(PDFバージョン:papparadonnkarume_yosikawaryoutarou)
あらかじめ失われ、永遠に出会えない幻の美味がある。
ボードレールにシャンソンを囁いた酒瓶の妖精、プルーストの思い出を呼び起こす紅茶に浸したマドレーヌ、スタンリー・エリンのレストランでふるまわれる特別料理、ポー秘蔵のアモンティラード、チバ・シティでさらりまんがかっこむ牛丼とワカメのみそ汁、永遠の虚空に増え続ける栗饅頭、ゴンとドテチンが食らうマンモスの肉……
……気取った書き出しで始めたものの、どんどん庶民的な味に近づいていくのはぼくが庶民だからですが。マンモスの肉は庶民的なのか。それはともかく。
「フィクションに出てくる料理で一番うまいものはなにか?」
というテーマは誰しも一度は考えたことがあるだろう。
この場合、まったき架空の食べ物よりも、フィクションの中で「描写」された現実の食べ物の方が美味そうに見えるように思う。単に読者が味を想像しやすいという理由もあるが、同時にそれは料理そのものではなく「その料理をうまいと思っている作者の主観的体験」が反映されているからでもあるのだろう。うまそうに食べてる人の表情というのは、たまらなく食欲を刺激する。たとえば写実的に描かれた料理に主人公がうんちくを述べるタイプのグルメマンガだと、知識欲は満たされるが食欲をそそられることはあんまりない。一方、適度にデフォルメされた料理を食べて「ンマーイ!」と叫ぶ藤子A先生の書き文字の破壊力はどうだ! どうだと言われても困りますか。
「外国人が描写した、日本のありふれた食べ物」も妙にうまそうに感じることがある。
たとえばウィリアム・ギブスンの描く近未来の、ニッポンの「さらりまん」が「シーウィードを巻いたライスクラッカーでサケを飲む」とか「煮込みすぎた薄切り牛肉をライスに乗せたものが、なぜこんなにうまいのだろう」とか「ワカメのミソシルの心和む塩味」とか。前者は要するにのりを巻いたあられと日本酒、後者は牛丼とみそ汁なわけで、そんなものコンビニも吉野家も二十四時間営業中でいつでも口にできるんだが、しかしそれはあくまでアメリカ人(今はカナダ人か)ギブスンの味覚、生まれ育った食文化というフィルターを通したライスクラッカーでありビーフボウルなのだ。それらはぼくがギブスンに生まれ変わりでもしない限り決して味わえない未知の味覚なのである。
そんな、空想あるいは空想に近い非日常の中にしか存在しない食べ物。マンガやアニメや小説の中では素晴らしく美味そうなのだが、現実世界では決してめぐり会えない美味。
今回はそんな幻の味覚の中でも、随一といえる逸品をご紹介したい。
なにしろ「作中人物さえ口にしたことがない」という正真正銘の幻のスイーツ。
その名は、パップラドンカルメ―――
うちのヨメがいまだに「聞くと背筋がゾクッとする」という謎の歌
『パップラドンカルメ』(作詞:海友彦 作曲:佐藤寿一)
三十代の方なら『ひらけポンキッキ』で時々かかってたあの曲、なんかピンクのカレーパンマンみたいなキャラクターが出てくるアレといえばわかるだろうか。わからなかったら各自ネット検索して調べてください。21世紀だなあ。
パップラドンカルメとは、子供らの間で噂になっている「みかくにんおかしぶったい」である。
「はなしによればパップラドンカルメというものは/マシュマロみたいにプアプアで/ポップコーンみたいにモコモコで」
「バナナみたいなあじもする/メロンみたいなあじもする」
「クリームみたいにまっしろで/カステラみたいにしかくくて」
「プリンみたいな味もする/ケーキみたいな味もする」
聞くほどに藪の中。というか聞けば聞くほど「ジャイアンシチュー」(たくあんとジャムと大福とその他をじっくり煮込んだ料理。あるいは凶器)みたいな代物にしか思えなくなってくるのだが、とにかく正体不明の存在である。なにしろ
「なんてあのこがいっていた/だけどそのこもあのこにきいたはなしだそうで/そのこにぼくもきいたけど/そのこもあのこにきいたそうで/あのこもほかのあのこにきいた/パップラドンカルメのうわさ」
名のみあって影もなし。まさしく「みかくにんおかしぶったい」
この「なんだかわからないものが名前だけ広がっていく」感じがうちのヨメさんにはなんとなくホラー的な印象を与えるらしい。
そこでふと思ったのだが。
これは現代でいう「都市伝説」をテーマにした歌だったのではなかろうか。
しかしあの時代に都市伝説なんて概念はあっただろうか?
