「黄泉の縁を巡る 1」片理誠(画・小珠泰之介)

(紹介文PDFバージョン:yominofutishoukai_okawadaakira
 この「黄泉の縁を巡る」は、片理誠の手になる『エクリプス・フェイズ』のシェアードワールド小説だ。大作であるために、「SF Prologue Wave」上では、連載という形で紹介していく。
 『エクリプス・フェイズ』には大別してスペースオペラ的な側面とサイバーパンク的な側面があるが、本作は『エクリプス・フェイズ』のスペースオペラ的な醍醐味を存分に堪能させてくれる痛快作だ。何はともあれ、まずは騙されたと思って本文を読んでみてほしい。迫力ある空中戦から始まる怒涛の展開に、あなたはきっと引きこまれて止まないはずだ。
 主人公のジョニイ・スパイス船長の設定は『エクリプス・フェイズ』のルールシステムに則って作成されたものである。その後、実際に片理誠はジョニイ船長を使って『エクリプス・フェイズ』のゲーム・プレイに参加している。その時のプレイしたゲームのストーリーと「黄泉の縁を巡る」との間に直接の関係はないものの、本作品はロールプレイングゲームのエッセンスに満ちたものとなっており、細部の描写も経験者ならではの躍動感に溢れている。
 なお、本小説には既存の設定を参考にしながら、作者が独自に想像を膨らませた部分がある(特に“大破壊”の描写や空中戦など)。あらかじめご了承されたい。

 片理誠は、第5回日本SF新人賞の佳作を受賞した『終末の海』(徳間書店)でデビューした後、ミステリやSFなど様々な要素を含んだエピック・ファンタジー『屍竜戦記』シリーズ(徳間書店)、量子論と多世界解釈をまさしくゲーム的に表現した本格SF『エンドレス・ガーデン』(早川書房)、近未来の東京で生体兵器とのハードなアクションで魅せる『Type: Steely』(幻冬舎)と、高水準の長篇を次々と発表している。領域横断的な作風が片理誠の特徴だが、本作は初の本格宇宙冒険SFということもあり、ファンにとっても要注目の逸品だ。

 本作品のアートワークを担当するのは、イラストレーターの小珠泰之介。「コミックFantasy」誌(偕成社)のファンタジーコミック大賞佳作入選経験もある描き手だが、長年にわたるSF読者でもあり、イメージ喚起力に優れたアートワークには独特のセンス・オブ・ワンダーがある。海外のイラストレーションとはまた違った味わいを堪能していただきたい。(岡和田晃)

(PDFバージョン:yominofuti01_hennrimakoto
 見上げるとバブル・キャノピーの向こう側に暗黒の海原が広がっていた。頼りなく瞬く手前の星々は、今にもその底に飲み込まれてしまいそうに思われた。
 あの向こうに無限の世界がある。思えばこんな超高々度哨戒機の操縦士に志願したのも、少しでも星の海に近づきたかったからなのかもしれない。
 もう少しだ、と俺は独りごつ。あともう少し金が貯まれば、こんな薄汚い惑星ともおさらばできる。潜りの工場どもが垂れ流す汚水にしこたま含まれる重金属やら環境ホルモンやらがこの地球をすっかり駄目にしつつある。海洋汚染だけじゃない。大気も大地も、どこもかしこも、有害な化学物質やら放射能物質やらにまみれようとしている。
 この地球こそが宇宙で最も美しい星だなどと利いた風なことを抜かす奴もいるが、見てもいないくせに何が分かるのかと俺は思うね。他人の思い込みなんぞに興味はない。金星、火星、そして木星圏や土星圏。あの向こうにはフロンティアがあるんだ。金さえあればそこへ行ける。俺はこんなゴミみてぇな星で終るつもりはない。のし上がるのさ。そのためにはチャンスをつかまなくてはならず、チャンスをつかむためには実力とコネ、そして金が要る。
 大型爆撃機なみの図体にも関わらず、この機には人間用のスペースは小さなカプセルが二つきりしかない。申し訳程度にしつらえられたシートにほぼ仰向けの状態で寝そべり、星空を見上げている。その手前にあるキャノピーには様々な情報が映し出されていたが、俺は何の関心も払っちゃいなかった。ただ星々を眺めていただけだ。牽引機によって高度一万メートルまで上がり、その後切り離し式のロケットブースターで五万メートルに上昇、あとはただひたすら星を眺めて帰ってくる。楽な任務だった、何事もなければ。
