「怖くないとは言ってない」―第一回 ソニー・ビーン一族の末裔―牧野修(画・YOUCHAN)

(PDFバージョン:soniibiinn_makinoosamu
 頭がおかしいよね、っていうのを誉め言葉として使っていたのだけれど、考えてみればこれって悪口だと取られていたかもしれないなと先日反省したばかりの牧野です。
 自分がされて嫌なことをしてはいけません、というのは親や先生による説教の定番なのだが、話はそう簡単ではない。自分がされて平気なことだからといっても、相手は嫌かもしれない。自分なら喜ぶことでも相手は怒り出すかもしれない。逆に自分がされると嫌なことなのに、して欲しいと思っている人がいたりもする。
 結局自分の感覚だけを判断材料にしても他人には通じないというのが真実なのだろうけれど、そう言われても迷うだけだ。
 私は怖い話が大好きで、ホラー映画やホラー小説やホラー漫画が大好物なのだけれど、この辺りはジャンルの中でもかなり好き嫌いの別れる、というか苦手な人が多いジャンル界のピーマンのようなものなのである。そのため話す相手を極端に選ぶことになる。私が好きだからといってみんなも好きだと思うと大変な目にあう代表的なものがこれだ。
 とはいえ好き嫌いが分かれるということは、私のように好きな人も確実にいるということで、はるか昔から恐怖譚は延々と語り継がれ、ホラー映画もホラー漫画もいまだにしぶとく生き残っている。
 ブームになろうとなるまいと、恐怖怪奇ホラーの類は細々と好事家が支え続けているのだ。以前綾辻行人さんと共著で『ナゴム、ホラーライフ』というホラー映画の本を出版した。その綾辻さんもホラーを支えている人の一人だ。先日かなりホラーよりの小説『Another』がアニメ化されてまたまた評判を呼んでいる。こういうものを望む人が絶えてしまったわけではないし、切っ掛けを掴めばホラーの需要はまだまだある……ような気にさせるうれしい話題だ。
 というわけで、私も微力ながらホラー的なあれこれの普及のために頑張ってみるか、と重い腰を上げてみた。これでホラー好きの人が一人でも二人でも増えれば、やった甲斐があるというものだ。
 前置きはこれぐらいにして、すべてのホラー好きのために、ホラー映画の話をちびちびと始めるとしよう。
 
 さて、記念すべき第一回はソニー・ビーン一族の話から始めようか。
 ご存じのようにソニー・ビーンは今から五百年あまり昔スコットランドにいたとされる人食い一家の長だ。殺人鬼好きの間ではジャクソン・ファミリー以上に超有名人家族なのだが、最初に書いたように私の価値観だけで物事を判断してはいけないと反省したところである。
 殺人鬼嫌いの人のために説明しておこう。
 生まれついての犯罪者ソニー・ビーンは家を追い出され、流れ流れて女と一緒に海岸べりにある洞窟にたどりつく。満潮になると入口が水面下になるこの恰好の隠れ家で、二人は強盗を生業として生きることになる。その間になんと男八人、女六人の子供をもうけ、しかも近親相姦を重ねて子どもが子どもを生み、最後には大家族スペシャルで紹介してもおかしくない総勢四十八人もの大家族になっていた。そして何より彼らのライフスタイルを他より際立たせているのは、一家の主食が物品を奪い取って殺した被害者の肉だったことだ。
 洞窟にこもったままの生活でまともな教育など出来るはずもなく、子供や孫たちに教えられたのは強盗と殺人の方法と、人肉の調理方法だった。
 これらの話は実話とされているが、単なる都市伝説であるという説もある。
 私が最初にビーン一族のことを知ったのは中学生の頃だっただろうか。コリン・ウィルソンの『殺人百科』(彌生書房から出た大庭忠男氏による抄訳版)で彼らに出会った。猟奇的な殺人事件を網羅したこの本の中で、ビーン一族のことがそれほど詳しく書かれているわけではないのだが、その印象は強烈だった。
 自分と同じ人間でありながら(←ここ重要)、殺人、近親相姦、人食いと、生理的に忌避される悪徳を繰り返す大家族のおぞましさは、あまりにも忌まわしく怖ろしく、それゆえに目が離せなくなった。
 路上の小動物の死骸を、見たくもないのにどうしても確認してしまうような心理だ。それはおそらく生物が絶対に忌避しなければならない〈死や死に類似したこと〉に直面した衝撃がそうさせるのだろう。ウサギやネコなども、急に驚かされると動きが止まってしまうことがある。あれと同じだ。
 この「おぞましさから目が離せない状態」を、恐怖に魅了されたと表現してもそう間違ってはいないと思う。それは心の状態として非常に不健康だ。
 恐ろしい出来事から目が離せなくなったこの状態から心を解き放つひとつの方法。それが恐ろしい事実を虚構として語り直すことなのではないだろうか。
 ホラー好きとは、おぞましい現実を恐怖譚として語り直すことで恐怖から開放された経験のある者から生まれるのかもしれない。
 その証拠に私は臆病だ。そう自信たっぷりに言うことでもないとは思うが。
 そういった根源的な恐怖、あるいは不気味さの原型のような存在がこのソニー・ビーン一族なのだろう。
 ある種の人々を恐怖で魅了させるこの人食い大家族の「実話」は、それゆえに無数の子孫たちを生んだ。今回紹介するのはそういった人食い大家族物語の系譜につながる小説や映画だ。