記憶を頼りに調べてみると、「都市伝説」という概念を最初に生み出したのはフランスの社会学者エドガール・ラモン、一九六九年『オルレアンの噂 女性誘拐の噂とその神話作用』において。アメリカの民俗学者J・H・ブルンヴァンが「都市伝説」という言葉を一挙に世に広めた著書『消えるヒッチハイカー』を発表したのが八一年。日本で最初期に意識的に都市伝説を扱った小説、いとうせいこう『ノーライフキング』が八八年である。
『パップラドンカルメ』の登場がいつかは調べがつかなかったが、ぼくがまだポンキッキを見てたころに流れていたのだから、おそらく『消えるヒッチハイカー』がアメリカで刊行されたばかりのころだろうと思われる。いずれにせよ日本にはまだその言葉も概念もなかったはずなのだ。
子供番組とあなどれないポンキッキの中でも、パップラドンカルメは極めて先鋭的な楽曲だったんじゃなかろうか。
……とか言ったことをこのコラムに書いて作詞の海友彦先生からの証言が来たら面白いのだが。
「そこまでバレてはしかたがない。実はJ・H・ブルンヴァンはわしのペンネームで、パップラドンカルメは『消えるヒッチハイカー』のテーマを歌で表現したものなのじゃ」
「なんだってー!?」
「それだけではない。『SOSペンペンコンピューター』と『コンピューターおばあちゃん』と『パタパタママ』は『マトリックス』を先取りしておったのじゃ」
「ななんだってー!?」
「さらに『きょうりゅうがまちにやってくる』は『ジュラシックパーク』を先取りしておったのじゃ」
「なななんだってー!?」
「『ゴーストバスターズ』のマシュマロマンは『おふろのかぞえうた』、『ゾンビ』は『ホネホネロック』のパクリなのじゃ」
「せ、先生! 先ほどからうかがっておりますと作詞者がもうバラバラのような……」
「馬鹿め! 都市伝説という情報社会の盲点を極め尽くしたわしには、誰にも気づかれず複数のペンネームを使い分けるなど造作もないことよ! 海友彦やブルンヴァンもしかり、いわば無限に増殖するパップラドンカルメのひとつに過ぎぬ! 真のわしは誰にもわからぬ!」
「ななななんだってー!?」
「麒麟は一見タイムパラドックスを起こしたように見えるがそうではない(なんの話だ)はやりの映画を見ても小説を読んでもピンとこないという若者たちは、記憶の底に刻み込まれたわしのサブリミナルメッセージですでに近未来を体験しておるのじゃ。緩やかに衰退する現在と展望のない未来にはさまれ、いまSFは新しい、はるかなる未来を夢見ることができん。しかし選ばれた彼らだけはすでに未来を先取りし、さらにその先を夢見ることができる。そう、毎朝熱心に『ひらけ! ポンキッキ』を見ていた者だけが新しい世界を夢見て、切り拓いていくことができるのじゃ! わしのサブリミナルソングの洗礼を受けた子供らが三十代半ばになった今、そう今こそ、SFが復活ののろしを上げる時、ひいては新しい世界が立ち上がる時なのじゃ!」
「う、うわああああああ!!!!!」
勝手なことばかり書いてすみませんが実際のところどうなんでしょう先生!
吉川良太郎既刊
『解剖医ハンター 3』