(PDFバージョン:ruisennkei_makinoosamu)
満員の試写会場でほとんど予備知識無しにスピルバーグの新作を観ていて号泣してしまった牧野です。
その新作とはET。
スピルバーグってコメディがヘタだよなあ、とか思いながら観ていたら、死んだはずのETが蘇るとき、枯れた植木がみるみる元通りになっちゃうシーンで、もう声をあげて号泣ですよ。
カッコワルと思いつつ周りに気づかれないように涙をそっと拭っていたら、前に立っているサラリーマンの肩が小刻みに揺れているじゃないですか。気がつけばそこかしこですすっすすっと鼻をすする音が。照明が点いたら、結構な歳のおっさんたちが、みんなぐすぐすいいながら試写室から出てきましたよ。みうらじゅんがいうところの涙のかつあげ状態。
あれを見ていたので、一般公開後ぽつぽつとあった辛口のET批判を見るたびに、こいつ試写会で泣かされて照れ隠しにこんなこと書いてんじゃねえの、と思ったものでした。
というわけで今回のテーマは「泣ける映画」である。
えっ、このコラムで泣ける映画? と思ったお客さん。確かに泣ける映画を紹介するのに、この場ほど相応しくない場所もないだろうし、これほど似つかわしくない筆者もいないわけで、我ながら泣ける映画っていわれてもねえ、と自分で考えたテーマにもかかわらず、そりゃねぇよ、とか呟いたりしているわけですよ。
それでもなぜ「泣ける映画」を特集するのか。
あのね、私、三回目までいろいろとホラーの話をしてきましたが、どうもこういうのは書けば書くほど色が濃くなるというか、煮詰まるというか、やたら暑苦しくなっていく傾向があるわけです。そしてその結果として読者をすっかり置き去りにしているのではないか。そんなことを考え始めると不安になってきたのである。
ネットの海の中にはマニアと呼ばれる人、専門家と呼ばれる人が山のように存在するわけで、私の周囲を見回してみても、度を超したホラー映画好きは山のようにいる。階層的に言うなら、私なんかはホラー界の最下層を支えているゴミのような存在である。だから上を向いてはきりがないとはいえ、それなりに頑張らないと非常に恥ずかしい結果を残してしまう。単なる無知より訳知り顔の無知は二万倍ぐらい恥ずかしいのだ。
そう考えて書いているうちに、どんどん濃くなって第三回を迎えたのである。
ちょっと待て、と。
これで良かったのだろうか、と。
広く皆様にホラーの楽しさを知って欲しくて始めたエッセイじゃなかったのか、俺。そう自問自答しながら映画秘宝の9月号『「超」怖い映画』特集号をぱらぱらとめくっていると、なんと田野辺尚人氏のコラムが「ホラー映画はダメだ。何しろ儲からない」という文章で始まっているじゃあありませんか。
そこで紹介されている「いま劇場はホラー映画という名称を嫌がるんです」という映画の宣伝担当者の言葉で、かつてSFが出版界で同じようなことを言われていたことを思い出しましたよ。
ええい、わかったよわかりましたよ。お嫌いなんですよね、ホラーが。はいはい、もうホラーは止めですよ。あんた、もうホラーなんか古いっすよね。古い古い古くさいわはははははぐすん。
そこでちょっと箸休め的な意味を込めまして、今回は泣ける映画の話となった次第でございます。決してやけくそになったというようなわけではありません。
と泣ける特集の準備をしているところに、やってきました、集英社の機関誌『青春と読書』。なんと今月8月号の巻頭エッセイが、冲方丁氏の『エンターテインメントにできる「泣き」』。そして冲方さんの新作のタイトルは『もらい泣き』。
ブームか? ブームなのか?
しかも、私の力だけでは泣ける話は手に負えないかも、といろんな人にあなたの泣ける映画ってなんですか、とメールで訊ねていたのですが、冲方氏のブログを観てみると、新刊執筆のために今まで「泣ける話」を募集していたとか。
俺の身体に流れる二番煎じの血がこんな結果を引き起こしたのか。そんな血流れてほしくないよ。抜き取ってくれよ、少々貧血になるぐらい我慢するから。
普通の人間であればこの時点で泣ける映画特集はやめてしまうだろうが、私は不退転の決意で便乗しちゃいますよ。どんとこい、柳の下のどじょう!