 視界の隅に赤い文字が踊り、警告音が鳴り響く。
「伍長、広域警戒レーダーに機影、数は五、距離二五〇、急速上昇中」
 了解、とあくびを噛み殺しながら俺はオペレータに応える。傍らにある操縦桿を握りしめた。
 逃げるか、叩くか、相棒に指示を求める。
「待ってくれ、今判断中だ……敵、第二群発見、こいつは凄いぞ、七十ほどの大型機が低空でヨーロッパに向け飛行中。こっちが本命だろうな。ステルス爆撃機と思われるが、真上からなら丸見えだ」
「最初の五機は囮か」
「こちらを足止めしようというのだろう。急速上昇中だが、熱反応を見る限りブースターを使ってはいない。この高度まではこられっこないな。大きさも小さいし、どうやら戦闘機のようだ。だが衛星攻撃用のミサイルくらいは積んでいるだろう。そうでなければ向かってはこないだろうから」
 やれやれ、と俺は肩をすくめる。ご苦労なこった。わざわざ殺されにくるとは。
 空での戦いは上を取った者の勝ちだ。この高度から撃ち下ろされるミサイルをかわすことなど誰にもできはしない。一方、こちらは重力に逆らって必死に上ってくる敵のミサイルを簡単に迎撃することができる。この高度まで上がってしまえば敵はいなかった。唯一の脅威は戦闘衛星(キラーラット)からの攻撃だけだったが、それらは全て弾を撃ち尽くしていることが分かっている。
「……幕僚本部からの指示を受信。敵本隊の進行を妨害せよ」
「結局、いつものとおりか」
 俺は操縦桿を握る手に力を込める。
 自動操縦が解除された機は翼の下から青く輝くプラズマ炎を吐き出しながら、その鯨のような巨体を大きくよじる。四発ものラムジェット・エンジンの圧倒的な推力に加えて空気の密度が薄いこの高度では、機は見かけ以上の機敏さを発揮する。
 俺たちは向かってくる戦闘機どもをひらりとかわし(命拾いした五名のパイロットどもに祝福を、と俺はつぶやく。せっかく助かったんだからな)、敵の本隊の進行方向上に猛禽のような身のこなしで回り込む。
 山脈と山脈の間を流れるようにしながら飛んでゆく大型機ども。レーダーに映る機影は今一つ鮮明ではないが、赤外線センサーは奴らのジェット・エンジンが吐き出す膨大な排気の流れを鮮明に捉えていた。なるほど。確かに数十機はいそうだ。
「……丸見えだっつの」と思わずつぶやいてしまう。
 ディスプレイ上を何十というカーソルどもが目まぐるしく踊り始める。コンピュータによる自動照準。
 やがて真っ暗な大地に向かっておびただしい量の炎が放たれた。抱えていたミサイルの全て、百八十発もの弾頭が攻撃目標に向かって投げ落とされたのだ。それはまるで歓喜の声を上げながら空を駆けてゆく赤い猟犬のように見えた。
 数分の沈黙の後、オペレータの無感情なカウントダウンがマイクを通じて聞こえてくる。
「……目標まで三、二、一……撃破。推定で敵勢力の七五パーセントを殲滅。残存勢力はなおも北上中」
 ホントかよ、と俺はうんざりしながら応える。
「アフリカ国家連合の連中、随分と気合いが入ってるじゃないか。そんなにジュネーブを焼き払いたいのかね」
「報復だろう、先週の侵攻作戦への」
 くだらねぇ、と思わず口に出してしまう。
「そうまでして奪い合うどんな価値があるっていうんだ、こんな肥だめみてぇな星によ」
 知るもんか、と相棒。
「残りを叩くのは地中海に展開している部隊の仕事だ。我々の任務はあくまでも足止めと時間稼ぎ。それは果たした。帰投しよう。既に後釜も飛び立っている」
「了解」
 俺は帰還用プログラムを起動して操縦桿から手を離す。
 楽な任務だ。
「まったくだな」ヘルメットの中に声が響く。「必死になってる敵さんには悪いが、これならゲームの方がよっぽど難しい」
「……無人機だったかな」
「あんな低空飛行は無人機には無理だろう。ましてや虎の子の核爆弾を満載してるんだ、機械には任せられないだろうさ」
「核爆発は?」
「確認されなかった。が、当然プルトニウムは撒き散らされただろうな。低空とはいえ撃墜されて墜落したんだから」
 あぁ、と俺。
「……もうアフリカに人は住めないかもしれないなぁ。人類発祥の地だというのによぅ」
 空を見上げる。深遠なる闇に吸い込まれそうになる。
 こんな馬鹿な争いも、もうすぐ終るかもしれないぞ、という声がした。
