUCHANさんは、文章のお仕事はこれが初めてですか?

YOUCHAN「自分の好きな作家に関してまとめて、こういった形で出すのは初めてです。でも、IT関係の雑誌にイラストを描いていた関係で、そこでレビューやコラムを書いたりしてはいたんですよ。そういった解説本は、もう何冊か出しています。」

――創作の方でも、確か〈SFマガジン〉の「リーダーズ・ストーリイ」に伊藤優子名義でショートショートを載せていらっしゃっいましたね? あれは2008年2月号でしたか?

YOUCHAN「うわっ、なぜそれを?」

巽「そうだったんだ。じゃあ、もうそこでSF界にデビューはしていたんだな。」

――あれはなかなか載るものじゃないですからね。

YOUCHAN「後でそう聞いたんですけど、軽い気持ちで出したんです。表現という点において絵や文章がありますよね。じゃあ文章ならどうかな、と思ってやってみたのですが、実際継続できなかった。「絵のほうかな、もう文章はちょっといいかな」と思ってしまって。」

――なかなか面白かったですけどね。せっかくですから、SF Prologue Waveで再公開なさってはいかがですか?

YOUCHAN「ええっ! 勘弁して!」

巽「いいじゃない、また、皆さんに読んでもらえれば。アーティスト・YOUCHANについて、もっとよく知ってもらえるでしょ。」

――では、決まりということで(笑)。

YOUCHAN「すっとぼけようと思っていたのに……(涙)。」

――ご自分の書いた文章に、ご自分のイラストを添えるとか、なさらないんですか?

YOUCHAN「それはちょっと、濃くなりすぎちゃうんじゃないかと思います。絵を描く時もそうなんですけど、読み手というか、見る側、受け手の居場所を作るというか、そこにちょっとした抜け穴を作るような事が必要なんですが、全部自分でやってしまうと、息苦しいかなと思っていまして……。今はまだ、無理かなあ?」

――ヴォネガットとの出会いは、いつ頃ですか?

YOUCHAN「高校生の時です。ZELDAというバンドの「スローターハウス5」という曲を聞いて、すごく不思議な歌詞と曲だったんです。気になって歌詞カードを見たら、原案があってカート・ヴォネガットとあった。私が初めて手にしたハヤカワ書房の本が『スローターハウス5』だったんです。同年代のヴォネガットの読者って「ZELDAから入った」という人って、結構いるんですよ。」

――そうすると、ヴォネガットが「SF初体験」ですか?

YOUCHAN「もちろん、星新一は教科書で読んでいたし、あとは図書館にあるような古典SFは読んでいたんですけど、もっぱら夢野久作とか探偵小説派だったもので……。本は好きでしたから。」

――今後、何か、また、文章をお書きになる予定はありますか?

YOUCHAN「いくつか依頼は来ていますけど、このところ、とにかくこの本を仕上げるのに忙しくって、読みたい本がたまっているんですよ。だから、書くというよりも、今は本が読みたいです(笑)。」

☆ 心のこりのこと これからのこと

――何か「ここは、こうしたかったなぁ」とか「これから、こういうことがしたい」とかいうのは、ありますか?

YOUCHAN「森下一仁さんがヴォネガットにインタビューしていて、「カート・ヴォネガットは語る」というタイトルで〈SFマガジン〉(1984年8月号)に収められているんですけど、あれは再録したかったです。」

巽「大江対談と同じで、最近の伝記にもつながるエピソードがたくさん入っていますから、テープ起こし原稿が残っていれば、英語圏でも重宝するかも。」

増田「森下さんに、その時の印象とかもお伺いするとよかったかもしれませんね。」

YOUCHAN「そうなんですよ。実は森下さんは学生時代に「ヴォネガットを読もう」という小冊子をつくっていたらしいんです。」

――「現代作家ガイドシリーズ」の6がヴォネガットということですが、今後の予定などはありますか?

巽「監修をやったのは『ウィリアム・ギブスン』ですが、これは 1990年代作品で止まっていて、版元には残部がもう一部しかないので、近く増補版を出す予定です。じつは、その催促を逃れるためにヴォネガット本を提案した……というのは冗談ですけど(笑)。あと来年には麻生享志&三浦玲一編の『トマス・ピンチョン』が立ち上がるので、これには書き下ろし論考を一本寄稿します。」

――息の長いシリーズなんですね。

巽「とはいえ、亡くなった作家を扱うのは、今回のヴォネガットが初めてなんですよ。」

――J・G・バラードについて、こういう本があってもいいですね。

YOUCHAN「出すとしたら、それは、もちろん、増田さんの監修で。そして、執筆も、翻訳も(笑)。」

――楽しみにしています! 日本人SF作家にも、こういったガイドブックが必要な時期かもしれませんね。それでは、今日はどうもありがとうございました。

(2012年9月11日 日本SF作家クラブ発祥の地、山珍居にて)

(註1)Susan Farrell. Kurt Vonnegut: A Literary Reference to His Life and Work. New York: Facts On File, 2008
(註2)Loree Rackstraw. Love as Always, Kurt: Vonnegut as I Knew Him . Cambridge, MA: Da Capo, 2009
(註3)ヴォネガットの長篇『タイタンの妖女』という本にかけている。という脚注は無粋に決まっている。そういうものだ。
(註4)ジャクソン・ポロック(1912~1956)=床に広げたカンバスに塗料をダイレクトに垂らしこむ抽象的な手法で一世を風靡した前衛芸術家。自動車の追突事故により44歳の若さで急逝。
(註5)「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」。愛知県美術館では2011年11月11日から2012年1月22日まで、東京国立近代美術館では2012年2月10日から5月6日まで開催され、好評を博した。
愛知展情報 http://blog.aac.pref.aichi.jp/art/2011/11/000549.html
東京展情報 http://www.momat.go.jp/Honkan/jackson_pollock_2012/index.html

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『カート・ヴォネガット
(現代作家ガイド)』