それにしても私の涙は安い。そんなこと今更言っても仕方が無いのだが、本当に安い。
道行く幼稚園児の楽しそうな顔を見た途端、ああ、この子たちがずっと幸福でありますようにと思うだけで涙が出てくる。子供のときの幸福感の儚さを悲しんでいるんだろうが、もう、はじめてのおつかいなんか、予告編を見ただけで泣いている。あんまり泣けるんで本編は見ない。CMでもバラエティ番組でもなんでも泣ける。じゃんじゃん泣ける。ばんばん泣ける。これだけ安いと、さすがに「泣ける=感動=優れた作品」という等式が成り立たないことを実感してしまう。
私の涙は事程左様に激安だが、だからといって万人の涙も同様に安いとは思わない。泣けることの価値は人それぞれだ。
まずは一般的な価値観として、「泣ける映画」というのは感動できる素晴らしい作品、の意味を持っていると考えて間違いないだろう。
泣いた、感動した、心動かされたという体験をすれば、それを引き起こした作品を優れていると評価するのはある意味当然のことだ。
と、ここまでがまず前提。
ところが、あんまり泣ける泣けると宣伝されると、そんなに泣きたくもねぇよ、と反発したくなる人も出てくる。
泣くことはとても気持ちがいい。生理的に気持いい物は、どこか罪悪感を引き起こしたりもする。要するに「欲」に対する戒めの気持ちである。
そういった心の流れが、泣ける映画嫌いも生む。
こんな意見を聞いたことがないだろうか。
感動したからこそ涙が流れるんだと思ってるかもしれないが、涙が流れると感動したような気がする、という説だってあるんだよ。単純な生理的反応だけが売り物の映画ってどうよ。だいたい「泣き」を売り物にするものはろくなもんじゃない。人を泣かせるなんてのは一番簡単で、笑わせたり怖がらせたりするよりもずっと安易なんだよ。
こうした『「泣ける」を感動と「勘違いした」観客』を一段下に見て泣ける映画を批判する人に対し、ついつい最底辺から世の中を見てしまう人もいる。お上品に涙流して感動してんじゃねぇよ、という立場だ。
俺が見てぇ映画は、首が千切れたり、おっぱいがぽろりと出たり、怪獣が街をぶっ壊したりする映画なんだよ。ぐずぐず泣いてんじゃねぇよ、ババアかよ。と、そういう人は夏の盛りに何故か怒りとともにこのような発言をする場合が多い。
ホラー映画好きで永遠の中学生である私としては後者の理由の方が感覚的には納得出来る。
とはいえ「泣ける」ということと作品の価値とは基本的には関係ない、というのが事実だろう。
ただし世の中には泣けることだけを目的とした作品も存在する。ポルノが勃たせることを目的とするように、ギャグが笑わせることを目的とするように、そしてホラーが怖がらせることを目的とするように、泣かせることだけを目的とした作品だって存在する。
エロいだけじゃん、というのがポルノを批判する言葉としては無効なように、泣けるだけじゃん、と泣かせる映画を批判しても批判したことにはならない。だってそのための作品なんだもん。
前述したように、泣くことはやたら気持ちが良い。生理的に気持よくするものは、当然商品になる。そこでどんな卑怯な手を使ってでも涙を搾り取る涙のかつあげ、涙腺系風俗とよぶべき作品も多く存在し、それを「泣ける映画嫌い」で切り捨てるのはもったいない。
なにより、現実の災害や犯罪によって引き起こされた他人の不幸を利用して泣かせようとする「報道」よりも、子犬や子供の物語で泣かせようとする方がよほど健全だと私は思う。
というわけで、いよいよそういった泣ける商品――涙腺系作品の話を始めようか。
最初に書いたように、数少ない知人友人にメールで質問した、その結果を順に紹介していこう。
まずは本コラムのイラストを担当してくださっているYOUCHANさん。怖くて可愛いイラストを、という無理な注文に毎回応えていただいて感謝していますと、この場を借りて御礼をば。
そしてYOUCHANさんの泣ける映画。まずは『キャリー』。