 まずは直系の子孫である『オフ・シーズン』とその続編である『襲撃者の夜』の、二つの長編小説の話からしよう。
 著者は『隣の家の少女』で善男善女を逃げようのない悪意で追い詰めた才人ジャック・ケッチャムだ。
 『オフ・シーズン』に関してはケッチャム自身がブログで、ソニー・ビーン一族の話に影響を受けて書いたのだと書いていたらしい(あくまで伝聞であるが)。それが本当なら正真正銘の実子たちということになる。何しろ作中の人食い一族は海岸沿いの洞窟に棲んでいるわけだし、まったく知らなかったとは思えない。
 ストーリーを簡潔に説明するなら、どちらの小説も人食い一族に遭遇した男女がとんでもないことになる話である。
 ケッチャムの小説はいくつか映画化されている。『襲撃者の夜』もそのひとつで、2009年に同タイトルで映画になっている。
 映画での人食い家族のファッションを見ると、フィクションの中に出てくる未開地の蛮族風である。そして人食い家族の長は血と暴力と人肉が大好きな家族思いの女性だ。野蛮で強い女性が好きな私は「うひゃ~、カッコイイ!」と喜んだのだけれど、同じように喜んでいる人はいるのだろうか。とりあえず半裸で骨とか歯とかエスニックな装いで着飾っているのがなかなかスタイリッシュだよね。駄目?
 あっ、それじゃあ人食い家族の子供が空き缶で手作りの入れ歯を作って人を囓るとこなんかはなかなか楽しめたんじゃないかな。
 子供だし、かわいいでしょ。
 いや、返事はいい。

 『オフシーズン』の解説で、風間賢二氏のインタビューに答えたケッチャムが、まるで自分の今書いている原稿を見たかのような内容に驚いたと言っている映画が1977年制作の『サランドラ』だ(大人の事情で日本公開は1984年とぐんと遅れてしまった)。
 どんな映画かというと、かつて核実験場だった場所でフリークスの人食い家族に襲われた旅行者がとんでもない目にあうという話である。何よりもマイケル・ベリーマンの顔のインパクトで有名な映画なのだが、さすがに監督が『スクリーム』でお馴染みホラー職人ウェス・クレイヴン監督なので、「田舎に行ったら酷い目にあった映画」ランキングの中でも上位にくるのは間違いないホラー映画に仕上がっている。興行的にも好調だったのか、あるいはファンの再上映運動とかがあったのか、七年後に無理矢理続編『サランドラ2』を作っているのだが日本では劇場未公開だった。
 この『サランドラ』はフランスの悪趣味王子アレクサンドル・アジャ監督によってリメイクされている。それが『ヒルズ・ハブ・アイズ』と『ヒルズ・ハブ・アイズ2』だ。
 アジャ監督は魚類パニック映画『ピラニア』をリメイクした『ピラニア3D』を2010年に監督し、おっぱいと生首と大量の血飛沫によって我々の(私以外のメンバーが誰だか知らないが)心を鷲掴みにした。こういった人体損壊映画の勘所をよく心得ている監督なのだ。それはつまり過激になればなるほどスラプスティック・コメディ側に転がりやすいこの手の映画を寸止めする、絶妙のバランス感覚を持っているということを意味する――というような話はまた今度
 さて『ヒルズ・ハブ・アイズ1&2』だが、これは核実験によって生まれたフリークスの人食い家族という危ない設定とウルトラ過激な残酷描写によって日本では劇場公開が見送られただけでなく、大手のレンタル会社が取り扱うのを止めたという不幸な作品だ。後に独立系の配給会社から配給されたが、一般公開と言えるような規模のものではなかった。そして今の日本では、絶対に上映されることのない作品となった。
 どんな話かと言うと『ヒルズ・ハブ・アイズ』は旅行者が人食い家族によってとんでもない目にあう。そして『ヒルズ・ハブ・アイズ2』は軍人たちが人食い大家族によってとんでもない目にあう。
 この手の映画としてどちらも愉しめる秀作なのだが、観るのに多少の覚悟が必要な映画であるために、デートムービーにお薦めしにくい。
 例えば『2』の冒頭。タイトルバックで行われる凄惨な出産シーンを紹介しようとDVDを見直していて文章にするのを諦めたぐらいにはえげつない描写が連続する。
 やはり見る人をかなり選ぶ映画であることに間違いはない。

