(PDFバージョン:shoumetu_inouetuyosi)
ある晴れた日のこと。一匹の犬が、大きな骨付き肉をくわえて道を歩いていました。
犬は、ふと立ち止まりました。どうしたことか、すぐ目の前の地面の下から、自分と同じように骨付き肉をくわえた犬が、こちらを見上げているではありませんか。
犬は、慎重に状況を見極めました。なぜなら以前、同じような状況で、ひどい失敗をしてしまった経験があったからです。
その時も犬は、骨付き肉をくわえて歩いていました。そして橋の上に差しかかった時、自分とよく似た犬が、やはり骨付き肉をくわえて、川の中からこちらを見上げていることに気づきました。
あいつの肉も奪ってやろう、と欲を出した犬は、相手を脅すために「ワン!」とひと声ほえました。その途端、くわえていた肉がポチャンと川の中に落ちてしまいました。
それは、川面に映った自分の姿だったのです。自分の骨付き肉はもちろん、川の中の骨付き肉も同時に消え失せてしまったのでした。
同じ失敗は繰り返すまい。犬は、じっくりと相手の犬を観察しました。
今度は、水に映った自分の姿ではありません。川ではないし、水たまりもありません。道の一部分だけ土の色が薄くなっていて、相手はその中からこちらを見上げているのです。
ここで口から肉を放しても地面に落ちるだけでしょうから、前回のように消え失せてしまう心配はなさそうです。
犬は安心して、「ワン!」とほえました。
骨付き肉は犬の口から放れ、地面へと落下しました。同時に、地面の下の犬も「ワン!」とほえ、肉を口から放しました。
互いに反物質だった二つの骨付き肉は、偶然にも次元断層が発生して反物質世界との接点となっていた地表で衝突し、物理学の理論どおりに対消滅を起こしました。肉二つ分の質量が膨大なエネルギーとなって爆発し、犬も道も何もかも消え失せてしまいました。
井上剛既刊
『死なないで』