――バケツいっぱいの豚の血を頭から浴びせられたキャリーが、もう可哀想で可哀想で、その後の展開が実は思い出せないのですが、脳内では「わたしがキャリーの友だちになってあげるのにー!ああーー!!」と一人想像して憤慨してました。
いじめられっ子の復讐はホラーでよく用いられるモチーフの一つだ。ホラーに出てくる「怪物」はどこか哀しいものが多いのだが、いじめられっ子って虐められる前半から、「怪物」と化して復讐するクライマックスまで、ずっと可哀想だったりする。シシー・スペイセクの薄幸でありながら、どこか生臭い容貌は、いかにも虐められそうで、その辺りのリアルさも哀れな感じを倍増する。
幼いYOUCHANさんがその後を思い出せないほど悲しんだのも当然だと言える。
これが男なら、熱狂的なファンのいる『デビルスピーク』のクーパースミスが哀しきいじめられっ子ヒーローのナンバーワンだろうというような話は余談として、YOUCHANさんが大人になってからの泣ける映画は『シックス・センス』と『セブン』。どちらもラストの絶望感にやられてしまったそうです。
絶望、虚無といったものもホラーのお家芸だ。アンハッピーエンドで胸かきむしるほど哀しい思いをさせられる作品もホラーには多いのだ。
このコラムの進行もやっていただいている作家の図子慧さんの涙腺系映画は『子鹿物語』。元祖動物系涙泥棒映画だ。このタイトルを書いただけでもうだめだということなので、もうすでに『小鹿物語』はヨダレに対する梅干し的な地位を獲得してしまったようだ。「『火垂るの墓』が、涙タルに一杯としたら、『子鹿物語』5タルぐらい」という、涙の単位も提言していただきました。
さらに異形との恋愛という涙腺系ホラーの定番で『シザー・ハンズ』と『ザ・フライ』のふたつを挙げてもらいました。
『ザ・フライ』は自分に銃口を突きつける変わり果てたセス・ブランドルの姿に私も涙腺ゆるみっぱなしだったです。そして私は『シザー・ハンド』があまりにも痛々しすぎて最後までまともに観ることが出来ない。
ホラーと恋愛という結びつきで『デモンズ95』の名も挙げてもらっている。
ミケーレ・ソアヴィ監督の名作『デモンズ95』は本家デモンズとはまったく関係ないファンタジー映画だ。
元恋人のゾンビに襲われている女性を救おうとする主人公フランチェスコ・デラモルテに彼女は言う。
「やめて! 私を食べてるだけよ」
そんなこと言われても、と困惑する主人公にさらに彼女は言うのだ。
「誰に食われようと勝手でしょ!」
まあ、そりゃそうですけど。
ホラーはその性格上、こういった究極の愛を語ることが良くある。
この他にも『サイレント・ヒル』(基本的にゲーム版もシリーズ通して物悲しい話)。『ショーンオブザデッド』(「ゾンビ映画って、メリケンの青春映画なんすね」のコメントに納得)。むちっと童顔の主人公が苦悩するさまが良かったという『ジェイコブス・ラダー』。そして叙情と郷愁の怪談話『学校の怪談シリーズ』(これには私も何回か泣かされました)などを挙げてくださいました。
漫画原作者であり作家である南智子さんの泣ける映画は『ポセイドンアドベンチャー(1972年)』。
水泳選手だったおばあさんを亡くし、残されたおじいさんの悲しみぶりにダダ泣きだということなんですが、このシーン、私も何度も泣きました。『ポセイドンアドベンチャー』は、昔はよくテレビの洋画劇場で繰り返し放送されていた。そしてその度に私は家族に隠れてひっくひっく泣いていた。
『ポセイドン・アドベンチャー』は2006年にリメイクされているのだけれど、南さんはまったく同じシーンで泣けるらしい。おそらくほとんどパーツだけで涙腺系としてなりたっているのではないだろうか。ちなみに同じ航海パニックものでありながら恋愛要素が強い『タイタニック』では欠片も泣けないそうです。涙のツボは深く狭いのだ。
それから「実はバカにされるんだけど」と断ってから『インディペンデンス・ディ』を泣ける映画として挙げてくださった。
――変人オヤジが敵宇宙船の主砲に特攻するシーンは何度観ても涙があふれます。
うんうん、わかるわかる。
映画としては評価が低いかもしれないが、これこそまさに涙腺系。涙腺系は結局ベタが強いのだ。