「噂で聞いたんだが、今、軍では戦闘用人工知能の開発を急いでいるらしい。恐ろしく高性能な奴で、こと戦闘に関する限り、人間を遙かに凌駕しているとか」
 へぇ、と俺。
「そいつが実戦に配備されれば、もう刃向かおうなんて馬鹿は出てこなくなるかもしれん」
「なら、俺たちもじきにお役ご免かな」
 結構なことじゃないか、と相手が笑う。
「いなくてもすむのなら、軍人なんていない方がいい」
「となると」俺は狭っ苦しいコクピットの中で伸びをする。「急がなくちゃな」
 何をだ、と問う相棒に「さぁね」と応えて俺は再び空を見上げる。手を伸ばせば届きそうな星が、そこにはあった。

 外部から割り込んできた信号に俺の微睡(まどろ)みはキャンセルされた。左腕に内蔵されている通信機のパネルが狂ったように赤く明滅を繰り返していた。
「船長ッ! 起きてよ、ジョニィ・スパイス船長! 仕事よ、仕事なの!」という少女の金切り声。
 ああ、俺は白濁した頭を振る。
 通常ならここまで無防備になることはないのだが、俺だってたまには、いや、しょっちゅうかな? まぁ、とにかく、一切の警戒レベルを解いて、リラックスしたくなる時もあるのさ。あまり推奨できるこっちゃないが。何しろ隙だらけになっちまうんだからな。
 どこだここは、と一瞬思ったが、周りを見渡せば俺と同様の機械人(マシン・ピープル)だらけ。室内は暗く、埃っぽかった。出入り口の耐圧ドアはとうの昔に吹っ飛ばされたっきりで、そこから火星の赤い砂埃が容赦なく吹き込んでくる。外が明るいことからするとまだ昼間なようだ。
 室内に照明などはなく、部屋の中央に立っている年代物の巨大な円柱形サーバー・マシンがチカチカとLEDを点滅させているだけ。そこから伸びるケーブルの先端を機械人どもは自分のインターフェースに差し込んでいる。この店、「鋼色の憂鬱亭」では無線ではなく有線による接続しかできない。そのケーブルは、かく言う俺の左手首にも接続されていた。
 室内には粗末なテーブルが数点と金属製のスツールが十数個。椅子は全て埋まっており、座れなかった連中は剥き出しのコンクリートの床に直接座っている。店は今日も大繁盛。とは言っても客たちは皆、大人しいものだ。暴れたり騒いだりする者はなく、ただ彫像のようにじっとしているだけ。
 単に酔っぱらいたいだけなら、こんな辺鄙な店にわざわざくる必要はない。XPと呼ばれる経験再生技術の中には、酩酊プログラムという酔っぱらうためのものもあるからだ。
 酩酊プログラムにもピンからキリまであるが、安物ので良ければメッシュと呼ばれる太陽系規模のコンピュータ・ネットワークから簡単にダウンロードすることができる。より良い酔い心地が欲しいのなら専門のデザイナーにプログラムを発注すればいい。値は張るが、自分の個性や特性に合わせて組み上げたオーダーメイドの情報アルコールは、さすがに快適な夢見心地を提供してくれるぜ。「琥珀耽溺」や「ムーンフォール・4096」といった銘柄なら割と手頃だ。俺もそういったプログラムを幾つか持ってる。おかげで、いつでもどこでも酔っぱらえるというわけだ。やはり機械の体は便利なのさ。
 だが特別製の、つまり非合法の、酔いを味わいたければ、それなりの手間がかかる。情報を仕入れるにしろ、身分を証明するにしろ、労力と金がかかるんだ、暗黒街では。
 機械人用の潜り酒場は大都市にもないわけじゃないが、そんな場所にある店にはしょっちゅう警察の手入れが入る。何しろ酩酊中の俺たちはほぼ無防備なわけだから、そんなリスクはできるだけ低く抑えたい。それで、こんな打ち捨てられた開拓村のそのまた外れにある朽ちかけたビルの一角までわざわざやってきては密かに集まる、というわけだ。
 この村は太陽光発電施設と大都市とを結ぶ線上に位置しており、どうやらここの電気は地下を走る送電線から盗んでいるようだ。辺境だというのに電力はいつも安定しており、俺たちの間での評判はすこぶる良い。ドームに覆われていないので空気の方は不安定なことこの上ないが、脳を含む全ての器官をマシンに置き換えている俺たち機械人には酸素だの水だのは必要がなく、むしろそのおかげで俺たちのことを差別したくてたまらない生身の連中がきたがらないわけだから、この村は俺たちにとっては好都合なことばかりだ。年がら年中吹き荒れている赤茶けた砂埃にだけは閉口するがね。何しろ俺のボディは元々が中古だった上に無茶な使い方ばかりをしてきているので、あちこちにかなりのガタがきちまってる。おかげでこの村から帰った後はいつも念入りにエア・シャワーを浴びなくてはならない。
