未來社月刊PR誌「未来」連載評論「向井豊昭の闘争」岡和田晃

未來社月刊PR誌「未来」連載評論
「向井豊昭の闘争」

 著:岡和田晃

・アイヌならざる者による現代アイヌ文学 向井豊昭の闘争1(「未来」2012年1月号)
・向井豊昭と「状況」としてのアイヌ 向井豊昭の闘争2(「未来」2012年2月号)
・向井豊昭と鳩沢佐美夫 向井豊昭の闘争3(「未来」2012年3月号)
・アイヌという「サバルタン」をめぐって 向井豊昭の闘争4(「未来」2012年4月号)
 【以後継続予定】

全国有名書店で入手可能。
定期購読のお申し込みは未來社公式サイトまで:http://www.miraisha.co.jp/np/mirai.html?year=2012

岡和田晃氏コメント:

 学術出版社・未來社のPR誌「未来」にて連載させていただいている評論です。作家・向井豊昭(1933~2008)の文学と生涯を、ポストコロニアリズム理論と現代アイヌ文学の方法論を補助線としながら辿り直し、「マイナー文学」(ドゥルーズ&ガタリ)の可能性を改めて検証していくことを目的とします。

 向井豊昭は1960年代半ば頃から地方文壇で頭角をあらわし、「うた詠み」は「文學界」(文藝春秋)に全文が転載されました。本来ならば、後藤明生などの「内向の世代」に属し、日本の文学史に確固たる地位を築いてしかるべき書き手だったのです。

 しかしながら、1960年代後半から1970年前半における政治の季節に「アイヌ」と「教育」をめぐる問題に深く関わりを見せた向井豊昭は、さまざまな事情から中央文壇とは無縁の場所で創作活動を継続することを余儀なくされ、1995年に「BARABARA」で第12回早稲田文学新人賞を受賞するまで、およそ30年にも及ぶ雌伏の時を経ることになりました。

 「向井豊昭とSFに何の関係があるのか?」と思われる向きがあるかもしれませんが、向井豊昭は政治的な「挫折」を経た後、1980年代にヌーヴォー・ロマンと出会うことで、「BARABARA」以降の作品は、SFと幻想小説とも取れる奇妙な作風を積極的に取るようになりました。
 その小説は、ある部分では町田康や清水アリカや中原昌也のパンク小説を思わせ、ある部分ではR・A・ラファティやラングドン・ジョーンズ、ジョン・スラデックらのSF作品に通じる遊戯性と幻視力を備えていますが、総合すると、やはり誰とも似ていません。
 あえてジャンルに括るとしたら、ウィリアム・ギブスンのサイバーパンクを嚆矢とし、現在は笙野頼子らが書き続けている「アヴァン・ポップ」(ラリイ・マキャフリイ)というところでしょうか。

 向井豊昭は商業出版においては3冊の単行本と多数の雑誌掲載作を残していますが、2012年3月現在、単行本は1冊を除き絶版であり、商業誌や雑誌に掲載された作品のほとんどは散逸してしまっているのが現状です。

 向井豊昭の「誰にも似ていない」小説は、多様な解釈を包含しうるものですが、何年もかけて読み続けるうちに、その作品に一つの連関性が見えてきました。その連関性を通せば、向井豊昭の作品がいったい何を目指していたのか、それが私たちの生活や思想とどのように切り結んでいくものなのかが、おぼろげながら理解できるように思えます。

 その連関性が何かを説明するため、本連載では、向井豊昭の遺した原稿のほぼすべてを収集・渉猟し、1960年代後半の「政治の季節」から始まり、アイヌ初の「近代小説」の書き手である鳩沢佐美夫との交流など、いくつかの焦点を設けながら、この特異な作家の「闘争」こそが連関性であるという前提で語っていきます。
 
 近年のSF(文学)は、とりわけ政治とマイノリティの問題について、表現が難しくなっているのではないかと往々にして感じさせられます。
 本連載にはそうした問題をどう捉えるべきかという私の問題意識が、色濃く反映されていると思います。政治とSF(文学)の関係を考えるため、皆さまの思考のお役に立てていただけましたら幸いです。

※向井豊昭氏の遺稿は、有志が同人誌「幻視社」やWeb「向井豊昭アーカイブ」で掲載しています。併せてご覧いただければ幸いです。
http://www.geocities.jp/gensisha/mukaitoyoaki/index.html

岡和田晃プロフィール