「ドリーム」山口優

(PDFバージョン:dream_yamagutiyuu
 ついにこの装置を手に入れた。あたしはあたしの二ヶ月のバイト代をはたいて買った、カチューシャのような装置を手に取る。あいつはまだ帰ってこない。だが、見ていろ。あたしは今日、あんたの本心を見抜いてやる。人の本当の心は夢に現れるという。あの浮気者の本音を、今日こそ確かめてやるのだ。と、思ってるうちに、ガチャガチャとカギを開ける音がする。
「美保ー。ただいまー」
 調子のいい声で、あいつがあたしを呼んでいる。あたしは秘密の企みに高揚する感情をおさえ、何気ない表情を作ってアパートの玄関へ行く。
「おかえりー。絢(けん)、今日も遅かったねー」 
 絢はあたしに曖昧な笑みを作った。
「バイトの後輩がヘマやってさ、その尻ぬぐいさ。めんどくせーけど仕方ないし」
 あたしに同意を求めるように肩をすくめてみせる。
「はは。仕方ないよね。後輩って女の子?」
「まあな。でも色気の欠片もねーし。美保には全然かなわねーよ」 
 妙に優しい声音で、あたしの頭を撫でたりなんかする。こいつが妙に優しい時はヤバイ。あたしは長年の勘で知っているのだ。
「お風呂沸いてるよ。入る? ビールもあるし」 
 絢は夕ご飯はいつも、バイトの賄いですます。
「なんだ、今日はえらく気がきくじゃん。じゃ、遠慮無く入らせてもらうか。疲れちゃってさ」
「おつかれさま。ゆっくり入って」 
 あたしは笑顔で答える。
「サンキュ。一緒に入る?」 
「ごめん。もう入っちゃった」
 絢はあからさまに残念そうな顔だが、装置の準備があるのだ。
 絢が調子よく鼻歌なんかを歌っている間に、あたしは装置の取説と格闘しながら、セットアップを終えた。
 取説の小難しい説明によると、この装置は人間が見た物と、その物を見た時の脳の血流の反応の対応関係から、夢で見た物を推定し映像化するという。かつては個人差があると信じられてきたが、どのような物に対しても、親しい人間の名前以外は人間の反応はそう変わることはない、という事実が判明して、こういう装置も商業化できるようになった、らしい。
 そんな説明、取説には不要だよ、まったく。読んで損した。あたしは心の中で悪態をつきつつ、その後に書かれていることを斜め読みして設定を終えた。
 斜め読みした部分には、「その人物と親しい人間については……その名前を呼んでるときに登録する……」みたいなことが書いてあった。登録ボタンは装置をみれば分かったので、これで使い方は完璧。
 絢がお風呂場から出てくる。
「なあ、美保、ビールって冷蔵庫の中?」
 勝手にごそごそ冷蔵庫の中をさぐって、ビールを取り出す。冬はこたつになるちゃぶ台にあぐらをかいて、ごくごく飲み始めた。風呂にビール……。被験者が早く寝付けるように、今日はしっかり準備してきたのだ……。
「絢、おっさん化がすすんでるよー」
 あたしは絢の隣に座って、にこにこした表情をつくって言い、隙をついて絢の、まだちょっと濡れた頭に装置を装着した。
「おいおい、何だよこれ」 
 当然の反応だが、既に酔っているのかそれ以上は追求しない。
「へへ。絢のおっさん化をかわいさでカバー。猫耳カチューシャだよ」 
 装置には、下手な手作りの猫耳をつけてある。偽装工作は完璧だ。あとはデータ入力。「にあわねえよそんなの」などと呟く絢に、そっとささやく。
「ね、あたしの名前を呼んで」
「はあ? 今日の美保、ちょっと変だぞ。まるで真奈……あ、後輩なんだけどさ。そいつみたい。あいつもいつもおかしなことばっかり言って……」 
 スイッチ・オン。あたしは、絢が「美保」「真奈」と言った瞬間に、それぞれスイッチを押した。そして二つの単語を固有名詞として登録する。
 翌朝。
 あたしの実験は成功した……かにみえた。確かに、絢の夢のデータはとったのだ。けれど、その結果を見て、あたしは絶望しつつあった。携帯でこっそり再生しているムービー。絢は真摯な顔で、一人の女の子の前に立っている。彼女の両肩に手を置いて、彼は言う。「真奈。好きだ。結婚してくれ」
 真奈って、後輩の女の子の名前だ……。彼女と結婚する? それが彼の本心なの……。「よお。美保、もう起きてたのか……」
 起き出してきた絢を、きっと睨む。わなわなと震える手で、再生されるムービーを見せつける。
「これ、どういうことよ」 
 絢はぼんやりした目でそれを見つめ、徐々に、事態を理解していった。
「それ、新発売の」
「夢を再生する装置。それで録画した画像よ。絢の昨日の夢」
 絢は一歩、二歩あとずさる。そして、あたしが昨日放り出した取説を手に取った。
「今更何のつもり?」
 あたしは詰問する。
「あ、あのさ……。これ、見てくれ」 
 絢が差し出し、指さした取説の文章を見る。
「親しい人を登録するときは、その人の名を呼び、そのときに登録ボタンを押してください。但し、一秒か二秒のタイムラグがあります」
「人の脳は、普通に考えられているのとは逆に、ある言葉を発したあと、その言葉についてのイメージを思い浮かべることが殆どです。つまり、ある言葉を発した後、一~二秒間ぐらいは、別の言葉を発していても、脳の中のイメージは先に発した言葉に同調しています」 
 あたしは、そこに書かれていることを頭の中で整理した。つまり、絢が夢の中で「真奈」と呼んでいたのは……。あたしは、顔を真っ赤にした。

山口優プロフィール


山口優既刊
『シンギュラリティ・コンクェスト
女神の誓約(ちかひ)』