お笑いはベタに飽きるが、涙腺系は飽きない。それどころかハチやクラゲの毒と同じで、刺されるごとに症状は激しくなる。
年寄りが涙もろいのは、ツボをヒットする涙腺系のパターンが年齢とともに増えていくとともに、どんどんその症状が酷くなっていくからだ。
この二つ以外にもピーター・ジャクソンの『ラブリー・ボーン』(えっと思わせるリアルな結末も切ないです)や『シックスセンス』、それに貞子や伽椰子の名を挙げて「ホラーって、派手で陽気なスプラッタ以外は、悲しさ=泣けると親しい関係にあるものなんじゃないかしらん」とのご意見を。
私もそれには同意で、ホラーには「大切な人との死と離別」や「叶わぬ恋の究極である怪物と人間の恋」とか「アウトサイダーの悲哀」などなど、泣ける要素は山ほどあるのだ。
続きまして叙情と奇想の貴公子、作家田中哲弥氏の泣ける映画は『ニュー・シネマ・パラダイス』『ドライビング・ミス・デイジー』『天国から来たチャンピオン』の三本。子供に老人、そして期限付きで戻ってくる死者と涙腺系の王道である。
そしてどれも涙腺系としてだけ紹介するのは申し訳ない名作揃いだ。
そしてホラーならとクローネンバーグの『デッドゾーン』を泣ける映画に。
主人公のジョニー・スミスは交通事故で意識を失い、目覚めれば五年が経っていた。恋人も職も失い手に入れたのは欲しくもない超能力。不幸な人生の中での報われぬ戦いという悲劇は、涙無しでは観られない。個人的にはS.キングの小説よりも好き。泣かなかったけど。
ホラーじゃないけれどと最後に紹介してくださっているのが小栗康平の『泥の河』。
――ぽろぽろ泣く映画ではないのですがひたすら悲しくて、自分の記憶の中に幼少期のつらい思い出をすり込まれたような気がします。きっちゃんが蟹を燃やすあたりはめちゃくちゃ怖いし。
す、すみません。未見です。申し訳ない。
で、「蟹を燃やす」?
おそらく汚染された泥水が流れる河川沿いにすむ貧しい家族が、夜毎突然変異した蟹に襲われ、とうとうある夜寝たきりの母親が生きたまま蟹に食い殺される。怒った主人公が手製の火炎瓶で人食い蟹と戦う、みたいな話だと思う。
続きまして叙情と奇想の大統領、作家北野勇作氏の泣ける映画は『ベイブ』だ。
その理由が興味深いのでそのまま引用する。
――あのラストのところを観るとなんか泣いてしまうのです。ストーリーとかじゃなくて、風景とか表情とか光とかナレーションとかカメラの動きとかなんかそんなのがいっしょになってのことだと思います。そういう映画は他にないので、なんとも不思議です。
夜のバスの車窓から見える人家の灯りに物悲しくなったりするように、情景を含む状況がダイレクトに感情に刺さってくることはよくある。夜の灯りは多くの人に同じような感慨を与えるかもしれないが、俺だけ? と思えるような少数の人間にだけ刺さるものもある。そして才能ある映像作家は、再現不能かと思えるようなそんな感情を動かす特別なヒトコマを映像として再現してしまう。
涙腺系はこういうパーツに対して感じるものもたくさんある。物語が必要というわけでもないのだ。これを、エロは静止画でもエロ、とかと比べるとわかりやすいでしょうか、わかりにくいですかすみません。
日本ミステリ界の泣いた赤鬼、我孫子武丸氏の泣ける映画は『ビッグ・フィッシュ』と「ビューティフル・マインド」の二本。
このメールが来てすぐに「そうですよね。人が壊れていくところって哀しいですよね」と返事を出したら「色々と真相が明らかになったあとの夫婦愛が泣き所なのであって、病気の人で泣けるわけではありません」と諭されたのでした。お恥ずかしい。
そしてホラーで言うなら『サンタ・サングレ』。ホラーじゃないかもしれないけど『キングコング(ピーター・ジャクソン版)』の二本も泣ける映画として薦めてくださっています。
キングコングは怪物と美女の悲恋物語ですから旧作も新作も涙腺系怪物映画の代表ですね。
それ以外のお好きな涙腺系映画はどれも家族の物語。
我孫子さんの涙腺系のツボは家族の話?
