「「味噌汁の具が1種類だなんて!」から……」宮野由梨香

(PDFバージョン:misosirunoguga_miyanoyurika
「味噌汁の具が1種類って、それはないだろう!」
と、夫は言った。
 今から20年ほど前、結婚したての頃のことである。
「例外はカブだな。あれはカブと葉っぱで2種だということで許す。それ以外は駄目だ!」
 たしか、ワカメだったと思う。何らかの理由で(多分、旅行前だったか後だったかだ)、他に食材がなく、ワカメだけを入れた味噌汁をつくったのだ。 そうしたら、夫が「具が一種類だなんて、あり得ない! こんなの、味噌汁じゃない」と言いだしたのである。
 当然、宮野は反論した。
「具を2種類以上入れないと味噌汁じゃないなんて、誰が決めたのよ!?」
「誰が決めなくても、常識だろう!」
「そんなの、常識じゃないもん。具が1種類だって、味噌汁は味噌汁だもん!」
「よおし、待ってろ!」
 夫は階段を駆けあがって行った。何かを捜しているらしい。
「ほら、見ろ!」
 誇らしげに差し出したそれは、料理記事のスクラップブックである。
「ここに書いてあることを読んでみろ!」
「味噌汁の具は、必ず2種か3種です。……何、これ?」
「これは〈暮しの手帖〉の切り抜きだ! ほら、『必ず』って書いてあるだろう。」
 宮野は絶句した。
 こ、こいつも〈暮しの手帖〉の読者だったのか!
 宮野は、両親が〈暮しの手帖〉の読者だったから、居間に置かれたそれを特に意識せずに読んで育った。
 〈暮しの手帖〉は、花森安治(1911年~1978年)という、とっても個性的な方が編集長であった。彼は「元祖・スカート男子」であり、また一切の商業広告を〈暮しの手帖〉に載せさせなかった。だからこそ、〈暮しの手帖〉の「商品テスト」の結果は、製品の売れ行きを左右するほどの影響力を示した。
 料理記事の質に関しても、評価は高い。「どんな素人でも、そのとおりに作れば美味しくできる」ように、綿密なレシピが示されているからである。
 宮野はこの時まで、夫と〈暮しの手帖〉と結びつけて考えたことがなかった。いわんや、料理記事をスクラップまでしているとは、思いもよらなかった。
 「ブルータス、おまえもか!」と言うより、この時の宮野の心境は、小泉八雲の『怪談』の「むじな」に近い。
 夜道、手で顔をおおってしくしく泣いている娘さんに声をかけたら、その顔はノッペラボーであった。逃げ出して、通りかかった蕎麦屋の屋台にホッとする。「今、化け物が…」と話すと、「それはこんな顔だったかい?」と……。
                ☆
 夫と一緒に北海道に行ったのは、「味噌汁論争(?)」をしてから間もなくのことだった。
 夫の父は根室出身で、函館で学んだという人であるからして、夫の一族は北海道と馴染みが深い。宮野は北海道に行くのは、初めてであった。
 札幌に着いて、夫は言った。
「じゃ、とりあえず、市内観光バスに乗って、スタンダードなところを押えようか。君はどこも初めてなんだから」
 ちなみに夫は車の運転をしない。「思想信条」により、運転免許を取得していないからである。
「私はいいけど、あなた、つまらなくない?」
「いや、子供の頃行って以来のところが多いから、ちょうどいい」
 実際、観光地というのは、「観光客」しか訪れないところであったりする。
 さて、薄野のあたりを通り過ぎる時に、バスガイドが言った。
「札幌のラーメンが有名になりましたのは、花森安治という方が札幌の名物として紹介してからのことでございます」
 宮野は『うわぁっ、これって、あれだ!』と思った。
 夫は横で「おお、そうなのか。知らなかった」などと言っている。
 宮野は思わず言った。
「違うんだよ! 読んでないの?」
「何を?」
「花森安治が『恣意的な誤読だ』って、怒り狂った文章を書いていたよ。〈暮しの手帖〉に」
「どうして?」
「ラーメンというのは象徴的表現でさぁ、要はフェイクだってことを言いたくて『札幌はラーメンの町』って書いたら、それが宣伝に利用されちゃったんだって」
「……ああ。でも、それは仕方がないな。多分、起こるべくして起きた誤読だ」
「『ドブネズミ色の若者たち』も「誤読」されて、カラーシャツ業界の宣伝に使われたって」
「花森安治はコピーライターとしての才能がありすぎるんだよなぁ。だから、あそこまで広告を排除したんだよ。やったら『成功』してしまうからさぁ……」
 まあ、確かにそういうことでもあったのだろう。
「そういえば、『リトルボックス』を聞いて、建売住宅のセールスマンが自殺したっていう話もあったよな。あれも誤読だな。丘の上に並ぶ小さな箱、同じような家に同じような人々が暮らし…って、建売住宅を非難しているわけじゃないんだが」
 夫はピート・シーガーのファンなのである。
「あなた、花森安治のその文章、読んでいないの?」
「読んでいない」
「でも、〈暮しの手帖〉に載っていたよ」
「いつの?」
「えっと、いつだろう?」
 確かに読んだ記憶はあるのだが、いつのことかまでは、わからない。
「ぼくが〈暮らしの手帖〉を読んでいたのは、家を出てひとり暮らしを始めた頃だから、昭和44年(1969年)頃だな。ホントに「実用書」だった。役にたったよ」
 そうだったのか!
 宮野は納得する。だから、こいつの家事観は変に教条主義的なのだ。
                 ☆
 「北海道SF大全」のネタに、この「札幌ラーメン」を巡る話を使えないだろうかと思いついたのは、今年の5月はじめのことである。
 宮野の書く原稿のアップは、6月1日と決まっていた。それに向けて何か書かなくてはならなかった。
 「札幌ラーメンとSF」……なかなか微妙な取り合わせであるが、文明批評という観点からすると、面白いかもしれない。

