(PDFバージョン:yosomononosaru_takahasikiriya)
夕暮れ時、小さなサルが一匹、山道を急いでいました。
群れでねぐらに帰るのに、寄り道していておくれてしまい、近道を通ることにしたのでした。じめじめした暗い道には大きなシダがたくさんはえています。かまくびをもたげたヘビかと思ったら、ぜんまいの若葉でした。
「ぼくはヘビなんてこわくないや」
腐った倒木の横を通ろうとして、はっとしました。
倒木の根元に、見たことのない知らないサルがすわっています。
えさ場には、ほかの群れのサルもやってきますが、このあたりでよそもののサルを見ることはありません。
どこかに向かう旅の途中なのでしょうか。迷ってしまったのでしょうか。
よそもののサルが、ふせていた顔を上げました。くたびれた無愛想な顔でした。
小さなサルは、そのわきを、どぎまぎしながら小走りに通り過ぎました。
旅の途中で、疲れて休んでいるところなのかもしれません。あんまり休むのに気持ちのいい場所には思えませんが、とにかく、そっとしておくほうがいいでしょう。
じろじろ見るのも失礼なので、小さなサルはふりかえりませんでした。
近道を通ったのですぐに群れに追いつきました。
いつもの木の上のねぐらで丸くなりながら、あのよそもののサルのことを思い出しました。ずいぶんつかれて年を取っているように見えました。でもきっと一晩休めば、力をとりもどすでしょう。
次の日、小さなサルは、みんなといつものようにえさ場へ向かいました。
一日えさ場で過ごして、夕方にねぐらの森に帰ります。
「そろそろ戻るぞ」
ボスの声に、みんな思い思いに、木を伝ったり地面を走ったりして行きます。
小さなサルは、なんとなくまた近道を通ってみようと思いました。一人で向かいました。
倒木の根元に、昨日のよそもののサルがいました。
昨日と同じようにすわっています。目はとじていますが、時々、お腹のあたりを、ぽりぽりと指でかいているので、眠っているのではないようです。
よそもののサルが目を開けました。小さなサルはあわてて顔をそらしました。
「さあ、いそがなくちゃ」
つぶやきながら、小さなサルは、じめじめした道をそっと歩いていきました。
よそもののサルがじっと見ている気配がします。見られている居心地の悪さを感じながら、小さなサルは走って道を通り過ぎました。
その次の日、小さなサルは、友達と一緒にえさ場から帰ったので、近道は通りませんでした。「ああそういえば」と、よそもののサルのことを思い出したのはねぐらに戻ってからでした。もうきっと今ごろは、どこかに行ってしまったでしょう。でも、明日、もう一度だけ、あの近道を通ってみよう、と小さなサルは思いました。
次の朝。小さなサルは、えさ場に向かうのに、近道を行きました。
もういないだろうと思ったのに、よそもののサルは、この間と同じところに同じかっこうですわっていました。うつむいて眠っているようです。
今度は少しだけ近づいてみました。
よく見ると、毛もぱさぱさでかわいています。病気なのかもしれません。
声をかけてみようか、と思いました。
でもおとといもその前も会っているのに、いまさら「こんにちは」はない気がします。といっていきなり「大丈夫ですか」と聞くのもどうでしょうか。
考えるほどになんと言えばいいかわからなくなりました。
ここは群れのサルも近よらない道です。こんな場所にいるのは、だれにも会いたくないからかもしれません。
ひとりで休んでいたいのなら、声をかけても迷惑がられるだけでしょう。
人嫌いの変わり者なのかもしれません。
だって、あいさつ一つしないのですから。一番最初にむこうから「こんにちは」と言ってきたら、小さなサルだって、ちゃんとあいさつを返していました。
小さなサルがそんなことを考えていると、いつのまにか、よそもののサルがじっと見ていました。
あいかわらず一言も話さず、だまったままです。
用事があったら、話しかけてくるはずです。
放っておいてくれと思っているから、だまっているのでしょう。
じっと見ているのは、早くあっちにいけという意味なのでしょうか。とうとういたたまれなくなって、小さなサルは、走り出しました。
えさ場についてから、木の実を食べながらも、気持ちはうわのそらでした。
もしかしてやっぱり、よそもののサルは、具合が悪いのかもしれません。
帰りに通るとき、あいさつだけでもしてみようか……もしそれで、いやな顔をされても、何もしないよりはいいように思えました。
「よし、そうしよう」
ふと気づくと、近くの木の実は、あらかたほかのサルに取られてしまっていました。小さなサルは、あちこちの木の枝を伝って新芽を集めて、ほおぶくろにいっぱいつめこみました。