 だがそうまでしてでも、俺たちにはここの酒にありつかなくちゃならない理由があった。ここのカクテルはそのくらい特別なのだ。その作用は俺たちの深部情報領域からランダムにデータを吸い上げ、組み合わせ、鮮明な像に整形して、場合によっては多少美しく脚色もして、見せてくれる。そう。この店の売り物は「追憶」なのだ。
 これはハッキングまがいどころか、ハッキング行為そのものだ。政府にばれれば情報セキュリティ法違反の重罪に問われることになる。だが俺たち機械人はこうでもしないと過去の思い出に酔うことができない。ここが生身の体とは違うところだ。機械の体には機械の体の不便がある、というわけだ。
 俺たちはいつでも過去のデータを再生することができるが、それは正確無比な記録映画を正座して観ているようなものであって、思い出を味わう、というのとは根本的に異なる。ナイーブな感傷の割り込む余地が欲しいのなら、こうやって地下酒場にこなくちゃならないのだ。しかもこの店の酒は上手くできていて、スタンドアロンで動いているあのレトロなワークステーションの特殊なOS上でしか実行できない。なのでプログラムをコピーして持っていても意味がない。こうやってわざわざ有線で接続しないと味わえない、特別製なのだ。
 地球で俺はチャンスをつかみ損ねていた。あの後、軍の備品の横流しが上層部にばれて、軍警や情報部から命からがら逃げ出す羽目になったのだ。せっかく貯めた金もほとんど持ち出すことができなかったし、有力なコネも作れずじまい。この火星にだって密航してきたくらいだ。軍からの追及を避けるために何度も名前を変え、しまいには生身の体も失って、気がついたらこんな中古のロボット、シンスと呼ばれる二足歩行の機械の義体(モーフ)、の中に収まっていた。今じゃ犯罪者組織の末端も末端、どん底で這いずっている有様だ。
 あの後、地球は暴走した戦闘用AI「ティターンズ」によって壊滅。そう、あの時俺の相棒が言っていた希望は、実際には希望どころか大量虐殺を繰り返す疫病神でしかなかったってわけだ。おかげで「大破壊」から十年経った今でも地球には近づくことすらできない。必死になってあくせく貯めた俺の金は、どうやっても回収できそうにはねぇ。
 これは俺の罰なのか。時々そう思うことがある。悪いことをした報いなんだ、と。
 だが、ではどうすれば良かったというのか。貧困層に生まれた俺のような人間は、ではいったいどうやったら這い上がることができたのか。勝ち組の連中が既得権に固執している限り、順番を大人しく待っていたんじゃチャンスなんて永遠に巡ってこない。俺のような“持たざる者”は、奪いにいかなくちゃならなかったんだ。
 だが俺があんなにも憧れていたフロンティアも、所詮は古めかしい地球社会と何も違わなかった。そこでは富める者がますます富み、貧しい者は永久に奪われ続ける。絶対不変のヒエラルキーを前に、俺は未だにただあえぐことしかできないでいる。
 夢見ていた未来はどこにもなく、目の前にある現在は悪夢以外の何ものでもない。俺の居場所はもう、過去にしかない。もう今は滅びてしまった星の、あの夜空だけが俺にとっては唯一の美しいものだ。
 この店に集まっているのはきっとこんな俺のような連中ばかりなのだろう。だから誰も騒がない。ただじっと、美しかった自分の思い出の中に耽溺している。泣いている者がいないのは、単に俺たちにはその機能がないからだ。
 俺はいつも考える。俺は果たして生きているのだろうか、と。生身の体を失い、電子データだけの存在になっているというのに。しかも俺の場合はオリジナル・データですらない。
 俺は一度バックアップ・データから復元されているのだ。おかげで三年ほど記憶がない期間がある。その三年分のデータを持っているオリジナルだった俺がどうなったのかは今でも分からない。たぶん死んだのだろうが、名前を変えて生きている可能性もゼロとは言えない。もし奴が俺に出会ったらきっとこう抜かすだろう、「オリジナルは俺だ。だからお前は消去されなくてはならない」と。もちろん、黙って消されてやるつもりなどはない。社会的には俺こそがジョニィ・スパイスなのだからな。消えるべきはお前だ。偽物め!