 近親相姦によって生まれたフリークス一族と言えば『クライモリ』のシリーズだ。
 森の中に棲む人食い家族の話は人々に愛され続けて全部で四作作られている。
 一作目が『クライモリ(2003)』。次が『クライモリ デッド・エンド(2007)』。三作目が『クライモリ デッド・リターン(2009)』。そして最後が『クライモリ デッド・ビギニング(2011)』である。
 類似品に『クライモリ-禁猟区-』や『バタフライエフェクト・イン・クライモリ』などというものがあって、どちらも『クライモリ』とは何の関係もないのでお間違えのないよう。
 念の為に説明しておくが、最初の作品『クライモリ』は旅行者が山の中で人食い家族に襲われてとんでもない目にあう映画である。ただし『クライモリ』に出てくるフリークス家族は斧やマチェーテといった定番を始め、弓矢や銃など多彩な武器を駆使する。ついでに続編ではビデオカメラの操作もすぐに覚えるし、家族揃ってお祈りしてから人を食べたりする文化的な一家であることがわかる。さらに言うなら一族の女性なんかもなかなかファッショナブルで、森ガール的なゆるふわファッションである。
 ……すみません。良くわからない言葉を適当に使ってしまいました。
 クライモリでは怪しげな人食い家族の家に侵入したときに、登場人物の一人が「サランドラって映画を観たことがあるか」と言うシーンがあり、この手の話を作ろうかというタイプの人間に『サランドラ』が大人気であることがわかる。
 続く二作目デッド・エンドは、タイトルバックでいきなり美女が斧で真っ二つ。それも上下ではなく頭から尻まで左右にまっぷたつにされるわけで、リアリティーなんかくそくらえという頼もしい制作側の姿勢が見える。
 今回の犠牲者はテレビのサバイバル企画に参加した六人の男女とテレビクルー。彼らの教官として元海兵隊の屈強な男も参加していて、後半はほとんどランボーVS人食い家族的な展開となるのだが、この手の映画がマッチョの勝利で終わることはまずないのだった。
 残り三作品を少し駆け足で紹介すると、おおよそ人食い一族が殺して食って殺して食って食って殺して反撃されるというような話である(本当は三作目は囚人の護送車が襲われる話だし四作目では人食い一族の出自が描かれる。シリーズを続けるにはそれなりに努力と工夫が必要なのだ)。

 田舎に人食いの一族が住んでいて――という設定と少しずれるかもしないが、イメージとしてはまんまソニー・ビーン一族であるのが『2000人の狂人』をリメイクした『2001人の狂宴』だ。
 ハーシェル・ゴードン・ルイス監督の『2000人の狂人』の方は、北軍に惨殺された南軍の村の人間が村ごと怨霊となって蘇り、旅行に来た東部の人間に復讐するという話なのだが、バンジョーの狂騒的なカントリーミュージックに合わせて陽気な村人たちが陽気に虐殺を繰り広げる。いつものルイスの砂を噛むような味気ないスプラッター映画とはかなり趣が違い、愉快な快作に仕上がっている。これにはまったく人食いの要素がなかったのだが、『2001人の狂宴』の方は祭に浮かれる村人たちは嬉々として殺しては食べていく。こうなるとぐっとソニー・ビーン一族へと近づく。
 映画自体はルイス作品の狂騒的な雰囲気は踏襲されていて、これまた楽しめる秀作となっている。