これはきっと幼い頃、と適当な嘘を書こうとして自制する。
SF、官能、お笑いにホラーと、ジャンル小説界の辺境の女王、作家森奈津子さんの泣ける映画は涙腺系定番となった『シザーハンズ』と、おなじティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演の『エド・ウッド』。
――『エド・ウッド』は、『魔人ドラキュラ』主演の名優ベラ・ルゴシが亡くなる
エピソードで泣きました。
あそこはほんと泣けますよね。
同じ古典ホラーを題材にした映画なら『ゴッド・アンド・モンスター』なんかがお好きではないかと思いつつ、ご存じなのかどうかご本人には未確認。
『ゴッド・アンド・モンスター』は『フランケンシュタイン(1931年)』の監督であるジェームズ・ホエールの晩年を描いた映画だ。ホエールはハリウッドで活躍中からゲイであることを公言していた。現役を引退し老メイドと暮らす彼が、逞しい庭師のクレイトンに心惹かれるところから始まるこの映画は、老いた監督の記憶障害をからめてどのシーンも切ない。
さて最後は私以上に泣ける映画にふさわしくない駄洒落界の皇帝、作家田中啓文氏に登場していただこう。
メールを送ると、すぐに電話が掛かってきた。
「さらば宇宙戦艦ヤマトです」
「えっ?」
「泣ける映画ですよ」
「ああ、なるほど」
「あれはいたいけな子供であった私から涙をとことん絞りとっていきました。何しろ『さらば』ですからね。あのヤマトに『さらば』って言われて涙を流さない子どもがいるでしょうか。いやいない。決していない。あり得ない。しかしですよ、まさかその後に永遠だの完結だの復活だのと、最後と謳う映画が次から次に現れるとは思わないじゃないですか。もう、そのたびに『俺の涙を返せ!』と悔し涙ながらに叫んだものだよ! そういう意味じゃあ宇宙戦艦には泣かされっぱなしだよ!」
涙のかつあげどころか涙略奪である。
「泣ける映画はそれだけですか」
「まだあります。平成版のガメラですよ」
「あのガメラですか」
「そう、あのガメラ」
「泣くところなんかありましたっけ」
「あの素晴らしくも完璧な怪獣映画を感動のうちに観終わって、エンドロールが流れますよね。ずらずらと制作に関わった人たちの名前が映し出されますよね。あそこにどうして私の名前がないのですか」
「えっ?」
「あの傑作の完成に、どうして自分がかかわっていなかったのか。何故何らかの形であの映画に参加していなかったのか。慚愧の思いに私は血の涙を流しましたよ」
う~ん、なんとなく理解できる自分が厭だ。
さてさて、最後に身体は老人、やることは子供って、それは単なるボケ老人じゃん、のわたくし夜の名探偵コナンこと牧野でございますよ。
最近でこそ箸が転んでも泣いてしまう軟弱ものだが、若い頃にはバルカン生まれの浪速育ちと言われたほど感情が表に出ない人間だったのだ。
しかしそんな人間にも唯一の泣きツボ、好みの涙腺系があった。
それは不慮の事故や災害で、大量の人間が傷つき死んでいくシーンである。
『ポセイドン・アドベンチャー』は確かに老夫婦もツボであるのだが、それ以前に船が転覆した瞬間の事故シーンで泣いてしまうのだ。あれ? 若い頃から涙のツボ、たくさんあるじゃん。まあ、それはそれとしてあの映画、ほんとに私にとっては涙腺系ナンバーワンの映画なのである。
いや待て。
今思い出したぞ。究極の涙腺系風俗映画。涙の押し込み強盗。それは『いぬのえいが』の中の一編『ねえ、マリモ』だ。
ああそうですよ。私も「これは、ひ、ひきょうだよぉおおお!」と号泣しましたよ。
犬と子供のダブルパンチで三面怪獣もダダ泣きだ。
これを以て私は涙腺系作品のとどめとして、今回の泣ける映画特集を終わりたい。
さて読者の皆様。
涙腺系映画特集、いかがだってしょうか。
この猛暑の中、爽やかな一服の清涼剤となったでしょうか。
そして次回からはまた暑苦しいホラーの話に戻ってもよろしいでしょうか。
嫌だと言っても始めるわけですけどね。
ではまた次回までさらばじゃ。
●文中の作品リスト
牧野修既刊
『死んだ女は歩かない 3
命短し行為せよ乙女』