「サブライム」山口優(画・小珠泰之介)

(紹介文PDFバージョン:saburaimushoukai_okawadaakira
 第2期『エクリプス・フェイズ』シェアードワールド企画が開始と相成った。第1期を支えていただいた読者の皆さまに感謝したい。
 第2期の先陣を切る作品は、山口優の「サブライム」である。

 陥った状況、あるいは使用者の嗜好性に応じて、着用する「義体」が取り替え可能であること。これが『エクリプス・フェイズ』世界の大きな特徴と言うことができるだろう。この点にスポットを当てたのが本作だ。
 「義体」が取り替え可能な世界で、人が死ぬとはどういうことなのか。意志とは何か、そして魂の不滅性とは……。
 総合芸術家の義体というヴィジュアルイメージ、量子力学にまで踏み込んだ世界観解釈の妙、そして何より「語り」のゆらぎによって生じるリアリティの歪み。とくとご堪能されたい。

 山口優は『シンギュラリティ・コンクェスト』で第11回日本SF新人賞を受賞し、デビュー。同作は、日本語で書かれた、最も『エクリプス・フェイズ』に親和性の高い長篇SFの一つだろう。長篇第二作『アルヴ・レズル ―機械仕掛けの妖精たち―』で第7回BOX-AiR新人賞も受賞、スターチャイルドでのアニメ化が決定している。才気あふれる期待の書き手だ。(岡和田晃)

(PDFバージョン:saburaimu_yamagutiyuu

「お望みの品はこれでよいでしょうか?」
 そのハイパーコープのエージェントは、そう私に問うた。
「……間違いないようね……ご苦労さま」
 私はそう答える。私の返事を聞いて、エージェントは、するりと、その存在感を、私のメッシュ上の空間から消した。
「ついに手に入れたわ……あなたを」
 私はこみ上げる笑みを抑えることができないまま、手に入れた肉体を眺めた。
 煌めくようなストロベリーブロンドの長い髪。艶やかな白皙の肌は二〇代前半のものだ。均整の取れた、それでいて蠱惑的な体つき。その魅惑的な肢体を、余すところなく私の視線に晒している。
 エステル・レンピカ。
 大破壊前(Before Fall)20年~10頃に活躍した総合芸術家である。中でも著名なのはダンサーとしての彼女だ。
 大破壊を生き延びたが、大破壊後(After Fall)5年頃に自殺した、と伝えられている。――情報があやふやなのは当然で、レンピカは自殺と同時に、自らに関わる情報を可能な限り消去し尽くすよう手配したのだ。それは、レンピカ自身の遺伝子情報、コピーし得る精神情報などを含む。
 つまり、彼女は、完全なる自殺を目論んだ、と言える。もう二度と誰も彼女を再生できないように。再び、彼女がこの世に目覚める可能性のないように。
 だとすれば、私は彼女の遺志に真っ向から反していることをしていることになるが……まあ死者に意志はない。諦めて貰おう。
 私は、仮想空間内の私の部屋の中で、ひっそりとほくそ笑んだ。
 私自身は『心の部屋』と呼んでいる、このメッシュ内の仮想空間は、生物学者としての私が、自分の思索を自由に拡げられるよう、私の肉体、木製の椅子と机、ふかふかのベッド、そして屋外から差し込む日差し、たゆたう大気までが、第二量子化レベルで模擬されている。本来なら、せめてプランクレベルまで模擬したかった。だが、それにはメッシュの資源が足りない。
 まあ、よしとしよう。これだけの揺らぎがあれば、私は、私の自由意志をそこそこに感じていられる。何しろ、差し込む日差しもたゆたう大気も、かつての地球の気候データを元にランダムに変動させているのだから。
 本来なら、これでもまだ、完全ではない――。
 完全な意志、即ち完全な揺らぎに至るには、私の肉体と周辺環境全てを完全現象論レベルで模擬する必要がある――つまり、全てを構成する量子をその量子そのもので再現することであり、それは肉体の再現に他ならない。そうでなければ、いくら私を取り囲む模擬の系がメッシュ内で大きく広がっていたとしても、それら全てを包含した、ただの不完全なプログラムだ。世界内存在として在るしかない私の地平は、所詮その程度の広がりに留まる、ということだ。
 ときどき、インフォモーフを纏っていると自称する、自分に意志があると誤解している憐れなプログラムたちを、私は憐憫の情を以て眺めている。だがその憐憫は、容易に自分に跳ね返ってくる尺度だ。
 私も、まだ完全ではない。
 だからこそ私は肉体を求めた。そしてそれは、肉体を持つに足る甲斐あるものでなければならず、私の不完全な記憶データから再構成した、この仮想空間上の肉体ではあり得ない。
『パンドラ・ゲート』がらみの怪しげな冒険者がもたらしたデータ。そこからサルベージしたレンピカの肉体データから、バイオ系のハイパーコープ――スキンセティック――に作らせた、レンピカの肉体。
 私にとってそれは、受肉するに足る、選び抜かれた実存だった。
 私は仮想空間上に表示されたレンピカの肉体に重なるように、身を横たえていく。同時に、ハイパーコープの培養槽に浮かんでいるレンピカの肉体を覆う濃密なメッシュの通信波、そしてその肉体の神経系に仕掛けられた多量の通信系ナノマシンを通じて、私はレンピカの肉体と一体化していく。
 そして、私は目を開く。
 不思議な感じだ。
 とても、不思議な……。
 記憶は、あのメッシュの中にいた私のままなのに、私の心の奥底からわき上がる感情は、メッシュに居たときとは、全く異なっている。
 つまり、嬉しくない。
 この清々しい肉体を動かすことに、殆ど喜びを感じていない。
 これは、どうしたことだろう?
 私は、ざぶりと、培養槽から身を起こした。げほ、と一つ咳き込み、口腔内の培養液をはき出す。肺に入っていた分は、そのまま吸収され、大気が私の中に充たされていく。
 そして、私はそっと両腕で身を抱きながら、近づいてきたスキンセティックのエージェント(オクトモーフだった)に視線を向ける。
「どうですかな、新しい身体は」
 エージェントの問いに、私は首を振った。
「そうね……前髪が気になるかな……ハサミ、ある?」
 一瞬、オクトモーフは戸惑ったような仕草をしたが、やがて、脚の一本で、手術用のハサミを差し出してきた。
「これで用は足りますかな?」
「うん、ありがとう」
 私の手は、狙い定め、私の頸動脈にそれを突き立てた。
 ずぶり。
 私は、自分が自分の意志を貫き通すのを、傍観者のように眺めていた。
 何が何だか分からない、という意識と、これでいいのだ、という感情とともに。
 薄れていく意識の中、私は崇高な何かを感じていた。
 ダンサーが意識を無にし、自らの肉体が踊るに任せる時に感じるような、とても崇高な何かを。



Ecllipse Phase は、Posthuman Studios LLC の登録商標です。
本作品はクリエイティブ・コモンズ
『表示 – 非営利 – 継承 3.0 Unported』
ライセンスのもとに作成されています。
ライセンスの詳細については、以下をご覧下さい。
http://creativecommons.org/licenses/by-nc-sa/3.0/

山口優プロフィール


山口優既刊
『シンギュラリティ・コンクェスト
女神の誓約(ちかひ)』