 だが本物云々という話になるとこちらにも弱味がある。つまり元々の俺は地球から逃げてきたチンケな犯罪者で、ジョニィ・スパイスというのも数ある偽名の一つにすぎない。俺自身が偽物みたいなものだ。もう一人の俺があと一つくらいそのラインナップに新たなラベルを加えたところで、果たしてそれを責められるものだろうか?
 だが自分と同じ奴が他にも存在する、などという恐怖に俺は耐えられそうもない。もう一人の俺もきっとそうだ。でなければ奴は次々に自分のコピーを生みだすはずで、そうなったら俺は俺とまったく同じ生い立ちや価値観を持った奴といつどこで出くわすことになるかも分からない羽目になる。俺はそんな俺自身を嫌悪せずにはいられないだろう。そんな醜い鏡は打ち砕かなくてはならない。俺は俺自身が大嫌いなのだ。だからもしどこかにもう一人の俺が生き残っていたとしても、そいつは決して自分のコピーを起動しようなどとはしないだろう。ましてや違法行為なわけだしな。だから俺はこの点では非常に安心している。俺がもし他に存在したとしても、数はそう多くはないはずだ。そしてそいつは必ず俺を消去しにくる。上等だ。絶対に返り討ちにしてやるさ。
 俺は再び目を閉じる。
 昔、地下には黄金色に輝く泉があって、死んだ人間の魂はその泉に行くのだと教わったことがある。だとしたら俺の魂はいったいいつその泉に辿りつくのだろう。生身の体を失った時か。それともオリジナル・データが失われた時か。それとも今ここでこうしているこの俺が倒れた時なのか。俺は本当に生きていると言えるのだろうか。こんなポンコツの中に収まって、電気だけで走っている俺の人格。それは単なるのプログラムやデータの集合体にすぎない。バックアップ可能な人格、複製可能な人格、改編可能な人格、消去可能な人格、そんなものが「命」なのか? だとしたら、人生とはいったい──
「船長! もぅ、船長ってば!」
 通信機はまだ喚いていた。
 あぁ、と俺は金属製のまぶたを上げ、億劫そうに返事をする。
「リラ、か」
 スイッチを押すと通信機のパネルの上に立体映像が現れた。身長一〇センチほどの少女の姿。目鼻立ちのはっきりとした、少しきつめの印象がする顔。痩せ型で、白いフリルのついた青いロングスカートのドレスを着ている。もっとスポーティな恰好の方が似合いそうに思うのだが、ヒラヒラした服が本人の趣味で、こういったお嬢様っぽい恰好ばかりをいつもしている。
 リラか、じゃないわよッ! と案の定、突っかかってきた。眉間に青筋が立っている。
「どんだけコールしたと思ってるの、この酔っぱらい! 穀潰し!」
「そう怒るな」と俺はつぶやく。「……仕事だって? また宇宙港の警備か。それとも人足、あるいは雇われ航海士かね」
 違うわよ、と少女。
「“船長”に仕事、ちゃんとそう言ったでしょ! そろそろステーションへのツケを何とかしないと、駐機場から船、追い出されちゃうわよ?」
 リラの言った言葉が思考メモリの中で形になり始める。船長に仕事、か。なるほど!
