「支配者種族と奴隷の日常」立原透耶

(PDFバージョン:sihaishashuzokutodorei_tatiharatouya
【自己紹介】
 我が輩は支配者種族である。地球という惑星で最も崇高な生き物であり、奴隷にかしづかれて生活している。奴隷は一人暮らしの売れない三文作家で、口癖のように「仕事がない」と呟いておる。我が輩の生活を支えるためにも、しっかりと働いてほしいものだ。
 我が輩はまもなく4歳になろうとする猫、ラグドールという種族の元男である。奴隷めが、健康によいのよ、などと申して、我が輩をだまくらかし、病院に連れて行き……哀れ、子孫を残すことは不可能な身とあいなった。奴隷めはしばらく我が輩を「宦官」と呼び、「にゃあ」ではなくて「ちゃあ」とこたえるのだと笑いものにしておった。なんでも古の中国では、宦官は「ちゃあ」と返事していたそうな。
 我が輩が奴隷の元にくるきっかけになったのは、えすえふ作家の林穣治氏なる者のブログである。そこで氏の支配者ココベン殿の写真を毎日ためすがえす眺めている間に、奴隷めは見事に洗脳にかかったわけである。そこで、まったく同じ種類、同じ毛並みの我が輩を支配者として迎え入れた、とこういういきさつである。
 我が輩は最初から堂々としておった。奴隷の家は小さく、物が散らばっており、片付けのできないだめ女であるのはすぐに見て取れたが、書物好きらしく所狭しと本が積まれてあった。我が輩は知識を愛する。故に読書好きであるなら、この奴隷も悪くはないな、と感じた。多少の不便さには目つむり、今後の努力に期待すればよい。最初から完璧を望むのは難しい。ならばいっそ、奴隷を鍛えて成長させ、高見へと導こうではないか。
 奴隷は我が輩をそっと撫でた。違う、そこではない。そこでもない。弱い。もそっと強く、あっ、右っ、違うっ、もちっと下、右斜め下45度! 
 ええい、いらいらする。奴隷は支配者種族にかしづくのは初めてとみえて、非常に不作法、不調法である。不器用きわまりない。我が輩は自ら首を動かし、ここぞ、と知らしめた。ようやく分かったらしい。心地よい按摩。うむ、この奴隷もそれほど悪くはないな。まったくもって未熟ものではあるが、こうやって我が輩が教え導けばよい。
 うとうとしながら、我が輩は奴隷をいかに教育するかという難題に頭を悩ませていた……。

【横溝正史】
 我が輩が奴隷のあばら屋にやってきて一ヶ月が過ぎた。奴隷は次々と新しい貢ぎ物を献上してくる。気に入るものもあれば、気に入らないものもある。はっきり態度に出して、それを教えねばならないのはいささか面倒ではあったが、そこは支配者たるもの、忍耐である。
 ある日、巨大な箱が届いた。奴隷は嬉しそうに箱から大きな機械を取り出した。
「これは自動給餌機なんだよ。時間になったら、私の声で『ごはんよ』って言うからね。そしたら、ご飯が決まった分量出るよ」
 これには我が輩、憤慨した。食事はいつでも欲する時に提供されるものである。食事の世話は奴隷の重要な仕事の一つではないか。さぼろうというのか。けしからん。
 困ったことに、この奴隷、新しいものが大好きである。奇妙なものを見つけては、奇声を発して買っておる。無駄遣いしてはならぬと、どれほど我が輩が注意しても、聞く耳もたぬ。
 説明書を読みながら、カリカリを機械に投入し、タイマーを設定する奴隷。「明日から使おうね」
ごめんこうむる。
 しかし、翌朝、奴隷は出勤してしまった。いつもの皿にはカリカリが入ってはおらぬ。ええい! 我が輩は、今、欲しいのだ。決まった時間ではない。今、今、カリカリを所望する! 奴隷め、帰ってこぬか、戻ってこい!
 いくら我が輩が怒り狂っても、奴隷の耳には届かぬ。腹立ち紛れに我が輩は機械をぶん殴った。……ふむ。これは。
 確か奴隷はここからカリカリを投入しておったな。ここをこうして、と。ふむ。

 ……ふぐうっ

 奴隷が帰宅したのは夕方頃であった。夕方頃、と曖昧な時間を申すには理由がある。我が輩はその時、外の景色を見ることができなかったのだ。

「ぎゃああああああっ」

 帰宅するなり、奴隷の甲高い絶叫が響き渡った。いかんな。大人たるもの、常に落ち着き、冷静でなければならぬ。まだまだ修行が足りぬ。
 ……と言ってやりたかったのだが、残念なことに我が輩の口の中にはカリカリがいっぱい詰め込まれていてそれどころではなかった。
 ずぼっ、
 大きな音とともに、我が輩が引っ張り出された。
 そう、我が輩は機械の上部にある蓋を外し、その中に顔を突っ込んでカリカリを食おうとしたのだ。したが、予想外のことが起きた。我が輩の身体はすっぽりと機械に逆さまにはまってしまい、おそらく奴隷は機械から逆さまに突き出た我が輩の後ろ足と尻尾を目撃したものと思われた。
「よ、横溝正史の映画~」
 我が輩の無事を確認して安堵した奴隷が、ぺたりと座り込んだ。息が荒い。腰を抜かしたのだろうか。軟弱ものめ。とはいえ落ち着くと同時に、「横溝正史~」と繰り返して、げらげら笑いだしたので、まあなかなかに回復力は早いとみえる。
 しかし、横溝正史の映画とはどのようなものなのだろう。
 そのうち見せてもらわねばな、と、口いっぱいのカリカリをほおばりながら、我が輩は奴隷を眺めた。

立原透耶プロフィール


立原透耶既刊
『ひとり百物語 怪談実話集
悪夢の連鎖』