 昭和29年(1954年)……〈週刊朝日〉に花森安治が「札幌――ラーメンの町」という文章を書く。それによって、「札幌ラーメン」が有名になる。
 昭和??年(19??年)……〈暮しの手帖〉に花森安治が「誤読」を怒る文章を書く。

 〈週刊朝日〉も〈暮しの手帖〉も、マイナーな雑誌ではないから、調べられるだろう。
 宮野はネットで、この2つの雑誌のバックナンバーが東京マガジンバンクにあることを確かめた。そして、そこで、まず、昭和29年(1954年)に刊行された1年分の〈週刊朝日〉をラックに並べてもらった。
 雑誌資料を渉猟する時は、その前後の号にも目を通すのが基本である。その記事が書かれた文脈を理解しなければならないからである。予告記事がどう書かれているかとか、どういう反応があったかなども、重要な資料である。
「札幌――ラーメンの町」という文章は、「日本拝見」という連作記事の中のひとつとして書かれたものである。多くの書き手が書いている。そのシリーズにも、ひととおり目を通した。そうしたら、「おお、こんなところにこんな資料が!」というのも見つけてしまった。http://speculativejapan.net/?p=220 こういうのが、古雑誌を読む楽しみでもある。
 「日本拝見」シリーズは、それぞれが書き手の個性と場所と時代を反映していてとても面白かったが、やはり花森安治は光っている。
 
 さて、問題は、花森安治が「それは誤読だ!」という怒りの文章を載せた〈暮しの手帖〉の方である。確かに読んだ記憶があるのだが、いつかはわからない。
 しかし、幸いなことに、〈暮しの手帖〉は偶数月の刊行なので、一年間分を調べても6冊である。そして、宮野は1961年の生まれであるから、1960年代に〈暮しの手帖〉を読むというのは無理があるだろう。
 宮野は、「1970年から1975年までのものを出していただけますか?」とマガジンバンクの窓口の方にお願いした。そして、出してもらった〈暮しの手帖〉を、片端から「花森安治」の文章を捜しては読んでいった。
 そうしたら、ありましたよ! 1972年6月1日号でした!!
「……って、ちょうど40年前の、この日じゃないの!」

               ☆
 
 2012年6月1日に、宮野は「北海道SF大全23」を準備ブログにアップした。
 花森安治が〈週刊朝日〉に載せた「日本拝見その12  札幌――ラーメンの町――」について書いたのだ。http://www.varicon2012.jp/taizen.php?no=23
 というわけで、この文章は、「味噌汁の具が1種類だなんて!」から始まったのである。

宮野由梨香プロフィール


宮野由梨香 協力作品
『しずおかの文化新書9
しずおかSF 異次元への扉
~SF作品に見る魅惑の静岡県~』