「……なら、酔っぱらってるわけにはいかないな」
 ケーブルを引き抜き、メモリ空間をリフレッシュすると俺は勢い良く立ち上がった。

 口利き屋からの話は随分と胡散臭いものだった。
「救援要請? 掃除屋(スカベンジャー)どもの?」
 そう、とリラ。
 そりゃおかしいだろう、と俺。出港の準備をてきぱきとこなす。愛船は、何しろ随分長いことまともなメンテをしてこなかったので、航行システムを立ち上げただけであちこちにレッドランプが灯る有様だった。
 だが応急修理なら慣れたものだ。メカニックを雇うだけの金がないから全部自分でやらなきゃならなかった。おかげで今や俺はハードウェアに関しては、そんじょそこらの二流整備工なんぞよりはよっぽど腕が立つ。
 リラの方も別タスクで船のソフトウェアの更新と調整をしてくれている。
 インフォモーフ、つまり物理的なボディを持たない、純粋な情報生命体として存在している彼女は、さすがに電脳関係全般に関するスキルが高い。俺はソフトウェアに関しては残念ながら習熟する暇も機会もなく、ほぼ素人同然なので、彼女の存在は非常に助かる。ま、いいコンビってわけだ。だからどんなに経済的に苦しくても彼女への報酬だけは欠かさない。ミューズと呼ばれる個人支援用の各種AIもあるにはあるんだが、とてもじゃないが使う気にはなれないね。リラの方がずっと腕がいいし、何より、人格を持たず、決まりきった判断しかできない支援AIじゃ俺の相棒は務まらない。
 彼女、フルネームはリラ・ホーリームーンという。本名かどうかなんてことは俺にとっちゃどうでもいい。暗黒街に名刺だの履歴書だのはないんだからな。大切なのは有能かどうかだけ。もっとも、リラは犯罪者集団には属しちゃいないが。俺とはしかたなく組んでいるだけだ。
 彼女とは宇宙港で知り合った。港の倉庫管理業務をしていたところをスカウトしたんだ。俺には高度なプログラムを扱える奴が必要だったし、彼女は冒険家としての経験を積みたがっていた。両者の利害は綺麗なくらいぴったりと一致したってわけだ。そう。リラは冒険者になることを夢見ている。
 パンドラ・ゲート、という言葉を聞いたことがあるだろうか。超人工知性ティターンズが残していったとされるワームホールの入り口のことを俺たちはそう呼んでいる。噂によるとこのゲートの先は未知の世界とつながっていて、そこには俺たちとはまったく違う種族がおり、独自の文明を築いているんだとか。もちろんこんな眉唾な話を信じる馬鹿は少ないが、何の因果なのか、リラはその数少ない馬鹿の一人なのだ。
 パンドラ・ゲートを抜けて未知の世界に挑んでゆく命知らずな親不孝者どものことをゲート・クラッシャーと呼ぶ。このゲート・クラッシャーというのは冒険者に与えられる最高位の称号でもあり、彼女はそれに憧れているのだ。
 しかしさすがのお馬鹿ちゃんもそれがどんな途方もない冒険になるかくらいの想像力は辛うじて持ち合わせていたらしく、本格的な冒険に出る前にまずは冒険者としての経験を積んでおきたい、とまぁ、こういうわけだった。それに冒険に出るためにはフューリーやエグザルト、リメイドといったスペックの高い義体は必要不可欠だろうし、他にも装備や資金、そして何より頼りになる仲間が要る。だからこうして俺なんぞにつき合ってくれているというわけだ。
 俺はやめとけと言ってるんだがね。リラにはどう考えても冒険者の適性はない。人が良すぎる上に、おめでたいくらいの楽観主義者なのだ。今のまんまで冒険なんぞに出たら、最初の一歩で呆気なく死んじまうに決まってる。その妄想じみた夢見る才能を活かして小説家にでもなれよと勧めてるんだが、頑固な奴で、俺の言うことなどちっとも聞きやしない。まったく、世間知らずのお嬢様につき合う爺やの気分だぜ。
 パネルを開いて各種の電子基板をスロットに刺し直す。故障原因が単なる接触不良ならこれだけで直る。場合によってはリチウム・イオン・バッテリーを交換したり、電子チップを新しいもの(と言ってもジャンク屋から二束三文で買ってきた中古品だが)に交換する。最悪の場合は基盤ごと交換だ。時間さえあれば修理できるのだが、今は後回し。今回の依頼はいつもの、ヤバイ物品の密輸、ではない。人助けだ。時間がない。早く出港しないと。