 当然のことながらこんな一族が住んでいるのは人里はなれた田舎ばかりなのだが、都会のどまんなかにだって人食い一族はいるのである。
 たとえば『ハリウッド人肉通り』。スキャンダルな犯罪写真を撮っては売りさばくフリーのカメラマンが、路上で人を食っている食人鬼と遭遇してしまい、その真実を追いかける話である。作中では「人ではない」と説明され怪物というか、人食い鬼という扱いだ。したがってビーン一族の仲間とするにはちょっと無理がある。しかし低予算であるために、その食人鬼はどう見てもボロを着たただの路上生活者にしか見えない。それが逆に生々しかったりもするのだが。

 この他にも都会に棲む人食い一族という話はいろいろとあるのだが、その多くが「実はそれが人食いの一族だったのです」というオチであったりするので、なかなか紹介がしづらい。
 たとえばニューヨークの地下通路に捨てられた放射性物質で、地下に住んでいたホームレスたちが人食いフリークス一族となってしまった話とか、ジョージ・ワシントンが実は人肉を常食しており、その意志を汲んだワシントニアンというカルトが今も食人晩餐会を続けているだとか、かなりむちゃくちゃな話が多い。もしどこかで偶然見たのなら、「こ、これがそうだったのか」と唖然としていただきたいものだ。

 さて、いろいろとソニー・ビーン一族の末裔を紹介してきたが、「おいおい、あの一家はどうなっているんだ」と思っている方がおられるかもしれない。名作『悪魔のいけにえ』のイカレた一家である。
 あちらのほうは元になっている話が1957年に起こったエド・ゲイン事件である。エド・ゲインは人食いの猟奇殺人犯ではあるが、単独犯だ。
 実話がどうであれ映画ではとんでもないおもしろ猟奇家族の話になっているが、それでも一家は人食い鬼でも蛮族でもない。一家の長はきちんと職業を持っており、普段は普通に(多少は変わり者ではあるが)生活している。
 それに彼らは人を食わない。ただ殺した人間の肉を加工して売っているだけなのだ。無駄に人を殺さない殺人鬼といおうか、モッタイナイの精神が意外なところで生きているのであるというようなことはさておき、いろんな意味でソニー・ビーン一族とは無関係である。
 さらに言うなら、人食いというキーワードでゾンビものを思い出した人もいると思うが、やはりそれも今回のテーマとは別物だ。別の機会に紹介することとしよう。ということで、今回はここまで。

 皆さん楽しんでいただけましたでしょうか。こんな感じでこれからもぐだぐだと続けていけたらと思います。それでは次回『だから前をよく見て運転しろよ』でお会いしましょう。
 タイトルを出した映画に関しては出来るだけ観るようにしておりますが、記憶に頼っている部分も多く、間違いなどもあると思います。もしお気づきでしたらお教えいただけると有り難いです。それ以外にも、ご意見ご感想及び質問やリクエストなどがありましたら、気楽に下記投稿フォームまでご連絡くださいまし。
SF Prologue Wave投稿フォーム

「ぼく、こわいよ」と、少年はいった。
「ぼくもだよ」と、長身の男は答えた。

スティーヴン・キング著 永井淳訳『呪われた町』より

●文中の作品リスト

『ナゴム、ホラーライフ』
『Another』
『殺人百科』
『オフ・シーズン』
『襲撃者の夜』
『隣の家の少女』
『襲撃者の夜』映画
『サランドラ』
『サランドラ2』
『スクリーム』
『ヒルズ・ハブ・アイズ』
『ヒルズ・ハブ・アイズ2』
『ピラニア』
『ピラニア3D』
『クライモリ』
『クライモリ デッド・エンド』
『クライモリ デッド・リターン』
『クライモリ デッド・ビギニング』
『クライモリ-禁猟区-』
『バタフライエフェクト・イン・クライモリ』
『2000人の狂人』
『2001人の狂宴』
『ハリウッド人肉通り』
『悪魔のいけにえ』
『呪われた町』
 上巻
 下巻

牧野修プロフィール
YOUCHANプロフィール


牧野修既刊
『死んだ女は歩かない 3
命短し行為せよ乙女』