もう一つ、そう思って新芽に手を伸ばしました。
友達のサルも同じく手を伸ばしていました。
小さなサルは、友達の顔を見て、はっとしました。耳にかみつかれたあとがあります。
「どうしたの?」
友達は、ぷんと顔をそむけました。小さなサルは、そむけた顔のほうへ行きました。
「どうしたの。いたいでしょう」
「いたくないさ」
そんなはずはありません。赤くはれて、見るからにいたそうです。
「だれにやられたの」
小さなサルは、心配して聞きました。ところが友達のサルは、歯をむきだして怒りだしました。
「うるさいな、ほうっておいてくれよ! 大きなお世話だ。おせっかいやろう!」
友達のサルがふりまわした手が、小さなサルをぶちました。友達ははっとした顔をしましたが、口はつぐんだままでした。
小さなサルは、ぶたれた頬より、もっとずきずきと痛い心をかかえながら、友達のそばをはなれました。
心配しただけなのに。
大きなお世話。おせっかい。
友達の言葉が、胸につきささりました。
その夜は、ねぐらに戻ってからもなかなか眠れませんでした。もちろん、近道は通らないで帰りました。
もう金輪際、だれのことも気にするもんか、と思いました。
だれがどこでどうなろうと、知ったことじゃない。
大きなお世話のおせっかいは、もうやめです。
よそもののサルにも、声をかけなくてよかったのです。
きっと、よそもののサルだって、だれにも話しかけられたくないでしょう。
次の日も、その次の日も小さなサルは、近道を通りませんでした。群れのサルはだれもあの近道を通りません。じめじめした暗い道には、サルが大きらいなヘビがいることが多いからです。
そうして数日がすぎました。
朝ねぼうしてしまった小さなサルは、近道を通ることにしました。
もうよそのもののサルもいないでしょう。こんなじめじめした暗い道は、よそもののサルだって居心地が悪いはずです。
小さなサルは、倒木の手前で立ち止まりました。
よそもののサルの代わりに、タヌキがいました。倒木の根元に穴をほっています。
小さなサルに気づいたタヌキが顔をあげました。
「おや、あんちゃん」
小さなサルは、思い切ってたずねてみました。
「このへんに、年取ったサルがすわっていませんでしたか?」
「やっぱりあんちゃんだったのかい。あのじいさんザルの知り合いかい?」
「いいえ。全然知りません。通りすがりに見かけただけで」
そう答えましたが、よくみるとタヌキは、穴をほっているのではなく、うめたところのようです。小さなサルは、胸が苦しくなって口をぱくぱくさせました。
タヌキは、うんうんとうなずきました。
「しかたないさ。わしが見たときはもう虫の息だった。のどがかわいたというんで、せめて水でも飲ませてやろうかと思ったが、それもかなわんかった。行き倒れだな。長い旅をしてきたが、ここですわったっきり、もう立ち上がれなくなったらしい。せめてうめてやろうと思ってな。最後にあんちゃんのことを言ってたよ」
「な、なんて?」
小さなサルは、かすれた声で聞きました。
タヌキは、遠くを見るような目で答えました。
「通りかかった小さなサルが、故郷の息子に似てたって」
そのとたん、小さなサルは、わっと泣きだしました。
そんなこと何にも知りませんでした。
最初の日に声をかけていれば、助かったかもしれません。
水を飲ませることはできたでしょう。
せめて、話し相手になることが、どうしてできなかったのか。
あいさつさえも、できませんでした。
何度も、何度もこの道を通ったのに。
ヘビがいるからだれも通らない、この道を、自分だけが何度も通りかかったのに。
自分がくやしくて、悲しくて涙が止まりません。
泣きぬれた小さなサルの横で、タヌキがしんみりとつぶやきました。
「じいさんよ。よかったな、あんた。野垂れ死にかもしれんが、見も知らないあんちゃんが、あんたのために泣いてくれているよ。死んだときこんなに泣いてくれる人がいるなんて、幸せものだよ」
小さなサルは、それを聞いて泣きくずれました。
「ちがうんです。ちがうんです……」
タヌキは、優しくさとすように言いました。
「いや、いいんだよ。よそもののサルのために、泣いてくれてありがとうな」
小さなサルは、はげしく首をふりました。でもそのうちに自分のために泣いているのか、よそもののサルのために泣いているのか、分からなくなってきました。
ただ、あーん、あーんと声をあげて泣きました。
了
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