 だがそれにしても妙な話だった。
「おかしいじゃないか。スカベンジャーどもは互いに密に連携しているはずだ。なんだってわざわざ高い手数料払ってまで暗黒街の口利き屋に話を持ってくるんだ?」
「襲われてるからじゃないの、宇宙海賊に」
 船内の通路に映し出されたリラの身長一五〇センチの等身大の立体映像は、後ろで手を組んだまま、ニコニコしている。冒険に出られるのが嬉しくてたまらないらしい。好奇心が人一倍旺盛で、荒事を眺めるのが大好きなのだ。物騒な奴。
「にしたってだ」と俺。「やってたのはサルベージ業なんだろ? 今時のサルベージ会社はどこも武装してるぜ。何しろサルベージとは名ばかりで、やってることは墓荒しみたいなもんだ」
 うーん、とリラ。
「……もしかすると宙域が問題なのかな」
 宙域? 俺は嫌な予感がして顔を上げる。
「実はね、地球の惑星軌道上なの。あ! でももちろん地球の周辺じゃないよ! 惑星連合に指定されている立ち入り禁止区域からは外れているから安心して」
 エヘヘ、と笑っている。一方、俺はますます募る不安にそわそわ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……地球の惑星軌道上って、まさか」
「地球-太陽系ラグランジュ点の一つで」
「何だって!」
 俺はパネルをバン、と荒々しく閉じる。
「ラグランジュ点て、まさか」
「L5って言ってた」
 俺は頭を抱えて叫ぶ。
「おお、なんてこった! サルガッソー海域じゃないかッ!」
 ラグランジュ点というと地球-月系のものが有名だが、それは地球と太陽との関係においても実は存在する。地球の重力と太陽の重力、それと太陽の周囲を巡ることにより発生する遠心力、の三つの力が丁度釣り合う力学的な平衡点。それが地球-太陽系ラグランジュ点だ。これは全部で五つ存在し、例えばL1には惑星連合の基地が、L3には孤立主義者どものコロニーがあったりする。そんなラグランジュ点の中でも地球の公転軌道後方に存在するL5は、L4と並ぶ力学的に最も安定しているラグランジュ点の一つだ。
 人類対ティターンズとの大戦争、あの“大破壊”では、地球の周辺宙域でも激戦が繰り広げられており、戦闘艦等の残骸が大量のスペースデブリとなって宇宙空間に撒き散らされた。それらの多くは地球か月、太陽などに落下するか、あるいは宇宙の彼方に飛ばされたと思われているが、中にはラグランジュ点に捉えられたものもある。力学的に安定の状態にあるこの宙域に捉えられると、その残骸はどの星に落ちることもなく、どこへも飛び去ることがない。ずっとそこに存在し続けるのだ。言わば、宇宙船墓場、になっているというわけだ。
 今、人類で最も活発な商業活動は火星と金星の間で行われている。この二星の間の物流にとって、ティターンズがいると目されている地球の存在はもちろん、その公転軌道上に存在するデブリがどれほど厄介かはくどくどと説明するまでもないだろう。高速で移動する宇宙船にとっては氷の欠片一つだけでも脅威なのだ。ましてや戦艦の装甲にでもぶつかった日には目も当てられない。そんな恐ろしいスペースデブリがごまんと固まって存在しているのが地球-太陽系ラグランジュ点だ。
 更に言うと、戦闘艦は破壊されたからといって完全に死んでいるとは限らない、という恐ろしい事実もある。つまりまだ電源が生きている自動攻撃砲塔や、不発となった機雷、ミサイルの類、あるいは最後の体当たり先を検索し続けている無人戦闘機、そういった物騒極まりない兵器がまだ漂っているかもしれない、というわけだ。
 だから真っ当な船乗りなら地球-太陽系ラグランジュ点には絶対に近寄らない。ましてやL5には──
「あそこには“サイレンの魔女”が住んでいるっていう噂だ」と俺。
 魔女、とリラが小首を傾げる。
「……多くの船があの辺りで消息を絶ってる。商船だけじゃない、アルゴノーツの研究船や惑星連合の巡視艇もだ。正規の戦闘艦が不明になるなんて、どう考えても普通じゃないぜ。だから俺たちはL5のことを“サルガッソー”と呼んで恐れてるんだ。あそこはスカム、つまり宇宙ジプシー、の連中ですら避けてとおる、難所中の難所だ。俺も今までに近寄ったことはない。それを──」
 今回はわざわざ目指さなければならないというのか。あの魔女が住む、魑魅魍魎が跋扈する恐ろしい宙域に、のこのこと出かけていかなくてはいけないって? 冗談じゃない、勘弁してくれよ。
 一方、リラの方は両手を胸の前で組んでうっとりとした目で天井を眺めていた。
「サルガッソー海域に住むサイレンの魔女、……素敵」
「馬鹿かお前は! 死ぬかもしれないんだぞ! おまけに海賊までいるんだ! ちきしょう、どうりで成功報酬が破格なわけだぜ。こりゃ誰も引き受けるわけがない」
「パンドラ・ゲートに挑もうという冒険者がこの程度のクエストから尻込みするわけにはいかないわ」
「……いいよな、お前は、実体がなくて。実際に破壊されるのは俺のこのボディなんだぜ」
 何言ってるのよ、と食ってかかってくる。

「うちの経済状況では仕事を選んでなんかられないの! だいたい、デカイ話を持ってこい、と言ったのは船長でしょ!」
「そりゃ、そうだが、何もよりによって」
「そもそも船長が暇さえあれば魂(エゴ)のバックアップを取っちゃうから、いくら稼いでも追いつかないんじゃない! 普通はせいぜい半年に一回程度なのに、馬鹿じゃないの! 毎月とか毎週とか、そんなに頻繁に自分の人格データを保存してたらお金なんていくらあっても足りるわけないじゃないの!」
 鬼のような剣幕で食ってかかってくる。
 お前は恐くないのか、と俺。立ち上がる。
「昨日の俺は俺じゃない。今この瞬間の自分自身を残しておかなかったら、バックアップを保存しておく意味がない」
 途端に少女は悲しげな表情になった。
「そんなことを言いだしたら、毎時、毎分、毎秒、外部ストレージに自分を保存し続けなくちゃならなくなるわ。……それは病気だよ、船長。いくら三年間記憶のない期間があるからって、恐れすぎなのよ。記憶も大事だけど、お金だって大事なのよ?」
 やれやれ。結局いつもの平行線か。
 俺はコクピットに向かって歩き出す。
「システムの更新は?」
「すんだわ。サブシステムも全て良好」
「機能衝突してないだろうな? 前回みたいなバグはご免だぜ」
「全てシミュレートずみ。オールクリア、よ」
 フン、と応える。
 少女の幻が俺のすぐ隣を漂う。
「……行くでしょ、船長?」
 三秒数えて「ああ」と返事。どのみちもう引き受けてしまったのだ。前金も受け取っちまったし、違約金を支払う能力なんてとっくにない。これ以上借金がかさめば、この船もボディも差し押さえられてしまう。
「救出相手が機械人ばかり、というのは助かるな。今回はかさばる生命維持設備を積み込まなくてすむ」
 俺は狭いハッチを潜り抜けると剥き出しの金属シートに体を固定した。出航前の船内チェックは全てリラがやっておいてくれた。
 俺は通信回線を開く。
《管制官! 出港許可をくれ》
《こちら惑星デイモス、プログレス宇宙港、第三ステーション》
《こちらは識別ナンバーMA22LKKZ-235019、ラグタイム・ウルフ号だ。出発レーンへの誘導を頼む》
 俺は両手を打ち鳴らす。さぁて、出港だ!



Ecllipse Phase は、Posthuman Studios LLC の登録商標です。
本作品はクリエイティブ・コモンズ
『表示 – 非営利 – 継承 3.0 Unported』
ライセンスのもとに作成されています。
ライセンスの詳細については、以下をご覧下さい。
http://creativecommons.org/licenses/by-nc-sa/3.0/

片理誠プロフィール
小珠泰之介プロフィール


片理誠既刊
『Type:STEELY タイプ・スティーリィ (上)』
『Type:STEELY タイプ・スティーリィ (下)』